真実と現実の交差
「全てですか……?」
そう静かに聞き直したミャーミャの表情を見てゾッとした。三つの目は大きく開き、感情の光が灯っていないように見えたからだ。
何を言っているのか理解できない……ミャーミャの瞳は私たちを拒絶していた。
そんなミャーミャを見るのは初めてで正直、震えた。それは決して寒さからくるものではない。
でも……ここで怯むわけにはいかない。旦那様は前を向くと言っていた。だから……
ふと、ミャーミャがいつもの表情に戻る。
「まずはお風呂に入ってきたら、どうですか? 風邪をひいたら大変ですよ」
そう促されて私たちはお風呂に順番に入ることになった。
――ちゃぷん
湯船に足を入れると、じんじんと痺れるような感覚が走った。自分でも気づかずに相当冷えていたらしい。体まで入れると熱さに震えた。
ゆっくりと体がほぐされていく。ふぅと一息つくと、ボーッと立ち上る白い湯気を見つめた。
本当に風邪を引くところだったかも。
また熱出したら、やだな……
ははっと苦笑いをすると、不意にこの前、熱を出したことを思い出した。朦朧としていたけど。そういえば、あの時、ミャーミャは泣いてたな。ミャーミャの願いは叶いそうか尋ねたら。
旦那様は気分のいい話ではないと言っていたけど、それと関係あるんだろうか。
お湯を手のひらですくう。手の隙間から零れるお湯を無くなる前に顔にかけた。
気合いを入れるため、叩きつけるように。
どんなことを知っても、私は前を向こう。それが、約束だから。
気合いが入ったところで、私はお風呂を出た。
◇◇◇
皆の体があったまったところで、改めてダイニングテーブルに着いた。
ミャーミャに向き合う形で旦那様とスケルが座る。私は、ミャーミャの隣に座った。それに驚いて、ミャーミャが声を出す。
「あちら側に座らないのですか?」
「それだと、ミャーミャを責めているみたいでしょ? 私はミャーミャを責めたいわけじゃないから」
そう言うと、ミャーミャの目が細まる。
一つ息を吐き出して、ミャーミャが静かに話し出す。
「それで……私の知ることを全て知りたいんですよね?」
こくりと頷く。
「その前に、一つだけ忠告をしておきます」
ミャーミャの瞳がほの暗く光を失う。
「もしかして、魔王様が生き延びる方法を知りたくてお聞きになられるのかもしれませんが、私の話を聞いたところで、魔王様が生き延びる可能性の話はないです」
「子供を産んだら、魔王様は死にます。それは揺るがない事実です。それでも、聞きたいですか?」
旦那様を見つめる。旦那様の顔は変わらなかった。
「それでも、いい。教えてくれ」
静かな言葉にミャーミャの表情が怒りに変わっていく。
「なぜですか? 聞いたところで無駄ですよ。わざわざ、酷な話を聞く必要ないでしょう」
「酷な話かどうかは俺が――ここにいる者が決める。話してくれ」
ミャーミャの毛が逆立つ。怒っているのがハッキリとわかった。でも、横で見ていた私には見えていた。
テーブルの下で組まれていたミャーミャの手が震えていたことに。
その震えが怒りよりも、哀しみに見えて私はその手を掴んだ。ミャーミャが驚いて私の方を向く。
「前に、尋ねたよね。”ミャーミャの願いは叶いそう?”って」
両手でその手を掴む。
「あの時、ミャーミャは泣いていたよね? その理由が知りたい」
哀しい声で。
絞るような声で。
ミャーミャは泣いていた。
「ごめんね。もっと早く聞けばよかった。そうすれば、ミャーミャの苦しみを分かち合えたかもしれないのに」
大きくてふわふわの手をさする。
「ミャーミャが知っていることを教えて。泣くほど、辛いことも全部」
そういうと、ミャーミャの瞳からすっと光が消えた。あ、また拒絶の瞳。
「何を言ってるんですか? 私はシアワセですよ?」
機械的に動く口元を見つめ、胸に苦しさが込み上げる。
「だって、魔王様と、花嫁様は、仲睦まじくて、愛しあわれて、私は、わたしは、ワタシは……」
「ミャーミャ」
ミャーミャの大きな体を抱きしめる。それに両親を思い出した。ふわふわの体は抱きごこちがいい。
「気づいてる? ミャーミャ。泣いてるよ」
「……?」
大きな瞳からポロポロと涙が零れている。私の肩を濡らしていく。抱きしめるのをやめて、ミャーミャを見つめた。ミャーミャは泣いていることに気づいてないのか、キョトンとしている。それに微笑んだ。
「家族だもの。痛みを分けてほしい。向き合うのが辛かったら、ゆっくりでもいい。ちゃんと最後まで聞くから。どんなことでも受け止めるから。私を信じて」
そう言うと、旦那様も立ち上がって、ミャーミャに近づく。座っているミャーミャの視線に合わせるように跪く。
「俺も受け入れる。信じろ。ミャーミャが育てた俺を」
そう言うと、今度はスケルがため息混じりに言う。
「まぁ、私は受け入れるか分かりませんけど」
頬杖をついたスケルをちょっと睨む。
こら、せっかく話しやすくしているのに。
「一人ぐらい情に流されないものが居てもよいでしょう? 怒った方がミャーミャさんにとってはいい場合もあるでしょうし」
皮肉な言葉だったが、スケルなりの受け止め方で、ミャーミャへの礼儀に聞こえた。
皆がミャーミャを見つめる。ミャーミャは涙を拭い、大きく息を吐き出して、自嘲ぎみに笑う。
「まったく……揃いも揃って優しいんですから……これじゃあ、悲劇が起こらないはずですね」
悲劇?
そう言うと、ミャーミャは憂いを帯びた瞳でゆっくりと話し出した。
この世界の始まりを――
ミャーミャの話は大変、不愉快な話だった。
この世界を作った創造主、彼女は悲劇を作っては笑うという根性がひん曲がった人だった。
勇者も魔王も花嫁も彼女が作り出したキャラクターで、彼女が綴る物語の中で悲劇を演じていたらしい。
なんじゃそりゃと言いたくなる話だ。
ミャーミャは悲劇を何度も止めようとしたらしい。それで失敗したと打ち明けてくれた。その哀しそうな瞳を見つめ、私はなんと声をかけてよいか分からず、ミャーミャの背中をさすった。
話をしていると途中で、スケルが声を出す。
「じゃあ、私の部屋が武器庫だったのも、魔王様に殺意を抱かせやすくするためですか?」
「そうよ」
そう言うと、スケルは少し黙って、口を開いた。
「うわー…エグいですね」
ガクッと滑りそうな感想だ。
「えぇ? じゃあ、私が武器好きだと知って勇者にしたんですか? 悲劇を起こさないように」
スケルが言うとミャーミャは首を振る。
「偶然よ。本当に偶然なの。勇者なんて来なければいいと思っていましたからね」
ミャーミャは話を続ける。私の花嫁選びは偶然だったらしい。幸せそうな両親を見て嫉妬した……と打ち明けたミャーミャの顔は苦しそうだった。
その偶然を利用して、私の目を変えたこと、目のせいで魔力が減った私に花嫁の指輪を付けて拘束してしまおうと考えたことを打ち明けられた。
旦那様を怖がらず、向き合い、愛し合う様を水晶玉を通じて全部、見ていたことも。
ミャーミャは私の方を向いて頭を下げた。それはいつか見た光景だ。
「私は自分の目的のためにあなた様を巻き込みました。悲劇の舞台に上がらせてしまったのは私のせいです。あなた様は犠牲者です。どんなお叱りも受けます」
丁寧な謝罪に私は複雑な思いだった。
モヤモヤはする。
怒りもある。
でも、その怒りはミャーミャに対してじゃない。
私は”彼女”に対して、怒っていた。
これ程の怒りはかつて感じたことがないほど、怒っていた。
「ミャーミャに対して怒るつもりはない。確かにミャーミャに導かれてここに来たのかもしれない。でもね、そのことに後悔はないの」
ミャーミャの手をとる。
「外にいたら、恋を知ることはなかった。でも、ここに来て、恋を知った。苦しい時もあるけど、大切な思いだよ。ありがとう、ミャーミャ」
そう言うと、ミャーミャがわっと泣き出した。
「もぉ! ラナ様はどんだけお人好しなんですか! そんな感謝されることなど……!」
子供のように泣く、ミャーミャの背中をさする。
「ミャーミャには怒ってないけど、”彼女”に対してはものすご―――――く怒ってる」
にこりと笑ってミャーミャに言うと、キョトンとされた。
初めて知った。度が過ぎる怒りが込み上げると人って笑いが止まらなくなるのね。
ふふっ……ふふふふふふふふふっ
暗い笑顔のまま私は立ち上がる。怒りはマグマとなり、私の中で煮えたぎっている。
バンと、部屋の窓を開け、嘲笑う森に向かって声を張り上げた。
「笑うんじゃねぇ! 大ばか野郎が!!」
そう叫ぶと、ほんの一瞬だけ森が静かになった。そして、また嗤いだす。それにカチンときた。
そうか。そっちがその気なら、私は絶対に引かない!
「今からそっち行くからな! そこで待ってろ!」
窓から外に出ようとすると、誰かに羽交い締めにされる。
「落ち着け、ラナ」
「放してください、旦那様! 嗤う奴らに頭突きをしなければ、気がすみません!」
「……頭突きはやめろ」
「そうですよ。木を一本ずつ切ればよいのでは? 斧、持ってきますよ?」
スケルが隣に立って、飄々と言う。
「いや、木自体に罪はない」
「じゃあ、せめて、メットを持ってきますよ。木に頭突きなんて怪我しますよ?」
それもそうか。
「じゃあ、二人分お願い。スケルも行くでしょ?」
「勿論。あ、でも私は大丈夫ですよ」
「なんで? 頭蓋骨、割れるよ?」
「割れても大したことないでしょ。元々、死んでますし」
「ビジュアル的にエグいから、メットして」
「あぁ、そうですね。じゃあ、持ってきます」
「落ち着け、お前ら……」
旦那様の羽交い締めから抜け出そうともがくが、筋肉モリモリからは抜け出せない。くそぉ……
「ふふっ……くくっ…ははは……」
不意に後ろで笑い声がして、振り返ると、ミャーミャがお腹を抱えて笑っていた。なんだ? 私、笑いを取りにはいってないよ。
「いやですわ。頭突きなんて、ラナ様ったら……もぉ……」
ダメか? 頭突き。
「私、相手を傷つける時は、自分も傷つくって決めているから」
ふんと鼻息荒く言うと、またミャーミャがくすくす笑いだす。
「メット持ってきましたよ」
スケルが銀のシルバーメットを被って、やってきた。でも、私の分がない。あれ?
「私の分は?」
「やはり、レディが頭突きしていくなんて顔に傷がついたら困りますし、やめときましょ? その代わり、ラナ様の分は私がやりますので」
「それじゃあ、スケルが痛いだけだよ」
「大丈夫ですよ。もう、死んでますし」
いやいや、死ぬとか死んでないとか関係……ないようなあるような。あーもー! よく分からなくなってきた!
「ラナ」
「なんですか?」
「腹が減った」
はぁ?
空気読んでくださいよ、旦那様。
なんで、今、この状況でお腹がすくんですか? 怒りで腹一杯ですよ、私は!
「クッキーが食べたい」
「…………」
「あぁ、いーですね。クッキー」
「食べたいですわ、ラナ様」
なんだよ、皆して。私は怒っているのだ。クッキーなんて作る気分じゃ……
って、なんで羽交い締めを解いて、横抱きにしてるんですか、旦那様。そのままキッチンに運んで……って、おおい!?
「クッキーの材料はここか?」
こちらの意思を無視して戸棚を開ける旦那様。人の話を聞いてはいない……
むすっとしていると、微笑まれた。
「なんだ? 作ってほしいのか?」
違います。そうハッキリ告げたかったのに、一人で怒っているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
「そうですね。旦那様のクッキー、食べたことありませんので、食べたいです」
そう言うと「任せろ」と言われた。
すっかり怒る気力をへし折られ、モヤモヤしながら、椅子に座る。すると、ミャーミャが微笑んで話しかけてきた。
「ラナ様、怒ってくれてありがとうございます」
その言葉で怒りがしぼんでいく。
「家族を酷い目に合わせたんだもの。怒るのは当然」
ビシッと指をさして言うとクスクス笑われた。
「家族……家族なんですね、私たち」
ミャーミャがしみじみと言い出す。
「違うの?」
「いえ……あまり、考えたことなくて……でも、そうですね。私は家族が欲しかったのかもしれません」
ポツリポツリと呟かれた言葉を私は黙って聞いていた。
世界の成り立ちの話は「猫の涙」と「世界観まとめ」で被るので、だいぶ省略してしまいました。分かりづらかったら、すみません。次回はミャーミャ視点になります。




