■雨に集う
――いつか殺すつもりじゃないか。
その言葉に心臓が止まりそうになった。
降りだした雨を避けて、忙しなくその場を去る人の足音が聞こえる。それが消えた後、耳に残ったのは雨の音だけだった。
私は静かに旦那様を見つめる。変わらない優しい笑顔。責めるわけでもなく、ただ会話をしているような雰囲気だ。
でも、内容は自分の死について。
なぜ、穏やかな顔でいられるのか不思議だった。
離れてしまった手を握りしめる。
なんて誤魔化そうか……ほんの一瞬だけ、そんな邪な気持ちになる。だけど、ごく自然に聞いてくる旦那様に観念した。だって、旦那様の言っていることは合っているから。
「怒らないんですか?」
「どうしてだ?」
「だって……私は酷いことを考えているから」
視線を外す。旦那様の足が見えた。顔がまともに見れない。
『あなたのことが好きです。死んでくださいって』
『どんなに綺麗な言葉を並べても、ラナ様のしたいことは結局、それです』
スケルの言葉が脳裏に響く。
本当にその通りだ。
雨が、私を濡らす。
まるで罰しているようだ。
私の黒い感情を。
綺麗な言葉で隠しておきたかった小さな独占欲。
私は目の前にいるこの人が好きだ。
本当に好きで、全部が欲しいから
遺してなんて逝けやしない。
哀しくて。苦しくて。熱い何かが込み上げてくる。それが雨と混じって流れ落ちた。
旦那様の足が動いた。一歩、前に。
そのまま頭を胸に押し付けられた。
雨を含んだ冷たい服が額に当たる。
「怒ってくださいよ……旦那の死を望むなんて、鬼嫁だとか……」
声がひきつった。冷たい服に押し付けられているはずなのに、顔の熱が引かない。
「そうだな。俺も怒りたいんだけどな……」
ちっとも怒る気がない優しい声が雨と共に降ってくる。
「惚れた弱みというやつだろうな」
ぎゅっと、抱き寄せられた。
なんだよ……卑怯だ、その言葉は。どこまで優しいんだよ、バカヤロー。
「旦那様と楽しいことをしたいっていうのは本当ですよ」
「分かってる」
「りょ、旅行とかして……そんで、アホみたいに笑って!……お菓子作りもまたっ……したいですし……!」
「分かってる」
そっと旦那様の背中に手を回した。
「っ……ごめんなさい、旦那様。私は、あなたの全部が欲しいんです……」
吐露したの最悪の告白。同時に熱いものが溢れ流れた。
「だから、子供を望んでしまいます。ごめんなさいっ……ごめんなさいっ!」
背中の回した手のひらの中に旦那様の服を強く握りしめる。
私は酷い選択をしようとしている。
優しいこの人に。
しゃくり声を上げる私を旦那様は強く抱きしめた。強くて少しだけ痛い。
「辛い目に合うのだったら……分け合うのだろう?」
その言葉に息が止まった。
「二人で居れば、辛さも半分になる」
それはいつか私が言ったことだった。
「偏りすぎですよ。苦しみが」
「そんなことはない。逝く者と、見送る者では、痛みに差はないだろ。だが……」
抱きしめられた手が離れた。頬を両手で掴まれて、顔を上げさせられる。雨に濡れて、旦那様の顔は泣いているように見えた。
「まだ諦めたわけではない。可能性がゼロじゃない限り、俺は前を向く。最期の一秒まで、前を向く」
「お前も同じだろ?――ラナ」
なんだよ。カッコいいじゃないか。
いつもそうやって手を引いていたのは私なのに。あんなに死にたがってたのに。あんなに諦めていた人なのに。
私が俯きそうになったら、前を向くなんて……落ち込んでなんてらんないじゃないか。
私は笑って見せた。
泣くのはおしまいにしよう。
この人の隣に立つのに、いつまでも泣いてられない。
「もちろん。私は最後まで諦めません」
そう言うと、旦那様は嬉しそうに笑った。
◇◇◇
雨の中をゆっくり歩きながら、私は旦那様の考えを聞いていた。町を出たので、人はもういない。
「ミャーミャは、隠し事はまだたくさんあると言っていた。あまり気分のいい話はないらしいがな。だが、全てを聞いておきたい。それにもしかしたら、可能性の話が残っているのかもしれない」
「それに、アイツらにも真実を教えると言ってしまったしな」
アイツら……悪魔と妖精か。
「自分を追い込むためにあんな事を言ったんですか?」
それに、旦那様は笑う。
「それもあるな。だが、この先、子供が産まれるとしたら、魔王は消えるだろうからな。そのための準備も兼ねてる」
え? それって……?
「私が子供を魔王にしたくないって知っていたんですか?」
それに旦那様は「知っていた」と言わんばかりに笑った。
え? 誰だ、バラしたの……
思い当たるのは一人しかいない。
――骨か。
「スケルに聞いたんですか?」
旦那様は何も答えない笑っているだけだ。骨め……あとで頭突きの刑だな。
「お前なら子供を魔王にしたくはないと考えただけだ」
悔しいが、当たってる。
「準備とはなんですか?」
「魔王がいなくなることへの準備だ。正直、外のやつらなど放っておけばいいと思うのだが……ラナの両親もいるしな」
あ……
「妻の両親が不安定な道を歩くのは忍びない」
やっぱり、優しい人だ。
「魔王が消えるというのは、この国を揺るがすことだ。協力者がほしい」
「それであの二人ですか?」
「なってくれるといいんだがな」
協力者……
うーん……なるのだろうか。
「かなり博打じゃないですか? 二人の人柄も考えもまだ分からないですし……」
本当に信用できるか分からない。むしろ、真実を面白おかしく。
面白おかしく……?
できるのか?
実はモンスターはあなたたち本来の姿でした! とか言ってもテンション下がるだけだ。むしろ信じたくないって思ってしまう。
危険なのは旦那様自身じゃないか? 魔王が出歩いてるなんて知ったら、どんな目に合うか……捕まえて拷問とかされたら……
ぞわっと背筋に悪寒が走った。
「やっぱり、危険ですよ! 魔王を取っ捕まえるぞ! とかになったら!」
訴えるが、旦那様の表情は変わらない。
「そうだな。だから、お前は出歩く時は俺と常に一緒に居るんだぞ。離れないように」
「え? むしろ、出歩いちゃダメですよ。私、一人だったら、変装とかしていけますし」
「ダメだ」
即却下。なんでよ。
「もし、アイツらが魔王の捕縛なんて考えるなら、狙うのは俺になる。魔王の花嫁より、魔王自身の方が餌としてはうまいだろう?」
そんな危険なことを笑顔で言わないでほしい。心配すぎる。
「でもまぁ……」
旦那様がどこか遠くを見つめた。雨はまだ降っていて、旦那様の全身を包んでいる。
「300年……変化がなかった外の奴らが向こうから来たんだ。賭けに出たくもなる」
その横顔はどことなく嬉しそうだった。
もしかしたら、旦那様は向こうからのアクションを待っていたんじゃないかな。
誰かが魔王を知ることを――
それが吉と出るか凶と出るかまだ分からないけど、いい方向に向かえばいいとは思う。だいぶ、心配だけど。
馬車が留まっている場所までくると、ずぶ濡れでスケルが待っていた。私達を見ると、スケルはゆっくりお辞儀した。
「突然の雨で大変でしたね。さぁ、お乗りください」
馬車の扉を開けてくれた。私たちは一度、お互いを見つめあって、馬車に乗り込もうとする。私が先に乗った後、旦那様は乗り込む前にスケルを見た。
「スケル。帰ったら、この世界の全てを聞きに行く」
旦那様の横顔は、まるで……
「お前も付いてくるか?」
信頼した仲間を見ているようだった。
スケルは少し黙った後、ゆっくりと頷く。
「私はあなた様の従者ですからね。どこまでもお供しましょう」
私の知らないところで二人に何かあったのだろうか。なんか二人の雰囲気が変わっている。
「それに、ラナ様とは同盟を結んでますしね」
同盟? あぁ……
「黒幕には頭突きだよね」
私がそう言うとスケルが笑った。
「いつの間にそんな変な同盟結んだんだ」
「えーっと……だいぶ前です」
そう言うと、旦那様がため息をついた。
雨の中を馬車は走っていく。
不安がないわけじゃないけど、私は前を向くと決めた。旦那様もいる。スケルだって付いている。
一人じゃないから、私は進んでいける。
家に帰ると、ミャーミャが出迎えてくれた。
「まぁまぁ、随分と濡れてしまったのですね。すぐお風呂を用意しますね」
くるっと回った背中に向かって旦那様が声をかける。
「ミャーミャ。風呂が終わったら、話がある」
ぴたりとミャーミャの足が止まる。
「俺たちは、この世界のすべてが知りたい。ミャーミャが知っていることを全て教えろ」
そう旦那様が言うと、くるりとミャーミャが振り返った。
その顔は笑顔ではなく、無表情だった。




