旦那様と初デート
「ちょおっっっと待った!」
私はある重大事実に気付き叫んだ。スケルが驚き、馬車は急ブレーキ。
「なんだ?」
頭を前の背もたれにクリーンヒットさせながら、旦那様が言う。私は旦那様の首を掴んで揺さぶりながら叫んだ。
「森から離れたら、死ぬってことないですよね!?」
「は?」
なんで気づかなかったんだ、私のバカヤロー。旦那様は老体の引きこもりじゃないか。人間の限界をとっくに越えて生きている。森から離れたら死んじゃうとかあり得るじゃないか!
私のバカバカバカバカ!
「気分は大丈夫ですか!? 死にそうとかありせんか!?」
旦那様はジトっと私を見た後、苦しそうに息を吐き出す。
「確かに今、苦しいな」
え!? やっぱり!
「お前が俺の首に手をかけて絞め殺そうとしているからな」
はっ。興奮しすぎて絞めている! いかん!
「すみません…」
はぁとため息をつかれた。
本当に申し訳ないことをした。旦那の首を締め上げるなんて鬼嫁じゃないか。いや、魔王殺し嫁? ともかく気を付けよう。
「でも、本当に大丈夫ですか?」
「…大丈夫だろ。俺は森の外に出たことがあるが、体に異変はない。お前も見たことがあるだろ」
確かにチラッと見たことはあるが、あれは短時間だったし、長時間のお出かけはないだろう。
怪訝そうに見つめていると、頭を撫でられた。
「ミャーミャも行ってこいと言っていたんだ。問題があったら、そんなことは言わないだろう」
むむむ。
確かに全部を知ってそうなミャーミャが言うなら間違いないか…でも、心配だ。
「でも、動悸・息切れとか、胸が苦しくなったとか、突然、青く光りだしたとかだったら、すぐ言ってくださいね」
そう言うと、旦那様は私の手を繋いだ。
「そんなに心配なら、手を離すな。あと、俺から目を離すなよ。ずっと見ていろ」
なるほど! 私が見ていれば光をだしてもすぐ分かる。さすが旦那様だ。
「分かりました。しっかり監視させて頂きます」
そう言うと微妙な顔をされてしまった。
なんだ? 頼りないのか?
そうか。私は監視役、初体験だ。その未熟さを旦那様は感じ取っているのかもしれない。経験不足を補うには、体を張るしかない。目を皿のようにして、旦那様を見なければ。
そうこう話しているうちにまた馬車が走り出した。
町から離れた場所に馬車を止め、舗装された道を旦那様と歩き出す。手を繋いで。
空は晴天。ピクニックとかしたら気持ち良いくらいの晴れ。でも、隣を見ると魔王。うーん…違和感しかない。
旦那様を監視すると、眩しいのか目を細めている。あ、そうだよね。いつも曇天の中で生活しているから、こんな晴れの日は太陽の光で目がやられる。
私はいそいそと前に買ったお買い物必須アイテムを取り出した。
「旦那様、これ使ってください」
「なんだ?」
「サングラスです」
真っ黒なメガネを不思議そうに旦那様は見つめる。
「太陽の光、眩しくないですか? これを掛けると目が開きやすいですよ」
森と町に行き来している時に気がついたのだ。暗い空ばかりで生活していると晴れの日は目が痛い。それを軽減してくれるアイテムだ。まぁ、私の場合は恐ろしいモンスターがややボケて見えるのでお得感が二倍なのだが。
繋いでいた手を離し、サングラスの掛け方がわからない旦那様に掛けてあげた。
おおっ! サングラス似合う!
魔王感がアップした! 悪そう!
「どうですか?」
「確かに目は開けやすいな。お前は無くても平気なのか?」
「旦那様よりは、太陽に慣れていますので平気です」
「そうか。無理はするなよ」
そう言われ、また手を握られる。それをしっかり握り返して、私達はまた歩き出した。
◇◇◇
町に着いた。着いたはいいが、歩いたら忘れていた腹の虫が一斉に鳴り出した。
くっ…まずはコイツらを黙らせないと、せっかくのデートが台無しだ。
なにかないか。食べるもの。食べ物! 食事! にくー! さかなー!
目に留まったのは一軒の屋台。
あれは肉の串の屋台! すごい美味しいやつ! つい買い食いしちゃうやつだ!
「旦那様! あそこでまずは食べましょう!」
旦那様の腕をグイグイ引っ張って、屋台に向かった。ギョロッとした目を持つ魚頭の人が黙々と肉を焼いている。
「すみませーん! 肉の串を……」
そこではたと気づく。
旦那様は一体、何本食べるのか? 旦那様も食事はしてないというから、お腹が私と同じくらいすいているはずだ。
私は三本ペロリと食べちゃうけど、旦那様の胃袋は無限大に近い。
うーん、うーん…よし。そうだ。
「すみません。肉の串をあるだけください」
「え? あるだけかい? 焼いたやつでいいんだよな?」
「はい」
「ちょっと待ってくれな。えーっと、12本あるが、全部買うのかい?」
「はい。お願いします」
「まいどー」
片手に6本ずつ串を抱えて、意気揚々と旦那様を見る。
「ここのお肉、美味しいんですよ。食べましょう!」
笑顔で言うと、旦那様にくくっと笑われてしまった。
「あぁ、そうだな」
どこで食べようかなー。
食べ歩くのは少々、多すぎる量だ。どこか落ち着いて食べられる場所。
買い物メインだったから、この町のくつろぎスポットには詳しくない。私は屋台の人に聞いた。
「すみません、この近くに公園とかないですか?」
「あぁ、それなら角を曲がって、突き当たりを右に行ったところにあるよ」
「ありがとうございます」
串を持っているので微妙なお辞儀になってしまったが、思いだけは込めて頭を下げた。旦那様に向き直り、歩き出す。
「公園で食べましょう」
「わかった。持つぞ」
「いえ、お気遣いだけ。絶妙なバランスで持っているので、お渡ししたらうったり落としそうです」
ささっと旦那様を促し、公園まで歩き出した。
公園は広かった。港町らしく海に面して細長い形をしている。海側には転落防止の手すりがあった。手すりのおかげで棒の間から海が見え、近くに海を感じられる。海を見ながらブラブラ散歩するのにもってこいの公園だ。
そのせいか人もそこそこいた。
大中小の様々な魚頭の人々が。
えーっと、座れる場所。
座れる場所はないかなー?
おっ。あった!
「旦那様、あそこで座ってたべましょ……」
・・・・・は?
ちょっとまった!?
なんで、手すりの上に立っているんだ!? 海にダイブして、泳ぐの? 泳いじゃうの? あなた、ひきこもりなんだから、海で泳いだことないでしょ!
溺れる! そのボディの隆々とした筋肉は浮力0ですよ!
「旦那様、早まらないで!」
その時、最悪、串を投げ出す覚悟をしていた。魚頭の屋台の人、ごめんなさい。あなたが丹精込めて串焼きを無駄にしてしまいます。本当にごめんなさい。でも、旦那様の奇行を止めなくてはいけないのです!
―ぴょん
「ん? どうした?」
どうしたじゃぁなぁぁぁぁぁぁい!
なに、普通に手すりから飛び降りてこっちに来てんだ! ただ、運動神経の良さを見せつけただけなのか? そうなのか? なら、最初から言いなさいよ! 褒めるから! 手放しで褒めるから!
「はぁぁ…」
心の中で一通り叫び終わると、その場に座り込んだ。串はキープして。
「どうした。腹が減ったのか?」
旦那様はしゃがんで私を覗き込んだ。心配そうな声。それに、ははっと乾いた笑い声が出る。
まだ食べてもないし、買い物もしてないのに疲れてきた…
魔王とデートするって色々、心臓に悪いのね。はぁ。
「ラナ?」
こちらの心情を察してくれない旦那様はまだ心配そうに声をかけてくる。
少々、疲れたが、両手にはせっかく買った肉串がある。食べて落ち着こう。
「そうですね。お腹が減りました。食べましょう」
私達は椅子に座ってようやくご飯にありつけることになった。
甘辛たれがかかったお肉の串を頬張る。うまい。空きっ腹にガツンとくる味だ。
びっくりしたから食が進まないかと思ったが、食べ始めると止まらない。あっという間に一本平らげた。
「ふぅ。美味しい。旦那様、美味しいですか?」
「あぁ、うまい」
尋ねたが残りの肉串を見て固まる。
うん。そりゃそうでしょうね。残り2本ですもん。いつの間にそんなに食べたんですか、旦那様。
いや、もう何も突っ込むまい。この人の胃袋はおかしいのだ。いちいち、びっくりしていたら身が持たない。
「それはよかったです。ところで、旦那様」
「なんだ?」
「なんで、さっきは手すりに立ってたんですか?」
肉を頬張りながら、キョトンとした顔をされる。まだ、食べるのか。
「そこの手すりに立ってましたよね?」
指をさして再度言うと、やっと理解したのかあぁ、と呟いて旦那様が話し出した。
「なぜ池がこんなに広いんだと思って見ていた」
「池? あぁ、これは海ですよ」
「海?」
「はい。海とは…………」
海とは。改めて説明すると難しいな。
しょっぱい水。それは成分の説明だし、広さの説明が欠けている。大きくて深くてしょっぱい水たまり………いかん、説明になってる気がしない。語彙力の無さが悔やまれる。
そうこう考えいるうちに旦那様がポツリと呟く。
「これが海なんだな」
その言葉は優しく。だけど、どこか切なさをはらんでいた。海を見つめる旦那様と同じように海を見つめた。
私達に向かってやや強い海の風が吹く。それを感じながら、旦那様を見ずに問いかけた。
「海のこと知っていたんですね」
「あぁ、写真だけだがな」
海は波が高くなく、穏やかに波打っていた。漁だろうか。一隻の船が地平線の方へと向かっていく。
「どうですか? 海を見た感想は?」
「そうだな…」
穏やかな声が響く。
「悪くない」
言葉はあれだったけど、旦那様が満足しているのが声色でわかった。よかった。ここに来て。
「こんな天気のいい日に海の近くで旦那様とご飯を食べているなんて、ちょっと信じられません」
落ち着いて考えると、森の外に旦那様がいるというのが現実感がない。ふわふわとした夢のようだ。
「そうだな。俺も信じられない」
旦那様の口元が優しい形になる。同じ気持ちなのかな? それだったら嬉しい。
「悪くないですか?」
「そうだな。悪くない」
その言葉に笑顔になった。
さ、残りの串はあと一本だ。食べちゃおう。
そう思って、串に手を伸ばすと先に取られてしまった。
「旦那様、いくらなんでも食べ過ぎですよ」
「そうか?」
そう言ってパクリと肉を一つ食べてしまう。
「私、一本しか食べてないんですから、残りは私のです」
旦那様の腕を掴んで肉にかぶりついた。
もぐもぐと口を動かしていると、また笑われる。
「お前にやる」
そう言って、串を差し出された。
これはあーん、食べて、というやつか? ちょっと照れるが、口を開く。
パクリと食らいつくとお肉と甘辛い味が口一杯に広がった。
それを笑って旦那様は見ている。
ちょっぴり照れながらも、私は最後の肉にかぶりついた。
ふわふわ。
現実感のない旦那様とのデートは始まったばかりだ。