魔王と猫―誰が為にその幸せに願うか ※狂気注意
ラナが寝ているときの二人のギスギスした会話です。前半魔王視点。後半でミャーミャsideの第三者視点になります。残酷描写はありませんが、読後感は悪いです。
ラナが熱を出して倒れた。熱を出すなんて人間だったのだなと改めて思う。
ラナはどこか強靭というか、鋼の精神だから俺たちと同じように病気をしないのだと思っていた。だが、やはり人間なのだな。俺とは違って。
タオルを冷やす水を変えるため、洗面所で桶に水を張る。その時、視線を感じた。蛇口を止め、視線を感じた方を見るとラナがコモツンと名付けたコウモリがいた。
こちらを伺うように覗いている。コイツは何かとラナに絡んでいるが、他のヤツには絡まらない。俺と会話することもない。
「なんだ?」
コウモリは俺が怖いのか姿を引っ込める。俺は気にすることなく桶を持ち、歩き出した。コウモリは何か言いたげに俺を見ていた。それに足を止めて息を吐いた。
たぶん、コイツの聞きたいことはラナのことだろう。
「ラナなら寝ている。熱を出したみたいだ」
「っ…治るのか?」
「治るだろう」
花嫁の指輪をしている。魔力が切れることは当分ないだろう。俺の言葉にコウモリはまだ何か言いたげに黙る。それにフッと、笑みを漏らした。
「心配か?」
「っ…別に! 人間のことなんて何とも思ってないやい!」
コウモリはそう吐き捨てると飛んで行ってしまった。アイツも素直じゃないな。俺と同じで。それに笑って、ラナの部屋と向かった。
「あら、魔王様。お水の取り替えありがとうございます」
ラナの部屋に行くとミャーミャがいた。いつもの笑顔だったが、様子が変だ。目元が赤い。泣いていたのか?
「どうした?」
「何がですか?」
「泣いていたんじゃないのか?」
そう言うと大きな三つの瞳が一斉に瞬きをする。
「ふふっ。花嫁様にとても嬉しいことを言われたので、感極まってしまったのですよ」
いつも笑顔だったが、なぜか違和感があった。それは、今に限ったことではなく、ずっと前から。そう。前から感じていたものだ。
ミャーミャの笑顔は笑っているようで時折、笑っていない。気を抜けば、こちらが焼け焦げそうな熱を感じるのだ。
何を思ってそんな目を向けるのか。俺は知らない。だが、今は知りたいとも思う。一筋縄ではいかなそうだが。
「何を言われたんだ?」
当たり障りのない会話から情報を引き出していく。
「あら、お聞きになるのですね?」
「泣くなんて、よほどのことだろ?」
ミャーミャは笑って、ラナの額に置いてあったタオルを取り、桶に浸す。ぎゅっと水気を取るように固く絞って、またラナの額に乗せた。ラナが少しだけ身動ぎした後、ふにゃと微笑んだ。それに目を細めて、ミャーミャは言う。
「自分が花嫁でよかったか?
私の願いは叶えられそうか?って言われたんですよ」
こちらを見ずに言われたのは意外な言葉だった。
ラナが? なぜ…
ラナはミャーミャのせいで目がおかしくなったのだろう? なんだ? 理由を知って許したとでも言うのか?
「ラナに目を変えた理由を言ったのか?」
「いいえ」
「じゃあ…」
なぜ?と問おうとして口を閉じた。
ミャーミャがこちらをゆっくりと振り返ったからだ。顔は笑顔だった。見たことないくらい満面の笑顔。
「花嫁様は理由をお聞きになりませんでした。私の願いが叶っているかだけお聞きになられたのですよ」
理由を聞かない…
知りたくないのか? あるいは、知っても無意味だと感じたのか。
「ふふっ。花嫁様は本当にお優しい方ですわ。誰かの為に一生懸命で、その身が削られるのをいとわないのですから」
それは労るような言葉だったのに、俺の耳には、ラナをどこか見下しているように聞こえた。
「そうだな。ラナは本当に人のことばっかだ」
そう言うと、ミャーミャの笑みが深まる。
ラナは他人のことを考えてるが裏を読まない。だから簡単に食い物にされる。まぁ、それがどうしたとラナなら言いそうだが。ラナは俺の妻だ。本人が良しとしても、食い荒らされるのは見たくはない。
「それで、ミャーミャの願いは叶うのか?」
「ええ。このままいけば」
「その願いとはなんだ? 何が目的だ」
近づいて問いかける。その表情を逃さないように見つめた。
ミャーミャは笑顔だった。
「勿論、あなた様方の幸せな姿ですわ」
その言葉に眉を潜める。
「私は誰よりも魔王様と花嫁様の幸せを願っていますのよ」
うっとりと微笑む姿はどこかほの暗さを感じた。幸せを願う言葉なのに、呪いのように聞こえる。
「本当にそれだけか?」
「勿論。子供のように育てたあなた様と花嫁様が仲睦まじく寄り添う姿が何よりも見たいのです」
ミャーミャは立ち上がり手を伸ばしてきた。頭を撫でられる。その手つきは優しかった。
子供の頃はこの撫でられることが一番嬉しかった。それにすがったことも。両親の穴埋めにしたこともあった。
だが、俺はもうあの頃の俺ではない。
ラナが前を向かせてくれたから、俺も逃げない。
「ミャーミャは、隠し事をしているのか?」
脈絡もなくシンプルに問いかけた。ミャーミャは手をとめ、にこりと笑う。
「ええ、しています。たくさん」
その返しに眉を潜める。
「ならなぜ、話さない。俺自身に関わることもあるだろう」
「あら。だって、お聞きにならなかったじゃないですか?」
ミャーミャの目を伏せる。
「それに、あまり気分の良くない話が多いです。そんなつまらないもので、魔王様と花嫁様のお幸せに影が射しても困りますので」
ふふっと弾むような声にますます眉を潜めた。
「私の願いはあなた様たちの幸せのみ。そのためでしたら、どんなことでもしますのよ」
母親が子供の幸せを願うような言葉。
それを素直に受け入れればよいものを、俺は好意として受け止められなかった。
まるで、幸せになること以外、許さないと言われているかのように感じたからだ。
一つ、息を吐き出す。
押し問答ような会話にやや疲れてきた。
ミャーミャの願いは俺たちの幸せということ以外、聞き出せないようだ。
なら、ラナの願いを叶える方法を尋ねよう。
「ラナは俺の長生きを望んでいる。しかし、子供を産めば俺の生は終わると思っている。それは間違いないか?」
「ええ、間違いありません。子供には魔王の名付けがされ、あなた様は砂となります」
名付け? 魔王という名前そのものが名付けの一種なのか。魔力を送り、命を長らえさせる名付け。でも、誰が名付けをするんだ。魔王なんて。
「ミャーミャが名付けをするのか?」
「私がですか? そんな、あり得ませんわ。私は魔王様を生み出せません」
「では誰が」
「世界ですわ」
ミャーミャが唄うように言う。
「あなた様は世界に名付けされた存在。次の魔王様が誕生されるまでは、その命は世界に留まります」
命が留まる?
つまり、死ねないということか。
ならば…
「子供を生まなければ、俺はずっと生きていられるということか」
ミャーミャの顔から笑顔が消える。
「当たりか? ならなぜ、俺の寿命に制限があるようなことを言うんだ?」
ミャーミャはふぅと一つ息を吐き出して、俺に近づく。大きな三つの目が俺を覗き込んだ。瞳の中に俺の姿が写る。
「もし、そうだとしたら、あなた様は耐えられますか?」
「なに?」
「花嫁様の命には限りがあります。でもあなたにはないのだとしたら…」
「あなた様は、亡き花嫁様を思いながら、さ迷う亡霊となるでしょう」
「っ……」
「それとも新しい花嫁様を娶りますか? どちらにしてもあなた様は耐えられるんですかね」
ふふっ。ははっと笑うミャーミャに何も言えなかった。
視線を逸らした俺の頭を撫でる。
「余計なものは考えずに、花嫁様との幸せな時間を過ごすことのみを考えてください」
その言葉は甘美な響きを持っていた。
「私は失礼しますので、花嫁様をしっかり看病してくださいね」
そう言うと、ミャーミャはラナの部屋から出て行こうとした。
「あら」
ドアの前で何かを見つけたらしい。腰を屈めて拾い上げる。
「誰かのお見舞いみたいですよ」
そう言って一輪のオレンジ色の花を差し出した。それを言葉もなく受けとる。ミャーミャは一礼して出ていった。
この花はあのコウモリからだろうか。
それに少しだけ心が温まる。花をベッドサイドに置いてよく眠っているラナを見つめた。間抜けな顔をしてる。それに笑みが零れた。
熱で汗をかいたラナの額をタオルで優しく拭い、タオルを冷たくしてまた額に置いた。ラナは気持ちよかったのか、ふにゃっと笑う。
起こしたくはないので、小さな声で呼びかけた。
「ラナ…」
その声は特別な感情を孕んでいた。
「ただ、幸せになりたいだけなのに。なんで、こんなに難しいんだろうな」
ラナが花嫁でなければ。
俺が魔王でなければ。
普通の人間として生まれてきたら。
そんな栓のないことを考えてしまう。
だが、もしかしたら俺たちは出会わなかったのかもしれない。
それはイヤだな。
自分でも呆れるくらい、嫌だと思ってしまう。
どう足掻いてもラナを傷つける道しかなさそうだ。なら、せめて、傷が浅くなるように大事にしよう。
俺の花嫁を。
ベッドサイドに置いた花を見つめる。花は静かに咲いていた。何も言わずに懸命に。贈り物の花が枯れないように水差しに入れよう。
せめて彼女が起きた時に、心が温まるように。
俺はそう思って席を立った。
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猫は唄う。
楽しげにスキップしながら。
(ちょっと余計なことを言っちゃったかしら? ふふっ。でも、苦しみは愛を燃え上がらせるエッセンスよね? 大丈夫。大丈夫)
(ふふっ。アハッ♪)
(順調♪ 順調♪)
猫は笑う。己の欲が満たされていくので興奮していた。
彼女は部屋に戻ると、テーブルに近づいていった。そこには、大きな水晶玉が置いてあった。
中を覗き込むと花嫁の部屋が写し出される。愛しそうに花嫁を介抱する魔王の姿も。
それを見て猫は背中の毛を逆立てた。興奮していたのだ。
(いいわ。いいわ。その調子で愛し合ってくださいな)
(彼女が見たら地団駄を踏んで悔しがりそうね。アハッ♪ たっのしぃ~!)
うっとりと二人を見つめながら猫は言う。
「さぁ、私に最高のハッピーエンドを見せて頂戴」
狂気に呑まれた猫は笑う。
己の欲望のままに。
涙を流しながら。
笑い声は暗い部屋にいつまでも響いた。