シルフィさんに打ち明けられなかった
「主殿よ、茶のお代わりを所望するぞ」
「自分で淹れろ――じゃあ行こうか、リリィ」
「うん!じゃあね、こくようさま」
どう見ても俺のことを主扱いしていないパンダに若干の苛立ちを覚えながら、無造作に竹の葉茶の入った薬缶を置いて自宅を出てきた俺は、リリィと手を繋ぎながらシルフィさんがいる孤児院へと足を向けた。
「そう言えば、なんでリリィは俺の従者になりたいんだ?」
家の前の広場から竹林へ足を踏み入れながら、いの一番に聞くべきだったなと思い出して尋ねてみると、リリィは舌足らずな口調で言ってきた。
「ええとね、あのとき、たけとさまにたすけてもらったときから、なにかおかえしができないかなっておもってたの。でもコルリむらにきたりタケトさまがいそがしそうだったりして、なかなかいえなかったの」
「それはありがとうな。でも、お返しなんて考えなくてもいいんだぞ。リリィが元気でいてくれるだけで俺は満足なんだからな」
シューデルガンドでの恩を返そうと、けなげにも機会をうかがっていたと言うリリィ。
大の大人でもなかなかできることじゃないと思い、空いた手でリリィの頭をやさしくなでる。
「ふわあぁ……え、えっと、それでね、りりぃたちとよくあそんでくれるラキアおねえちゃんにきいてみることにしたの。どうしたらタケトさまのやくにたてますか、って。そうしたらラキアおねえちゃんがいったの、『それならじゅうしゃになればいい!タケトさまのかしんになればいくらでもおんをかえすことができるだろう、わっはっは!』って」
「そ、そうか……」
けなげなリリィの話でほんわかした気持ちが一転、リリィを撫でた同じ手で、今度はあのアホ従者のアホ発言が引き起こした頭痛を抑えるために、今度は自分の頭を掴む羽目になった。
「タケトさま、あたまがいたいの?い、いたいのいたいのとんでけ!――なおった?」
「ああ、ありがとうリリィ、もうすっかり良くなったよ」
小さな体を目いっぱい伸ばして、俺の頭に手をかざしてくれたリリィのおかげで頭痛は消えたと強引に思い込み――俺の中で新たな疑問、というより嫌な予感がわいてきた。
「リリィ、そのラキアなんだが、リリィ以外の子供たちにも同じようなことを言っていたりしなかったか?」
「うん、こじいんにあそびにきてくれるときはいつもいってたよ。あと、ラキアおねえちゃんがおとなのひとたちにもいってるところをなんかいもみたよ」
「そうか、リリィはちゃんと憶えていて偉いな」
「えへ、タケトさまにほめられちゃった」
口元をほころばせるリリィの頭を再びなでながら笑顔を維持しようと努力する俺の表情筋。しかし心の中では、俺の従者のやらかしに頭を抱えていた。
……はっ、いかんいかん、ここで思考の渦に飲まれてしまっても状況は何も解決しない。
なにより、今俺の隣にいるのはそういう厄介ごととは無縁の純真無垢な幼女だ、さっきのような心配をかけるのは是が非でも避けねば!
そんな感じで目の前の天使と心の中の悪魔の戦いの狭間で苦しみ続けながら、短いようで長い孤児院への道をリリィと進むのだった。
「あらタケト様、と――リリィ!?もう、いつも言っているでしょう、村の中とはいえ一人で遊んではいけませんと。すみませんタケト様、リリィをわざわざ連れて帰ってきていただいて。どこにいたんですか?」
「ちょっと、そのことも含めて話があるんです、シルフィさん。少し時間をもらえませんか?」
「え?あ、はい、今の時間ならちょうど手も空いていますし、少しの間なら構いませんよ。……どうやら院長室で話を伺った方がよさそうですね。こちらへどうぞ」
サイズこそ違えど、竹材で作られているので見た目は他の家と同じで全く孤児院っぽくない内部をシルフィさんの案内で進みながら、奥の部屋へと通された俺とリリィ。
「タケトさまのおかげで、孤児院でも子供たちに毎日お茶を飲ませてあげられています。シューデルガンドでは――いえ、他のどこへ行ったって、こんな恵まれた環境でこの子たちを育てることはできなかったでしょう。ありがとうございます」
勧められた椅子に座る俺達に竹の葉茶を用意しながら、開口一番感謝を伝えてきたシルフィさん。
こっちがお願いする立場なのに先を越されてしまって少々言いづらくはあるが、先延ばしにできる話でもない。
そう覚悟を決めてから、俺は言った。
「実はシルフィさん、今日はお願いがあってきました。このリリィのことです」
「リリィですか?……もしかして何かご迷惑でも?」
「いえ、そういうわけでは全くありません。むしろ俺の助けになってほしいと思いまして――」
そう切り出した俺は、リリィが俺の家を訪ねてきてからの一部始終をシルフィさんに語った。
「リリィ!!あれほど村の外に出てはいけないと言ったでしょう!!」
「ご、ごめんなさい、シルフィせんせい……」
俯いて震えるリリィに、椅子から立ち上がってものすごい剣幕で近寄るシルフィさん。
これまで俺の前では一度たりとも見せたことのなかった厳しい顔に、もしもを考えて身構える俺。
だが、
フワリ
「……とにかく無事でよかった。あなたに万が一のことがあったら、私の心は悲しみと後悔で潰れてしまうわ」
そんな不安は俺の杞憂だった。
シルフィさんは自分の思いを言葉以外でも伝えるためにリリィの体を抱きしめただけだった。
「え……あ、ごめんなさい、せんせえ――」
「タケトさまのおうちへ行く道は、村の中と違って魔物が出て危険があるかもしれないのよ。勝手に一人で行っちゃダメでしょう?」
「ご、ごめんな、ごべんなざいせんせえええぇぇぇ、うヴぇぇぇぇぇぇ」
シルフィさんの言葉に思わず泣きじゃくるリリィ。
その本物の親子のような、神樹教の司祭という立場を超えたシルフィさんの深い愛情と優しさを目の当たりにして、俺は改めて心を打たれただった。
「タケト様には返し切れない恩がありますから、旅からお戻りになるまでは私も付き添いでお宅の掃除をさせていただきますね。あと、さすがにまだ体もできていないリリィにいきなり従者とは行き過ぎです。まずは見習いからでお願いします」
その後、リリィが俺の従者となることを、様々な条件付きで承諾したシルフィさん。
早速とばかりに、リリィを間に挟んで俺とシルフィさんが両の手をつないだ状態で自宅兼工房へ向かうことになった。
……あれ?この状況、端から見たら仲のいい若い夫婦とその子供の三人にしか見えないんじゃないか?
いや、だからどうだっていう話でもないんだが、別に今の俺に付き合ってる女がいるわけでもないし、女性として魅力的すぎるシルフィさんに可愛いリリィ、こんな二人と一緒にいる時くらい妄想してもいいじゃないか――
ゾク
そんな考えが心の奥底をよぎった瞬間、三人ほどの女性の顔が脳裏をよぎって言い知れない不安に駆られたのは墓の中まで持って行こうと思った。
言っておくが、カトレアさん、ラキア、セリカの顔に似てなんかいなかった。
いなかったったらいなかった。
そんな心の葛藤を抱えながら短い家路は終わりを告げ、広場を突っ切っていつものように家の引き戸を開けた。
「主殿よ、最近我の扱いが雑になってはいまいか?」
「うるさい。少しはお前も何かやれよ」
「――え?ま、魔獣!?じゃなくって、あれ?喋った?」
……あ、黒曜に馴染みすぎて、ついついシルフィさんに一言言っておくの忘れてた。
「心外な、これでも我は大所高所から見守ってやってだな――うむ、娘も戻ってきたのか。それに、そっちは例の神樹教の司祭とやらか」
「ただいま、こくようさま」
「こ、黒曜様!?リ、リリィ?いったいあなたは何を言っているの?神獣様がこんなところにいるはずが……」
ん?シルフィさんの様子がおかしいな。
もしかして緊張してるのか?
「シルフィさん?」
「あ、タケト様、(これは夢よ、夢だから多少大胆なことをしても……)きゃああっ!タケト様、こんなところに魔獣がっ!?」
突然悲鳴を上げたシルフィさんが、立ち眩みでもしたのか、俺の腕の中によろけながらしなだれかかってきた。
ちょ、ちょちょちょ待って!?今全体重を預けられると胸が思いっきり当たる、当たっちゃうから!!
「む、そこの大娘は気分でも悪いのか?ならば、とりあえずそこに寝かせねばな」
フワリ
ホッとしたような血涙するほど残念なような、ともかく俺の体にその身を預けていたシルフィさんが黒曜の重力制御で音もなく宙に浮かぶと、囲炉裏のそばまで飛んでいくとゆっくりとその場に降下して床に体を横たえた。
「どれどれ、どのような具合かな」
「……はっ、おい!その獣の顔で至近距離に近づいたら――!?」
俺の意識が桃源郷から戻ってきた時にはすでに手遅れだった。
俺ですら間近で見るのはそれなりに勇気のいる獣そのものの黒曜の顔が、シルフィさんの鼻先まで接近、不可思議な浮遊体験を終えたばかりのところに、強烈な獣の臭いに気づいたシルフィさんのそれまでぎゅっと閉じられていた両の眼が開かれた。
「……」
「どうした、司祭の娘よ。気を確かに持て」
「………………きゅう」
「しるふぃせんせえ?どうしたの?」
「黒曜!?お前、自分の外見がそれなりに恐怖の対象だってことを自覚しろよ。あちゃー……」
強引に黒曜を下がらせてシルフィさんの顔を俺が覗き込んだときには時すでに遅く、大抵のことには動じない強い心を持っているシルフィさんが、両眼を見開いたまま気絶していた。
「ふむ、それではそこに寝ている司祭の娘とこの小娘が我の世話係というわけなのだな。では、これからは少しは怖がらせないように配慮してやるとしよう」
「できればもう少し早く配慮してくれていたら、こんなややこしいことにはならなかったんだがな!」
「リリィはこくようさまのこと、ぜんぜんこわくないよ」
「おおそうか、では特別に小娘の名前を覚えてやるとしよう。――で、名前は何というんだ?」
「リリィはリリィだよ?」
相変わらず普通のパンダとは一線を画す正座スタイルの黒曜に、なぜかそのパンダの膝の上に座って楽しそうに、相互理解が全く進んでいない会話に興じるリリィ。
……はあ、参ったな、俺のせいという部分もあるにはあるが、さっきからいろいろ予定が狂いっぱなしだ。
出発の日も迫っているし、いつ目を覚ますかかわからないシルフィさんをただ待つって余裕もないんだがな。
……それにしても子供ってすごいな。
一目で白黒のパンダを神獣黒曜と見抜いた感性もだが、大の大人なら確実にビビって逃げ出すところをいとも簡単にその懐に飛び込んだからな。
「ぐぬぬぬ、羨まし――じゃなくて恨めしい。あそこまで黒曜様の寵愛を受けるなど許せん!いやだが、幼子のやることに一々目くじらを立てていてはクロハ一族頭領としての威厳が――」
「おわっ!?リ、リリーシャ、お前いつの間に!?」
この場にいないはずの声がすると思って背後を振り返ってみたら、相変わらずの薄着姿のダークエルフのリリーシャが、いつの間にかに俺のそばに片膝を立てて座っていた。
……正直目のやり場に困った。どこが、とは言わないが。
「ああ、どうやらタケトが私を呼んでいるらしいと直感してな、さっきから天井裏に潜んでいたのだ」
……確かに呼ぼうとは思っていた。
リリィとシルフィさんにこの家と黒曜の世話を頼む以上、クロハ一族のことも隠しておくのは無理があったからだ。
「……だからって天井裏に潜むなよ。普通に正面から入って来いよ」
「それはクロハ一族の流儀に反するから断る。それに、お前も貴族の端くれなら、影警護を付けておくのは必要なことだぞ。少なくとも、我らがここにいる間は闇討ちの心配はしなくていいがな」
「……あんまりプライベートな部分までは覗かないでくれよ」
確かにリリーシャの言うことにも一理あると思ってしまったので、やんわりたしなめる程度に留めたその時、
「ん、ううん、ん――」
俺の横で気絶していたシルフィさんから悩ましげな声が漏れた後、その目がゆっくりと開かれた。
「ん?司祭の娘、気が付いたか」
「お前が来るとまたややこしくなるからちょっとそこで待ってろていうか近寄るな」
またも寄ってこようとする黒曜を丁重に断った後、シルフィさんにできるだけ優しく呼び掛けた。
「シルフィさん?大丈夫ですか?もうコワ面の鈍感アホ魔獣はいませんよ」
「おい主殿、それは一体誰のことだ?」
「ううん……タケト様?」
「そうですよ、あなたの為なら火の中水の中のタケトですよ」
「おいタケト、お前、本当はそんな感じの気持ち悪い奴だったのか……?」
リリーシャの殺気の籠った冷たい目が俺の背中に突き刺さるが、女神の介抱という使命を背負った今の俺には通用しなかった。
「――本当に、貴方が――」
「シルフィさ――」
まだ意識がはっきりしないのかとさらに顔を近づけた俺の言葉は最後まで口にすることができなかった。
ついさっきまで気絶していたとは思えないほどの勢いで起き上がったシルフィさんが、俺の両手を掴んで思いもよらないセリフを叫んだからだ。
「タケト様――私の勇者様!!」




