意外な奴と再会した
さて、グラファスには改めて問いただしたが、どうやらズッコケようが天地がひっくり返ろうが俺が工具制作で手伝えることは何もないらしい。
それならと、暇な時間を工房をじっくり見て回り、隙あらばドワーフの技術とやらを目で盗んで武具制作に生かしてやろうと企んだのだが、これが見事に裏目に出た。
「ご主人様どうしたのだ?そんなところでうずくまっていると危ないぞ」
「て、手が、お、重い――!?」
ちょっと金細工を試してみようと鑿と金づちを借りて手に持ったまでは何の異常もなかった。
ところが、余っていた銅板をもらってまずはなにか装飾を施してみようとドワーフの鍛冶師から手渡されたその時、俺の左手がストンと地面に落下した。
「ラ、ラキア!今すぐ俺の手の上にある銅板を取ってくれ!」
「わかった!」
普段は早飲みこみすぎてこっちがついていけていないことが多いのだが、この時ばかりはラキアの行動の早さに助けられた。
「取ったぞ!」
「うううおおおおおお、いっっっっってええええええ……」
ラキアが取り払った銅板の下にあったのは、手首から先が赤どころか青黒く変色したとても元の薄橙色など見る影もなくなった俺の左手だった。
「だ、大丈夫かご主人様!?ケ、ケガをしているではないか!?すぐに治療を――」
「ラキア、ちょっと待て」
「そんな悠長なことを言っている場合では――」
「いいから待て。多分、もう大丈夫だ」
確証があったわけじゃない。
だが、慌てて俺の部屋から竹ポーションを持ってこようとしたラキアとざわつく周囲のドワーフたちの動きを俺が止めたのは、鈍い痛みを放っている左手に徐々に正常な感覚が戻ってくるのを感じたからだ。
「は、肌の色が戻っていく……」
「ほう、《鋼の呪い》か。珍しいこともあるものだ」
ラキアを始めとして安堵の空気が広がる中、ちょうど鍛冶場に姿を見せたグラファス一人だけが違う反応を見せてきた。
「知ってるのか?」
「当たり前だ。鋼を扱う者の知識としては、《鋼の呪い》自体は初歩中の初歩だ。弟子にすることはもちろん、ワシの工房では《鋼の呪い》を持つ者から注文は取らんことにしている」
「そんなに重い呪いなのか?」
「いや、大抵は少し鋼の武具を重く感じる程度で、タケトのように即座に命にかかわるような重篤な状態になる者はほとんどおらんが、自分で使えぬ客に売るようないい加減な仕事をするつもりはない。だが、それ以前に、この呪いに人族がかかった例は聞いたことがないな……」
「だが現にご主人様はこうして呪いにかかっているではないか!?」
ラキアの言うことももっともだ。
それなら、俺という実例が存在していることに矛盾が生じるからな。
だが、次にグラファスから出てきた言葉には俺も言葉を失うしかなかった。
「思い出せタケト。お前はそもそも普通の人族ではないではないか」
「……あ」
おそらくドンケスから聞いたんだろう、異世界人、という言葉を大勢がいる中で使わなかったのは、多分グラファスなりの気遣いなのだろう。
俺の頭が理解するのを待つように間をおいて、マスタースミスは再び語りだした。
「初歩的なものはともかく、《鋼の呪い》に関する詳細な知識はこのゲルガンダールでも意外と少なくてな。というのも、その実例のほとんどが鋼の武器を忌避する傾向が強いエルフ族に出るのでな、タケトも知る通りドワーフとエルフは何かと相性が悪くてなかなか立ち入った情報が入ってこんのだ。まあ、それはお互い様なのだがな」
まあそれはとにかくだ、と、グラファスは俺の返事も待たずに続けて言った。
「仕事の邪魔だ、出ていけ」
実際にはその後も俺の工具作りで何かできることがあるのではないかと、無情な宣告をしてきたマスタースミス相手に粘って見たのだが、
「あの立ち合いで必要なデータは取れている。これ以上鋼に触ることもできん役立たずはいらん。完成するまでその辺で遊んでおれ」
と、またしてもつれない返事が返ってきた。
まさかあの戦いの中でグラファスがそんな芸当を行っていたとは夢にも思わなかった。
マスタースミスの名は伊達ではないということか。
ともかく、鍛冶場から追い出されてしまって手持無沙汰になった俺は、仕方なく別の方法で暇を潰すことにした。
そして、いろいろ考えた俺が選んだのが、
「おい、何故ついてくる?」
「いいじゃないか。暇人同士仲良くしようぜ」
ちょうど外出しようとしていたリリーシャをタイミングよく見かけたので、彼女にくっついてゲルガンダール見物をしようと決めたのだった。
「いつものように竹とやらで細工物でも作っていればいいではないか」
「もう竹材が残り少ないんだよ。ここんところ水鉄砲とか作りまくったからな」
まあウソなんだが。まだ竹材はアイテムボックスの背負い籠に満載してるんだが。
ただ何となく、なんて答え方だと、即追い返される可能性大だからな。
ちなみに、多くの細工関係の蔵書が保管されているであろうグラファスの工房の書庫にもかなり心惹かれるものがあったが、本の虫という趣味が判明したリーネと二人きりになること確実だったのでやめておいた。
別に同じコルリ村の住人というわけでもないし、超絶拒絶されていると分かっていてあえて近づく必要はないだろう。
いやー、気位の高いエルフとの共同生活か、想像もできないな!
「なら一人で見て回ればいいだろう」
「そうつれないこと言うなよ。リリーシャはこれまでに何度か来たことあるんだろ?せっかくだから穴場の店とかうまい食い物とか教えてくれよ」
「あのな、私だってただブラブラしているわけではないのだ。いざという時の逃走ルートの確認とか街の噂を探ったりとか、これでも結構忙しいんだ。わかったならとっとと――」
「も・ち・ろ・ん、リリーシャが俺を満足させてくれたら、ちゃあんと黒曜に言っておくぞ」
「――!?……くっ、卑怯だぞ!」
その眼こそ反抗的な光を残していたが、俺の最後の一言でリリーシャが落ちたことはそれ以上否定的な言葉が彼女の口から出なかったことで一目瞭然だった。
こいつ、そのうち「くっころ」とか言い出さないよな?
そんな感じでリリーシャと二人、意気揚々とゲルガンダールの街に繰り出したのだが、
「おいタケト、アレは一体何なんだ?」
「俺に聞くな」
グラファスの工房の玄関から堂々と出た直後から、俺達の背後に付きまとう怪しい気配を感じていた。
いや、気配の正体は分かっている。
というより、俺とリリーシャが周囲の気配を読むことに長けていることと関係なく背後の気配の尾行がお粗末そのもので、グラファスの工房から十メートルも歩かないうちにその姿を視界の端に捉えられたからだ。
「どうするんだ?」
「……放っておこう。用があれば向こうから話しかけてくるだろうし、見られて困るようなことはないからな」
「確かにな。それにわざと泳がせておいた方が目的が分かるかもしれん。安心しろ、あいつが何か仕掛けてくるようなら先手を取って無力化してやる」
「……まあ、その時はケガさせない程度にな」
言葉の端々にエルフに対する底知れない怒りのようなものをにじませるリリーシャに気づかないふりをしながら、俺は活気のありそうな方向へと足を向けることにした。
「はあ?武器や防具には興味がない?金銀の装飾や宝石も見たくないだと?お前、それでよく案内してくれだの私に頼めたものだな!?」
とりあえずとばかりに手近な武具屋に入ろうとしたリリーシャを止めたところ、さすがに不審な顔をしてきたので《鋼の呪い》には触れずに適当に話をぼかして説明したのだが、予想通りの返事が返ってきてしまった。
「タケト、ここがどこだが分かっていてそんな世迷言を口にしているのか?ゲルガンダールだぞ?戦で手柄を立てようという者なら知らない者はいない、ここの一流どころのフルオーダーの武器を手にすることは一つの憧れと言っても過言ではない、いわば武具の聖地だぞ?しかもマスタースミスの工房に出入りをしておきながら武具に興味がない?お前正気か?」
「いや、それはそうなんだがな……」
「この大通りを見てみろ!この光景のどこにお前のような趣味嗜好の者がいると思う!?」
そう言ったリリーシャが両手を広げて見せた先には、ゲルガンダールを貫く川沿いに所狭しと様々な店が立ち並び、そこら中が人で溢れかえっていた。
目につくのは主にドワーフ、エルフ、獣人といった亜人だが、中には布や被り物で頭部を隠して露店の品を吟味する種族不明の者や、明らかに魔族や人族としか思えないのに堂々と顔を晒して闊歩する商人らしき男たちまでいた。
「ここでは種族の違いを超えて、ゲルガンダールで作られる武具や装飾品を買い求めるという目的だけでこれだけの人々が集まっているのだ。それだけの魅力のある品々を、タケトは一顧だにしないというのか!?」
「いや、まあ、その……」
リリーシャのあまりの剣幕に、近くを歩いていた数人からちょっと変な目で見られたが、当人は全く気にした様子はなかった。
順序だてて説明した分、リリーシャの言い分は非の打ち所のない正論だったので、俺も反論の余地がない。
だが、いくらここまで長い道のりを一緒に旅してきたとはいえ、ラキアやドンケスと同じように信用するにはもう少し彼女の人となりを見極めておきたい。
《鋼の呪い》のことを話すのはそれからでも遅くはない。
それに、わざわざ大通りまで出てきたのだ、俺にも目的の一つくらいちゃんとある。
「実はな、ある食材、正確には調味料を探したいんだよ」
「調味料?そんなもの、わざわざここで探さなくても人族の街の方がいろいろと都合がいいだろう?」
「いや、多分だが人族の街で見つかる可能性は限りなく低い」
「どういう意味だ?」
「実際にこの目で確かめたからだ」
リリーシャの反応は当然のものだったが、俺には半ば確信があった。
俺が直に知っている人族の街といったらたった一つしかないが、その街、シューデルガンドは商業を基幹産業にしている東の大公領でも最大規模を誇る商業都市だ。
加えて、シューデルガンド屈指の大商会であるルキノ商会の協力を得て調べても、一向に目当てのブツを探し出すことができなかったのだ。
「いやいや、そこまで探しておいて見つからないものを、ゲルガンダールで見つけられるという根拠がないだろう?さすがに見つかるまでひたすら探し続けるなどとは言わないだろうな?」
「そりゃそうだ、いくら俺でもああるかどうかも分からない調味料を探して大陸中を探すような、こと、は………………」
「そこは断言しろ!!聞いてるこっちが怖い!」
「――はっ!?す、すまん、ちょっと取り乱した」
俺は謝れる男だから、迷惑をかけた分はちゃんと謝る。
あの魅惑の調味料を諦める可能性はゼロだ、とは口が裂けても言わないがな。
「手がかりはちゃんとある。というより、俺の記憶が手がかりなんだがな」
「記憶?まさかその調味料を見たとかいうつもりか?」
「違う違う、調味料なんて見た目で判別できないこともあるだろ。俺の記憶に残っているのは視覚じゃなくて嗅覚の方さ」
あの時、ゲルガンダールに来た初日にラキアが買ってきた食べ物の一つから匂ってきた香ばしい香りが気のせいではないと改めて思い出しながら、俺はその名を口にした。
「聞いたことないか?醤油って名前を」
結論から言うと、醤油探索は難航を極めたものの、なんとか日が傾く前に在庫があるという店の場所を知ることに成功した。
もちろん俺も奇異な目で見られながらも(下手くそな尾行でついてきている美少女エルフも怪しさに一役買っていた)根気よく食べ物屋という食べ物屋を訪ね続けたのだが、それ以上に役立ったのが、こっちの世界に来た時に付与された翻訳機能と、リリーシャという有能な協力者の存在だ。
おそらく、というよりほぼ間違いなく、醤油という存在を正確に相手に理解させられたのは、紛れもなく俺の考えをこの世界の住人に伝えてくれる翻訳機能のおかげだろう。
ありがとう、神様。
それと同時に、ドワーフだけで数万人は住んでいると思われるこのゲルガンダールで半日も経たずに目的の店を探し当てられたのは、暗殺一族頭領のリリーシャの能力によるところが特に大きい。
ありがとう、リリーシャ。
「なんだかよくわからんが、妙なものと一緒にするな!ほら、とっとと入るぞ!」
やはり感謝の気持ちは声に出してこそと思ったのでその場で口にしてみたのだが見事に当人から嫌がられてしまった。
仕方なく大通りから一つ外れた路地にあった、怪しげな雰囲気の店にリリーシャの後に続いて入った。
「店主、ここに醤油というものがあると聞いて来たのだが」
「いらっしゃい――おや、ダークエルフに人族のお客さんかい?珍しい組み合わせもあるもんだ。ああ、あるよ、最後の一つだがね」
そこにいたのはドンケスやグラファスよりももっと年上に見える老ドワーフで、リリーシャの言葉を聞いていったん奥に引っ込んだ後、一抱えくらいのサイズの栓をされた黒いツボを持ってきた。
「栓を抜いてみてもいいか?」
「ダメだ。信用できないなら他の店に行きな」
そう言われては買わないわけにもいかない。
リリーシャの方にも目をやってみるが、俺を見て頷いているあたりこの店の商品なら信用に値するといっているのは間違いない。
「買うよ。いくらだ?」
「金貨十枚」
高っ!?
さすがにそれはないと文句を言おうとしたところ、俺より先に前に出たのは相棒のダークエルフだった。
「たしかこの醤油の元になる作物の種も売っていると聞いたが?それを一袋と醤油のレシピを付けてくれたら十五枚出そう」
「お客さん、それはいくら何でもアコギだ」
「なあに、見込みが外れて損しそうなんだと愚痴ってるという噂を近所で聞いたぞ?在庫処分と思えば破格の条件だと思うが?」
「……おいおい、すべてお見通しでウチに来たのか。わかった、それでいい。あと、これも持って行け」
唖然とした顔でリリーシャを見た店主は何度も首を振りながら再び店の奥に引っ込むと、今度は手のひらサイズのツボを持って現れた。
「これは?」
「知らん。買い付けた時に一緒に渡されたものだ。詳しくはこの紙切れに書いてあるから自分で読め」
面倒くさそうに答えた店主は一緒に持ってきていたらしい封筒を寄こしてきた。
それを俺に手渡してきたリリーシャがそのまま視線を固定してきた。
――あ、やっぱり俺が払うのね。
「とにかく助かった。ひいふうみい――代金だ」
「……一枚金貨が多いようだが?」
「サービスしてくれたからな、正当な報酬だよ」
「……そのままでは持ち運びが不便だろう。ちょっと待っていろ、包むものを持ってくる」
三度奥に引っ込んだ店主を見送り、しばらく店の中を眺めていると、不意にリリーシャが話しかけてきた。
「その醤油とやら、聞いた話だとこの大樹界よりさらに東の果てでのみ作られているそうだぞ。やはりタケトがそこの出身だったというのは本当だったか」
「ま、まあな。偶然懐かしい香りをこの街で嗅いだから、どうしても欲しくなってな。付き合わせて悪かったな、リリーシャ」
「ふん、別にこれも調査の一環だと思えばどうということはない。本当は今日はあの噂を確かめたかったのだが、明日に持ち越しても大差はあるまい」
「あの噂?」
それはどんな噂だ?
そう聞こうとしたその時、俺たち二人だけになっている店のドアが唐突に開き、外から三人の男たちが入ってきた。
……いや、それを三人と呼んでいいものかどうか。
考えても見てほしい。
気配察知に長けた俺達が店のドアが開くまで全く気づけなかった。
この事実が入ってきた三人が尋常ではない相手だという何よりの証左と、俺もリリーシャも確信せざるを得ないのだから。
「「な――!?」」
それを裏付けるように俺とリリーシャ二人の驚愕の声が同時に響いた時、外の眩しい光が閉じたドアによって遮断され、三人のうち二人の顔が店の明かりで照らされた。
一言で言えば異相。
その額の角といい、強大な獣にそっくりな目といい、かつて大樹界争奪戦争で出会った銀鋼騎士団の騎士たちに似ているといえば似ているが、その巨大な存在感は比べ物にならない。
二人ともハイドワーフのドンケスやグラファスと同等、下手をすればそれ以上の亜人と一目で確信させるほど圧倒的なものだった。
そうだ、まるであの時のような――
「りゅ、竜人族――!?」
どうやらその存在を知っていたらしいリリーシャの口から、俺の想像とほぼ同義の単語が突いて出た。
だが、俺はそれ以上に気を取られる事態に直面していた。
ようやく視界に映り込んできた三人目が、それ以上の衝撃を持って俺の心と頭をパンク寸前に追い込んできたからだ。
「お、おま――!?」
「げえっ!?やべっ!?」
竜人族とやらの後ろにいた三人目、そいつの姿には見覚えがあった。
かつてコルリ村を訪れたグノワルド王国国家鑑定士であるケルンさんの同行者で、自身もグノワルド王国を代表する騎士、四空の騎士の一人であり、Sランク冒険者も兼任するという異色の経歴を持つ人物。
「アーヴィン!!」
「あ、あははは、はは……おひさしぶりさね、タケト」
この大樹界にいるはずのない、ましてや竜人族に同行しているはずのない男が、俺の目の前に立っていた。