ラン&マジック~異世界パルクール奇譚~
異世界召喚×パルクール!
短編としては少し長めですが、最後までお付き合いよろしくお願いいたします。
突然異世界に召喚され、右も左も分からなかった。
そんな俺を導いてくれた、一人の魔導師が居た。
これは一人の少年と一人の魔導師が出会い――最高に熱いスポーツを通じて、異世界で力強く生きていく物語。
そのスポーツの名は――
**********
走る、跳ぶ、登る。肉体と技術を駆使し、あらゆる障害物を乗り越える。
乗り越えて――俺は、逃げていた。
「待て!」
「そっち行ったぞ、回り込め!」
後ろから、横から、そこかしこで上がる声は、全て俺を捕えようとする衛兵のものだ。そもそも、衛兵という言葉をリアルに聞くことになるんて思ってもみなかった。まして、それに追いかけられるなんて。
――何故、こんなことになったのだろう。
訳の分からない状況を理解するため、思い返してみよう。
*******************
俺は黒田登、皆からはクロと呼ばれている。うん、記憶は問題無いな。
都内の高校に通う学生だが、普通かどうかと言われれば微妙かもしれない。何しろ、日本ではまだ馴染みの薄い趣味を持っているのだ。
パルクール――フランスの軍隊が発祥だと言われるスポーツである。
走る、跳ぶ、登る。肉体と技術を駆使し、あらゆる障害物を乗り越えて進む。そしてそれを通じて、肉体と精神を鍛え上げる――それがパルクールだ。
学校帰り、いつも通り近くの公園に練習に行った。一通り汗を流し、最後にヴォルトフローをやろうと決めたのだ。
ちなみに、ヴォルトとは柵などを乗り越える動きの総称で、フローはパルクールで複数の技をスムーズに繋げること。
で、そのフローの最後。
柵を乗り越えた俺は、着地点がいつもと違うことに気が付いた。
さっきまで見えていたザラザラとした砂地が消え、赤い柔らかそうな布地がそこにある。
着地をヘマするような無様は晒さなかったものの、いつもより脚にダメージを感じたのは仕方ないと思ってもらいたいところだ。だってそりゃあなた、驚くでしょう。
そしてもちろん、変わったのは地面だけではなかった。目線を上げてみれば、そこはどこかの部屋の中。今まで外に居たはずなのに、だ。
しかも、その部屋が普通じゃない。真っ赤な絨毯は踏み心地が抜群、壁には見事な模様が描かれた壁紙が張られ、やたらと高い天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下がっている。
石造りの立派な暖炉らしきものに、映画でしか見たことのない、天蓋付きの広々としたベッドまであり、一見しただけで一角の人物の私室だと分かる。
だが、一番驚いたのはそこじゃなかった。というか、最初に目に入ったのは部屋の光景ではありませんでした。お詫びして訂正します。
――目の前に、上裸の女の子が居た。
無論このとき、部屋の様子なんか欠片も見ていない。
透き通るような白い肌はきめ細やかで、傷も汚れも一点も見当たらず、ただただ滑らかだ。艶めかしい背中のラインが、下ろされた色素の薄い金髪の隙間から確認できる。
そして、柔らかそうな膨らみが、なんと後ろからでも確認できる。てことはつまり、前から見たらその大きさは如何ばかりか。
視線を下げれば、腰から下は見たことも無い――たぶん下着だ。ダボダボゆるゆるという感じで、言っちゃ悪いがそこには全然色気が無い。他がMAXなので一向に文句はないが。
と、そこまでしっかり拝んだ後で、彼女――の、隣に居るおばちゃんと目が合った。
というか、今さらながら彼女の周りにそれなりの人数の女性が居ることに気が付く。
映画で見たことある。これ、お姫様と女中さんたちだ。女中さんたちは全員こっちを見てフリーズしている。
そんな彼女たちの視線に気付き、お姫様と思しき女性もこちらを振り向く。
後ろ姿を裏切らない美人、だが思ったよりも幼い顔立ちで、深い緑色の大きな目が宝石のようだ。
目が合った彼女はやはり固まり、半身だけ振り返っているのが惜しい、もうちょい――とか言っている場合じゃない、まずい。非常にまずい。
「いや、あのこれは。不可抗力と言いますか――」
「きゃああああーーーー!!」
絶対に聞き入れられる訳のない言い訳を、彼女の悲鳴が遮った。腕で身体を隠し振り返る当然の反応だが、振り返る直前の赤くなった顔がめちゃくちゃ可愛かった。
だがそんな彼女の姿は、すぐに女中さんたちの陰に匿われ見えなくなる。
「衛兵! 衛兵ー!!」
「姫様の部屋に男が侵入したわ!!」
続く女中さんたちの叫び声で彼女の身分がお姫様で確定、そしてすぐに衛兵が登場。そして、女中たちの鉄壁の守りの向こうから姫様の声が届く。
「辱めを、受けましたわ……その男、今すぐここで殺してちょうだいーー!!」
「いきなり死刑!? いやいや、事故です偶然です、話を聞いてください!!」
勢いで言っているに違いないが、姫という身分にある彼女の言葉だ。問答無用で実行される可能性が非常に高い。
「黙れ下郎!」
「姫様のお着替えを覗き見るとはうら……不逞の極み! ここで死ねい!」
「ちょっと待った、今羨ましいって言いかけたよね!?」
目の前に立ちはだかる衛兵二人組の言葉で最悪の状況が確定。
お上の一声におそらく個人的な怒りも上乗せされ、彼らの殺意は尋常じゃない。殺意とか初めて受けたけどそれと分かるくらいに。
武器を取り、じりじりとにじり寄る衛兵たち。自分が今何処に何故居るのかも分からないままだが、命の危機だということだけは分かる。
――これはもう、取るべき行動は一つしかない。
じりじりと後ずさりし、後方――窓の外へと目を向ける。どう見ても日本ではない、中世ヨーロッパ風というのだろうか――装飾があちこちに施された城らしき場所だ。
――つまり、取っ掛かりだらけだ。
「ごめんなさい!」
届いたかどうか分からない謝罪をお姫様に向かって投げ捨て、開いていた窓から外に飛び出した。バルコニーの手すりに足を掛け――迷い無く跳ぶ。
「はあ!?」
後ろから、衛兵の驚きの声が聞こえる。だが振り返らず、目線と爪先を目標物に真っ直ぐ固定する。
過たず、俺は向かいの塔の何だかよくわからない生き物の像に着地した。腕を使って運動エネルギーを制御、体勢を整える。
パルクールの基礎中の基礎、プレシジョン。ジャンプして狙った位置に正確に着地する技術だ。
そうして着地した銅像からするすると身を降ろし、一階下であろうバルコニーに向けて落下。脚と腕に衝撃を分散させる四点着地で無事降り立った。
「に、逃げたぞ!」
そう、取るべき行動は一つ――逃げる。超逃げる。
「門を閉めろ! 城内から一歩も出すな!!」
がなる衛兵の声を聞きながら、視界に逃走経路を描く。
そんな風に開始した逃走劇で、冒頭に戻るのである。
**************
逃げ続けること、およそ15分。
いくらパルクールが逃走に向いた技術であるとは言え、それだけで全てがどうにかなるわけではない。
地の利と数の暴力には勝てるはずもなく、まんまと袋小路に追いつめられていた。
「ようやく、追い詰めたぞ……観念しろ」
息を切らしながら、武器を構えた衛兵がニヤリと笑う。
周囲は高い壁に囲まれ、目の前には道を塞ぐに十分な人数の衛兵が立っている。
――これは、終わったかもしれない。
「覚悟――あだっ!?」
叫びながら飛び掛かってくる衛兵の姿に思わず目を瞑ると、何故か間抜けな声が聞こえてきた。
おそるおそる目を開けてみれば、そこには尻餅を付いて顎をさすっている彼の姿があった。
「ごめんなさい。話を聞いてくれなさそうだったから物理的に止めさせてもらいました」
衛兵の向こうから声が聞こえ、人垣が左右に割れる。
「一体どういうおつもりですか、宮廷魔術師殿!」
『止められた』らしい衛兵は、恨めしげな目つきで声の主に抗議の言葉を発する。
「いえ、ちょっとそこの彼にお話を聞きたくて」
開けた視界の先には、一人の少年が立っていた。
見た目で言えば年齢は俺より下。短く整えられた髪は真っ白で、水色の瞳はくりくりと丸く、愛らしい顔つきだ。
だが、衛兵の言葉や態度、そして身に付けた白を基調とした美しいローブを見れば、彼がこの中で最も高い地位を持つ人物なのだと分かる。
「ちっ、『ミニマム』が……!」
衛兵が低い声で呟く。その言葉は意味が分からなかったが、雰囲気と表情からは明らかな敵意と嫌悪が見て取れた。
少年は一瞬眉をピクリと動かしたが、努めて無表情に、こちらにゆっくりと歩み寄ってくる。
「君、『ランナー』なのかい!?」
そして俺の目の前に来ると、途端にその表情を明るくして問いかけてきた。歳相応のその表情に、俺はなんだかやけにほっとした。
「ええっと……ランナー? 走るのは好きだけど……」
しかし、問いかけられた内容はよく分からない。
「え、違うの? ていうか……もしかして、知らないの?」
俺の答に、信じられないという表情を彼は見せる。
英語としてのランナーなら、当然俺も意味は知っている――がきっとそれとは関係ない話だと思う。素直に首を縦に振れば、彼は更に驚き、元々丸い目をもっと丸くした。
「あれだけ見事なランをしておいて……ていうか最早一般教養だと思うんだけど……」
「あの?」
「いや、そんなことはいい。知らないなら説明してあげよう」
顔を伏せ考え込むようにぶつぶつ呟く彼に声を掛けると、たぶんそれは無視されたようだ。彼は急に顔を上げると、真っ直ぐに俺の方を見る。
そして、高らかに声を上げた。
「この世で最も面白いスポーツ……『ラン&マジック』のことを!」
*************
そこから先は、あれよあれよという間に話が進んでいった。
まず、薄々気付いてはいたが、ここは日本ではない。というか、たぶん俺が元居たのとは別の世界――いわゆる、異世界召喚というやつだ。
で、俺が最初に出会ったのはこの国――オリンペールというらしい――の、案の定お姫様だ。
その姫様の着替えを不可抗力とは言え覗いた、というかガッツリ拝見したのだから、相当な重罪を犯したことになる。それこそ、死刑を免れないくらいの。
だが、とりあえず首はまだ繋がっている。主に国王様の温情と、あの少年――宮廷魔術師、ホワイトの嘆願によって。
ホワイトは年少ながらも国王と親しくそれなりの発言力もあるようで、姫様を筆頭に俺の処刑を求める連中を何とか押しとどめ、国王に一つ約束を取り付けてくれたのだ。
――3日後に行われる『ラン&マジック』の大会で、優勝すること。そうすれば、今回のことは無かったことにする、と。
それを決めた時の周囲の反応たるや、もうそれだけで死ねるかと思うほどだったが。特に大臣の呪い殺さんばかりの視線は、怖くてしょうがなかった。
『ラン&マジック』とは、この国――いや、この世界で大流行しているスポーツらしい。
ホワイトの説明を俺なりに解釈すると、それはパルクールを使って決められたコースを競争するというもののようだ。ただし、名前の通り魔法アリで。
『ランナー』と『キャスター』の2人1組で行われ、『ランナー』が実際にコースを踏破、『キャスター』は魔法でランナーの補助をする。
ホワイトは身分から分かるように魔法使いだ。そして、大の『ラン&マジック』好きでもある。
彼は俺の逃走劇を見て、ランナーとしての技量の高さに惚れ込んだという訳だ。
しかしそれで死刑判決が覆るかもしれないのだから、この国に於ける彼のスポーツの立ち位置が如何に高いかが分かる。
そんな訳で、俺は3日後の大会で優勝するべく、ホワイトと行動を共にしていた。
**********
「ふーん、別の世界から来たんだ。道理で何も知らないと思った」
1日目、一通りの説明を受けた後で、思い切って異世界召喚を告白した際のホワイトの反応がこれである。
「いや……言っといて何だけど、そんなにあっさり信じる?」
「ここでそんな訳のわからない嘘を吐く理由が無いからね。その話で行けば、いろいろと納得だし」
余りの物分りの良さに、却って俺の方が首を傾げる。ホワイトの方はあっさりしたもので、話してくれる理由も論理的だ。
「むしろ君の方こそ、そんな状況に放り込まれた割に冷静だね」
「まあ、ドタバタで驚く暇も無かったというか。それに、『パルクールとはあらゆる環境に自らを適応させるものである』っていうのが師匠の教えなんだ」
パルクールの特徴的なところは、競技性よりも考え方や鍛錬を重視しているというところである。もちろん近年では大会等も増えてきたが、俺はパルクールのこういう部分が好きだ。
「へえー……そう、そのパルクールだよ。異世界にも似たようなスポーツがあったとは驚きだ」
「うん。でも、正直向こうの技術がどこまで通じるか……」
「今日見せてもらった限り、君の技術と身体能力はこちらの世界でもトップレベルだよ。安心していい」
元の世界ではトレーサー――パルクールをする人のことだが――として、それなりに名を知られてはいた。だが、こちらの世界でもトップレベルと言われると疑問が生じる。
「こっちの異世界のイメージからすると、身体能力がお化けみたいな人がわんさか居るものだと思ってたよ。あと、魔力で身体能力強化とか」
日本の『異世界もの』の常識で行くと、そういう人ならざる膂力や能力があって然るべきである。何しろ異世界なんだし。
「君がこちらの人間なら面白い冗談だね。でも知らないだろうから説明しておくと、それは魔族のみが持つ技術だ」
しかし、ホワイトによってそれは否定された。懸念が晴れてほっとしたような、期待を裏切られてがっかりしたような複雑な気持ちだ。
だが、それよりも気になる単語が飛び出して疑問がそちらに向く。
「魔族? すごい不穏な響きが……」
「実際危険な連中だね。人間を殺しまくった連中だし……まあ、もう滅びてるんだけど」
「あらま。そりゃなんでまた」
「数年前に、我が国の勇者が殲滅なすった。だからこの国はとても平和で、『ラン&マジック』が大流行してるという訳さ。戦争中は娯楽も碌に楽しめなかったからね」
問答の上ではあっさりしたものだが、実際はかなり長い戦いや大きい苦難があったりしたのだろう。語るホワイトの表情は暗いものになる。
「なんか、やっぱり異世界なんだなあ……もしかして、ホワイトも戦ったりしたの?」
宮廷魔術師という彼の立場からすれば、そういう経験があっても全然不思議ではない。思わず、そう問いかけてしまった。
「いや。両親は戦っていたけどね。僕はまだ13だよ? それに――」
返ってきた答は否定だったが、暗い表情の理由が察される内容だった。さらに暗く、そして自嘲のような表情で、彼の言葉は続く。
「僕には、魔法の才能が無いからさ」
ぽつりと呟くような台詞は、俺には測り知れない感情が籠っていた。
「でも、宮廷魔術師、なんでしょ?」
「そうだよ。確かに僕は、宮廷魔術師たり得る知識と技術がある。でも――君も、聞いただろ。『ミニマム』ってさ」
彼の発言の矛盾を問いかければ、殊更に後ろ向きな感情と苦々しげな言葉が返ってくる。それは、あの時衛兵が口にした言葉だった。
「聞いたけど……意味を聞いても?」
「まあ、簡単な話だよ。幼いとか小さいとか、そういう意味も含まれてはいると思うけど。一番の理由は、魔力量さ」
それが、絶対的に少ないのだという。簡単に言えばMPみたいなもので、それは生まれつきの部分が大きく、鍛錬ではなかなか伸ばせないらしい。
「つまり、技術は高いけど力は弱い、みたいな話……?」
「そういうこと。だから、宮廷魔術師としては優秀であっても、実戦では何の役にも立たないポンコツなのさ」
彼は、かなりの時間をその悔しさと共に過ごしてきたのだろう。込められた思いの重さに、俺は掛けるべき言葉が見つからなかった。
「そんなこと……」
「だから、僕は見返してやりたいのさ。『ラン&マジック』なら――君となら、それが出来ると思った」
結局そんなありきたりな言葉を掛けた俺を、彼の強い言葉が遮った。
「軽蔑したかい? 僕は君を助けると言って、その実自分のために利用しようとしているのさ」
問いかける彼に、俺は首を横に振る。助けてもらったのは事実だし、そういう利用のされ方なら全然文句は無い。
「……。君の師匠の言葉、良い言葉だよね。僕も大切にしてる教えがあるんだよ」
そんな俺の反応を見てふっと微笑んだ彼が、唐突に話題を変える。黙って目線で続きを促すと、彼は瞑目して言葉を紡いだ。
「『魔導師とは、魔法を使って人々を助け、導く存在である』。死んだ両親は、立派な魔導師だった。僕も『魔術師』じゃなく、『魔導師』になりたいんだ」
とても大切な宝物をこっそりと愛でるような、そんな優しい声だった。
「あのさ、ホワイト」
「うん?」
その声に報いるべく、その期待に応えるべく。決意を新たに、誓いを立てる。
「この大会、絶対優勝しよう」
そんな俺に、彼は頬を上げて笑ってみせた。
「もちろん。なんたって、負けたら君は死刑だしね」
「そうだった!」
照れ隠しにしては強烈な冗談に、俺は思わず大きな声を上げる。
異世界に来て最初に出来た友人は、まだ幼いのに強く優しい、そんな人物だった。
****************
3日後、空は青く澄み渡り、太陽が爛々とその明るさを主張する文句なしの晴天。風が心地よく吹き抜け、絶好のパルクール日和――いや、『ラン&マジック』日和だ。
「クロ、調子はどうだい? 緊張してる?」
「いや、バッチリだね。早く走りたいよ」
問いかけてくるホワイトに、軽い言葉を返す。
場所は選手控室、巡業サーカスのテントのような、大きいが作りは単純な空間である。
実際、自分の命を懸けたレースの直前なので当然緊張はしている。だが、楽しみなのも確かだ。
コースは事前に下見を済ませているが、土の魔法によって創り上げられたそれは見事なもので、俺の中のトレーサーの血は既に騒音状態だ。
「おお、君が噂のクロくんか!」
と、テントの入口の方から大きい声が俺の名前を呼ばわった。目を向ければ、大柄で筋肉質な男がこちらに向かってのしのしと歩いてくるところだった。
燃えるような赤い髪は男にしては長く、うねうねと固そうに波打っている。
「初めまして、今回一緒に走るボムだ!」
「初めまして、クロです。よろしくお願いします」
男は無駄に大きい声で挨拶をしながら、俺に向かって手を差し出す。その手を取り、挨拶を返すと彼――ボムは満足そうに歯を剥いて笑い、手をぶんぶんと振り回した。
「聞いたよ、城の衛兵全員から15分王宮を逃げ回ったんだって? 大した技術と根性だ」
「いえ、命の危機だったので……」
「それでも大したものよ。衛兵の中にだってランナーは居るもの」
ボムの称賛の声に苦笑いで謙遜する俺を、重ねて称賛する声が撫でた。声の方へ視線をずらすと、ボムの陰にもう一人、今度は女性が立っている。
「フレアよ。ボムのキャスターをしてるわ」
「クロです。よろしくお願いします」
差し出された手をどぎまぎしながら取ると、彼女はニッコリと微笑んだ。パートナーと同じ赤色のドレッドヘアーに、褐色の肌が眩しい。細身ながらも引き締まった身体は一種の肉体美だ。
「ボムとフレアは優勝常連のベテランだよ。二人とも炎魔法の使い手で、とにかく何でも吹っ飛ばす」
横からホワイトが彼らの紹介をしてくれた。褒めてるのか貶してるのか分からないが。
「お宅と違ってノーコンなんでね、火力でカバーしてるだけさ」
「まあホワイトと比べられちゃね。彼にコントロールで勝てるのなんて、大賢者様くらいなものでしょう」
そんな彼に、ボムは嫌味に感じない軽口を叩く。フレアの口ぶりからも、二人のホワイトに対する評価は高いようだ。それに、軽口を叩くくらいには仲が良いらしい。
「ホワイトのこと、認めてらっしゃるんですね」
彼が王宮内でどんな扱いを受けているのか、俺はその一端しか知らない。しかし、認めてくれる人も居るのだということが単純に嬉しくて、ついそんな言葉が口を衝いて出る。
「認めるべきところは認める。当たり前のことだね」
一瞬目を丸くした後、ボムは俺の心情を察したのか優しい声でそう言った。
「あなたみたいな人と走れて嬉しいです。今日はお互い頑張りましょう」
それは、本心からの言葉だった。パルクールは、肉体だけでなく精神を鍛えることも大切にしている。だから、彼のようにしっかりとした考え方を持つ人物は、一人のトレーサーとして純粋に尊敬できた。
「こちらこそ。だが、手加減はしないぞ?」
「望むところです。――すいません、でもやっぱり死にたくはないです……」
彼の気持ちの良い返事に、俺も思わずいい返事をしてしまった。だが、やっぱり命は惜しかった。
「心配するな、2位になったら俺から口添えくらいしてやるよ。聞いてもらえるかは分からんが」
彼は歯を光らせて親指を立ててみせるが、最後の一言のせいで台無しだ。しかもちゃんと聞けば、3位以下なら見捨てるらしい。
とは言え、気を遣ってくれる人も他に居ないので感謝を込めて苦笑いをしておく。
「ねえ、ちょっと退いてくれない? そこ、通りたいんだけど」
と、不意に俺たちの間を声が割った。
「他にいくらでも通れるとこがあるでしょう、エア」
途端に不機嫌になったフレアが剣呑な声を上げ、二人の女性が視線で火花を散らし始める。
エアと呼ばれたその女性は、薄い緑色の髪を後ろで括って下す――いわゆるポニーテールという属性持ちである。目つきは鋭いというより悪い、というのはフレアを睨んでいるせいかもしれない。
しかしそんな表情をしていても美人は美人、フレアとは打って変わって色白な肌が儚げな印象である。性格はキツそうだが。
「おいエア、そんな連中と話したっていいことなんかないぞ。何せ、ド田舎出身の野蛮人と死刑確定の犯罪者だ」
「あらランド。ええ、そうね。田舎臭いのがうつったら大変だし」
その後ろをゆったりと歩きながら口を挟んだのは茶髪の男性だ。長髪だがそれが似合うようなイケメン、ただしナルシスト感がこれでもかと漂っている。
「この二人はランドとエア。ランドは土属性のランナーで、エアは風属性のキャスターだよ。見ての通り性格はアレだけど、実力は確かだ」
ホワイトが、渋々という感じで俺に二人を紹介する。
「おい、誰が俺たちの紹介をしていいと言った。ミニマムが」
「あらまあ、こんなところで何をしているのかしらこのお坊ちゃんは。迷子でちゅか?」
吐き捨てるようなランドのセリフ、それに可能な限りの侮蔑を込めたエアの言葉が続き、ホワイトの表情が固まった。余りの言葉に、俺も咄嗟に声が出なかった。
「僕も出場するんですよ、クロのキャスターとして」
表情をそのままにホワイトが感情を殺した声で答える。しかしそんな彼の答を聞いた途端、ランドとエアは声を上げて笑い始めた。
「キャスターとして! これは傑作だ、そいつは自殺志願者なのか? それともこんな、魔力ゼロの落ちこぼれしか組んでくれるヤツがいなかったのか?」
明確に悪意と嘲りが含まれた二人の笑いと罵声に、俺の怒りがあっという間に頂点に達した。
「訂正してください――ホワイトは落ちこぼれじゃない」
口調は丁寧に、語気は強く。ありったけの怒りを込めた視線でランドとエアを睨み付ける。
「いいんだクロ、僕は――」
「ほう?」
そんな俺を焦って制止するホワイトだったが、それよりもランドが声を上げるほうが早かった。即笑いを収めて冷たい視線を向ける彼は、明らかに先ほどまでと空気が違う。
「面白い、俺に命令するとはいい度胸だ。だが、度胸だけでは俺に言うこと聞かせることはできない」
急激に上がった圧力に負けまいと、視線を合わせたまま息を止める。やがて彼はふっと笑い、くるりと後ろを向いた。
「もし俺たちにお前が勝ったなら、その時はお前の言うことを聞いてやろう。謝罪でも何でもしてやるとも」
消え去った威圧感に一気に力が抜け、カチカチに身体が強張っていたことに気付く。全力疾走したかのような疲労感があるが、視線だけはランドへと向け続ける。
「まあ、レースが終わったらすぐにお前は絞首台行きだろうが」
最後に首だけ振り返り最大級の挑発を投げてくる彼に、
「その言葉、忘れないで下さいよ」
精一杯、強気な台詞を返した。
彼はもう一度鼻で笑うと、悠々とテントを出ていった。
「ホワイト、この勝負――」
「馬鹿!」
振り返りカッコよく宣言しようとしたら、いきなり罵声を浴びせられた。目を丸くする俺に、目を三角にしたホワイトが詰め寄る。
「ランドとエアは王宮にコネを持ってて、特に大臣とはべったりなんだよ。あんな挑発して……これでもし負けでもしたら、一体どんな目に遭わされるか――!」
大臣という単語に殺意満々の視線を思い出し、クロは思わず身震いする。
「でも、どの道負けたら死刑でしょ? それにアイツらにへこへこするくらいなら、死んだ方が……マシ……とは、流石に言わないけど……!」
ランドとエアを思い出して怒りに語気を強めるが、脳裏を掠める死の恐怖にだんだんその言葉は弱くなってしまう。
「とにかく! 勝てばいいんでしょ、勝てば! あいつらには絶対負けたくない!」
「はっはっは、よく言った! それでこそ男だ!」
首を振り弱気を追い出し、改めて宣言をやり直す。その言葉にボムが豪快に笑い、背中をバシンと叩いてくる。痛い。
「まったく……でも、まあ……ありがとう」
呆れた様子でため息を吐くホワイトだが、俺を見るとそう言って弱々しく笑った。面と向かってそんなことを言われると気恥ずかしく、ポリポリと頬を掻いて誤魔化す。
「でも、気を付けてね。あの二人も当然強いし、良くない噂もあるから……」
「良くない噂?」
しかし、フレアが伏し目がちに心配そうな声を上げる。オウム返しに問いかければ、横からボムが渋い顔で答える。
「他の選手の妨害をしている、という噂だよ。ラン&マジックはルールが少ないが、それは明確に禁じられた行為だ。……あくまで噂、だけどな」
声を落とし周囲に気を配るのを見れば、かなり黒めの噂だということが分かる。王宮のコネで握り潰されでもしているのだろうか。
「まあとにかく、警戒はしておいた方がいい」
「はい。……ありがとうございます」
口では礼を言ったものの、警戒して何とかなるのかは疑問だった。そんな心配が顔に出ていたのだろう、後ろからホワイトが俺の背中を叩いた。ボムと比べれば全然痛くない。
「大丈夫、3日間だけど二人でみっちり練習したろ。何かあっても僕がフォローするよ」
微笑むホワイトに、短いが濃厚な3日間を思い返す。そこには、信頼に足る彼の姿があった。だから――
『――間もなくスタートです。選手の皆さんは、スタート地点まで集合してください』
魔法で拡大されたアナウンスが鳴り響き、テント内の選手が三々五々出口へと向かう。
「ホワイト」
「うん?」
――だから、俺は全力で走れる。
「ありがとう。――勝つぞ」
「――うん」
決戦の舞台へ、俺たちは歩み出した。
***************
『さあ、いよいよやってきました、ラン&マジック大会! 盛り上がってるかーー!?』
やたらとテンションの高い司会の声に、雄叫びの大合唱が返ってくる。その熱気たるや、元の世界のオリンピックにも匹敵する。
巨大なコースをぐるりと囲む更に巨大な競技場は、高く積み上げられた客席がもはや壁のようだ。そしてその全てが、歓声を上げる人で埋め尽くされている。
『さあ、それでは今日走る選手たちを紹介するぜ! まずは彼ら、今大会優勝候補筆頭! 炎のコンビ、ボム&フレア! 今日もド派手なレースを見せてくれ!』
紹介が読み上げられると、更に歓声が大きくなる。それを受けて、スタート地点に立つボムは腕を上げ応える。横では、フレアが笑って観客席に手を振っていた。
『お次はやっぱり彼らだ! 土と風のエリートたち、ランド&エア! 今日もクールに決めちゃってくれ!』
再び歓声が起こるが、「ランド様ー!!」という黄色い声援と「エア姉さんー!」という野太い声援がくっきり2つに分かれて聞こえるのがボムたちとの違いだ。
「アイドルかよ。」
「ま、見た目での人気はダントツだね。もちろん実力もあるけどさ」
嫌なものを見た気分で――というか実際に見たので、思わず顔をしかめる。たぶん今、俺すごい顔になってる。
「やっぱりあの二組が優勝候補か」
「そうだね。他の人たちもそれなりなんだけど、彼らが強過ぎる」
次々に紹介と歓声が繰り返されるが、段々とボリュームダウンしていくのはそういうことだろう。文字通り、どこの世界も厳しいものだ。
「まあでも、知名度なら君も負けてないよ」
庶民感覚で紹介を聞いていた俺に、ホワイトがクスクスと笑いながらそう言った。
「どういう――」
意味、と聞こうとした声は途中で途切れた。何故なら――
『そして最後はこの二人! 城の衛兵相手に15分間逃げ続けたという、いろいろ滅茶苦茶な謎の男、クロ! そして彼を見出した宮廷魔術師、ホワイト!』
その紹介が読み上げられた瞬間、観客席で声が爆発したからだ。だが、今までとは声の色が違う。
ブーイングと罵声の嵐。それが半数以上を占めていると俺にも分かった。
「ね?」
「うわあ……アウェイ感半端ない。そりゃそうか」
何しろ一国の姫君を辱めた――というと果てしなく人聞きが悪いが――のである。国中の怒りを買って当然だった。
「大丈夫、負けてないのは知名度だけじゃないさ。この空気にも『適応』すればいい、だろ?」
ニヤリと笑うホワイトは自信――いや、信頼に溢れていた。
そう、彼の言う通り。
適応すること、それが俺のパルクールだ。
「よっし、テンション上がってきた! サポート頼むよホワイト!」
「任せたまえ。連中に、一泡吹かせてやろう!」
コースに、空気に、世界に。自分を適応させ、乗り越えて。
――目指すは優勝、ただ一つ。
『以上、8組での戦い。それでは、いよいよレースのスタートです。全員準備はよろしいでしょうか』
そのアナウンスを受け、スタートラインの前に立つ。ホワイトは『リフト』と呼ばれる魔法で飛ぶ足場に乗り込み、お互いに準備は万端だ。
『カウントダウン。――3、2、1……』
足場を踏み固め、前に飛びだす態勢を整える。程よい緊張感を全身に感じながら、コースを見据える。
――ドン。
号砲が鳴り響き、レースが始まった。
*********
ついにレースがスタートし、全員が一斉に駆け出す。
コースは土の魔法で創り上げられた崖のような足場で、同じコースがランナーの人数分、つまり8本並んでいる。ある程度の高さがあるが、下は水で満たされており落ちても死ぬことはない。
『さあ、スタート直後の直線、先頭はなんとクロ! すぐ後ろにランド、ボムと続いています』
アナウンスを聞いて、自信と手応えを感じる。疑っていたわけではないが、ホワイトの言う通り身体能力では負けていない。
直線はすぐ終わり、最初の障害が現れる。足場が突然途切れ、飛び石のように狭い足場が高低様々に点在するエリアだ。
俺はギリギリまで加速すると、少し高い足場に当たりを付けて思い切り跳ぶ。
プレシジョンは俺の得意分野だ。難なく着地すると、すぐに次の足場へ。4回ほどでエリアを抜け、再び地続きの道を走り出す。
『クロ選手、速い! あっという間に第1エリアを飛び越えて後続に差を付ける!』
さすがに他の選手を確認する余裕は無いが、アナウンスの声で状況を確認する。今のところは順調なようだ。
『さすがクロ、無駄が無いね。どんどん行こう!』
と、リフトで並走するホワイトの声が頭に直接響いた。
いわゆるテレパシーのようなもので、仕組みはよく解らないがホワイトが独自に創り上げた魔法の技術らしい。感覚共有魔法と言って、思考の共有が主な使い方だがやり方によっては視界の共有などもできる。
『任せろ!』
頭の中で返事をし、次のエリアへと突っ込む。
第2エリアは高さも幅もまちまちな段差がコースを塞いでおり、それらを乗り越えながら進まねばならない。
「つまりヴォルトフロー。バッチリ練習済み!」
それぞれの段差の乗り越え方、間の歩数、手を着く位置まで。全て体に叩きこんである。
1つ目の段差、幅の狭い腰くらいの高さのものをステップヴォルト――片手と片足を着いて乗り越える。
続いて2つ目の段差まで3歩で駆け抜けモンキーヴォルト。この段差の陰にもう一つ段差があるからだ。
モンキーヴォルトは跳び箱の閉脚跳びだと思ってもらえば問題ない。この技は手を着いた位置から遠くに飛べるのが最大の利点で、3つ目の段差をそのまま飛び越えて先へ進む。
4つ目、5つ目はそれぞれステップヴォルトで踏破。
続く6つ目の幅が広い段差に向かって思い切り跳ぶと、体を地面と平行にして突き進む。段差の終わり際に手を着いて姿勢を制御、腕の間から脚を抜いて着地する。
モンキーヴォルトの発展系、キングコングヴォルトだ。
そして最後、7つ目の段差はクロの身長より少し高く、幅は狭い。
その段差に向かって思い切り突っ込みギリギリで跳躍、壁を蹴りつけさらに上昇力を得るとそのまま手を掛け一息に飛び越えた。
ポップヴォルト、もっとも高さの稼げるヴォルトである。かなり高い位置まで腰が上がるため、着地に気を遣わなければならない。
その着地も難なく決め、第2エリアも制覇だ。
『なんて流れるような動きでしょう、後続を更に突き放します! クロ、一体何者なんだー!?』
練習通りの動きが決まり、快調にコースを突き進む。アナウンス通りなら、単独首位をひた走っているようだ。だが、問題はここからだ。
『ホワイト、頼むよ』
『うん。練習通りに!』
第3エリアは、元の世界のパルクールには無い障害なのだ。というか、あり得ない。
『さあ、クロ選手第3エリアに真っ先に突入です。ここはキャスターの腕の見せ所ですが、ホワイト選手大丈夫か?』
パッと見は、一本道の先に壁が立ちはだかっているだけだ。だがこのエリアは俺一人で突破することはできない。何しろ――
『来た来た来た、助けてホワイト!』
『任せて!』
細長い棒状の岩が、次々に襲い掛かってくるのだ。壁には膨大な数の魔方陣が描かれ、それらがランダムな順に発動して岩を飛ばす仕組みである。
頼もしい掛け声と共に俺の後方に位置取ったホワイトは魔力を展開、氷のつぶてを迫りくる岩に向けて放つ。
そのコントロールは凄まじく、放った魔法全てが岩の真芯に的中し砕け散った。
――岩ではなく、氷がである。
『やはりホワイト選手、魔力不足は深刻! 岩を破壊することが出来ません!』
本来であれば飛んで来る岩をキャスターが破壊し、ランナーの道を切り開くのが第3エリアである。しかし、ホワイトの魔力では岩を完全に破壊することは出来ないのだ。
――だが、十分だ。
飛んで来る岩は全弾ホワイトの魔法にぶつかって減速している。そのままでは矢のようなスピードだが、ちょっと強めのキャッチボールくらいのスピードにまで落ちている今なら――
『な、なんとクロ選手! 全て躱して進んでいます!』
避けることも簡単だ。と言うのは少しカッコつけが過ぎるが、不可能ではない。
屈み、飛び越え、時にスライディングしながら前進を続ける。
『その調子! あと半分くらいだよ!』
『まだ半分か、しんどい!』
速度が落ちているとはいえ質量はかなりのもので道幅も狭い。当たり所によっては落下もあり得る。というか普通に骨とか折れてもおかしくない。
恐怖と戦いながら、少しずつ前へと進む。
『クロ選手凄い! しかし、時間が掛かっているのは確か! その間に後続の選手が迫ってきています!』
アナウンスの直後、他のコースから射出音と破壊音が断続的に聞こえてきた。ここまでのリードは、ここで取り返されるだろう。
だが、それでも。
『クロ選手、かつてない方法で第3エリアを抜けました! しかしかなり痛いタイムロス、後ろの選手との差はほとんど無くなりました!』
なんとか首位を保ったまま突破できた。想定の中ではかなり良い方だ。
魔方陣の壁に開いた穴をくぐり抜け、次のエリアへと進む。
『続いて第4エリア、ここもキャスターの見せ場ですが……首位のクロ&ホワイト組はどう出る!』
第4エリアは至ってシンプル、5m近くの壁が立ちはだかっている。
『すぐ後ろに迫っているのはボム&フレア組! さあ出るぞ、皆よく見ておけ!』
アナウンスの直後、爆音がボムのコースから聞こえてくる。横目でちらりと見れば、彼のコースにあった壁は粉々に砕け散っていた。
そう、このエリアは普通、壁を魔法で壊して進むエリアなのだ。事前に聞いた話によれば、壁の下の方ほど魔法に耐性があるという仕組みらしく、魔法の破壊力によってどこまで壊せるかが変わるそうだ。
残った壁をランナーが乗り越えて進むものなのだが、ボムとフレアは壁を完全に吹き飛ばしていた。
『さすがの火力です! ここで彼らが首位に立つことになるでしょう!』
他の組はおおよそ半分くらいが限度のようで、乗り越える必要のないボムが圧倒的に有利だ。
そんな規格外の魔力を持つ彼らに対し、ホワイトも魔力ではワースト1、俺に至ってはそもそも魔法が使えない。
おそらく、壁はほとんど壊せない。なら、どうするか。
『さあ、現在首位のクロ&ホワイト、壁まであと数mというところですが……壁は全く壊れていません、どうするのか!?』
――こうする。
壁の一歩手前、左足で踏み切り助走のエネルギーを余すことなく跳躍に変換する。
壁に向かって跳び上がり、右足を壁に着く。そしてそのまま、斜め下へと力を込めれば。
足の裏が壁と噛む感覚を得て、上へと身体が持ち上がる。そこから更にもう一歩、今度は左足で同じ動作を行った。
ダメ押しに右手で壁を斜め下へと押し込み――伸ばした左手が、壁の上端に届く。
『な……なんとクロ選手、この壁を魔法を使わずに登って見せたー!!』
驚きの声を上げるアナウンスを心地よく聞き届け、右手も壁の上端に引っ掛けると左足を壁に突っかける。そして、右足を振り上げる力と腕の力を同時に爆発させて、壁の上へとよじ登った。
ウォールランからのクライムアップ、壁で遊ぶなら必須の技だ。そのまま壁の反対側にしがみ付き、ぶら下がってから四点着地で反対側へ降り立つ。
『クロ選手、順位は少し下がりましたがなんと魔法無しで第4エリアをクリアしました! 実力不足のキャスターを補って余りある技術と身体能力です!』
褒められてはいるが、見当違いのアナウンスに俺はむっとする。
ホワイトの実力は全く不足していない。むしろ彼こそ規格外だ。
魔力量が少ないのは事実だが、それに『適応』して彼は研鑽を重ねてきた。事実、第3エリアでは四方八方から飛来する岩を的確に減速させている。
『クロ、怒ってくれるのはありがたいけど集中。次もクロが頑張るエリアだからね』
と、ホワイトの声が水を差し、頭を冷やされる。どうやら思考が漏れ伝わってしまっていたらしい。
第5エリアと第6エリアは、どちらも魔法無しでクリアする予定だ。
第5エリアは幅の狭い足場が点々と続く、第1エリアと似たようなところだ。道の右側に壁があり、そこから足場が突き出している。
第1エリアと違い高さと間隔が一定なので、ストライド――連続の片足ジャンプで突破できる。
『さあクロ選手、第5エリアに突入です。ここで巻き返したいところ!』
全くその通りだ。加速し、一つ目の足場に向かって跳び上がる。
右足で狙い通りの位置に着地、そのまま左足を振り上げ次の足場へ跳ぼうとしたとき――
違和感が、俺を襲った。ピシリという何かが割れた音、そして右足に込めた力が逃げていく感触。
その違和感はすぐに形になって現れた。
――今着地した足場、それが根元からポッキリと折れたのである。
「クロ!!」
叫ぶホワイトの肉声を聞きながら、支えを失った俺の体は落下を始めたのだった。
*************
最初にコースを見たとき、このエリアの安全性は危惧していた。壁から岩が突き出しているだけなのだ、足場が壊れる可能性は当然ある。
しかし、そんな心配は無いとホワイトは太鼓判を押していた。宮廷魔術師の中でも優秀な土魔法の使い手が創ったものだし、魔法で創られた物は基本的に魔法以外では壊れないから、と。
事実、練習でどれだけ衝撃を与えても足場はびくともしなかった。見た目以上の硬度を持っているのだと納得し、不安は拭われていたはずだった。
だが、本番でこれとは。ツイていないにも程がある。
――いや、本当にただの不運なのか?
「掴まって!」
ホワイトの叫び声に、凝縮された思考から現実に引き戻される。
声と同時に、壁から氷柱が突き出して目の前に現れる。必死にそれを掴むと、俺の体はぶらんと大きく揺れて止まった。
『おおっとクロ選手、まさかのアクシデントです! ですがルール上こういった場合でも救済措置はありません、これは大ピンチ!』
コースの整備不良は運営側の責任だろうと思いつつも、パルクールの理念的に言えばそれが当然の措置だ。だが、命が懸っている以上不満に思わずにはいられない。
『クロ、復帰できそう?』
しかし、何を思ったところで事態は良くならない。出来ることを精一杯やるしかないのだ。
『これが折れなきゃ大丈夫』
『じゃあ問題ないね。言った通り、魔法で創られた物は魔法以外じゃそうそう壊れないから』
確かに彼の言う通り、全体重が掛かっていても氷柱は折れる気配が無かった。その言葉に安堵を感じつつ、体を少し揺らす。
その揺れのまま、肩を入れて胸を張る。胸を引っ込めると同時に脚を上に引き上げ――縮めた脚を思い切り突き出しながら腕に力を込める。
すると、体は勢いよく持ち上がり、上半身の体重が氷柱の上に乗り上げ安定した。
バーで遊ぶなら覚えておきたい技、蹴上がりだ。
そのまま脚を後ろに振り上げて腰を持ち上げると、両手の間に足を着く。しっかりと足に体重が乗ったことを確認すると手を離し、次の足場に向かって跳んだ。
『クロ選手、さすがの身体能力でコース復帰しました! だが現在最下位、大きく後れを取ってしまった!』
次以降の足場は、問題なく俺の体重を支えてくれた。おっかなびっくり、だが急いで第5エリアを抜け出す。
『コースは魔法以外じゃ壊れない。――たぶん、エアの仕業だ。壊れた足場に削られたような跡があった。証拠にはならないだろうけど』
ホワイトは悔しげな声色でそう漏らす。
そう、魔法以外ではそうそう壊れない足場は、魔法で傷付けられていたに違いない。
だが、彼の言う通り証拠も無いし、レースは止まらない。
『そういうのは後回しだ! 今後そういうのが無いかだけ気を付ければいい!』
続く第6コース――足場も何もなく、ただ少し傾斜した壁があるだけのエリア――を、斜めのウォールランで軽々と突破する。
子供のころなら誰もが憧れるであろう『壁を横向きに走る』という動き、俗に言う『忍者走り』である。
『クロ選手、第6エリアもキャスターの補助無しで一瞬で突破! 差を詰めますが――次の第7エリアは彼らにとって鬼門でしょう、どうやって突破する!?』
そう、第7エリアは今回の最大の難関だった。
基本的には第4エリアと同じ、魔法で壊せる壁があるだけだ。
だが、壁の高さがおよそ倍。さすがにこれはウォールランだけで登ることはできない。
他の選手たちは既に準備を始めている。このエリアは通常、時間をかけて魔力を練り上げ、ランナーとキャスターの最大威力の魔法で壁を出来るだけ壊してから突破するのだ。
もちろん、俺たちにそれは不可能だ。魔法で突破することも、身体能力で突破することも出来ない。
『だったら!』
『両方を使えばいい!』
俺は第4エリアと同じように、壁に向かって全速力で突っ込む。
『まさかクロ選手、この壁をも体一つで飛び越えてしまうのかー!?』
それはさすがに無理だ。ウォールランはさっきの高さがほぼ限界、取っ掛かりの無い壁ではあれ以上の上昇力は得られないからだ。
――なら、取っ掛かりを作れば。
『なんとクロ選手、本当に登っている!? ――いや、あれは!』
全力の跳躍、そして壁に向かって足を突き出し――生じた氷の出っ張りを踏みつける。
一歩、また一歩と足を上へと上げ。時には手も使いながら、上へ、上へと登っていく。
『氷、氷です! 壁に次々と氷の出っ張りが生まれています! これはまさか、遠隔魔法!?』
この世界の魔法の特徴の一つに、全ての魔法が術者から放たれるというものがある。
理屈はよく解らないがとにかく、魔法を離れた位置に発生させるには事前に魔方陣を描くのが一般的なのだそうだ。優れた術者ならある程度離れた位置に発生させることも出来るが、二、三歩先程度が限界らしい。
しかし、ホワイトはその距離――魔力伝達範囲というらしい――が、異常なまでに広い。
『ま、威力が低いからどこから放とうと大して変わらないんだけどね』
最初に出会った時、彼は人だかりの向こうから武器を振り上げた衛兵を的確に狙ってみせたのだ。今にして思えば、あれは彼だから出来た芸当なのである。
『十分だよ、これだけ取っ掛かりがあれば!』
そう、十分だ。威力が低くたって、魔力量が少なくたって、上手く使えばこんなにも頼もしい。
感覚共有魔法で視界を共有し、俺は視線で取っ掛かりが欲しい位置を指示する。
ホワイトの正確さも相まって、正に思うがまま、望むままに氷が現れ、どこまでも登っていける気がしてくる。
そして――
『クロ&ホワイト組、なんと第7エリアの壁を登りきったー!! これは前代未聞です!』
壁の頂上に立ち、視界が一気に開ける。競技場中から歓声が聞こえ、眼下にはコースと他の選手が一望できる。
ボム&フレア組は壁を粉々に粉砕し、高さ2m程になったそれを乗り越えているところだった。
他の組で壁を破壊しているのはランド&エアだけで、彼らの壁は5m程残っているが、ランドが土魔法で坂を創り出している。
現状の順位は、ボム、ランド、俺の順番か。
『ホワイト、踏ん張りどころだ。頼むよ!』
『準備完了! 行くよ!』
魔力を練った彼は、自身の魔力量で放てる精一杯の魔法を使い――クロの立つ壁から、氷の柱が斜めに地面に向かって伸びた。
とても細いが折れる心配は全くしていない。躊躇なくそれに足を乗せると、勢いよく滑り降りた。
『なんというバランス感覚! あんなに細い棒を滑り降りていきます!』
確かに細く、バランスを取るのは難しい。しかし、氷とは思えない程洗練されたそれは、一切の凹凸や歪みが無い。だから、かろうじてバランスを保てるのだ。
やがて俺の体は地面へと到達し、勢いそのままに駆け出した。
『クロ選手、怒涛の追い上げー! ボム選手、ランド選手、クロ選手がほぼ横並び! そのまま最終エリアに突入します!』
最終エリアは、すこぶる原始的だ。
――10m近く途切れた足場。そこを何とかして飛び越えろ、というものである。当然、ただ跳躍しただけでは届かない。
最初に跳んだのはボムだ。
ボムが跳び上がると同時にフレアの魔法が炸裂、爆風で彼の体をさらに前へと押し出す。
ランドは自身の魔法で足場を延ばし、距離を短くしている。
そこから跳躍し、エアの魔法で後ろから押してもらうのだろう。
そして、俺は。
何の躊躇いも無く全力で跳ぶ。
「行っけえ!」
ホワイトが叫び、魔法を発動する。足場の遥か下、水面から氷の柱が突き出して足場になる。
足の裏よりも狭い足場に右足だけで着地、そのまま左脚を振り上げて反対側の足場へ向けて跳躍した。
跳躍の瞬間、世界はスローモーションのように見えた。
横では風に煽られたランドが反対側の足場に迫っている。その向こうではボムが空中で炎を噴き、さらなる推進力を得ていた。
このまま行けば、俺は問題なく着地出来るだろう。
横では、ランドがギリギリ反対側の足場に到達した。だが片足が崖にかかるところまでしか行かず、落下こそしなかったが勢いはそこで止まる。ざまあみろ。
一方、ボムは再加速の結果しっかりと着地し、ゴールに向けて次の一歩を踏み出していた。
――このままじゃ、負ける。
ランドは抜かせるだろうが、ボムには追いつけないだろう。
勝つにはどうしたらいい。既に跳んだ体は空中にあり、再加速するための足場はない。
――なら。
足場を、創ればいい。
打ち合わせはしていない。やってみたこともない。だが――
『ホワイトのコントロールなら!』
『クロの技術なら!』
共有された思考が一瞬で噛み合い、俺とホワイトは電撃的に動く。
ホワイトはリフトを操って真後ろに回り込み、俺は態勢を着地から跳躍へと変える。
ホワイトの魔力はもうガス欠寸前、あと一発撃てるかどうかだ。だが、彼には他の追随を許さない正確性がある。
魔力不足、追いつけない現状、このコース、この状況。そしてこの世界。
――その全てに『適応』し……乗り越えろ!
「「そこだ!!」」
ホワイトの放った魔法と、俺の足の裏が、ぴたりと見据えた地点で一致した。
彼が後ろから放った拳大の氷の礫を足場に、俺の体が水平方向に打ち出される。
「行け、クロ――!」
ゴールは壁、そこに描かれた魔方陣に触れた瞬間だ。
後ろからホワイトの声が聞こえる。横目にもたつくランドを追い越す。
ボムはあと一歩で壁に到達する。魔方陣に触れようと手を伸ばしているのが見える。
俺の体は空中を横切り――
壁に突っ込み、足が魔方陣に触れた。ほぼ同時、手で魔方陣に触れたボムの姿が目に入る。
そのまま地面に落下して潰れた俺の耳に、ゴールを知らせる花火の音が聞こえた。
恐る恐る顔を上げると――
「クロ、やったあ!」
リフトから飛び降り駆け寄ってくるホワイトの姿。
――見上げれば、俺のコースの真上で花火が上がるのが見えた。
「やっ……た……」
視線を横にずらせば、歯を剥きだして悔しがるランドの姿と、苦笑いで拍手をするボムの姿が映った。
「や……よっしゃあー!!」
勝利の実感を得て雄叫びを上げる俺に、ホワイトが抱き着いてくる。
周囲からは歓声が湧き上がり、轟々と響いて競技場を揺らしていた。
『なんと勝者は……クロ&ホワイト! この割れんばかりの歓声! 会場中を魅了する、見事な走りでした!』
最初のブーイングが嘘のように、会場は歓声と拍手一色だった。
「ありがとう、クロ」
ホワイトは俺の体から離れると、不意に真面目な面持ちでそう言った。
「なんでホワイトがお礼言うんだよ。助けられたのは俺の方なのにさ」
というか、前も言ったが面と向かってそんなことを言われると恥ずかしい。思わず目を逸らしてそう言う。
「いいや、助けられたんだよ、僕は。――これで、胸を張って言える」
震えるホワイトの声に気付き、彼の顔を見る。
すると、彼は満面の笑みで――涙を流していた。
「僕は、魔法で誰かの助けになって導ける――魔導師だって」
彼の歩んできて人生を、俺は知らない。
でも、彼の抱いている感情は分かる。
きっと、俺と同じだから。
「うん。――ありがとう。俺を、ここまで連れてきてくれて」
彼に助けられ、導かれ。そして俺も彼を助け、導いて――というのは、やっぱりちょっと恥ずかしいけれど。
二人で手にしたゴールは、喜びと感謝に満ち溢れている。
かくして、俺の命懸けの――最高に楽しかった戦いは、幕を閉じた。
**************
そして俺は約束通り、死刑を免除された。
それどころか、見事な走りを王に認められ、「今後もラン&マジック大会に出場して国民を楽しませること」という条件の下、衛兵見習いとして雇われることになったのだ。
ちなみに、ランドはちゃんとホワイトに謝罪した。約束を守ったのは意外だったが、彼は彼なりに矜持があるのだろう。
結局、どうしてこの世界に召喚されたのかは分からない。
ただ、この物語は始まったばかりだ。
空は晴れ渡り、風は心地よく吹き抜ける。
耳に響くのは、割れんばかりの歓声だ。
――突然異世界に召喚され、右も左も分からなかった。
『さあ、皆盛り上がってるかい!?』
実況の元気な声が聞こえる。最早聞き慣れたそれは、否が応にも俺の士気を高める。
『それじゃあ選手紹介だ! もうお馴染みとなりましたこの二人――クロ&ホワイト!』
――そんな俺を導いてくれた、一人の魔導師が居た。
紹介の声に答えるべく腕を上げ――振り返れば、リフトに乗るホワイトと目が合う。
彼は頷いて笑い、準備は万端だと俺に示す。
――これは一人の少年と一人の魔導師が出会い――最高に熱いスポーツを通じて、異世界で力強く生きていく物語。
そのスポーツの名は――
『ラン&マジック大会――スタートです!』
鳴り響く号砲を合図に、俺は駆け出した。
――――END――――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
こちらの作品は、白井直生『一人連載会議』の参加作品となります。詳細はページ最上部(タイトルの上)の『一人連載会議』をクリックしていただければと思います。
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