表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

おすすめ

駅は混むっ!

作者: はじ

 街の中心部にある駅に

 人々が集まってくる

 まるで心臓に向かう血液のように 集まって

 他の臓器に運ばれていくかのように

 別の駅に運ばれていった 人々のことを

 駅はいちいち覚えていない。

 それだけ多くの人が毎日その駅を訪れる。

 訪れない日はないといっても過言ではない。

 過言ではないが、もちろん訪れない日もある。

 雨の降る日は無闇に外出しない。

 家の一際暗いところで膝を抱え、

 窓先で降りしきる雨粒を数えながら

 今か今かと止むのを待つ。

 止まなければ一日中そうしている。

 もし止んだのならば、

 最後の一滴が地上に落ちる その瞬間

 家を飛び出して駅に向かう。

 つい先ほどまで閑散としていた駅に 人々があふれる。

 まともに息もできないほど寄り集まり

 どこに行きたいというわけでもないのに改札口に殺到する。

 そこにお祭りのような賑やかさがあればまだ陽気なものだが、集まる人々の顔は一様に険しい。険しく厳しく、若干の殺気を帯びた表情で改札口を抜けて駅構内に入っていく。

 入った途端、数秒前の殺伐さが嘘であるかのようにほっこりと笑む。

 笑みながら電車に乗り、乗ってどこかへ行く。

 どこへ行くのか駅は知らない。

 駅は毎日厖大な人々を黙々と向かい入れ、別れを惜しむことなく送り出すだけだ。

 そのくらい無機質に徹していなければ駅は務まらない。

 しかしただ無機質なだけではいけない。

 様々な人が訪れるのでそれ相応の懐深さが必要だ。

 そうたとえば、

 ホームの端から端まで走り回る子どもの奇声(彼はカケルくんという。カケルくんは自分の名前の由来が駆ける、つまり走ることだと先ほど教えられてから駆け続けていた。もし歩けばアルクくんに、立ち止れば自分はタチドマルくんに改名されてしまうと思ったからだ。前者ならまだ笑い話で済むが、万が一後者になるようなことがあれば笑い声すら立たない。そう思ってカケルくんは常に駆けるようになったのだが、彼も人間なものだからときには歩くときもある。そのときはあまんじてアルクくんになった。アルクくんのときは呼吸を整えるために一際ゆっくり歩いた。ヒトキワユックリアルクくんになった。そして息の調子が戻ってくるとすぐにカケルくんに戻った。その瞬間はヒーローに変身するときのようで嫌いじゃない。むしろ好きだ、大好きだ。ウォオオオ! ウォオオオッ!)

 や、

 それを注意せず狂ったようにママ友と交わす保育士への悪口(カケルくんのお母さんとそのママ友の話題となっている保育士は決して悪い人ではない。偶々本日の獲物に選ばれてしまっただけなのだ。彼女たちは獲物のことを徹底的に罵倒する。外見、性格、人格否定はお手の物。ほくろの数、しわの本数、家系図をたどりその出生まで調べ上げ、本人も知らない遺伝的な病、無自覚な仕草と立ち居ふるまい、髪質から爪の形、細胞のひとつひとつまで完膚なきまでにこき下ろす。おそろしいものだ)

 を、

 聞き流し、自動販売機の陰で自身の尻を揉みしだく頬を赤らめた会社員(これはあくまでもマッサージなのだ、と清水とほるは自分自身に言い聞かせながらひたすらに揉んでいた。揉みほぐしていた。その効果もあり当初岩盤のように凝り固まっていた清水とほるの大臀筋は、とろっとろにほぐれていた。尻が溶けだしたのではないかと思わず確認してしまったほど解きほぐされていた。それは不思議な感触だった。柔らかいよりも柔らかい。言うなれば「やぁらかい」そう表現することが適当だ。疑っているなら清水とほるの口元に耳を近づけてみるといい。やぁらかい、やぁらかい、という呟きが聞こえてくるはずだ)

 は、

 見て見ぬふり、線路上で写真を撮るチャキチャキの大学生(彼らが線路上で写真を撮ってしまうのは仕方ないことなのかもしれない。それだけこの線路から見える景色はすばらしいのだ。絶景といってもいい。この景色を見て感動しないものはいるだろうか。いやいない。そして見たらこう思うだろう。インスタに、ツイッターに投稿したい、この言葉では言いつくせない景色を美しいと思える感性をフォロワーに見せつけたい。そのためだったら炎上してもいい。そう思わせるほどの魔力が線路上の景色にはあるのだ)

 トイレの手洗い場に痰を吐き続ける老人(痰吐きおじさんのことは皆さんご存じのはずだ。彼はとにかくところ構わず痰を吐く。どこであろうと痰を吐く。彼の体内に「痰嚢」という特殊な器官が備わっていることは有名だ。彼はそこに痰を貯蔵することができ、そして、いつ如何なるときでも吐き出すことができる。粘度や色彩は自由自在。激しく粘ついた桃色の痰を吐くこともできれば、絹のように滑らかな手触りを持った七色の痰を吐くこともできる。詳しくは筒井康隆を読めばよろしい)

 チャージ機にお薬手帳をねじ込むおばさん(チャージ機にお薬手帳ねじ込みおばさんのことも皆さんご存知のはずだ。彼女は毎朝10時ぴったしにチャージ機というチャージ機をめぐってお薬手帳をねじ込む。その体内に「チャージ機にねじ込む用のお薬手帳」が備わっていることは有名だ。彼女はチャージ機を見掛けると体内からお薬手帳を取り出し、それをチャージ機にねじ込む。病歴や通院歴は自由自在。しかしその生態はまだ謎に包まれており、筒井康隆も詳しく知らない)

 改札機の切符入れに口をすぼめて嘔吐する酔っぱらい(田所さんは毎日終電で帰ってくる。ぐでんぐでんに酔っぱらった田所さんは千鳥足で電車を降り、まずホームに嘔吐し、続いて階段に嘔吐し、改札口に嘔吐し、「これでしまいやっ!」と言わんばかりに改札機の切符入れに吐瀉物を注ぎ入れる。改札機はガタガタと振動し、煙を出して動きを止める。そのコントのような光景をもう見飽きている駅員は注意すらしない。それを良いことに田所さんは毎日吐瀉物を注入する。始めに切符入れのくぼみを舌先でチロチロと舐める。改札機が嫌がらないのをいいことに散々舐めまわして唾液まみれにしてから、カッサカサに乾いてハリもツヤもない唇をいやらしく突き出し、これでもかと吐瀉物を注ぐのだ)

 彼らすべてを一切の怒りなく向かい入れ、一言の罵声も口にせずに送り出す。それができなければ駅を名乗ってはいけない。

 それでもたまに嫌になるときがあるはずだ。

 たぶん数年に一度あるかないかの頻度なので、もし見掛けても見逃して上げてほしい。何せ駅は嫌になっても旅に出るどころか身動ぎ一つできないのだから。

 駅は不動のまま遠い目をし、遥か彼方に霞んで見える高尾の山々に羨望するだろう。少し恨みもするだろう。しかしあちらもあちらで極々たまに、数十年に一度ほど、こちらを激しく睨みつけているのでお互い様なのかもしれない。山には山の、駅には駅の、それぞれにしか分からない苦労があるのだ。

 おそらくそれは、駅を利用する人々にもあるのだ。

 彼らにも彼らなりの苦労があるのだ。

 本当にあるのか? と利用客ひとりひとりに問いかけたくなるが、もちろん駅は喋ることができないので今日も黙然と人々を受け入れ、送り出す。それを繰り返し、繰り返す。

 その反復を円滑にしているのが駅で働く多くの人たちだ。

 キヨスクの販売員(そこが本当にキヨスクである確証はない。なぜならば、店名を示す文字がどこにも掲示されていないからだ。しかしながら、駅構内にある売店はすべてキヨスクであるという格言に従えば、そこは間違いなくキヨスクなのだ。そのキヨスクには謎めいた老婆がひとり丸椅子に腰掛けている。前面に並ぶ新聞は世界各地のマイナー紙、きな粉味や仁丹味といった攻めたラインナップばかり集結するチューインガムやのど飴、冷ケースに敷き詰められた飲料はおしるこのみ、その他にも通常のキヨスクでは取り扱っていない小物や雑貨がめじろ押しだ。興味があれば一度訪れてみるといい)

 から始まり、駅構内だけでなく地域全体の衛生を管理している総勢200名の精鋭清掃員(彼らのお陰で駅とその周辺地域の衛生状態は世界的に見ても異常なほど高レベルに維持されている。ゴミが落ちていないのは当たり前だが、埃、シミ、鳥のフン、落ち葉などもない。もし道端で唾でも吐こうものなら、すぐに清掃員に取り押さえられ、非人道的な尋問からの清掃用具を使った惨忍な拷問が徹底的に行われる。時折駅の片隅でくずおれている人を見掛けるかもしれないが、それは清掃員たちの制裁にあった者どもだ。無表情に虚ろな目、口から垂れた唾液を拭うこともしない彼らは廃人同然である。しかし情けをかけてはいけない。それだけのことを仕出かしたのだから自業自得なのである。完全無欠にも思われる清掃員たちにも天敵がいる。それは痰吐きおじさんだ。おじさんはどこからともなく音もなく出没し、並大抵の洗浄剤では落とせない、皿にこびりついた頑固な油汚れすらじゃれる子犬に思えてしまう陰湿な痰を吐き散らかして姿を消す。その動向は150名の人員を割いて常に追ってはいるものの、夏のように現れ、夏のように消えていくおじさんの対応はいつも後手後手にまわっているのが実情だ)

 がいるかと思えば、案内係から車掌、運転士までたった一人でこなす超人的な駅員(実際のところ一人で業務をまかなえているのかというと、そんなことは決してないのだが、彼が頑なに認めないので人員は補充されることなくそのままになっている)

 発車する電車を背後からそっと押す押員(この駅のホームはとても居心地がいいと電車たちの間では大変評判だ。一度停まってしまうと動き出すことができず、あと一秒、あと一秒だけ、と布団から出てこない子どものように駄々をこね、なかなか発車しようとしない。そんな電車たちを説得し、背を押してやるのが押員である。彼は穏やかな口調で次駅までの道のりを語る。運行中に見える景色、今の季節だと正面から来る風がとても心地よいこと、次の駅もそう悪くはないよ、と語りかけ、気持ちが傾きかけている電車の背を物理的に押してやる。彼の最後の一押しにより電車は発車し、遅延は数秒で済んでいる)

 など、目に付かない裏方の仕事を上げれば切りがない。彼らひとりひとりが駅の運営に寄与し、誰かひとりが欠けても駅は正常に機能しない。

 しかし、どんなに万全を期してもトラブルは絶えない。

 切符を失くした(そもそも切符を買っていない場合も多々あるのだが、彼らがそれを認めることはない)

 トイレの場所が分からない(それは無理のないことで、この駅のトイレはとにかく見付けにくい。道案内の掲示板に従って向かっているはずなのに、まったく見当違いの場所に導かれる。たちの悪いことに一潮の尿意も感じていないときに限ってトイレに到着してしまうこともあるのでとにかく迷惑極まりない)

 他の駅までの乗り換えが分からない(超人的な駅員が事細かに説明することで事なきを得る)

 電車のなかに忘れ物をした(超人的な駅員がすぐに取りに向かうことで事なきを得る)

 といった些細な出来事は日常茶飯事である。

 最近では線路に立ち入る不届き者が多く、不審物はあらゆるところに置かれている(特にキヨスクが狙われている。それほど恨みでもあるのだろうか)し、変質者は決まって自販機の陰に現れる。

 以上のように大小問わず頻出するトラブルによって運営に支障が出るときは、駅のすべてを統轄する駅長の出番だ。

 駅長の朝は駅への深い一礼から始まる。始まらない日はない。一分間にも及ぶ長い礼を終えた駅長は、駅の壁に手を添え、優しく語りかける。

 今日も一日よろしくね。え、私かい? 私は元気だよ。きみはどうだい。え、どうしてだい? うん、うん。そうなのかい。よく分かるよ。そんなときね、こうすれば――って、なんだよ、今いいところなんだよ。え? また線路にチャキチャキの大学生が? ちっ、性懲りもなく来やがって。今日という今日は許さねぇ。

 壁から手を放した駅長は現場に急行する。線路にいる大学生を見つけると、ポケットからスマートフォンを取り出して彼らの写真を撮り、駅の公式アカウントからツイッターに投稿する。彼らの顔にモザイクをかけるといった良心は一切ない。とにかく他人の悪行を罰したくて仕方のないフォロワーたちの前に剥き出しのまま差し出すのだ。そうすれば、自身の日頃の行いを常に棚に上げている彼らがとことん叩いて、燃やして、社会から消し去ってくれる。さぁ、喰らえ! というツイートともに画像を投稿した瞬間、線路にいる大学生の服に火が点いて、あっという間に消し炭になる。大学生がいなくなり、これで安心だと一息つきたいところだったが、チャキチャキの大学生はまた姿を変えて現れるだろう。彼と駅長の闘いはまだまだ続くのだ。

 改めて気を引きしめ、腕時計で時刻を確認した駅長は飛び上がる。もう通勤時間じゃあないか! こんなことをしている場合じゃない、と全力疾走で改札口に向かう。

 知っての通り駅が最も混雑するのは通勤時間で、改札口はもう引っ切りなしに人が出入りする。改札機のドアは忙しなく開閉し、あまりの多忙さに誤作動を起こして半開きの状態で停止するが、そうなっても人々は容赦せず通過するので無法地帯と化す。

 まずスリが多い(しかしスリも人ごみに巻き込まれないよう必死なので、選り好みをしている余裕はない。とにかく闇雲に手を動かす。手当たり次第のカバンやポケットに忍び入り、それが財布であろうと化粧ポーチであろうとスマホ、書類、イヤフォンであろうと盗み出す。そこまでは順調に事が運ぶが、苦労してスったその品物もだいたい他のスリにスられる。悔しいのでまたスリを行う。そしてまたスられる。スってスられての応酬が続く。スリも馬鹿ではないので頭を使う。スった品物をすぐにスられないように隠す。隠すといっても改札口にはそのような場所などないので、近くにいる人のカバンやポケットにそっと忍ばせることしかできない。その対処によってスられることはなくなるが、人通りが激しいので隠し場所ならぬ隠し人を見失ってしまい、結局いつも何もスれない)

 スリに負けず劣らず迷子も多い(子どもならまだしも、大人の迷子が多い。とは言っても彼らも一応は大人なので多少は知能があり、スマホの道案内アプリを起動し、数メートル先の改札口までの道順を調べる。しかし迷子全員が揃ってそうするものだから、皆が同じ順路をたどろうとし、もう迷いたくないので誰もそのルートを譲ろうとせず、一か所だけ渋滞しているという不思議な事態が頻発する。それがまた混雑を助長していることにスマホから顔を上げない彼らは気付かないだろう)

 そして何よりも駅長が邪魔だった(駅長は混雑を解消しようと毎回張り切っているのだが、そのやり方がとにかく空回りしている。みんな急いでいるのに整理券を配りはじめ、かと思えば「私を倒してからいけ!」と気の触れたようなことをのたまい利用客と本気の殴り合いをはじめ、もしかしたら私はアイドルなのかもしれないと言い出して改札口の前で握手会を開き、また別の日には、昨夜YouTubeでフリースタイルダンジョンの動画を視聴して影響を受けたらしく、ダボッとした服装の若者を片っ端からつかまえてラップバトルを吹っかけ、しかし思うように呂律が回らなくて、たちまち劣勢になると、すぐに手を出して本気の殴り合いをはじめるので始末が悪い)

 こともあり、混雑は悪化の一途をたどるばかりで解消とは程遠かった。

 そのような経緯もあり駅長に対する駅員たちの鬱憤は日に日に増していた。増しているというのに利用客にラップバトルを仕掛けるので、駅員のみならず利用客、しいては地域住民からも怒りを買っていた。それでも反乱が起こることがなかったのは、駅長に対して少なからず敬意があったからだ。その敬意が今にも氾濫しそうな駅員たちの憤りを防いでいた。

 しかしそれも終わる日が来る。

 切っ掛けはスリだった。

 あの忌々しい通勤の混雑時に、少し遅れてやってきた駅長は、拡声器(歴代の駅長のみが持つことを許されている由緒正しき一品で、その由来は駅の開設まで遡る。当時は環境汚染に無頓着な時代だった。工場は隣接する河川に排水を垂れ流し、それを真似た近隣の住民たちも生活排水を流し込み、煙突から吹き出される黒煙に憧れて煙草を吸い、豪快に排気ガスを出す自動車に恋い焦がれて屁をひった。取りまく環境はあらゆる物質で汚染されていた。そのため人々は様々な不調を抱えていた。肌荒れ、巻き爪、目の充血、喘息、気管支炎。初代駅長はというと痰に悩んでいた。駅の交通整理のために声を張り上げても咽喉に痰が絡んで上手にいかない。そのことを毎朝のど飴を買う売店の老婆に相談したところ、勧められたのがこの拡声器だった。半信半疑で使用してみると驚くことに痰が絡まない。言葉は湧水のようにスピーカーから躍り出て、その清らかな流れで絡み合っていた人々を綺麗さっぱり洗い去っていった。この出来事があってから拡声器は神具として崇められ、代々の駅長の手を渡って現在まで大切に受け継がれてきた)

 片手に改札口の端にある一段高い段差に立ち、なだれ込んでくる利用客の一人ひとりを入念に吟味していた。そのなかから気の弱そうな若者を見つけた駅長は、素早く拡声器を口元にやり、


「ヨォ!

 そこのお前ェ!」


 と叫んで空いた手で若者を指さし、


「今日はお前とラップで勝負!

 目にもの見せるぜこの勝負!

 そんな弱気で大丈夫?

 ほら見ろ俺の力こぶ!

 百人乗っても大丈夫! イェー!」


 しかし駅長の香ばしいライムは、その香ばしさもあってか急いでいる人々の耳には入らなかった。頭にきた駅長は対戦相手の若者をつかまえようと、人ごみのなかに突っ切っていったのが、突然立ち止まる。

 立ち止り、

「スられた!」

 と、わめくその手から、拡声器がなくなっていた。

 わめき散らす駅長を迷惑そうに迂回し、利用客たちは足早に改札口を抜けていく。誰にも心配されないことが心底、心底気に食わない駅長は、すぐ近くを横切ろうとした会社員の肩を掴んで止めようとしたが、会社員は俊敏に歩き、手は空を切ってその臀部をかすめただけだった。だけだったのだが、微かに指先が触れたその臀部がおそろしいほど、いや、正気を失わせるほど柔らかく、もう一度、もう一度だけ触りたい、できれば揉みたい、それがダメならさすりたい、ともはや拡声器のことを忘れて欲望の忠実なしもべに成り果て会社員を追いかけた。

 もうあの尻以外、眼中にない駅長は利用客を押し退け、大押し退けて、無我夢中で追っていくその足が、まるで金縛りにあったかのように突然、ピタ、と地面から動かなくなる。ああ、ああ、こうしてもたついている間に、魅惑の殿方が、ああ、ああ、行ってしまわれる……

 改札機を抜けて構内に消えていった会社員の尻を見送った駅長の目尻には涙、それをさっと拭ったあとには、打って変わって血走った眼球がギョロリとのぞき、その激しく充血した眼で靴の裏を確認する。

 これは、吐き捨てられたガム……

 ではない。

 これは非常に粘着質な痰である。

 非常に非常に粘着質な痰である!

 盛んに燃え上がる怒りを込めてぎりぎりと踏みにじり、偶々近くを掃除していた清掃員を見つけ、猛然と走り寄る。

 ねぇねぇきみちゃんと清掃やってるの?え?うそだぁほらこれ見てよきみにはこれ何に見える?きれいな押し花にでも見えるのかなぁ? え? あ? どう見たってよぉ! うすぎたねぇじじいの痰だろうがよぉ!

 清掃員のひとりが駅長に絡まれているという報せを聞きつけ、他の清掃員たちが集まってくる。駅長やめてください、という嘆願に耳を貸そうともせず、いくら呼びかけても全く応じる気配をみせない。

 このままでは、いつまでも収拾がつかない、それならばいっそ……。清掃員たちは互いに顔を見合わせ、小さく頷き合う。その僅かな顔の上下に含意されている感情を読み取れないものは清掃員のなかにはいない。

 清掃員たちはモップやブラシ、ホウキ、チリトリ、ハタキ、ガム剥がしのスクレーパー、ラバーカップ、掃除機、洗浄液の入ったスプレー、雑巾を一斉に取り出し、さっと腰を落として身構えた。

 普段の喧騒とは異なる、ピンと張りつめた空気が漂う。駅の利用客たちも異変を感じ、いつも以上に足を速めて改札機の間へと飛び込んでいく。ただならぬ雰囲気に気付いた駅長は、辺りにいる戦闘態勢の清掃員たちを見て即座に状況を察し、何だぁ、お前たちぃ、ずいぶんとぉ、反抗的なぁ、顔しやがってぇ、と言う。清掃員たちは緊張した面持ちで手に持った清掃道具を握りしめる。その手が震えているのを見取った駅長の口から、相手を見下したような高笑いがこぼれると、痺れを切らした清掃員のひとりがモップを振りかぶって駅長に殴り掛かった。

 駅長、脳天に振り下ろされるモップを避け(その鳩尾に強烈なカウンター)すぐさま横に飛び退き、間髪入れずに投げ込まれた業務用の大型掃除機を寸前でかわし(割れた破片をすばやく手に取り)硬く丸めた雑巾でこちらを狙っていた清掃員の眉間を(破片で)打ち抜き、息つく間もなく、次の清掃員まで一足飛びに駆け(その勢いを拳に乗せて渾身の)殴打(続けざまに)殴打、殴打、殴打、反撃の余地を与えない機敏な身のこなしに翻弄される清掃員たち(混乱、動転)それでも少しずつ目は慣れていき(残像!)駅長の動きをとらえ始め(あれも残像!)続々と襲い掛かっていく、くる清掃員たちをちぎっては投げ(背負い投げ)ちぎっては投げ(巴投げ)一人ずつ確実に撃退していくが、その猛攻はとどまることを知らず、徐々に数に圧倒され、気付けば辺りを包囲されていた。

 じりじりと狭まっていく包囲網(浅く速い呼吸が飛び交う)距離を詰められ窮地に立っているはずの駅長の瞳は、あろうことか若々しい輝きを帯び、明らかにこの状況を楽しんでいる(気が狂ってる)追い込まれてもなお強く発せられる駅長の闘気に清掃員たちは息をのみ、少しでも気を抜けば数の優位など簡単にひっくり返り、立場が逆転してしまうことをようやく知るのであった、あったのだが、結末はあっけなく訪れる。

 駅長を取り囲む清掃員の輪をヒョイと抜け出してきた押員が、まるで旧知の友人を見つけたかのような軽い調子で駅長の背を押すと、押された駅長は前方によろめき、さらに、昨夜の田所さんの吐瀉物(まるでこの瞬間を予知していたかのように残されていた)で足を滑らせて体勢を崩し、床に片膝をつく。それを見逃すわけもなく、総勢200名の清掃員が一糸の乱れもない統率された動きで、あっ、あっという間に組み伏せて拘束した。

 諦め悪く暴れようとする駅長の顔面にマジックリンを吹きかけて大人しくさせ、濡れ雑巾で手足を縛り上げる。そしてモップやデッキブラシ、ホウキといった長物の掃除用具を組み合わせて十字の磔台を作製し、そこに駅長を磔にして改札口の前に晒し上げた。しかしながら多くの人々は、少しでも早く駅に入りたいので駅長のことを一瞥もせず構内へ駆け込んでいく。それが駅長の自尊心を傷付け、身体だけでなく精神も消耗させる。飲まず食わずの日々が続く。激しい空腹に何度も苦しめられたが、毎朝10時に口のなかにねじ込まれるお薬手帳をムシャムシャと食べなんとか飢えをしのぐ。いっそ気を失えればと何度も何度も思った。しかし、あともうちょっとで気絶できるというときに限って「ウォオオオ!」と雄叫びを上げたカケルくんが全力でぶつかってきて、その母親がありったけの罵倒を浴びせかけてくるので、気絶したくてもできなかった。駅長の外見は見る見るうちに変貌する。逞しかった頭髪はごっそりと抜け落ち、目の周りに浅黒い隈、頬は絶壁のように痩せこけ、ぼろきれとなった制服からは骨の浮き出した胸部がのぞく。かろうじて生きながらえていた駅長をチャキチャキの大学生が見付ける。今までの仕返しとばかりにスマホのカメラを向け、写真を撮る、撮る、撮って、投稿する。その画像はすぐさま拡散され、その姿をひと目見ようと多くのチャキチャキの大学生が駆け付ける。記者会見のようにあちこちで瞬くシャッターの光、駅長は目を眩ませながらも鋭く睨みつけるが、大学生たちは磔にされた駅長のことを見世物としか思っていないので、ますますはしゃいでシャッターを切る、切る、切って、投稿する。『#改札前に磔にされた駅長』が急上昇ワード1位に輝くと、日本全国からチャキチャキの大学生が我先にと詰めかけ、改札口前は大混乱、駅員たちはてんてこ舞い、駅始まって以来の大混雑で改札口は通行不可能となる。数え切れないほどの若者たちに取り囲まれている駅長は、当初は反抗的な態度を見せていたものの、これだけ持てはやされると人気者になったようで悪い気がしない。しまいには満面の笑顔で写真に応じるようになり、顔の前に色紙が差し出されるとペンを器用にくわえてサインをした。その様子を撮影した動画が海を渡り、CBSでジャパンのクレイジーな日常として取り上げられ、それを見たメリケンの若者たちは、気が狂ったかのように「クールジャパン! クールジャパン!」と連呼しながら飛行機に飛び乗って来日し、秋葉原や京都、富士山、寿司、テンプラなどには一切目もくれず駅にやって来て、見た動画そのままの光景を目にし、「ソークール! ソークールジャパン!」と狂喜乱舞、熱狂的な大歓声を上げ、顔を紅潮させたメリケンボーイ&ガールたちが興奮のあまり「オミコシ! オミコシワッショイ!」と叫ぶと、もうまともな精神状態ではない彼らは、駅長を磔台ごとかつぎ上げ、「ワッショイ! ワッショイ!」と怒号に近い雄叫びとともに改札口周辺をねり歩く。国内外の若者たちが繰り広げる狂騒的な乱痴気騒ぎに大人たちは一貫して無関心だったが、世界各地から人種も宗教も問わず怒涛のように押しかける若者たちによって通行を邪魔されるとさすがに無視できなくなり、余所でやれと威厳たっぷりに注意するが、若者たちは「オミコシ! オミコシ! ワッショイ! ワッショイ! ワッショイ! ワッショイ! オミコシワッショイ!」としか言わないので話にならず、次第に両者は対立を深めていく。それから数日も経たずに駅長に扇動された若者たちと駅を利用する大人たちの血なまぐさい全面戦争が巻き起こる、というかもう起こった。そんでなんかいろいろあって駅はもっと混んだっ!(はい終わり!)


( )の特徴である説明性、そこからの脱線、または介入をいろいろ試してみた感じです。


 感想、意見、アドバイス等ありましたら是非お願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ