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濃霧都市の夜宴/吸血姫の恋人  作者: 真剣狩る戦乙漢ゆ~ゐ
第一幕  貌がないジャバヴォック
2/20

初めての夜と亡霊(上)

□□□□□□□□□□





 走り書きで、こう書かれてある。


 どのような進化を経て、今に至ったのだろうか。



 奴は神に嫌われているかもしれない。

 細身でありながら強靭な肉体と鱗を持ち、手足に有る爪は剣のように鋭く。背中に有る蝙蝠のような翼は、自身の体を包み込ませることが出来るのではないかと思うほど大きい。それだけでも恐ろしいと言うのに、顔は硫酸を被ったかのように爛れている。

 悪魔とは奴のことかもしれない。

 そう思わざるを得ないほど、奴はおぞましい姿だった。



 甲高い鳴き声が聞こえたら気を付けろ。


 奴は近くで潜んでいる。




□□□□□□□□□□





 イリギスの首都、ロックスフォードは初めて蒸汽を生み出した大都市である。



 僕から見たら機械仕掛けならぬ蒸汽仕掛けの街だ。都心にある一番炉『バベル』は、至るところに設置してある蒸汽炉より高くそびえ立ち、轟々と音を鳴らしながら蒸汽を生み出している。色んな形をした配管は、都市にある建物全部を縫うように張り巡らせており、常に各炉から生み出された新鮮な蒸汽が通っている。



 蒸汽と言う異質なエネルギーが、生活基盤に組み込まれているのだ。



 機械と科学に頼った、僕がいた現代みたいな世界ではない。

 先程述べた剣と魔法などに頼った、ありがちな中世ヨーロッパ風な異世界でもない。

 蒸気ではなく蒸“汽”が生み出す力とやらに頼った、近代ヨーロッパ風な異世界。

 人間――この世界で言えば、ヒューマンも含めた色々な人種を始め、一昔っぽい構造のレンガ造りの家、ある程度だが整備された道路、大小様々な配管に覆いつくされた家々、新鮮な蒸汽を生み出す蒸汽炉、石油ではなく蒸汽で動く自動車、その蒸汽で目をやられない為にゴーグルを付けた人、僕の世界にない物が当たり前かと言わんばかりにある。



 それだけではない。この一週間を思い返すだけでも驚くことばかりだ。



 巻き鍵一つと多少の蒸汽で、地を、海も、空だって、あらゆる場所でカラクリが踊り出す。有害な蒸汽を吐き出して、幾千万の人達の汗雫と生血を啜りながら、人類は蒸汽と歯車と共に世界を廻す。


 血と汗、蒸汽と歯車で作った蒸汽仕掛けの世界。その異世界がここである。



 だから、例え、小規模とは言え蒸汽炉が壊れていようが、腐食した配管から有毒な蒸汽が壊れていようが、止まらせることはないだろう。

 況してや、ちょっとした裏路地で猟奇事件が起ころうが、この世界にとって異物である僕が訪れようが、その僕が偶然現場に居合わせてしまったとしても、だ。



 凶行に及んだ怪人はゆっくりと、“アメンボウのような手足を持った人間もどき”の心臓に突き刺した杖を引き抜く。



 その怪人は紳士であった。付け加えるなら『不気味』が頭に付く。

 上質な帽子に外套。上品な杖に装飾品。堂々とした立ち振る舞い。顔全体を隠す皮製の黒い仮面――鳥を模った仮面を被っている点については気になるところだが、僕の目から見ても、相当身分が高い人物であることは分かる。

 しかし、その紳士は人外でもあった。その出来事を思い出すだけでも震え上がる。

 その格好から想像も付かない人間離れした動きで、今は事切れている“人間もどき”を追い詰め、その杖で心臓を深々と突き刺したのである。その圧倒的な凄さ故に、その者が同じ人間であるかどうか怪しく感じた。



「その服、その顔立ち……君は、月からの使者で、間違いないかい?」



 怪人は腰が抜けてしまった僕に近づきながら尋ねた。

 ささやかなことを聞くかのように。

 けど、大事なことを聞くかのように。

 丁寧な口調で一語一句区切って喋った。



「ふむ? 聞こえなかったのか。では、もう一度聞かせてもらおう。君は、此処とは、異なる世界から、来た者か? もし、そうで、あるならば、頷くがいい」



 その時の僕は、多分、何とも情けない表情を浮かべていただろう。


 辛うじて残った理性を掻き集めて、何度も何度も頷いたことは覚えている。



「手荒い歓迎となってしまったが私は君を待っていたのだ」



 それが怪人にとって期待通りの答えだったのだろう。


 後一歩ほど近付いたところで片膝をゆっくりと曲げ、僕の顔の高さに合わせながら言葉を続けた。



「しかし、何ともタイミングが悪いときに来てしまったものだ。本来、本来であれば、君の意思を聞いてから決めたいところだが、生憎、今から悪魔の手先共から逃げなければならない。奴らが言う法の裁きとやらを受けたくないでな。君もまた襲われたくないだろう? そこで提案なのだが、詳しい話は私のアジトでしたい。よろしいかな?」



 怪人は意思を尊重していると言っているが、有無を言わせない内容である。



「そ、その前に三つほど質問しても良いかな?」



「手短に答えられる内容であれば答えよう」



「此処は何処で、君は何者なんだ? それにさっきの“人間もどき”は?」



 ……あれから一週間経った今なら言える。

 この世界に来たばかりの僕を巻き込むな。



 何しろ此処に来て数分後の出来事であった。

 いつもより大きくて蒼い月が浮かぶ深夜、毎度お世話になっているコンビニで夜食を買って、月を見ながら歩いている最中だった。

 親元を離れて一人暮らしがしたい。

 そんな思いと自身の学力を見合わせた結果、地方の田舎にある大学しかなく、そんな田舎の片隅にあるアパートに帰っている途中だった。

 なのに、気付けば、映画のセットのような摩訶不思議な此処に来てしまい、このような事件に巻き込まれてしまったのだ。



 話を聞く限り、この者は僕を待っていたらしい。


 ならば、この僕にある程度の説明するのが通りであると思いたい。


 そんな事情を知らない怪人は杖を胸に掲げて答える。



「それで君の信頼を得るなら喜んで応えよう。私の名は亡霊。君が言う“人間もどき”である悪魔が支配する濃霧都市、ロックスフォードに住み着いている、しがない怪人だ」



「ロックスフォード? イギリスの片田舎、オックスフォードじゃなくて?」



「君がいた世界は何と言われているか分からないが、此処はイリギスの首都、ロックスフォードである。一応、蒸汽を初めて生み出した大都市として有名なのだが……君にとっては関係のない話か」



 自らを『亡霊』と名乗った怪人は首を左右に振りながら否定する。



 間近で見る鳥を模った仮面は不気味であった。

 鳥は鳥でもカラスをモチーフにした仮面なのだろう。昔の医師が付けていたと言うペストマスクに近い。目は黒いレンズ。口ばしの根元にある通気口らしき場所には小さな円状のフィルター。それらを乱暴に縫い合わしたかのような白い糸。それらから考えるに、このペストマスクもどきは、顔を隠すためだけではなく、何かから顔を守るために付けているのかもしれない。

 ……その何かと言うのは、言うまでもなく、蒸汽から、であったが。



「さて。戸惑うのは分かるが、その続きはアジトに戻ってからにして欲しい。此処に来て間もないとは言え、君は悪魔を知ってしまったのだ。奴らに捕まれば、思いもよらぬ濡れ衣を着せられてしまう。最悪、その場で殺されるかもしれない」



「捕まる? 殺される? そんな馬鹿な」



 ようやく戻ってきた僕の理性が、その単語に反応した。捕まるのは御免だが、殺されるのはもっと御免。そもそも、僕は「僕の年齢=彼女いない歴」である。彼女がいないまま死ぬなんて、死んでも死ね切れない。僕は早口で答えた。



「だって、僕は君と違って、悪魔? を殺してないし、はっきりと見ていない。巻き込まれただけだ。それにちゃんと捜査とかするんでしょ? だったら、スグに僕の潔白が証明される」



「そんな馬鹿なことを平然とやってのけるのが奴らだ」



 亡霊は先程の口調と変わって、吐き捨てるように言い返した。



「ああ、すまない。怒っている訳ではないんだ。許して欲しい。私と違って此処に来て間もないから言えるのだろう。私も異世界とらやらに放り投げされたら、同じ事を言うだろうけど、これだけは分かって欲しい。悪魔に躍らせられているとは言え、奴らは強欲で傲慢で恥を知らない。それに、だ。君のような月からの使者は嫌われている。私が君をアジトに招く理由は、そんな奴らから守るためなのだ。願わくば、私達の同士になって欲しいと言った下心は持っているがね」



 そう言いながら亡霊は空いている手を僕に差し出す。



 その手も質の良さそうな皮製の黒い手袋を嵌めていた。大きくもない、小さくもない、僕の手と同じぐらいの大きさ。

 だけど、その見かけによらず、悪魔と言う人間もどきを殺した手だ。

 その気になれば、僕の手を握り潰したり、骨を粉々に砕いたりするのは容易いかもしれない。

 それを気にしているのか、或いはここでも僕の意思を尊重しているのか。



 亡霊は僕から手を掴んで来るのを待っている。


 僕はそれに応えるかのように恐る恐る手を伸ば――



「ようやく見つけたわ! 亡霊!」



 ――そうとしたところで、突如響き渡った女性の声に阻まれてしまう。


 声は亡霊の後ろ、僕と亡霊がいる通路の奥で、銃に似た“何か”を両手で構えている女性からだった。

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