僕の才能と僕の武器 6
椅子とか机とか倒した音ではない。もっと大きいものが倒れる音だ。
そんな音を聞いた途端、僕を除いた彼女達の行動は早かった。
「おおっと、ハーフタイムは此処までのようだ。アイツ、俺様達より早く、痺れを切らしたようだぜ」
ジェーンは肩に担いでいたライフルを構えて辺りを見回す。
あの時使ったライフルと同じであった。部屋に異変が起きていないかゆっくりと。声音だけでは、この状況を待ってましたと言っている風に感じるけど、顔を良く見てみたら、その声音とは逆である真剣な表情になっていた。
「……」
ハルはジェーンの死角である箇所をフォローするかのように警戒している。
しかし、手に持っている得物は剣ではなく銃だ。ジェーンが持っているアンティーク銃ではなく僕と同じ蒸汽仕様の銃である。
形状としては短機関銃、それもステン短機関銃に似ている。
違いとしては、フォアグリップ――銃の前方にある持ち手がある事と、蒸汽を排出する配管がある事と、同じく前方にある弾倉には先程まで咥えていたケーブルが繋がれている事であった。
「小僧も、死にたくなければ、さっさと構えんか」
「構える? 冗談じゃない! 僕はさっさと逃げさせてもらう!」
……こうして生きているから言えるのだが、よくぞ、まぁ、ホラー、スリラー映画では、決して言ってならない台詞を言ったものである。
我ながら惚れ惚れするフラグ発言だ。
この後の展開は、良くも悪くも想像通り、である。
僕は逃げ出した。
「ば! 馬鹿野郎!」
「……!」
各々の反応は違った。
僕に声をかけてくれたヘパイストは、僕を止めようと手を伸ばそうとしている。
銃を構えていたジェーンは、罵声で止めようとしている。
ハルだけは、銃を手放してでも僕の背中に抱きつく。
けど、僕は止まらない。一刻も早く、この部屋から逃げ出そうとした。
部屋の出入り口まで二、三歩、いや、五歩まで歩いたところで異変が起きた。
世界が、視界が、ぐら付く。
スプレーを使った時と同じ揺れが僕達を襲う。
僕は耐え切れず前へと転んでしまうが、異変はそれだけではない。
行く手を防ぐよう、今も思い出したくも無い、あの黒い脚が目の前に現れたのだ。
それは、紛れも無く、アイツの仕業だった。
それも前だけではなく、後ろへ、左へ、右へ、斜めの順に、地面を刳り貫いては逃げ場を塞ごうとしている。
何をしたいのか分からないが、このままの状況では不味いと本能が訴えていた。
それでも、僕の足や手が動こうとしない。
頭では理解していると言うのに、体が恐怖で動けない。
それに見かねて、ハルが銃に繋いでいたケーブルを再び僕のマスクに繋げると同時だった。と思う。
世界が割れ、僕達は落ちる。正確には、僕達の重さに地面が耐え切れず、下の階へ落ちそうになった。
「~~~っ!」
僕達は、寸前に立ち上がり、両手で地面に捕まる。間一髪とはこの事かもしれない。
もし、ハルが後ろから抱き着いていなければ。
もし、ハルがケーブルで繋いでくれなかったら。
そう思うと、今、片手で僕の首に絡み付いている彼女に感謝の言葉しか思い浮かばない。で、無ければ、今頃、鋭利な脚でバラバラにされた後、悪魔の餌食になっている。
前回と違って、今回は首も動かせた為、思わず下を振り返ってしまう。
アイツが、いた。
何処か悔しそうに、落ちた地面を前脚で何度も何度も刺しているアイツが、いた。
下の階は、部屋と呼べるような場所ではない。
蜘蛛の巣だった。分厚い紐のような真っ白な糸で作られた蜘蛛の巣は部屋一面に張られ、この巣を作る為に今まで姿を現さなかったのだろう。それも、既に犠牲になっている人達だろうか。人らしきものが繭のように包まれており、ほんのりとだが所々紅く汚れている。最早、部屋と呼べるような場所ではなかった。
僕の目とハルの目が、アイツの目と合ってしまう。
「Gaayaa!! Gaayaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
アイツは、次こそ、突き刺そうと、肥大化した前脚を振り上げる。
今度こそ駄目だ。死んでしまう。そう思ったときだ。
「テメェから口を開けてくれるとは思わなかったぜ!!」
その言葉と共に一、二発。続いて、三、四、五発と銃声が鳴り響く。
いつの間にか辿り着いていたジェーンがうつ伏せで銃を放っている。
撃ち放った銃弾はどれも蜘蛛の悪魔の顔に当たる。
しかし、彼女の銃と悪魔の相性が悪いのか、どれも致命傷になっていない。
僅かに血を流すだけで留まっている。
「ほら! さっさと昇りやがれ! それとも食われてぇのか!」
ジェーンは撃ちつつ言う。
それに答えるように登ろうとしたが体がピクリとも動かない。
恐怖で動かない訳ではない。体が棒のように動かなくなっている。
気付けば、ハルの様子も可笑しい。
まるで切れかけた電球のように目が点滅しているのだ。
「誰か! 誰か! ハルを引っ張って! 何だか、様子が可笑しい!」
「糞っ! こんなところで寝んねの時間かよっ!」
ジェーンは悔しそうに舌打ちする。
「待たせたな!」
「遅過ぎなんだよ! 糞ジジィ! さっさと参加しやがれ!」
「言われなくても参加してやるさ!」
僕にとっては漸くと思えるほど時間をかけて、ヘパイストも銃撃に加わる。
ヘパイストが持っている銃、いや、持たされている銃は異常であった。
その銃は丸太みたいな太さを持ち、配管が絡みつくように捻じれている。そこから使用済みの蒸汽が噴き出すと思うと狂気しか感じない。
彼は銃を中腰に構えると、悪魔に狙いを定めた。
ヘパイストは銃の横にあるレバーを二度引く。
すると、「ぎ、ぎ、ぎ、ギギ……」と不快な音が鳴り始める。
今から何が起きようとしているのか。
不安になって眺めていると、左右に配置されている歯車が「カタリカタリ……」と回り始め、それにあわせるように薄らとだけど蒸汽が排出し始めた。それも時間が経つたびに歯車の回転が速くなり、蒸汽も普通に視認出来るほど吐き出している。
そして、引き金を引き絞る。
その様子は、正しく豪雨、であった。
それ以外の表現が見当たらない。
何発、何十発、何百発の弾丸が目に追えない速度で飛んで行く。
蒸汽なんかは、この銃の何処にどんだけの蒸汽を積んでいたんだ、と疑問に思うほどである。
ヘパイストが撃ち続ける弾丸はアイツに襲った。
「大丈夫か!」
「大丈夫だから早く! 早く!」
「ハルと繋がっている限り落ちはしねぇよ!」
ヘパイストが銃撃に加わるとジェーンは、手に持っていたライフルを放り捨てると代わりに僕の腕を掴んだ。
「良いか! まずはハルを引き上げる! その後にテメェだ!」
「分かったから! 分かったから!」
僕の言葉が言い終わらないうちに、ハルを引き上げようとした。彼女はされるがままである。あれから体がピクリとも動かないし、僕の首にしがみ付くので精一杯である風にも見える。ジェーンはやっとの思いで彼女を引き上げると、右手で僕の左腕を、左手で彼女と繋がっているケーブルを掴んだ。
次は、僕の番。の筈である。
「よっしゃ! それじゃテメェの番だ!」
ジェーンは銃声に負けないほどの大声で言った。
「今からケーブルを抜く! それと同時にテメェの体の自由が戻るから、気を付けろよ! テメェと一緒に落ちるのは死んでも御免だからな! 分かったか!」
「んなこと言っていないで、早く引き上げろ!」
ヘパイストもジェーンと同じぐらいの大声で言う。
「うっせ! テメェは黙って撃ち続けていやがれ!」
「オメェがさっさと引き上げないからだろ!」
「あぁん! 俺様達が来るまで怯えていやがったヤツが言う台詞じゃねぇな!」
「機を見ていただけだ! 糞猫! オメェなんか、小僧と一緒に食われちまえ!」
「そんなことで言い争ってないで、早く引き上げてよ!」
僕は、とても情けないことに、泣きそうだった。
当たり前だ。
この状況に陥って一分ほど、体感では十分以上経とうとしているのに、一向に助けてくれようとしないのである。いや、助けてくれようとしているのだが、何故かグダグダになっているのである。
こっちは命の危機だと言うのに、本人達は至って真剣なのだろうけど、何と暢気なやり取りだったことか。
……で、だ。結論から述べると、僕“達”は落ちた。
落ちてしまった。覚悟していたとは言え、それ以上の覚悟が必要だったのである。
ジェーンがケーブルを引き抜くと同時に、辛うじて僕を支えていた両手に重さが圧し掛かる。
それもいきなりである。
その重みに驚いてしまった僕は手を離してしまい、それに巻き込まれる形で彼女も落ちてしまった。
「~~~っ! 何、馬鹿しやがってんだ!」
「しょうがないだろう! いきなり体重が戻ってきたんだから!」
蜘蛛に似た悪魔が落とした地面に運良く落ちた僕達は、地面にぶつかった箇所を擦りながら立ち上がる。僕は尻、ジェーンは背中。打撲だけで済んだのは不幸中の幸いなのかもしれない。
「大丈夫か!」
ヘパイストが上の階から僕達に声をかける。
「見りゃあ分かるだろう! さっさとロープを下ろしやがれ!」
「そんなもんあったら、とっくに降ろしておるわ!」
「だったら、代わりのものでも探せや!」
蜘蛛の巣のど真ん中にいると言うのに、ジェーンは上から覗くヘパイストに中指を突き立てて文句を言う。僕もそれぐらいのことをしたかったけど、いつの間にか部屋の角隅に逃げ込んでいたアイツから目を離せなかった。アイツは僕達の様子を見ながら部屋の隅を歩いている。
「ちょ、ちょっと、ジェーンさん! 余所見していないで!」
僕は懐に仕舞っておいたワイルドメイカーを取り出しながら答える。そのずっしりと重い銃を両手で持つも、どう構えればいいのか分からない。取り合えず、映画やアニメの見よう見まねで構えてみるも、どうも、しっかりとこない。足の開き方とか持ち方とか、兎に角、色々と物足りない感がある。
何より、引き金を引いても、絶対に当たらないような気がする。
「吹っ飛ばされてぇのか! うんな構え方だと、こっちが吹っ飛ばされるぞ!」
「そんなこと言われたって、こっちは一度も銃なんて持ったこと無いんだぞ!」
「知らなねぇ――」
目を離した隙だった。
一瞬。本当に一瞬。
アイツの方が先だった。
いや、アイツの姿から、それを行うのは当然だったかもしれない。
幾多の蜘蛛の糸が僕達に降りかかる。
気持ち悪かった。
髪や服に纏わりつき、拭おうにも粘り気があって、引き千切ろうにも頑丈である。
どうにかこうにかしようにも、余計に絡み付いてくる。
生きた居心地がしない。とは言い過ぎかもしれないけど、そんな気持ちだった。
「糞野郎! 汚ねぇもの出すんじゃねぇよ!」
後ろにいるジェーンを見れば、彼女も懸命に解こうとしている。
それだけなら、まだ良かった。
目の前に敵がいる状態で言うのは可笑しいかもしれないけど、落ち着いて丁寧に解けば取れたかもしれない。
そうじゃなかったとしても、どちらかが犠牲になっていれば取れていたかもしれない。
犠牲は最小限に留められたかもしれない。
……これから起きてしまう出来事とは、そう言うことであった。
蜘蛛に似た悪魔は糸を引っ張る。
僕達は前のめりに倒れてしまった。立ち上がろうにも、その一本一本の蜘蛛の糸が、無理やり押さえつけるような力である。片足すら立てることが出来なかった。
「解きやがれ!」
ジェーンは叫んだ。罵倒のような大声で才能を、あの爆発を行うも、先程の爆発と比べると、かなり小さい。
爆竹のような小さな爆発では、悪魔は怯まなかった。
寧ろ、より強く、引っ張ってきた。
悪魔は前脚をグッと力を入れるたびに、少しずつだが、僕達は引っ張られる。
「本格的にヤバイですよ!」
「んなこと言われなくても分かってる!」
僕の言葉に、ジェーンは苛立ちも篭った大声で答えた。
「畜生! 手柄はテメェに譲ってやるから、よく聞きやがれ! 俺様の才能は爆発だ! それも与えた傷に対して、効果が発揮するやつだ! さっき見たとおり、通常の弾なら効果がねぇ! だが、テメェが持っている得物で傷を負わせりゃ、ゼッテェに効くはずだ! つまり、死に物狂いで当てやがれ!」
「どうやって!」
僕の両手は塞がれている。厳密に書くと、蜘蛛の糸によって銃を抱え込むように倒れてしまっているのだ。これでは撃てない。撃てたとしても、僕の真下に風穴を作るだけである。
「……裏技を使う」
「えっ?」
「良いから、テメェは当てることだけ考えろ!」
僕は聞き直そうとしたが、ジェーンは何故か怒鳴って答える。