僕の才能と僕の武器 4
建物が揺れる。さっきから建物が揺れているが、それよりも大きく揺れる。
それだけならまだしも、揺れるたびに振動が近付いてくるのだ。
僕はまだ自由が利く首を後ろへと振り返ると、閉じていた目を開いた。
後ろを歩いていたハルは僕を守るように立っている。素人でも分かるほどの隙が無い、何処からでも襲い掛かってきても対処できる構えで、僕を押すように後ろへ後ろへ下がっている。下がらせている。
「……」
「えっ?」
ハルは片手で剣を持つと、残った方でマスクに繋がっているケーブルを引き抜く。
僕は仰向けになって前へと倒れてしまう。いきなり自由が戻って来たのだ。
それも一方的に、乱暴な形で。
僕の体は「ぺちゃり」と、変な音を出して背中から倒れた。背中や手にも変な感触が、聞きたくなかった音も至近距離で聞いてしまう。
最悪だった。けど、これから起こった出来事を思えば、“もっと”最悪だった。
ソイツは外からやって来た。
二つの脚で窓枠ごとぶち壊して、巨体とは思えない柔軟な動きで入ってくる。
姿形はジェーンが倒した悪魔と同じであるが、それ以外はまるっきり別物だ。体は二メートル以上も有り、体付きも一回り二回りも大きい。脚に関しては何度も何度も叩いて作った刃物のように黒くて鋭く、口も無数の牙を生やしている。
正真正銘の蜘蛛に似た悪魔が入ってきたのだ。
「Gaayaaaaaaaaaaaaaaaaaa!」
蜘蛛に似た悪魔は前脚を上げて威嚇する。
「……!」
しかし、ハルにとって、それが隙に見えたのだろう。
彼女は剣を振り上げながら懐に跳びかかった。
助走を付けてからではない。
一歩だけ大きく踏み込んでからである。
その一歩は廊下の地面をひび入れるほどの脚力で、それだけでも蹴り殺せるのではないかと思うほど。ありえない速度を維持したまま、振り下ろす瞬間に柄を両手で握り、一気に振り下ろす。
重たい、重た過ぎる一撃。
両断したに違いない。
僕のときと同じ、相手は何も出来ないまま終わる。
だと思っていた。
終わった。ではなく、寧ろ、始まりだった。
鉄と鉄。
剣と剣。
固いものと固い物がぶつかり合う音が廊下に響き渡る。
蜘蛛に似た悪魔は二本の前脚を目の前に置いて防いだのだ。
今、一刀だけでは両断することが出来なかったハルは無防備。
もし、跳びかかって斬ったではなく、地に足を着けて斬っていたであれば、次を備えることが出来たかもしれない。
が、ソイツがこの隙を見逃すはずが無く、お返しといわんばかりに突いた。
突き飛ばされたハルは僕とぶつかる。
ハルは何とかして剣で受け止めたが、威力までは受け止めることが出来ない。
「だ、大丈夫!?」
僕は背中が焼けきる痛みを堪えて受け止める。
泣きそうだった。
想像以上に痛くて喚きそうだった。
けど、それよりも、ハルが倒されたことが衝撃が強過ぎて、僕よりも彼女が気になってしまう。
「……」
幸いなことにハルは無事だった。
けど、剣は真っ二つに折れ、左腕は変な方向へと曲がってしまっている。
それでも、ハルは立ち上がろうとしていた。左手に持っていた剣だった物をソイツに投げ捨てると、まだ大丈夫な右手でスカートの中から何かを取り出そうとしている。
こんな僕をまだ守ろうとしていた。
だから、僕は――
「う、ううう、うわあああああああああああぁぁぁぁぁぁあああl!!」
撃った。
撃って撃って、撃ちまくった。
何度も何度も、何度も。
何度も、何度も!
何度も! 何度も!!
大声で叫びながら撃った。左手は銃身を鷲掴むと、右手で引き金を引き、その度に薬莢を排出すると、再び引き、もう一度排出する。無我夢中で撃ち続けた。
結果は語るまでも無い。
素人にも関わらず、ちゃんと構えず、がむしゃらで撃ち続けているのだ。幾つかは当たるも、その残りは外れている。当たったとしても、ガードし続けている前脚に当たったり、違う脚に当たったりしては弾かれているから、有効打だと思うに思えない。
寧ろ、徐々に此方に近付いていた。
このとき、僕は死を覚悟した。
あのとき以上に、僕は死を覚悟した。
この銃に込められた弾丸が無くなった瞬間、死んでしまう、と。
そして、そのときが来てしまった。
引き金を引いてみるも弾が出ない。
排出してみるも空薬莢が出てこない。
撃ち尽くした。僕は慌ててガンベルトから弾を外し始めた。
この合間にハルは小さなナイフを投擲するも状況は一向に変わらない。
それが蜘蛛に似た悪魔にとって好機に見えたのだろう。構えを解くと、大きく一歩前へ。
けど、慎重に。
脚と体を使って、物を、死体を、刺しながら僕達に近付く。
何もかも遅く感じた。
弾を取り出す作業が。
ハルが次のナイフを取り出す動作が。
僕達を刺し殺そうとするソイツの様子が。
切り取られた映像みたいに一コマ一コマ流れていく。
しかし、忘れてないだろうか。
この建物にはもう一人、暴れ回っていることを。
僕の真後ろにある扉が勢いよく開かれた。
振り返るとジェーンがライフルを中腰で構えている。
彼女の視線は僕達に向けられているが、銃砲はソイツに向けていた。
「良い撃ちっぷりだったじゃねぇか。だが、此処から先は俺様の出番だぜぃ」
彼女は散歩のような軽い足取りで、銃を乱射しながら近付く。
僕みたいに一つ一つの動作に手間取ってはいない。突撃銃のように撃ち続けているのだ。あっという間に撃ち尽くすと、片手でライフルをくるりと回して肩に担ぐ。
「ハーフタイムだ。ベンチにでも座っていろ」
ジェーンはそう言って才能を発動させる。
すると、蜘蛛に似た悪魔の足元が爆発した。
それも一つだけではない。幾つもの爆発だ。
ソイツは八本の脚を使ってよじ登ろうとする。だが、体があまりにも重たすぎて、何とか堪えようとする度に、地面が割れてしまうのだ。最後には悲鳴のような甲高い声を出しながら下の階へと落ちていく。
「よぉ、新兵。初めてにしちゃあ、良い腕だったぜ」
ジェーンはマスクにスプレーを挿しながら言った。
「だが、俺様までの腕になりたいなら、まずはちゃんと構えることだぜ」
「なりたくもないし、この体制だと構えたくても構えることが出来ないよ」
「オメェの腕が悪いだけだ。これじゃあ俺様が貸した銃が泣いちまうぜ」
「……」
僕の愚痴に彼女も愚痴で答える。一方のハルはナイフを仕舞おうとしている。
「おら、セーフハウスに行くぞ。今のうちに装備を整えねぇとな」
「えっ? アレで死んだんじゃ――」
「そんなんで死ぬ野郎には見えねぇだろ? 今度は怒り狂って襲い掛かってくるぞ」
彼女はそう言うと、手を差し伸ばした。