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「―――へえ、大学生ってのも大変」ガラガラガラ。「お、帰ったみてえだな」
職業柄の雰囲気とは逆に、鎮森さんは話し易い人だった。父への連絡後、人見知りと聞き及んでか色々話題を振ってくれ、気付けばすっかり緊張が解されていた。
襖を開け帰宅した純君は、細い両手で大事そうに紙袋を提げていた。印刷のロゴは近所のパティスリー。ただいま、おう。先程と同じく短い挨拶を交わす二人。
「早かったね、純君。暗い中わざわざ御免なさい、疲れたでしょう?さ、座って」
「あ、はい」
箱を机上へ置き、私が勧めた座布団へ正座。家族の気配を察知し、早速東堂さんが湯気の漂うコーヒーと共に現れる。
「おかえり、純。道すがら変なのに絡まれなかったかい?」
「ああ、問題無い。そうだ女将、これ」
ガサゴソ、個包装のマドレーヌを差し出す。おまけとの説明に、じゃあ頂くとしようかね、女性は笑窪で受け取った。
「ところで何を買って来てくれたの?」
「苺のショートケーキ。店で偶然学校の友達に会って、その」そわそわ。「俺、女の人が何を好きか、全然知らないから」
パカッ。白箱を開き、代わりに、選んでもらったんだけど……、燃え尽きかけの蝋燭のような声で告白。勿論OKよ、自信満々に返す。
「因みに、そのお友達って―――ふふ、やっぱり。純君も意外と隅に置けないね」
男家族達に断りを入れ、率先して紅白の三角柱を皿へ移動させる女主人。そして、じゃあごゆっくり、仕事完了とばかりに潔く退散した。
「さ、お嬢。遠慮せずに」
頂きますを告げ、鋭角にフォークを入れてぱくり。生クリームのミルク風味に続き、卵たっぷりのスポンジのふわふわ感が口内に広がる。どちらかと言えば甘さは強め、でもスッと引く感じ。
外見はシンプルだけど、中々の高得点。試しに今度、劇団のミーティングに買って行こうかな。キムさんスイーツ好きだし、喜んでくれそう。
一人密かに予定を立てる隣で、まだ空の少年の右手が動いた。首から提げた古い十字架を握り締め、真剣な表情で瞼を閉じる。
「―――天におわします我等が父よ。
皆が聖とされますよう、御国が来ますよう、御心が天に行われる通り、地にも行われますように、私達の日毎の糧を今日もお与え下さい。
私達の罪を御赦し下さい。私達も人を赦します。
そして、どうか私達を誘惑に陥らせず、あらゆる悪よりお救い下さい―――アーメン」
祈りの聖句を終え、慣れた手付きで十字を切る。突然始まった儀式に吃驚した私を一瞥し、おい純、鎮森さんが舌打ち。
「八つ時までやらなくていいっつっただろ、それ。見ろ、お嬢固まってるぞ」
指摘され、い、いえ、慌てて否定。
「凄いね、純君。小さい頃一回見たけれど、神父様のお祈りそっくりだったよ、今の。お父さんかお母さんに教わったの?」
「いや、これは」
「いいからとっとと食え、餓鬼が」ギロッ。「まだ五時半か。診療時間は確か六時までだったよな。明日からゴールデンウィークだし、迎えは当分掛かりそうだな」
呟きながらフォークを動かし、口直しを啜る成人男性。彼に習い、私達もケーキを堪能。すっかり寛ぐ中前髪に触れ、はたと違和感に気付く。正体を突き止めた所で、どうしたお嬢、目敏く尋ねられた。
「あ、いえ。転んだ時にバレッタを落としちゃったみたいで。蒼い貝殻モチーフなんですけど、道の何処かに落ちていませんでしたか?」
「……いや。もう暗くなりかけてたし、そこまで気が回らなかった。済まん」
土下座されかけ、お願いですから謝らないで下さい、焦って私も同じく平身低頭。
「安物でしたし、髪飾りなら他にも持っていますから」
弁解は入れたけれど、今日はつくづくツイてない。あれ、この前の旅行でママに買ってもらって、結構お気に入りだったのに。帰ったら謝らないと。
こっそり落胆の息を漏らした時、ピンポーン!屋敷内にインターホンが響き渡った。