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「―――矢張りここでしたか、Mrs.ニー」


 そう言って丘を登って来たのは今日、夫の葬儀を執り行ってくれた神父様だ。彼の黒服に積もる粉雪に、遅まきながら天候の悪化に気付く。同時に心同様、芯まで凍えた自分自身にも。

 自覚した途端襲う悪寒に、どうぞ、首に巻いたストールを肩へ掛けてくれる聖職者。アルパカの毛織物らしく、持ち主の体温を吸って凄く暖かかった。礼を述べると、三十代半ばの若者は切れ間一つ無い雪雲を仰ぐ。曇天と同色の瞳、その奥で思案するのは矢張り故人に関する事柄だろうか。何せ彼は夫の死に立ち会った、この世で唯一の人物なのだから……。

「この空模様だ、当分は吹雪くでしょう。下の教会へ戻りましょう、今頃妻がココアを用意して待っている筈です。それに」

 降り積もる雪を払い、若干濡れた十字架を見つめる。

「最愛のあなたに風邪を引かれては、彼も気が気ではないでしょうから」

「そう、ね……」

 もし夫が土の下にさえいなければ、二人でとっくにこの場を後にしていただろう。猫みたいに寒がりだったから、あの人。

 丘を下り始めた先導役の背に、あの……、恐る恐る声を掛ける。


「ここなら誰も聞いていないわ、神父様。夫が死んだ時、一体何があったのか教えて―――お願い、純君」  


 振り返らないままかつて少年だった青年、通称「放浪の聖徒」は幾分歩調を緩めた。

 鎮森神父は個人教会を構えず宇宙各地、時に危険地帯で信仰活動を行う流浪の信徒だ。風の噂に因れば、この若さで総本山からも一目置かれる立場らしい。何れは聖職者の最高名誉、聖人に名を連ねる可能性もあるとか無いとか。

「全ては終わった事です、ナナお姉さん。キム兄さんも、あなたが今以上に憂愁へ沈む事を望んでは」

「パパの時もそうだったわね。キムさんもあなたも、私達へは何も説明してくれなかった」

 二年前の客死の件を持ち出すと、彼が息を詰めたのが分かった。脚を止め、不安を押し留めようと胸元に手を当てる。

「……遺言、だったんです。あなた方へはくれぐれも秘密にと、エッセ先生が俺達に託けられて」

「公演先の下見と言って、時々フラリと一人旅に出ていたわ、キムさん」

 純君も一緒だったのよね?ごくり、と唾を飲み込む。

「はい。俺達の使命は、とある画家が遺した七枚の聖画を探し出し、この宇宙より滅する事でした。エッセ先生を刺殺した男も、イコンの六枚目の所有者で……医師の観点から、彼は薄々勘付いていたのでしょう。義息から度々、『大切な形無き何か』が零れ落ちている事に」

「……知って、いるわ」

 夫の書斎、書き物机の抽斗に仕舞われた数冊の日記。その紙面に書き殴られていた、私や両方の父母、劇団員達への親愛の言葉。何百回、幾百ページにも亘る同じ単語の羅列はまるで、壊れ逝く自らへ言い聞かせるように、

「なら、最後の絵の代償は文字通り、あの人の命だったと言う訳ね……」

 遺体の引き取りの際、担当警察官から聞かされた。ホテルの宿泊客だった夫は心臓麻痺を起こす直前、傍で何かを燃やしたようだ、と。

 こちらを顧みた純君は深々と降り続く雪も構わず、憂慮に満ちた灰目を伏せた。

「七枚目の所在が判明して以来、薄々厭な予感はしていたんだ。最後の絵を焼き掃って尚、キム兄さんは現世に留まれるのだろうか、と……俺、敢えて伏せていたんだ。彼は雲雀兄と同等、いや。それ以上に俺の恩人だったから」

「純君」

 昔の口調に戻った事にも気付かず、でも結局、彼は太腿に添えた拳を握り締める。 

「俺の浅はかな隠し事なんて、あの人の“魔人眼”の前には無力だった。後を追ってホテルに到着した時にはもう、誰にも止められない状態で……」

 後悔で蒼褪めた唇が戦慄く。

「幻覚と片付けてくれてもいい。未だに信じられないが、あの時俺はハッキリと見たんだ」

 パサッ……短髪の頭上の雪が、重みに耐えられず地面へ滑落する。


「イコンが上げる炎に照らされた兄さんの背後から、あの死神が―――ああ、忘れもしない奴さ。あの六月 鳳が嗤いながら後ろ首を掴み取って、兄さんを死の世界へ引き摺り込んだんだ……!!」


 驚愕と寒気でガクガク震え出す膝を叩き、沈着冷静な女探偵の役を纏う。号泣は帰宅後に幾らでも出来る。今私がやるべき事は、

「―――もう時効だわ、純君。どうか私に謳って。あなたとキムさんが登った、その奇妙で恐ろしい舞台を」

 逞しい両手を取り、突然の申し出に見開かれた目を覗き込む。

「私は彼の妻よ。聞く権利がある、そうでしょう?」

「……分かった。ナナお姉さんがそう望むなら」

 承諾を得、寒気に耐えかね足早に教会へと向かう私達。そして辿り着いた、談話室の暖炉前。奥様特製ココアを片手に、若き神父は朗々と語り始める。まだ彼が十代の頃に巻き起こった、『暴食』の絵に纏わる奇怪な事件を……。



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