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「―――終わったな」「ああ」
同日リビド市、郊外共同墓地。現在判明済みなだけで、計四件の連続殺人犯。彼女の葬儀の参列者は異母兄とその友人、遠巻きな数人のマスコミ関係者のみだった。
何事も無く埋葬を終え、二人以外退去した十字架の正面。やや大きめのレンタル喪服へ袖を通した学生は、ズボンのポケットを徐に探った。差し出されたシンプルな金色の指輪に、へえ、アルビノの目が細まる。
「見つけてくれたのか。何処にあった?」
「シャツの胸ポケットだ。仮令恋敵との絆でも、あんたに纏わる物なら肌身離さず持っておきたかったんだろう」
「そう、か……気付かなかったとは言え、セバスには可哀相な事しちまったな」
憐憫に伏す両目。右手で亡妻との愛の証をしかと受け取り―――ピンッ!緑萌える野原へと弾き飛ばした。
「―――あーあ、残念だなあ。ああも哀憐で、愚劣で、血腥くも綺麗なマリオネットが壊れてしまっただなんて。なあ、お前もそう思うだろ?」
どろり、澱み濁り切った血色。見る者の精神を冒す邪眼を、手前と一緒にするな、“緑の北極星”は拒絶で以って睨み返す。
「俺が射殺しなかったら、彼女の魂まで破滅させる気だったくせに」
「いや、お前は実に素晴らしい。あれは立派な救済だった」
ぱち、ぱち。無味乾燥とした緩慢なる拍手。
「これでセバスは未来永劫聞かずに済む訳だ―――実はお前が貪り食らったあの胎児、一滴も俺の血を継いでいなかったんだぜ、って」
両手を天に掲げ、細い肩を竦める。
「病院で初めて声を掛けられた時、俺は勿論一目で本性を見抜いた。この女は大層貞淑振りの巧い、天性の淫売だってよ」
人智を越えし存在はそう邪に嘲り、魔に淫した。
「大方種はマーケットの同僚か、美術関係者だろう。一っ欠片も興味無えけどな」
「つくづく薄情な亭主だな、亡き奥様に心底同情申し上げるぜ。かと思えば余所の女を驚かせ、わざと茶をぶちまけさせて」
「あんな精神安定剤入りのクソ不味い紅茶に未練か?多少トリップした所で、その左目が治らない事位、本人様が一番御存知の筈だぜ」
「監禁中の探偵の写真を捏造し」
「物的証拠の一つでも無きゃ、あの時点で先生方が病院を怪しむには根拠不足だった。謂わばお前の説明の手間を省いてやったんだぜ。寧ろ感謝して欲しい所だ」
「挙句は脱走ときたもんだ」
「だって翌日はGW最終日だぞ。折角セバスのヘイトを荒稼ぎして、一気に事を起こしてやったってのに、その言い草はあんまりだろ」
罪悪感の片鱗すら窺えぬ、のらりくらりとした供述。投げ付けられる言葉の端々に垣間見えるのは子供じみた悪戯心と、理解者への屈折した親愛。何より圧倒的な―――虚無、だ。
キムは無言で幅広の黒鞄、葬儀の席には不釣合いに大きな、のチャックを開いた。院長室奥の例の絵画を取り出し、足元へ置く。
ボトッ、ボトッ……二次元の世界で、今日も男は善悪の狭間を彷徨い続けている。相変わらず綱渡る彼の世界に垂らされる、小瓶入りの無色透明な液体。
「このイコンこそ、無害な一サイコパスに過ぎなかった彼女を連続殺人犯へ変貌させた原因。ジャギー・ローラン氏が悲運にも競り落とした―――六月 鳳。あんたの呪われた初期作のせいで、彼女達の人生は狂わされてしまったんだ」
主人公の全身が見る見る黒に滲み、一際亡霊めいた雰囲気を醸し出す。滴った油は闇の世界へと流れ、哀れな生贄を絡め取る触手宛らに線を描く。
ポケットからライターを取り出し、答えてくれ、鳳兄ちゃん。諦観の念で旧友へ話しかけるキム。
「何故こんな、悪魔の芸術を手放した?所有者に悪影響が出るとは思わなかった、なんて屁理屈は通じないぞ」
「俺だって好きで放逐したんじゃないさ。一時期入院費が嵩んで、家計に困った母親が売れそうな絵を根こそぎ持って行きやがったんだ。因みに御存知だろうが、そいつはれっきとした連作物の一つ」
虚に満ちた嗤い。
「タイトルは『傲慢』。お察しの通り、七つの大罪がテーマのシリーズさ」
「要するに、残り六枚は絶賛此岸に現存中って訳か。ゾッとしねえな」
シュボッ!落とされた浄化の炎が、キャンパス上を瞬く間に舐め尽す。紙の炭化する独特の煙臭さに一歩後退しつつ、ところでよ、画家は嬉々と嗤う。
「お前の彼女、本気可愛いよな。ナナちゃんだっけ?今時ちょっと見ないぜ、あんな素朴な良い子ちゃん」
「……何が言いたい?」
「そりゃあ勿論」
人心を狂わす悪魔は唇を歪め、可笑しみを堪え切れぬ風に口元を隠した。
「―――彼女程の逸材なら史上最高の聖女、或いは最凶の悪女に成り得るって話さ!」
聴き手周辺を歩き回りながら、彼は哄笑を放つ。
「お前にだって『視えている』んだろう?あの子はセバスなんて足元にも及ばない才能の持ち主だ。到底一女優の枠には収まり切らない演技力。善悪どころか自我を失う事すら厭わない献身さを。そいつをフルに生かしてやれないで、何が演出家だ」
「ケッ。だったらお飾りの副団長なんて、今日限りで廃業してやるさ」
出来もしないくせに。正面で脚を止め、ケラケラ。
「いい加減認めろよ、キム。俺達は同類なんだ。滑稽な人形劇の操り手、糸を引く側なのさ」
「違う、俺はスピカを愛している!彼女がマリオネットだなんて一度も思った事は無い!!」
咽喉奥から振り絞られた激昂に、だよな、殊更優しく旧友の頭を撫でる悪魔。
「従ってお前は一生を費やし、俺の作品を探し出し、悉くを焼き尽くさなきゃならん。人の手を巡り巡ったイコンがあの子を、大切な仲間達を破滅させないために―――仮令その道中、異能から奇跡的に難を逃れた心が欠けようとも、な」
冷酷な託宣に、しかしとうに覚悟を決めていた青年に恐怖の色は無い。だが、
「一つだけ、真面目に答えてくれ……何があんたをそこまで変えてしまったんだ?あのひ弱だけど頼りになる、優しいボーイスカウトの鳳兄ちゃんは、一体何処へ」
「は?俺は昔からずっとこうだったさ」
撫でていた掌を突如握り込み、グイッ。前髪を掴み、強引に視線を合わせた。
「―――勝手に人の理を外れたのはお前の方だ、キム・ニー」バシッ!!
平手を見舞った右腕を前髪にやり、甘言を浴びせられた箇所を荒々しく掻き上げる。恰も放置すれば悪徳に罹患し、取り返しが付かなくなると訴えんばかりに。
対する悪魔は然して傷付いた風も見せず、懐から細長い小箱を出した。芝居がかった仕草で中の注射器を恭しく掲げ、バレエの白鳥のように優雅なターン。
「肉体なんて煩わしいだけの器さ。その点、魂は自由だ。仮令宇宙が消滅しようとも、永遠に存在を許される」
「仮病のくせに」
人智の枠外に属す悪魔にとっては、自身の身体すら一つの駒に過ぎない。図星を指され、良いだろ、致死量の強心剤を手に人形遣いは苦笑。
「薄幸の美青年画家、って響きがさ。それに病弱を装うと有利なんだよ。色々と、な」
「だからと言って、実の両親すら傀儡にする理由にはならねえだろ。特にあんたを引き取った母親は良い迷惑だ」
「ははは、キムは相変わらず親孝行者だな。人外の力を与えた張本人だってのに、今日も愛しているよママン、って―――とんだ甘ちゃんだぜ。反吐が出る」
喪服の左袖を捲り、静脈へ狙いを定める。立会人は制止代わりに、百度殺しても尚飽き足らない、そう言いたげに死に逝く者を睥睨した。
「なあ、一つだけ後悔しているんだ。こっちに戻って、お前へ速攻連絡を取っていれば……もしかしたら誰も死なずに済んだかもしれない。ユーリもセバスも、今も俺の傍で笑っててくれたかも、って」
「随分愁傷な態度だな」
「だろ?」
にたぁ。悪魔は殊更嬉しげに嗤い、薄い皮膚を針に貫かせた。
「その下らない正義感も、人の身に余る魔眼も、どう足掻いたって釣り合わない天秤を支えるいじましい魂も―――今日からは、永久に俺の物だ」
注入された薬が静謐に体内を巡り、長年の闘病生活で疲弊した心臓に最後の一撃を加える。異常な動悸に因り、ボタ、ボタ……滝の如き脂汗を流し、輪廻より解放間近の悪魔は恍惚で以ってその場に膝を着いた。
「だから、せめて今日位は休むがいいさ。可愛い俺の弟分よ―――じゃあな。また、明日」




