7
最初に視界に入ったのは、左手へ幾重にもロープを巻き、振り子の要領で上階から躍り込んで来た少年。靴裏に鉄板でも仕込んでいるのか、激突の衝撃でいとも容易く硝子が四散。軍服の袖で降り注ぐ欠片から顔を庇いつつ、縄を手放す。そのまま勢いに任せ、射線上の秘書を強襲する。
「これは俺達の物だ。返してもらうぞ」
幼声に潜む氷の如き憤怒。絶対零度を冠する者はマウントポジションを維持しつつ、成人女性の鎖骨付近へ腕を伸ばす。目的のロザリオを捥ぎ取り、反撃を警戒しながら無音で飛び退いた。
「純!?」
「手前、家にいた筈じゃ……まさか手前が連れ出したのか、坊主!?」
軽く肩を竦められ、ありありと殺意を籠め舌打つ保護者。感情的な義兄へ、止めろ、年齢不相応に静謐な溜息が吐かれる。
「俺が勝手に車へ乗り込んだだけだ。大体、仲間割れより先に片付けるべき」
「この糞餓鬼!!」
逆上した秘書が起立と同時にマシンガンを構え、窓際の少年へトリガーを引く。が、次の瞬間。僕等はかつて人間兵器と呼ばれた、彼の真価を目撃する事となる。
「遅い」タッ!タタタタッ!!「くそっ!」ガチャガチャガチャンッッ!!!
真後ろへ跳んだかと思えば、彼は重力を無視して垂直方向の硝子。更にはその先の天井を自由自在に舞い始める。恰も薄氷上を踊る妖精の如き華麗さに、正直僕は状況を忘れ見惚れてしまった。
「ちょこまかと動くな!大人しく撃たれろ、化物め!!」
対し、翻弄され続ける赤切嬢は米神に青筋を浮かべ、少年を撃ち落さんと只管凶弾をばら撒く。耳を劈くそのワルツは、獲物の着地と同時に呆気無く終焉を迎えた。
「嘘、弾切れ!?」
「ああ、きっかり三十発の浪費だ。そして」ザシュッ!「―――俺のダンスもお開きだ」
敵の右前腕へ刃を突き立て、容赦無く運動神経を切断。ダラリと脱力した己が一部に、専ら拷問する側だった秘書はへなへなと座り込んだ。痛い痛い痛い!!左腕で傷口を押さえ、半狂乱で悲鳴を迸らせる。
「セバスティーヌ、お願い!早く手当てを!!」
断る。冷徹にそう告げ、空のマシンガンを拾い上げる。
「矢張り私の判断に狂いは無かった。お前もあそこに転がった男同様、所詮は足手纏いだ」
最前小馬鹿にした偽警部と一緒くたにされ、あんなのと一緒にしないで!赤切嬢は唇を噛み、目尻を潤ませた。
「片腕位どうと言う事無いわ!私はまだやれるから、だからお願い……チャンスを頂戴」
「蹴り殺されたいのか?負け犬は負け犬らしく黙って蹲っていろ、邪魔だ」
「一対五でまだ戦う気ですか、ローラン院長?あなたの技量は重々承知していますが、流石に無謀としか思えません」
特に最後の助っ人の、反則的なまでの強さと言ったら。僕の半分も生きてないのに、凡そ白兵戦で負ける気配が無い。
「大人しく降伏して下さい」
「それはどうかな」
瞬間、網膜に映る残像。衝撃を知覚した時には銃身に胸を穿たれ、身体ごと階段手前まで吹き飛ばされていた。
「先生!?」
「遅い」
ドンッ!ガンッ!バキッ!!向けられる銃を正確無比な連撃で弾き、女性に有るまじき怪力で以って兄妹を壁へ叩き付ける。しまった!どうやら雲雀君の方は打ち所が悪かったようだ。ぐったりと額から出血する頬を、しっかりしい!自らの吐血を余所に叩く女刑事。
暴力の嵐が次なる標的、本命のキム君へ照準を定めかけた刹那。傍若無人な女医の背に、小さな影が忍び寄った。
「いい加減にしろ、このイカレ野郎が」「フン」ビクッ!ザクッ!「純!!?」
背後の強襲も予測済みか。何時の間にか左掌にあったスタンガンが、少年の腕を掠めた。そうして一呼吸停止した太腿へグサッ、深々と突き刺さるメス。咄嗟にナイフを揮い、跳躍で距離を取ったのは流石元傭兵と言った所か。
「くそっ、油断した……だが、まだやれる」
「動くんやない純、傷が広がる!ローラン院長!!」
尚も戦闘を続行しようとする甥っ子を諫め、朱鷺さんはキッ!兄達の分まで仇を睨み付けた。
「『悪足掻きなど無駄だ。窓が割れた以上、とうに警官隊が突入している』……大方そんな所か、鎮森刑事?」
「!?せ、せや!幾らあんたが化物並に強うても、二十人強の応援に敵う筈」
「それは窓を含め、一階全出入口の防火シャッターが作動しても尚、か?―――お前達警察の遣り口などお見通しだ。さて。相棒が救出に来るまでに、お前は死体にならずにいられるかな」
冷酷な質問に被せるように振るわれる鈍器。庇いに入った純君を逆に突き飛ばし、一撃は彼女の側頭部へ。衝撃で眼鏡が飛ばされ、ずるずる……所有者は壁に凭れたまま意識を喪失した。
「朱鷺姉!?」
呼吸を確かめた後、家族への暴力に紅潮する頬。が、逆手に武器を構える少年へ掛かる、淡々とした否。
「でも、キム兄さん!?」
「こんな下らない事でお前が手を汚す必要は無い。―――来いよ、院長先生。あんたの目的は鳳兄ちゃんだろ?」
憤怒に拳を震わせ立ち尽くす純君を一瞥し、確かにな、若干乱れた白衣を翻す女医。近付く誘拐者に、病室前で寄り添っていた二人は互いに首肯を交わす。
「沢山怖がらせて御免ね、兄さん。さ、行こう」
所々凹んだ銃器を下ろし、美しき連続殺人犯は恭しく手を差し伸べる。
「あの運命の再会以来、兄さんはずっと僕の太陽なんだ。あなたさえいれば地位も名誉も、所詮は宙を舞う塵芥に過ぎない」
甘酸っぱささえ漂わせた微笑み。
「仮令結婚出来なくても一生大切にする。この命に懸けて誓うよ。だからどうか、僕の手を取って欲しいんだ」
ああ、何と皮肉な話だ。真摯に愛を求めるその腕は数多の血に塗れ、最早人と繋げる状態ではないと言うのに……。
場違いな愛の告白を前に、いいのか?キム君はそう言いたげに盲目の先にいる人物へ視線を動かす。
「そっちこそ、今更何を迷う事がある?充分良くやったさ、お前は」
「そうか。なら、とんだバッドエンドだ」
何時の間に拾ったのか、カチャッ。右手の拳銃を構える男子大学生。
「―――たった今、悪魔の実在は証明された」「何?」パンッ!「せめて安らかに眠れ、驕れる哀しき女よ……」




