九章 悪魔の証明
「―――良かったのか、置いて来て」「ああ」
カーオーディオが切られ、タイヤの走行音のみが響く車中。運転手の気の抜けた返答に、助手席の絶対零度はシートへ凭れ掛かった。
「お前こそ、後でこっぴどくドヤされるぞ。まだ怪我も治り切ってねえ糞餓鬼が、って」
「盗られた物を受け取りに行くだけだ。何処も疚しくない、だろ?」
一瞬右側の窓へと視線を逸らし、改めて正面へ。半盲のドライバーに代わり左視野、ぽつぽつ現れ始めた首都の照明、変わらず対向車の疎らな街道、へ注意を払う。
「ご尤も―――俺が先行する、突入のタイミングはお好みで」「ああ。精々薄氷の舞踏を決めてやるとするさ」
午後九時、旧館四階廊下。用を足し、さあもう一仕事と意気込む六月 鳳の耳に届く、下階からの微かな足音。幸か不幸か、発生源はすぐ真下に非ず。多分一階か二階だ。また心配性の義妹か?いや、彼女なら事前に内線で一報入れる筈。だとすると、
「もしかして、本当に包帯男の幽霊……だったりして」
昼間自殺した狙撃犯、にしては随分気が早い。まだ半日も経っていないぞ。せめて埋葬されてから化け出てくれ。
若干の思案を経、一度四〇二号室へと引き返す画家。備品の懐中電灯を持ち出し、足音を忍ばせながら一階へ。
窓から等間隔に月光が差し込むものの、消灯後の廊下は足元が窺えない程暗い。しかも本館とは異なり、旧設備の建物に非常灯などある筈も無く。
最終段で一旦停止、耳を研ぎ澄ませる。すると程無く、カチッ、北方より扉の開放を告げる音。導きに従い、鳳は摺り足でそちらへ向かう。
捜索するまでもなく、該当の扉は即見つかった。さあどうぞ御覧あそばせ、診察室と掲げられた扉が、そう言わんばかりに全開だったお陰だ。ところが、
「んん?」
用心のため首だけ突っ込むも、元診察室には幽霊どころか鼠一匹いなかった。新館への移転の際に事務用品も全部運んだらしく、見事なもぬけの殻。不届き者が隠れられそうな場所は皆無だ。
「おかしいな。両隣の部屋は鍵が掛かってるし、ここで間違い無い筈だが……んにゃ?」
北東の隅の一角。剥げかけた敷きタイルの一枚に、不自然な縦長の穴を発見。取っ手か?早速指を掛け、腕力を行使し引っ張ってみる。
キィッ。「へえ、面白くなってきやがったな」
地下へ続く階段を照らすも道程は長く、中途で途切れる光源。重病人は軽快に口笛を吹き、恐れ知らずにも闇の只中へと下って行った。




