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「―――ああ、あなたに皆さん。おはようございます」「おはよう、ペテルギウス。ナナちゃんも」

  

 一昨日より血色の増した女家族達に、まずはほっと胸を撫で下ろす。

「昨日は来られなくて御免ね。寂しく、はなかったみたいだけど」

 ベッドの反対側に設置された、横長のチェスト付きテーブル。その上にはフラワーアレンジメントとフルーツの籠盛り、各二セットずつ鎮座していた。隅にも療養中の退屈凌ぎ用か、新刊本が十冊近く入った紙袋。

「にしても、出不精のアルゲニブまで来ていたのは意外だったな。ホテルでも取っているのかい?」

「いえ。当分こっちで色々手伝ってくれるらしいから、家の客室を貸したわ。家族同伴だったし、あの人」

「ん?」

 妻が携帯を開き、一枚の画像を示す。被写体は赤いリボンを首輪代わりに巻いた、言語を絶する愛くるしき黒い子猫だ。

「ねえねえ、凄くラブリィでプリティでしょ!?アンジュちゃんって言うのよ。もうね、お腹とか肉球とかすっごくぷにぷにで柔らかいの。しかも飼い主より私に懐いてて」

 ニコニコ。ああ、成程ね。

「と言う訳であなた。ナナちゃんが退院したら、家でも猫飼っていいでしょう?動物アレルギーも無いのだし、寧ろ飼わなきゃ絶対損だわ」

「もう、ママってば昨日からずっとこんな調子なの。何とか言ってあげてよ」

 頬を膨らます娘に対し、別に僕は構わないよ、鷹揚に肯定。一人娘ももう大学生だし、新しく何か育てるには丁度良いタイミングだ。

「で、どんな種類がいいの?長毛種だと世話や掃除が大変そうだけど」

「まだ全然決めてないわ。でもありがとう!早速編集さんに頼んで、カタログを取り寄せてもらわないと」

「マーマ!一応お客様の前ですからね、ここ」

 幼女のように小躍る母を宥め、友人達に頭を下げるナナちゃん。それにね、テンションMAXの妻は尚も言葉を続ける。

「ナナちゃんにあんなに沢山お友達がいたなんて、私ちっとも知らなかったわ。担当の教授さんも、お嬢様は優秀だから是非博士号まで取って頂きたい、ですって!」

「あ、あんなのただの社交辞令よ。私より優れた人なんて、キャンパスに幾らでもいるし……キムさん、とか」

 え、俺?予想外の賛辞に目を丸くする当人へ、娘は頭上の点滴袋へ目を逸らしながら続ける。

「単位取得の要領とか、論文もいつも二、三時間でスラスラ書いて、その上劇団の用件諸々もこなして……天才、だと思います。控えめに言っても」

「そうか?お前の方がよっぽど」

「おい、ここは素直になっとけよキム!折角彼女ちゃんが褒めてくれているんだぞ」

 背後からむんずと肩を掴まれ、うんざりした表情で振り解きにかかる。子犬同士のようなじゃれ合いを眺め、娘もクスリ。

「やっと笑ってくれたな、可愛い子ちゃん。おっと、自己紹介が遅れたな。俺は六月 鳳。こいつの古い友人のしがない画家だ」

「ナナ・エッセです。こちらこそ宜しくお願いしますね、六月さん」

 そうだ、キムさん。紙袋に詰まった本を指差す。

「どれでも好きなの持って行って下さい。リハビリもあるし、とても入院中に全部読めそうにないですから」

「お、サンキュ。丁度手持ち無沙汰だったんだ。どれどれ」

 ごそごそごそ。水色の文庫本を取り出し、表紙を掲げる。視線を送ったが、どうやら妻も知らない作家らしい。

「じゃ、お言葉に甘えて一冊。読み終わったら返すよ。因みに感想は?」

「貰ってくれて全然構わないのに、相変わらず律儀ですね」ふふっ。「はい。是非聞かせて下さい」

 にこやかに幸福を噛み締める事暫し。が、不意にその瞳を過ぎる暗き影。シーツを両手で強く握り締め、あの、キムさん……、怖々想い人を呼ぶ。

「一昨日の寮の火事、ですけど……まさか、私の事件を調べていたせいで」

「そんな訳無えだろ」キッパリ。「大丈夫、何も心配要らねえさ。外は白虎会の連中が見張っているし、ここに居ればお前等は安全だ」

「でも、その左目……見えて、ないですよね?」

 辛そうに息を詰め眼鏡の奥、妻譲りの長い睫毛を伏せる。にしても至近距離とは言え、一目で異常を見抜くとは。恋する女性は鋭いと言うが、凄まじい観察眼だ。

「平気だよ、この程度。それに一生このままって訳じゃ―――スピカ」

 茶色の軟毛が掛かる額の真下。盲目の辺りへ、娘はそっと右手を添える。

「ごめんなさい、せめて少しの間こうさせて。あなたの魂の重荷が、少しでも軽くなるように……」

「……ああ、頼む」

 孤独な異能者は瞼を閉じ、献身的な少女の祈りに暫し身を任せた。



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