五章 『第六指事件』
「随分遅かったなあ。ふぁ」「朱鷺ちゃん!?何故、君がここに……!?」
喫茶店から車で約二十分。市北東地区、住宅街のテナントビル二階。休業中のクラピト探偵事務所、彼のドアの横に凭れた鎮森 朱鷺嬢は、到着した僕等へ片手を挙げた。
二度目の欠伸後、うち、もう待ち草臥れたわ、眼鏡の下を擦る。空色のジーンズに土色のジャケット。頭にはチェックの丸い帽子を乗せた、ボーイッシュな私服だ。寝不足なのか、ファンデーション越しにうっすら隈が見受けられた。
「バディの隠し事を見抜けん程間抜けやないわ、と言いたい所やけど」
「俺が電話した。お前の雰囲気があからさまに不穏だったもんで、な」
成程。喫茶店出発直前トイレへ立ったのは、妹へ次なる行き先を教えるためだったのか。裏切りに、そんな!?半泣き寸前で叫ぶ刑事。
「あれ程約束したじゃないですか。朱鷺ちゃんには内緒で」
腕を組み、シド、僅かに悲哀を湛えた瞳を向ける。
「鈴お婆様の霊媒は、うちが勝手にした事や。いい加減肩の荷下ろし」
霊媒?聞き慣れない単語の登場に少々面食らう。
「で、でも僕のせいで朱鷺ちゃん、一生消えない傷を……」
「あれ位かすり傷や。あんたが責任感じる必要なんてあらへん」
気丈な異性の断言に、君はいつもそうだ、憂いに伏せる眼。
「僕より二つも年下なのに、弱音一つ漏らさないで……」鼻を啜り、「本当に、御免……君にばかり無理を強いて」
「そんなんお互い様やって。うちも新米の頃から迷惑掛け通しやろ。ま、立ち話も何や。取り敢えず鍵開けてな」
「うん」
予め財布から取り出しておいたキーを挿入。数日振りに外界へ解放されたため、空気は少し澱んで埃っぽかった。
1LDKの事務所兼住居。入口のあるリビングの半分は応接間、もう半分は顧客情報用の書庫に改装されているようだ。対人商売故か室内は整理整頓が行き届き、フローリングは几帳面にワックス掛けが施されていた。
元助手に案内され、まずは寝室へ。クローゼット最奥の壁面、件の銃掛けを確認。彼の証言通り陳列された狩猟道具中央、明らかに不自然な空白が見受けられた。丁度ライフル一丁分の隙間だ、と指摘しかけた刹那。室内に僕の物とは異なる着信音が鳴り響く。
「あ、俺のだ。―――もしもし。どうした、純?」
一瞬前までの緊張は何処へやら、相好を崩して通話開始。ところが見る見る内に表情筋が強張り、喜色が困惑が塗り替えられていく。最後に二、三言生返事後、ポケットへ携帯を放り込む。どないしたんや兄ぃ、心配した妹が声を掛ける。
「いや、大した事じゃねえさ。純の奴、女将達が留守の間に勝手に出掛けちまったらしくてよ」
「えっ!?」
「何、心配要らねえよ。前にも一度、確かその時はジェーンに街まで引っ張り出されてて、夕方ひょっこり帰って来やがったんだ」
複雑な心境を誤魔化すように、頭をバリバリ。
「今日も大方、GWで暇してる嬢ちゃんに連れてかれたクチだろ。父親に似てあの小娘、ヤクザん家でも平気で上がり込んでるからな」
「あ、ジェーンて誰かと思たら、リア警部のトコの娘さんか。へー、純も隅に置けんなあ」
そこでふと、唯一納戸の外に控える男子大学生を窺う。何故だろう。昨日より顔色自体は良いのに、厭な不自然さを覚えた。具体的に何処かどう、と判然としないのが余計もどかしい。声を掛ける寸前、こっちに手掛かりは無えみたいだな、彼が淡々と事実を述べた。
「んじゃ、次は調査記録の方を当たってみようぜ。案内宜しく」
刑事コンビを先頭に、五人で最初の部屋へ戻る。玄関から向かって左奥。上半分に硝子戸が嵌め込まれた三棹の書棚の内、葵刑事は手前側正面で足を止め、中を指差す。
「この棚は直近半年分のファイルで、昨夜の内に僕が調査済みです。念のためもう一度確認してみるので、皆さんで残る二棹をお願いします」
「おし、一丁気合入れて探すぞ!」
威勢良い掛け声を放った雲雀君は奥の棚を示し、なら俺と坊主はあっちの棚。先生は朱鷺とこっちを頼むぜ、的確な指示を飛ばす。普段から組員達を纏め上げているだけあって、申し分無い配分だ。勿論異論などあろう筈も無かった。
「まあ妥当な組み合わせやね。宜しゅうに、先生」
「こちらこそ。じゃ、二人共。そっちは任せたよ」
「了解」
果たして十分後。ファイル群をフローリングへ大規模展開した若頭に呼ばれ、僕等は遂に該当事件の資料に対面と相成った。




