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午前十一時半、無事リビド市東部に建つ目的地へ到着。雲雀君に車の留守番を任せ、三人で病院受付へ赴き、更に三十分。ようやく二階の院長室での面会と相成った。
「急な訪問で申し訳ありません、Ms.ローラン」
「いえ。わざわざ遠方からようこそ、Dr.エッセ」
僕等の姿を認め、百八十センチ越えの麗人がスッと立ち上がる。握手を交わし、勧められるまま横並びにソファへ。
若干二十八歳にしてローラン総合病院院長、セバスティーヌ・ローラン嬢。濃茶色の髪はストレートで、サファイア色の両目は利発に輝き、知性が溢れんばかりだ。スレンダーな四肢に纏う白衣の下は、緑のワイシャツに臙脂色のパンツ。以前も思ったが、どうやらオフィシャルではスカート非着用主義者らしい。
彼女は僕が幼少期から通い続ける道場、律武道館の免許皆伝者だ。しかも柔道と剣道、空手に棒術の四種類を僅か二年で極めた異例の才女。尤も稽古時間が被らなかったため、今まで噂だけで直接対面は無かったのだが。
質実剛健な勤務先と違い、こちらの院長室は若い女性らしく全体的に洒落ていた。テーブル中央にはたスミレの一輪挿し。敷かれたベージュ色のクロスにも、ワンポイントで青い紫陽花が刺繍されていた。
目線を奥へ移せば正面、乳白色の壁に一枚の油絵。左腕は光の世界の天使に、右腕は闇の世界の悪魔に掴まれた、無貌の青年の人物画だ。イコン(聖画)、だろうか?生憎宗教には詳しくないのでよく分からなかった。
僕と同一方向を見、小さく息を詰める純君。ハッ!と正面へ向き直り、動揺を隠そうと瞬きを繰り返す。
「おや、緊張しているのかい?そう身構えずとも、僕は取って食ったりしないよ」
宥め声を掛けられても、少年は表情を強張らせたままだ。済みません、この子ちょっと人見知りで。相手が怪しむ前に賺さずフォロー。
「別に気にしていませんよ。こんな若造、しかも女の身で院長なんて務めていると、奇異に見られる位日常茶飯事ですので」
伸びやかな筋肉に覆われ、細くとも頑健な肩を竦める。
「なら良いのだけど。ところで少し話は逸れるけど、今は別の道場に通っているのかい?」
「いえ。最近は頓に多忙で、週一度ジムへ通うのがやっとです。それに」フッ。「既に凡そのコツは掴めたので、現状維持で充分かと」
「流石だね」
それ程でも、天才武道家は形式的に恐縮。瞬間、冷徹な表情に切り替わり、嵌めた女性物の銀製腕時計を確認。
「で、アポも無しに訪ねていらして、今日は一体何の御用ですか?生憎後三十分で昼休みでしてね。人との約束があるので、なるべく早目に終わらせて頂けると助かるのですが」
理路整然、且つ慇懃な対応。ぐうの音も出ない程正論だ。と、通路側から控えめなノックが響き、失礼します、ドアが開かれた。
トレー片手に入室したのは、以前も会った女性秘書だ。院長より五歳程年上で、着慣れぬ風にベージュのスーツを纏う彼女は、敏腕上司に緊張しているのか。恐縮し切った表情を浮かべ、どうぞ、カップを配る。
「ありが」
「赤切君。昨日の会議の議事録がまだ配布出来ていないようだが、どうなっている?先程内線で外科部長に催促されたぞ」
「も、申し訳ありません!今日中には何とか……」
平身低頭の部下を一瞥し、まあいい、大袈裟に肩を竦める院長。
「元々仕事を振り分けたのは僕だ。提出前に一度持って来い、チェックしてやる。下がって良いぞ」
「はい、宜しくお願いします!失礼しました」
秘書の退室を皮切りに、僕は昨夜からの経緯を簡潔に説明。最後に訪問理由、件の遺留品を広げて見せた。
「このレシート、一階の売店の物で間違いありませんね?」
「まあ、病院名も印字されていますからね。ただ、仮令その狙撃犯が利用したとしても、あそこから辿るのは困難でしょう。包帯とコート程度、取ってしまえばそれまでだ。加えて、あの店の利用者数は多い時で一日千人は下らない筈」
だろうね。ここへ案内される前に横を通ったけど、お客さんが引っ切り無しだった位だ。
「念のためにお訊きします。入院患者にそう言った容姿の方は」
「整形外科に行けばそんな風貌、五分で二、三人は確保出来ると思いますよ。ああ、包帯と言えば」
?
「いえ、何処の病院にもあるつまらない怪談ですよ。深夜、入院病棟の廊下を徘徊する全身包帯男。まさか幽霊が車を調達して、片道一時間のヘルンまでドライブする訳が無いでしょう?」
再度腕時計を確認し、僕の話は以上です、苛立ちを含む溜息。
「他に質問が無いなら」「あの絵は何処で?」「キム君?」
僕同様質問の意図が分からないらしく、さあ、ローラン院長は戸惑いの色。
「先代院長が昔オークションで競り落とした、としか。何だ君、あんな陰鬱な絵が気になるのか?」
「まさか。ただ、あんたにお似合いの品だと思ってな」
細眉が不愉快げに顰められる中、とは言え、飄々と話題転換。
「俺達もここまで来た手前、手ぶらじゃ帰れないんでな。もう少し院内をブラつかせてもらうぜ」
「あ、ちょっとキム君!?」
ヒョイッ!制止を無視し、身のこなし軽やかに場を後にする同行者。彼の非礼を詫び、険悪さを増す雰囲気に急き立てられるまま、僕等も足早に院長室を退去した。




