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二章 麗人と画家



「―――いいのかい、もう」「ああ」


 五分で退室したキム君は廊下を見回し、帰らせたんだな、そうひとりごちる。

「うん。ペテルギウスは僕等と違って、術後もずっと付きっ切りだったからね。大丈夫、ちゃんと安全運転で帰るよう言ってあるよ」

 昨夜の輸血量は計五百ミリリットルと聞いている。一応鉄剤は処方されたが、しばらくは注意が必要だ。

「念の為、雲雀君の部下の人が追走してくれるそうだしね」

「なら問題無いな。で、肝心のヤクザ共は?」

「下の休憩所で待ってもらっている。こっちだ」

 階段で二階へ下り、ナースステーション前を通過後南へ。半分ブラインドの上がったクリーム色の空間には、大小様々な二十脚程のソファと対応の丸テーブル。朝の十時半と言う事もあり、座っているのは殆どが入院患者だ。

 鎮森君達は窓際奥、四人掛けテーブルに並んで腰掛けていた。卓上が空なのを見て取り、入口の売店で人数分のアイスティーを購入。トレーに乗せ、二人の下へ向かう。

「お待たせ。はい、どうぞ」

「悪ぃな先生。ほらよ」

「ああ、うん」ペコリ。「頂きます、先生」

 兄弟の正面へ僕等が座り、ようやく会議開始だ。

「純君。警部さんの話だと君、昨日狙撃犯と会ったそうだね。良ければその時の事、詳しく教えてくれないかな?」

「勿論」

 突き刺すような隣の視線を無視し、あれはタイミング的に狙撃直後か、淡々と口を開く。

「皿洗いをしていたら、台所の窓越しに逃走中の犯人と目が合った。相手の身長は約百八十センチ。服装は灰色の厚手のコートに、目深まで被ったハンチング帽。生憎人相は包帯で分からなかったが、あの体捌きは間違い無く男だ」

 静かな自信を湛え、少年はアイスティーを一口啜る。

「獲物は暗視スコープ付き、黒のマウザーM98ライフルだ。進行方向から下山途中と判断した俺は咄嗟に窓から飛び出し、予め掴んでいた果物ナイフを投擲して」

「ちょ、ちょっと純君!?」

 いとも容易く語られる芸当を想像し、反射的に台詞を遮る。

「いや、えっと、その……ナイフは当たったのかい?」

「ああ、一本目は左手の甲を貫通した。バイクに跨る直前、脚狙いで二本目も投げたんだが、敵の方が一呼吸だけ速かった―――あそこで仕留め損ねたのは、完全に俺のミスだ。済まない、先生」

 敵の逃走手段が二輪車?なら若しや、先の当て逃げも奴の仕業か。ますます赦しておけない。

「おい、純!!?手前、さっきから黙って聞いてりゃ」

「雲雀兄は黙っててくれ。俺の話はまだ終わってない」

「だな。大事な情報提供者にそうカリカリするモンじゃないぜ、兄さんよ」

 絶句を肯定と見做し、少年は脱線した話を戻す。

「俺と言う妨害者を認識した奴は、追跡を振り切ろうと全速力で山道を駆け降りた。銃身内の残弾一発を発砲したのもこの時だ」

 !!?標的の僕はまだしも、子供相手に引き金を引いたのか、奴は……。

「安心しろ、単なる威嚇射撃だ。狙いもロクに定めてない、加えて長距離銃の弾が当たる道理は無い。それに万が一命中していたら、今頃は霊安室で寝ている筈だ―――頭でも吹っ飛ばされて、な」

 目まぐるしく顔色を変える保護者を呆れ気味に窺い、と言う訳で追跡は失敗した、冷静に報告。

「バイクの車輪跡は東堂家とは反対側、舗装道の所で途切れていた。一旦遭遇地点までバックして女将と合流後、山道を辿って狙撃地点を突き止めた次第だ」

 何処だ?大学生からの初質問に、口で説明するのは難しいが、大人顔負けの仕草で手を顎へ。

「狙撃地点の北東、直線距離にして約一・五キロ地点だ。ただ、少なくともプロの殺し屋の位置取りじゃないな。あんな開けた場所で狙撃すれば、下手すると目撃される危険性が出て来る。かと言って射撃の腕から推測するに、グリップ握りたてのド素人とも考え難い」

 凄い。知識に加え、狙撃犯を追い詰めた技量……一体何者なんだ、この少年。

「従って昨夜の狙撃は恐らく、ロケハン抜きの突発的犯行、だと思う。ただそう考えると、狙いは白虎会の関係者より寧ろ」

 僕だよ、潔く挙手。続けて根拠を述べると、彼は琥珀色の液体へ目を落とす。その沈静する灰瞳は、老成の色すら帯びていた。

「了解だ。しかしそうなると何故、犯人はリスクを冒してまで始末を急いだ……?先の未遂に比べ、手段が直接的過ぎる。現に警察が一度動きかけ、俺にも捕縛されかけた。余りにリスキーだ」

「純、お前は犯人と接触した唯一の人間だ。正直な感想を言ってみろ」

 スッ、細まる緑の“魔人眼”。瞬間、少年には珍しく驚愕の色を表した。凡そ未成年らしくない、だが何処か安堵にも似た表情を。

「……あれは道具の目だ。命令者は別にいて、多分そいつが急かしたのが今回の敗因と俺は見る」

 同意見だ、こちらも稀な齢相応の笑顔を浮かべる。

「で、ポケットの手掛かりは何時になったら見せてくれるんだ?―――そう警戒するな。お前とタイプは大分違うが、俺も少しばかり特殊でな。この目が」目尻を指差し、「勝手に見破っちまうのさ。他人の隠し事も、隠してない事も全部」

 ならこれ、カサッ。小さな掌の上に乗せられたのは、何の変哲も無い二つ折りのレシート。紙質は真新しいが、地面に落ちたせいか所々土埃で汚れていた。

「奴の逃走経路の途中で拾った。一応組の皆にも訊いたが、誰も心当たりは無いらしい」

 日付は一昨日、午後一時半。ちくわパン二つで、計三百二十とある。そして肝心の発行場所は、


「ローラン総合病院、だと……!?チッ、選りにも選って『また』あそこかよ……」


 印字を認識した瞬間、相貌を強張らせる雲雀君。どうやら彼にとって因縁深い場所のようだ。ついでに言えば僕とも。

「そう、か……出来れば結び付けたくなかったけど、やっぱりあそこが発端だったみたいだね」

「先生、心当たりが?」

「うん。丁度二週間前だからタイミングも合うんだ。あの日僕は院長の代理で、ローラン病院主催の意見交換会に出席したんだ」

 首都への出向は数年振り、“碧の星”医師会の研修以来だ。特に迷子にもならず、定刻通り現地へ到着。院長室で行われた会合自体も至って平和な物だった。

「とは言え証拠が出た所で、相変わらず恨みを買った覚えは無い訳だけど……こうなった以上、もう一度足を向けるしかないみたいだね」

「だな。その日顔を出した場所を巡れば、思い出す事が無いとも言い切れない」

 何より、ニヤッ。

「痺れを切らした犯人がノコノコ現れるかもしれねえし。な、鎮森の兄ちゃん?」

「……めだ」

「雲雀君?」 

「悪ぃ、先生……あそこはちっとばかし訳アリでな。個人的に入りたくねえ」

 苦虫を噛み潰したように顔を顰め、思い出すのも嫌なのか首を横へ。


「駐車場までは同行出来るが、そこから先の護衛は」「なら俺が行く。それで問題解決だ」「純!?」


 平然と決断した少年はフイッ、窓の外を眺める。硝子玉と取り換えても遜色無い、澄んだ曇天色の瞳で。

「ナナお姉さんの仇には俺も興味がある。それに昼間の病院内なら人の往来も激しい。二人も同行者がいれば、敵も白昼堂々襲っては来られない筈だ」

 済まねえ。力無く頭を下げた後、苛立たしげに前髪を掻き上げ、若頭はすっかり温んだアイスティーを一気に呷った。



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