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 約一時間後に来院した妻は、流石は医者の肉親と言うべきか。旅行用のボストンバッグに保険証や衣類等々、入院生活に当面必要な物資を持参して来ていた。

 スプリングコートを羽織った彼女の背がオペ準備室へ消え、早二時間。どちらの金属扉も防音性のため、中の様子は全く窺い知れない。夫に叶う事と言えば精々「手術中」の赤ランプが一秒でも早く消え、妻子が無事に出て来るのを祈る程度だった。

 院内含め周辺店舗はとうに閉まっていたので、眠気覚ましの濃い紅茶を求め給湯室へ。だが着替えて尚食欲の湧かない僕はともかく、付き添いの雲雀君にまで我慢させる訳にはいかない。帰宅も外食も想定通り頑なに拒まれたので、せめてもの礼と秘蔵のカップラーメン(味噌バター味)を御馳走した。

 夕食を終え、紙コップ片手にオペ室前へ帰還。まだ微かに湯気の昇る液体を啜りながら、さっきの話の続きっすけど、彼は徐に切り出す。

「あるんですかい、タマ狙われるお心当たり」

「これっぽっちも無いよ」件の悪癖も彼是一年以上御無沙汰だ。「ましてや殺される覚えなんて」

「ならその、十日前つぅと四月中旬か。その頃何か変わった事は?例えば普段行かない場所へ出掛けて、そこで因縁付けられた、とか」

 鋭い。が、流石にあそこは無関係だろう。あくまで仕事上の訪問だったし、犯罪の気配など微塵も、


 キィ、バタン。カツカツカツ……。「失礼、プロキオン・エッセ先生で?」「ええ、そうですが」


 救急入口から現れたのは、四十代半ばのスーツ姿の男性。僕の返答に、懐から年季の入った警察手帳を取り出す。

「ヘルン警察署所属、ベン・リア警部だ。今夜はとんだ災難だったな、先生。娘さん、助かるといいが」

「お気遣い痛み入ります、警部」

「ケッ。一児の父親にしちゃ随分と無神経な第一声だな、オッサンよ」

 胡麻塩頭をキッ!と睨み付ける雲雀君。

「出世に目ぇ眩んでる暇があるなら、偶にはジェーンの顔でも見に帰ったらどうだ?何時までもつまらねえ意地張ってると、今に嫁さんから三行半突き付けられるぞ」

 おや。雲雀君、この強面の警部さんと知り合いなのか。って事は彼、所謂マル暴担当なのかな。

 知己の指摘に、そいつを言われると辛えな、ガシガシと頭を掻く。

「っと、俺のプライベートなぞどうでもいい。こっちも生憎仕事なんでな、先生。今夜の事件のあらましを聞かせてくれ。勿論お前もな、雲雀」

「はぁ?どうせ警察はこのヤマ、組の抗争で片付ける腹積もりだろ。あんたを寄越した時点で明白だっての」

「人員不足でマル暴兼任しているだけで、一応れっきとした一課なんだがな。とは言え」

 バツ悪げに通路脇の消火器へ視線を向け、正直お前の言う通りな訳だが、やれやれ、頭を振る。

「一応署長には進言したんだぜ。白虎会は狸爺の頃から表立った暴力事件も起こしていねえし、カチコミの可能性はまず無えってな。まあ、二年前の『ブレーメン』襲撃事件は別格扱いとしてだが……悪ぃ」

 元から期待しちゃいねえよ。冷淡に吐き捨てつつ、僕に代わって事件前後の概略を説明。フンフンと聞いた後、御協力感謝するよ市民殿、リア警部は形式に則った感謝を口にした。

「生憎捜査自体は出来ねえが、詫びとして良い事を教えてやる。どうやら狙撃犯の奴、逃走中に純坊と接触したらしい」

 !?純君が、何故?

「通報を受けて俺が行ったら、丁度裏山を現場検証中だった。あの目敏い坊主の事だ。何か手掛かりを見つけたかもしれんぞ」

 しかし犯行時刻、少年は屋敷内にいた筈だ。一体何処で狙撃犯と遭遇なんて、


「あ゛ぁっ!?年端も行かねえ餓鬼に捜査させて、手前はのんびり顔見せかよ?この」ガンッ!!「―――税金泥棒の、糞マッポ野郎が!!」


 壁を振り向き様殴った拳を収めないまま、殺意に満ちた眼を向ける保護者。それでも入口を飛び出して行かなかったのは、単に僕を案じての事だろう。重ね重ね申し訳無い。

「だから先に謝っただろう。お前、本当にあいつには甘えな。ま、せめて説教は明日にしてやれ」

 じゃあな、善良な市民方。また何かあれば通報宜しく。そう言い残し、右手を挙げた警部殿は悠々と廊下を去る。その背へ唾棄せんばかりに顔を歪め、舌打ちを繰り返す若頭。

「あの役立たずの古狸め!心配すんな先生、お嬢の仇は俺が必ず」

「いや、雲雀君。流石にこれは僕等だけの手に負える事件じゃないよ」

 何処か惚けた、けれど神秘的な力を内包した緑目を思い浮かべ、小さく頷く。


「手術が終わり次第、大至急スターリットスカイへ向かおう―――この事件の解決にはあの子が、キム君の協力が必要不可欠だ」




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