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『花巻小学校恩師竹岡先生」

作者: 葉月太一

『花巻小学校恩師竹岡先生』


 まさに劇的な再会だった。独りよがりな自画自賛ではあるが、大声を上げて「最高!素晴らしい!」と叫びたくなるような再会だった。太一は、見えない糸に引かれるように初めての道を一度も迷うことなく、恩師竹岡先生の家の間口に立った。するとそこに、たった今仙台から帰ったばかりの男性が、車を邸内に入れているところだった。間違いなく「恩師竹岡先生だ!」と太一は確信した。さっき電話をした時は、先生は留守だった。「花巻に来ています」と留守番電話にメッセージを入れていた。突然のことなので、お会い出来なくとも仕方がないと割り切っていたつもりだった。しかし、いざとなるとなんとしてでもお会いしたかった。先生に、一言お訊ねしたいこともあった。

「たいちさんでねが?」

「、、、、、」

太一は感激の至りであった。無上の喜びだった。四十年振りなのに、、、、、。太一は、自分が入れた留守録を、先生は聞いたのだろうかと思ったほどだった。後で聞くとそうではなかった。竹岡先生の教え子は、教師生活四十年で千人ぐらいいるとの事、太一はそのうちの一人なのに覚えてくれていたのだ、とすごく誇らしくもあったが、やはり素晴らしい先生だった、と昔を思い出し感慨にふけった。お会いできたら、一言訊ねたい事はあったが、もうどうでも良くなった。

「ちょっと待ってでけれ。」

そして先生は、奥さんに声をかけた。

「おうい、長崎の、太一さんが来たじえ、長崎の、、、」

今の世は、アポ無し訪問は歓迎されない。ましたや、たった今、遠方から帰ったばかりのお二人を、休む間も与えずバタバタさせてはいけない。「辞去しよう」と思ったが、帰れなかった。帰りたくなかった。

「まあ、上がるべ。仙台から帰ったばかりで、何にも出来ねえが、ほれっ、あがれ」

「帰ったばっかしで、お疲れでしょうから、突然でしたし、、、、、」

結果的には太一は、図々しくも上がり込んでべらべらしゃべって、藪屋の寿司とそばをご馳走になった。挙句の果ては三時間半も長居してしまった。太一には、恩師への四十年間の報告があった。先生からは、いろんな武勇伝の話もあった。もちろん、太一は時間がそんなに経ったとは思っていなかった。もっと

話したかった。先生との話も楽しかったが、

太一にとって更に嬉しかったのは、先生の奥さんが、太一の親戚や、太一の同級生のことを知っていたことだった。三人で、共通の話題で話せたことが、太一にとってはすごく嬉しかった。実は、太一たちのクラスは、竹岡先生にとっては「初めての受け持ち」だったとのこと、大学出たての新米先生だったのだ。だから、ご夫婦がよく覚えていたらしい。また、太一の産みの母の実家(八百彦)と先生の奥さんの実家は、親戚付き合いをしていたらしい。そんなこんなで三人の話は尽きることがなかった。太一は、何十年振りかの花巻なので、あちこちに「顔を出す」連絡をしていた。夕方に寄ると伝えていた本家の葉月や産みの母の実家(八百彦)との約束がなかったら、図々しくも夕飯や酒までご馳走になっていたかもしれない。太一は、まだ話さなければならない事があったような気がした。「そうだ、また来ればいいんだ」と思って、恩師竹岡先生宅を辞去した。

 帰路に就いた太一は、道すがらあの時、門口で帰らなくてよかったと思った。帰り掛け花巻駅について、駅の時刻表と時計を見て太一は愕然とした。すでに四時を回っていたのである。太一の予定では、今日中に東京に行って、明日は東京から長崎に直航する予定だったのだ。今から東京に行けないこともないが、夜遅く一人暮らしの年寄(母セン)を訪ねるのは考えものだ。

「明日にしよう」「今日は八百彦に泊まることにしようか」

太一は昼頃、八百彦を訪ねた時に

「もすも今日も花巻さ泊まるんだったら、必ずうづさ泊まれよ」「俊定を早ぐけーさせておぐからな」

と従姉妹の裕子ちゃんに強く言われていた。

太一は思った。従兄弟の昭雄さん所(葉月の本家)も俊定さんや裕子ちゃん所(八百彦)も泊まれるが、母さん(里親小向トシ)のとこは泊まれねえ。太一を乳飲み子から育てた里親トシは、もうこの世にはいない。花巻に帰ってきても会えない。太一はとぼとぼ歩いていた。いつからか太一は、涙を流しながら歩いていた。気が付いたら、太一は花巻北高の辺りの線路の近くにいた。

 太一は、はっとした。

太一は嗚咽をこらえながらも、辺りを憚ることなくボロボロ涙を流して泣いた。40年前の出来事が、太一の脳裏を走馬灯のごとく駆け巡った。


 太一は、じっと線路を見ている。

 (舞台の袖で、子供の頃の太一と母トシ)

 「タイチ、とうぎょうさ行ぐが?」

 「行がネ」

 「なしてや?」

 「とうぎょうは、ぬうさんが大学さ、いぐところだべ」

 「おめが行ってもよがべ。おめだったらたげおが先生もよがって言ってたど」

「行がネ」

 「なしてや」

 「おれは中学さ出て、でえぐになるが、シンコウさ働ぎに行ぐ」

 「なぬ言ってんだべ、もすとうぎょうさ行がねがったら、北高さ入らねば駄目だべ」

 「北高さいがね。花中でだら、でえくになって、かっちゃんに家たでてやる」

    (暗転)

 

 太一は、嗚咽をこらえながら、じっと線路を見続ける。

 (子供の太一と里親トシ)

 「線路で死ぬど、金かかるんだってな」

 「なぬすてや?」

 「まず汽車を止めるべ、急ぐ人に迷惑かげだって言って、お詫びのおがねが要るんだって。次に、すんだ人の骨や肉を拾うんだって。それも割りばしで、、、、、。こまごまにつらかった肉を捜して拾わねばいがねがら、いっぺい人が要るんだって。みんな、割りばしで、にぐや骨をひとつづつつまんで拾うんだって、、、、、。そのひど達にも、おがね払わねばねがべ。うだって」

 (二人は、太一の前を通り過ぎて、線路の近くに行く)

 「さっき、おめ泣いて食べ。なしてや。とご屋の人に何が言われながったが」

 「目腫れでるぞって言われだ」

 「なして、泣いだ?」

 「言わね」

 「かっちゃんぬも言わねどが」

 「言わね」

 「とうぎょうさ行ぎだぐねんだべ」

 「行ぐ」

 「行ぎだくねがったら、行がなくてもいがべ」

 「行ぐ」

 (二人は無言で線路のところに行く)

 「太一、、かっちゃんと死んでけれるが、、」

 「、、、、、、いが」

 「ほんとに、いがが、、、、」

 「いが」

 「、、、、、、、、」

 「、、、、、、、、」

 「やっぱる止めるべ、、、、おめを連れてぐわげにはいがね」

 「いが」

 「おめはどっちでも、いがどが、、、、」

 「いが」

 太一は泣きながら、

 「かっちゃんと一緒なら、おら、どっちでもいが」

 太一、泣くのをやめて、

 「かっちゃんと一緒なら、どっちでもいが」

     (暗転)


  朝早く、新聞少年の太一は、シンコウ製作所社長の八坂貞三邸の門の新聞受けに毎朝新聞を入れる。「ワンワンワン、、」中から大きな犬に吠えられるが、太一はめげずに元気に新聞を配達する。学校に行く前に、五十軒ぐらい配る。

  夕方、納豆売りの太一が「とーふ、なっとー、油ゲよがんすかー」と、大きな声で元気に売って歩く。ある時、太一は、道端に落ちていた薪を束ねている針金の輪っかに両足を取られて、転んで残っていた豆腐を全部壊してしまった。下宿屋をやっている母トシは、すぐに白子を買ってきて、豆腐のきれいなところで白子の味噌汁を作ってやる。泣きべそをかいていた太一は、母さんと顔を見合わせてニッコリする。

 「下宿のみんなはなんていうべが」

 「今日のは、白子が多がな、、、 」

 二人で、

 「うめえ、うめえって言うべさ」


 (太一とトシ。下宿屋の前で)

 「見おぐりに行ぐど泣ぐがら、停車場ぬは行がね。ここで、おぐるがらさ」

 「、、、、、夏休みさなったら、すぐさ、けっでぐる。、、、、とうぎょうさ下宿さいっでぐる。」


            (幕)


 先日はありがとうございました。

 先生の「新校舎建設奮闘記」はすごく楽しかったです。先生は、いろいろな素晴らしい学校生活を過ごされたわけですから、是非「筆を執って」ください。「思い出し日記」をつけるのがいいと思います。必ずやファンが付くこと間違いなしです。タイトルは、さしずめ「熱血漢竹岡校長先生」がいいでしょ

う。生意気にもリクエストします。書き出しはこんな調子から始めてはどうですか、、、。

 「とにかく校長という仕事は、暇の一語に尽きる。校長になるんじゃなかった!」

そして私小説風に、はたまたフィクション風に、そしてちょっぴりコミカルに、、、。すみません。注文を出すのはやめますが、先生になりたての頃までも遡って下さい。そうでないと、小生や護や隆志も登場しませんので、、、、

初めての教え子たちですので、何卒よろしく登場させてください。

「熱血漢竹岡校長先生」を書くにはパワーが要ります。それには、自らの血気を呼び起こしてください。60歳を過ぎても、先生には十分「血気」がおありのようです。是非お願いします。楽しみにしています。これからのライフワークとして「物書き」を選んでください。

 小生にも自画自賛の奮闘記があります。家内に言わせれば、単なる自己満足でしかないそうです。西の果ての片田舎の中小企業を、東京でも通用する水処理メーカーにしました。勿論社員全員の賜物ですが、小生は率先して新天地開拓や新分野進出に貢献しました。こんな話し方は、外ではできませんが、教え子として、先生を安心させるための表現です。

更にお聞きください。同封の新聞記事は、日本で最大規模の海水淡水化施設の記事です。受注から七年間、私自身が携わり共に従事した社員全員の結晶として完成させました。 

その他、詩や戯曲や劇団の話もあります。結婚後十四年目にして生まれた娘の話もあります。「切迫流産」を克服した小生と家内の涙ぐましい奮闘記もあります。

先生の処女作ができたら、必ず声をかけてください。その時は、小生に出版記念会の幹事をやらせてください。そばで、小生の作品も売ろうかな、という魂胆もあります。

 

戯言を述べさせて頂きました。何十年振りかの花巻でしたので、ご推察の如くまだ興奮冷めやらず、望郷病後遺症のただ中に居ます。

傍若無人な物言いをお許しください。迷える子羊を救ってください。とは申せ、今はもう夜中の一時を回りました。明日は大阪出張です。ラジオからは、明日の大雪のニュースが流れています。飛行機にしようか、新幹線にしようかと考えながら寝ることにします。

 「おやすみなさい」


 (太一は、明日の準備をしていなかったことを思い出して、慌てて準備する)

       (溶暗)


 翌朝、

 太一は、バタバタ出張の用意に取り掛かった。鏡を見たら眼が腫れていた。望郷病後遺症が、寝てからも続いていたことを思い出した。大阪に着くのは昼前になるから、それまでには眼の腫れも引くだろう。それよりも何か一言を、先生への手紙に書き加えなければ、、、、、と気になった。そうしなければ、何かあまりにもすっきりしない。

「また、会える時でいいんだろうか。とにかくお互い元気なんだから」


 太一の花巻での生活は、「すごく素晴らしい」一二年でした。

 太一の東京での生活は、「いまひとつ」の一五年でした。

 太一の長崎での生活は、「何か心豊かになりつつある」二五年を継続中です。


 先生、小生のこの現在の生活は、あの別れがあったからなのでしょうか?

 (あの別れは社会が強いたのです)

 でも、最愛の妻と娘を授かりました。娘には「知花」という名前を付けました。妻の名前「美知子」の「知」と、故郷「花巻」の「花」で「チカ」です。

娘が大学に入ったら、三人で必ず花巻に遊びに行きます。先生の出版記念日はその時がいいですね。大学にやるには、だいぶお金が掛かるそうですので、本ができてもセレモニーをずらしてくれませんか。入学金や授業料や引っ越し代などを払ってから、暫くしてからにしてください。当方は経費が重なると大変ですので、本ができてもその時まで待ってください。推敲に推敲を重ねておってください。

くれぐれもお願いします。

本当にここで手紙を終わらせます。思いつくまま書くからキリがありません。これは先生だけに出した手紙であって、私小説でもなければ戯曲でもありません。まさに親展の手紙です。でも、よろしかったら奥さんにも読んでいただけたら幸いです。

 さあ、飛行場に行こう。近くのバス停「高砂」から十分で博多駅です。そこで地下鉄に乗り換えて十二分で板付の福岡空港です。そこから大阪には一時間半。そして、花巻には二時間です。それに乗ったら、今日の昼にはまた先生にお会いできます、、、、、。考えたこともなかったです、、、。嘘みたいです、、、。


 お身体ご自愛ください。


            葉月太一 拝 






2




その後、太一と竹岡先生は再会することはありませんでした。隆志から先生の訃報の連絡がありました。太一は、先生から暗唱させられた宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を静かに口遊みました。

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[良い点] 終わりが呆気ない。この点において、より素晴らしいと感じました。 [気になる点] 花巻、トシ、教師、水質(地質と近似)、教え子が訪ねてくるくだり、太一幼少時の母との会話(銀河鉄道のイメージと…
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