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55:「お姉さまもお加減いかがですか?」

「フェイ様、お茶はもうよろしいですか?」


「えぇ、結構よ。

 わたくし、今日は少し疲れてしまったので少し休むわ」


「わかりました。では、何かございましたら呼んでください」


「ありがとう、サヤ」


 フェイは、車椅子から両手を使って自分の身体をベッドに移動させる。

 そして、寝転がると今日来た”EO(イーオー)商会”などというふざけた名前を語った三人のことを思い出していた。


 レットという男はどこか信用ができない。

 しかし、逆を言えば信用できるもの、例えば金品を介せば信用に足る男である。

 だからこそ、フェイは今回の話を受けた。


 そして、悪来族(オーク)のトーソン。

 初めて見たオークというものは見まごうことなく悪鬼であった。

 その恐ろしい風貌にフェイは思わず膀胱が緩んだことを恥じる。

 しかし、それほどまでに恐ろしかった。

 オークと言えば、子供のころから寝物語に聞かされる恐怖の対象であるが、あれほどの迫力とは思わなかったのだ。


 最後の1人。マキト。

 あの風体はどう見てもただの子供だ。

 フェイの年齢とそれほど変わらないだろう。

 しかし、今回の会談では主導権を完全に握られていた。

 同年代の、いや、例え年上であったとしても負けない自信があったフェイは悔しさから唇を噛みしめる。


 別に今日の会談では負けたわけではない。

 勝ち負け以前に、フェイは何も差し出してない。

 それでも”負けた”のである。

 あの男がフェイの目論見をことごとくふいにしたせいだ。


 マキトがユキネを街まで連れてきたのは、こちらを油断させるためであろう。

 こちらとしては好都合だった。

 手練れを三十数名準備していたが、屠龍相手ではそれでも心配だったからである。

 いざとなれば、ユキネを使い、言うことを聞かせるつもりであった。

 国としても重要な人物だから、それで事足りるはずだと。


 あの男はそれをわかった上で連れてきたのだ。

 そして、直前でその身を城に預けこちらの意図をご破算にしたのである。

 さらに、オークという隠し玉を惜しげもなく使ってきた。

 切り札を普通の手駒のように切って見せたのである。

 これで底が見えなくなった。

 あれが上限なのか、さらにその上があるのか……


 今回、完全にEO商会とスカーレット商会の顔合わせであった。

 しかし、実質はEO商会からの宣戦布告に等しい挨拶である。


 フェイは、力があり御せるなら使い潰す。

 力がない、もしくは御せないと感じたならば、その場で潰す。

 そうするつもりだった。

 しかし、あのマキトという男を御せる自信はなかった。

 潰そうにも、どうやって屠龍とオークを刺せばよいのだ。


 ゆえに、フェイは負けたと感じていた。


 奪い奪われることが商人の本懐だ。

 今日負債を負い、明日利を得る。

 利があるなら負債など気にしない。


 しかし、奴らは商人ではなかった。

 あれは利ではなく、目的のために動く。

 そのための手段なんて気にしない。

 山賊と一緒だ。


 そして、それだけではない。


「あんなガキに手玉に取られて……こんなことで私は……」


 あの男が語った、商国を揺るがす言葉。

 フェイは、その言葉を脳内で反芻する。


 『パンの代替品』そして、『不当に高いパン』


 分かる人間には分かる。

 そして、分かったこの国の人間(商人)にとって魂が震える話。


 商国(レイグラード)は小麦の全てを”粉挽権”を持った帝国貴族から買わなければならない。

 そして、その小麦は粉挽権のない国と比べて5、6割高い。

 国民が気がついていないのは、一度国が帝国からの麦を買い受けてから、国民に下ろしているからである。

 その時に割高分は商国が引き受けている。

 これは女王が国民のために国庫から捻出しているものだ。

 確かに国民のためなのだろうが、それではいたずらに国力を落としていることと同じだ。


 ――あの男はどこまで知っているのか。

 ――あの男はどこまで気付いているのか。


 この国は詰んでいるに近い。

 商国を救う簡単な方法は食料を自給する方向へ転換することだ。

 帝国のために身を削る現状は、好ましくない。


 しかし、レイグラードは商業国家である。

 すぐに自前で食料を調達できるようにはならないだろう。

 それがわかっている帝国は商国へ食料輸出を止めない。

 そして、その中に小麦を必ず入れる。


 国でもこの食糧問題を解決しようとしているようだが、うまくいっていないのだろう。

 だから、ユフィン(女王)は仕方なしに国庫をすり減らして時間を稼いでいるわけだ。

 あの女王は、情だけで国民に金をばらまくアホではない。

 しかし、絶望的に時間が足りないのだ。


 それを何とかしてやる。そう聞こえてしまった。

 ありえないはずなのに……


 フェイは寝転んだまま、両手をベッドに叩きつけた。

 そして、国の行く末を頭の中からたたき出す。

 ――この国なんてどうでもいい。私にはやるべきことがある。


 と、そこへ、ノックの音が響く。


「フェイ様、旦那様がいらっしゃいました」


 フェイは思わず歯噛みした。

 奥歯がギチリとなり、我に返る。


「今行くわ。お待ち頂いて」


 フェイは上半身を起こして、服の皺を確認する。

 そして、起用に車椅子に着座した。

 そこへ、サヤが入ってくる。


「大丈夫ですか? もし、お加減が――」


「――大丈夫よ。旦那様をお待たせしてはいけないわ」


 「わかりました」と呟くと、サヤは目的の部屋まで押していく。

 そして、ノック。


「フェイです」


「待っていた。入れ」


 中にいたのは、髭を蓄えた初老の男であった。

 白髪の混じった頭をしているが、その覇気は二十代とも間違うほどである。

 そして、その横には10歳位の少女。

 モジモジと下を向いていたのだが、フェイを見て少しだけ表情が明るくなった。

 しかし、それも一瞬。

 横の男を見てすぐに先ほどの顔に戻る。


「座ったままで、申し訳ございません。旦那様」


 フェイはことさら明るい笑顔を浮かべる。

 そして、気がつくと確認するように足首の後ろ側をさすっていた。

 そこにはあるべきアキレス腱が存在していない。

 代わりにあるのは凄まじい怪我の跡。


「旦那様とは、さみしい呼び方をするな。

 お父様でいい。それに」


 男はその威圧感とは裏腹の柔和な笑顔を浮かべる。


「立てないことは気にするな。

 私がそうしたのだから」


 フェイの顔が引きつった。

 この男の名前はログルート・コロマルマドア。

 帝国ではそれ程大きくない貴族の長男である。

 若い頃から、聡明で多くの貴族から養子の誘いがあるほどの男であった。

 しかし、この男は自身の父の死後、家督を弟に継がせた。

 そして、自分は商国に渡り、店を始める。

 その店がでかくなるのはあっという間であった。


「リュカも久しぶりね」


 リュカはフェイの妹だ。

 しかし、繋がっているのはその半分。


 ログルートは、その財力を背景にフェイの父から母を奪ったのだ。

 頭も顔も良かったフェイの母はログルートに取って好都合だったのである。

 しかし、その心労からか、母は体を悪くした。

 その体にログルートは無理をさせて一人の子供を産ませた。

 それこそが、このリュカである。


 体の弱い母がいるからこそ、フェイは逃げられなかった。

 そして、それを知っていたログルートは新たにリュカをその鎖としたのである。

 その上に足の腱を切った。

 二人で逃げられないように。


「妙な来客があったようだな」


 ――知ってるくせに。


 何の意味もなさない、ただの雑談のような口調。

 だからこそ、腹が立った。

 澱みが溜まっていく。


 ログルートは、フェイの才を恐れていた。

 いつか、自分の上に行くのでは、そして、復讐を果たすのでは。


 だからこそ、自分の全てを掛けて教育を施した。全てを叩き込んだ。

 フェイの中に自らの根幹を刻み込んだのである。

 フェイを御するために、使い潰すために。


 だからこそ、フェイは分かっていた。

 自分の周りの人間を信じてはいけない。

 目の前の、半分血を分けた妹すらも……


「闇市に興味を持ったらしいですわよ。屠龍が」


「ほお、まさか屠龍が、な」


 驚いたように眉毛を動かしたが、その実、眼球に浮かぶのは期待の光。


「オークが商売に興味を持っているようですわ。

 初めてオークを見ましたが、あれは何とも言い難いですわね。

 乱暴者に見えて、意外と理知的でしたわ」


「ふむ、私も一度オークを手勢に引き込もうとして痛い目を見たことがある。

 あれは、個人の利で動くような種族ではなさそうだったが……」


 埒が明くような話ではない。

 初戦は破れたが、緒戦の負けは情報を得ると割り切る。

 フェイは、チラリとリュカに視線を送った。


「リュカ、体調はどう?」


「はい、元気です。お姉さまもお加減いかがですか?」


「元気モリモリよ。おいしいお菓子が手に入ったから食べて行って」


「ありがとうございます」


 同じ年頃の女の子であれば、目を輝かせるだろうに……

 その瞳は曇ったまま。


 フェイは、笑みを浮かべてログルートを見た。

 その挑戦的な表情を受けてログルートもまた微笑んだ。

 その顔を見てフェイは肚の底にたまったヘドロが泡立つのを感じる。


 ――いつか。必ず。この男を。刺す。

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