50:ウンディーネのハムラカッパ
風呂場に変な生き物がいる。
それはすなわち……どういうこと?
「ユキネさん、どうしたんですか?」
風呂場でワタワタとしているユキネに声をかける。
どうやら、掃除でもしようとしていたようだ。
「なんか初めてみる生き物がいたんです!」
そういって、女風呂の方を指さした。
誰もいないってわかっててもなんかドキドキする。
俺は、改めて【探知】で状況を確認する。
しかし、浴室内に何者かがいる気配はない。
ところが、確かに俺の鼻は何かがいると感じ取っている。
温泉の匂いの中にわずかに獣臭が混じっているのだ。
俺とユキネは、ゆっくりと浴室内に侵入する。
「それです。その毛むくじゃらの!!
突然温泉と一緒に流れてきたんです!」
それは、茶色と白の毛を持った生物……
見たことがあるな、これ。
「ハムスター!?」
愛くるしい耳に愛くるしい瞳に愛くるしいお尻に、そして可愛らしい前歯。
見た感じは完全にゴールデンハムスターだ。
それが、浴槽にプカーっと浮いていた。
俺はあわてて引き上げる。
残念だが、ハムスターは砂漠の生物だ。
水の中を流されて生きていられるような生物じゃない。
残念だけど……
「おっふ、どこやここは……
なんや、あんたが助けてくれたんか?」
動きやがった。しかもしゃべりやがった。
驚きのあまり、反射的に俺はそれを湯船に叩き込む。
「ぎゃーなにすんねん!!」
「は! すまん!」
俺はもう一度引き上げる。
「ワイを殺したいんか、助けたいんか。
あんたはどうしたいんや。
まあ、ワイは精霊やから死んでも復活するけどな」
そう言って、俺の手の上で身体を振るわせて水を弾き飛ばす。
「お? そこの可愛いお嬢さんもそんな怯えんでもええ。
モフらせたるからおいでや」
「あ、あなたは誰なんですか?」
「よう、聞いてくれたな。
ワイは水の精のハムラカッパや。
呼び方はハムさんやな。
慣れてくればハムちゃんでも構わんで。
とりあえず、兄ちゃんよ。
ワイを持つのをあの姉ちゃんと変わってくれや。
なぁ、姉ちゃん。そのたわわに実った胸でワイを温めて――」
なるほどね、この陰獣は精霊のようだ。
だから、【探知】にかからなかったのだろう。
などと、冷静に推測しながら俺は今度は狙って水面に叩き込んだ。
「――やめぇや! 動物虐待は問題やで!」
「うるせぇ、エロガッパ。
てめえ、何が目的だ!!」
まさか、トーソンと同じ事を聞く羽目になるとは。
「目的なんかあるかいな!
ワイかて来たくてきたんちゃうねん!
追い出されたんや!」
「追い出されたってどこからですか?」
「心配してくれるんか?
姉ちゃんの方は優しいのぉ」
この野郎、俺の全身全霊の”優しい”を見せてやろうか。
「ワイが住んでたのは、君らが湯を引いとる泉や。
ワイらは水のそばが好きやからな」
「そうか」
俺は少し周囲を確認してからうなずいた。
「やめえ! その排水溝に流す気やろ!」
「そうですよ。さすがにエロガッパさんが可哀想ですよ」
「せやせや! それにあんたらも無関係とはちゃうで!
ワイが逃げてきた理由はシャンブラーや!
ワイのをシャンブラーんかってな。
おいおい、姉ちゃん、ワイはエロガッパちゃうで。
あっはっは」
シャンブラーってなんだ?
とりあえず、俺はユキネに耳打ちする。
「えっと、カッパさん。砕きますよ?」
「ひぇ! 許してや!!」
ハムラカッパは股間を押さえる。
「話は聞かせてもらったわ! この村は滅びる!」
「なんや、この電波ユンユンな姉ちゃんは」
声とともにカーラが浴室に入ってきた。
ババーンのSEが似合う登場の仕方である。
「誰が電波ユンユンよ。
それより、シャンブラーが水源の近くにいるってホント?」
「ホンマやで」
「なぁ、シャンブラーってなんだ?」
「腐れ茸とも呼ばれる、毒キノコよ」
「毒キノコか。食べないようにしないとな」
「毒キノコといっても思ってるようなキノコじゃないわ。
ドロドロした透明の粘液質でナメクジの這った跡のよう、
と言われているわ」
「とりあえず、近づかないようにしないとダメそうですね。
子供達にも――」
「――それじゃダメよ」
「なんでですか?」
「シャンブラーの毒はじわじわと水に溶けるのよ。
そして、シャンブラーはその毒で弱った魚や動物を食べるの。
一つの森がシャンブラーによって死んだって話を聞いたことがあるわ」
「……もしかして……私も祖父から聞いたことがあります。
マタンゴだか、マランコだか。
それが現れたらその森から逃げろって……」
……マランコ。
「どうしたの? マキト。
この村は、残念だけど……
とりあえず、商国に行きましょう。
ユキネ……妹君と一緒ならとりあえず匿って……」
「そのシャンブラーは倒せないのか?」
「無理よ。辺りを毒の霧で覆ってしまうの。
たぶんまだ幼体の状態だからここまで毒は来てないだけで、近づくだけで危険なのよ」
「あ、俺。毒効かないから大丈夫だ」
「はぁ? 」
【防毒】のスキルを発揮する良い機会ではないか。
防毒が効かなかったら、という恐ろしい予想は思考の外に放りだす。
「とりあえず、そいつとこいつがいなくなれば村は安泰だな」
「ワイは、水の精霊やで! 悪いことなんかせぇへん!」
「風紀を乱す」
ズビシと言い放つ俺の手をカーラが掴んだ。
「やめなさい。シャンブラーを倒した。
そんなこと聞いたことがないは。
だいたい粘液生物よ。切ったり、潰したところでたぶん無意味よ」
「わかってるよ。奥の手がある」
「なら、私も行きます」
「ダメだ。毒に巻かれて死んでしまう」
「でも!」
「俺はホントに大丈夫だって。
もしダメだったらきちんと帰ってくる。
そのために一応、子供たちをまとめておいて欲しいんだ」
ユキネはむぅっとうなって下を向いた。
カーラに視線だけで、頼むと合図すると、カーラは頷く。
「んじゃ、ちょっと行ってくるよ。
夕方には帰ってくる」
◆◆◆
泉の周囲はやけに静かだった。
恐ろしく陰鬱な空気に支配されている。
「何で、ワイも来なあかんねん」
「うるせぇよ。どうせ、死なないんだからいいだろ」
「いやや。くっさいのは嫌いやねん」
確かに、甘ったるいような腐臭がする。
どうやら、この匂いで得物をおびき寄せているのだろう。
そして、その匂いの下にはテラテラと光る粘液が広がっていた。
「あれが腐れ茸や」




