出会い
ここはとある島を覆う森の奥深く、この島は樹齢が千年を越さんと言わんばかりの大樹が連なり、山頂が雲に覆われるほどの巨大な山脈がそびえ立っている。
そして、この島には異常なほどの魔力に満ち溢れており、その環境からかヒトの天敵である《魔物》といわれる存在が数多く生息している。
この島はこの世界においてもとりわけ危険と呼ばれる魔物が数多く存在しており互いが互いを殺し合う生存競争が日夜、繰り広げられている。
弱きものが淘汰され強きものだけが生き残る。しかしそれで数が減ることはなく数が減る以上に早く新たな魔物が多くその特殊な環境により生み出される。
そしてまたお互いに争い始める。
そんな繰り返しが何日も何ヶ月も何年も、この島ができた時から行われている。
ヒトであれば耐えられない。
そんな過酷な環境。
そこにあるのは強すぎるほどの生への渇望、今日を、明日を生きるために他者を喰らい続ける。
休む間も無く、眠る間も無く、喰らい、喰らわれ、殺し合う。
そこに弱者の入り込む余地は存在しなかった。
そしてこの島にはその特殊な環境ゆえかヒトにとって非常に貴重な素材が有り余るほどにそこら辺に転がっている。
それらを一つ採取するだけで一般人が優に数ヶ月は過ごせるほどの大金が手に入る。
だがあまりの危険さゆえにそれらを採取するためにここを訪れるものは皆無と言ってもいい。
もちろん過去にはこの島を探索しようとする猛者も存在した。
悪しき国を打ち破り国を救った救国の英雄、ヒトを滅亡させんと暴れ恐れられた《邪竜》を討ち取った冒険者パーティ、国随一の精強な騎士団、世界最高の腕を持つと謳われた魔導士、数多の豪傑たちがこの島に乗り込んだ。
この島に来た理由はそれぞれ異なる。
ある者は未知の素材を求め、またある者はこの島で自分の腕を確かめるため、それぞれが違う理由を持ってこの島を訪れた。
だが彼らに共通している唯一のことがある。それは自分の腕に絶対の自信を持っていたことだ。
しかしそのいずれもこの島から生きて帰って来ることはなかった。
何度もそうすることを繰り返すうちにヒトは学習する。これはヒトの手に負えるものではない、と。
どれだけ愚かな者であろうともこの島に近づくことはない。
この島に来るのは罪人か、もしくはよっぽどの身の程知らずばかり。
しかしどこにも例外というものは存在した。
「ハァ、ハァ……」
森の中を走る人影がひとり。
生い茂る草を突っ切って横たわる大木を飛び越える。
まるでそこが自分の庭であるかのように軽快な動きで障害物を乗り越え走っていた。
そしてそのすぐ後ろを追う大きな影がひとつ。
その体は小山と見紛うほどに大きく体表はゴツゴツとした鱗で覆われている俗に地龍種と呼ばれる存在だった。
その地龍はその巨体で進路を阻む木々をへし折り目の前にある大岩を弾き飛ばし自分よりもはるかに小さなその人影を追っていた。
☆★☆
彼は苛立っていた。
きっかけは獲物を探している途中で小さい動くものを視界の端に捉え、それを獲物として補足し仕留めんとすべく追いかけ始めたのが発端だった。
この島に住む魔物たちの殆どは気性が荒く生きてるものを見かけたらそれがたとえ格上だろうと構わずに襲いかかる。
彼も最初はそうだった。生きるため強くなるために争い、戦い、強くなっていった。
今でこそ、一息つき落ち着く暇を作ることもできるが、それでも気を抜きっぱなしだとすぐにその命を落としてしまうことには変わりはない。
そして彼はいつからか生きること同様に強さを求めるようになっていった。
生きる上で強さは必須のものだったが戦いを重ねるうちに彼は理解し始めていた。
今のように力を振るうだけではいずれすぐに殺されてしまう、と。
相手によって攻め方を変えたりしてみた。
どのような攻撃であれば相手により大きな傷を効率良く負わせられるかを試してみた。
そうするうちに彼は格上相手にも勝利を得ることができた。その瞬間、彼は今までにないほどの歓喜に体が包まれた。
そして時には自分よりも格下の存在に搦め手を使われその命を奪われそうにもなった。彼はその失態に思わず歯噛みした。
彼はそれぞれの『強さ』をその身体を持って学び、どうすれば己はより高みに登れるか、どうすればより効率的に相手を狩れるか、そのようなことばかりを考えるようになっていた。
強さを求めていくこと、それが『生きること』へと繋がっていった。
この島で生活する者全てが何かしかの『強さ』を持つ。
この島で戦いを重ねていき、生き残る。そのことに少なからずの誇りを彼は持っていた。
それなのに目の前の存在はどうであろうか。
最初こそ何か罠があるのかもと勘ぐったがそのような様子も見せない。本当にただ逃げているだけのようであった。
その行動に理解はできる。格上相手であれば相手するよりも逃げた方が生き残れる確率は上がるからだ。
しかし、それを彼が許すかは全く別の話だ。
彼は目の前の獲物を仕留めるべく気合と威圧を含んだ咆哮を放つ。
「グオオオオオォォォ!!」
「だああ! うるさいな!
今日は魔物を狩る気分じゃないんだ! さっさと私の前から消え失せろ!」
しかしその人影 ーー声からするに女性とわかるーー はその常人なら意識を失いかねないような咆哮をまともに受けながらもそれを意に変えさずに逃げ回っていた。
彼女は走るうちにまくれそうになるフードを片手で押さえ走り続ける。途中で他の生き物とも遭遇したが無視し目をそちらに向けることすらせずに走り続けていた。
そしてその後ろを魔物が追いかける、今は彼女しか目に入っていないのか他の生き物と鉢合わせようと御構い無しに弾き飛ばし追い続ける。
そんなことをかれこれ数十分は繰り返していた。
「ああ! もう本当にめんどくさい!」
彼女は苛立ちまぎれにそう叫ぶ。
彼女は世間から身を退けるためにヒトが一人も訪れないこの島に定住し生活していた。普段は彼女の住んでいるところを中心に《結界》がはられているためその内部にいれば魔物に遭遇することはない。
しかし彼女はうっかりその生活圏の外へと出てしまい今も追われ続けているあの魔物に遭遇してしまったというわけだ。
彼女はぶつぶつと愚痴をこぼしつつ逃げるのをやめて魔物へと向き直る。向き直ると同時に魔物も走るのをやめ、ようやく戦えるとばかりに満足そうな唸り声を上げる。
「ほんっとに面倒くさいね!
そんなに殺りたけりゃ相手してやるよっ!」
魔物はそのヒトの言葉に理解したのかしてないのか、息を大きく吸い込みその口から先ほどの威嚇の咆哮とは違う、音を衝撃波として放つ攻撃のための咆哮を小手調べといわんばかりに放った。
しかし、木々を吹き飛ばし粉砕するその咆哮を、彼女は少しも動じることなく《障壁》を張って防ぐ。
「あ〜、うるさい。
ここまでめんどくさい奴もそうそういないな。
まあ、せっかく戦う以上はこっちも楽しませてもらいますよっと!」
そう少し危ない発言をかましつつ彼女は足を振り上げ地面に足をバン! と踏みしめる。
その途端に地龍の足元の地面が赤く染まり盛り上がり、爆発するように噴き出した溶岩の柱が相手の巨大な体を全て覆い尽くしその圧倒的な熱量で溶かしにかかる。
普通の魔物ならばこれで終わり、過剰攻撃になってしまうほどのものだったがこの島の魔物たちはそれだけでは終わらない。
身に降りかかる溶岩を身じろぎひとつで振り払い、それをものともせず相手に向かって体がぶれて見えるほどの速度で突進を繰り出す。
それで終わると思っていなかった彼女は余裕を持って上に飛んでかわすが、それを見越していた地龍は尻尾を振り上げ彼女を地面に叩きつける。
「ふげっ!」
女性にあるまじき声が出たような気がしたが彼女はそれを気にも止めずに、すぐさま起き上がりこちらに向き直った相手を見据える。相手もそれで終わるとは思っていなかったのか油断せずにこちらをじっと見ている。
「ああ、やだ。本当にやだ。無駄に賢いとすぐに終わらせれん。適当に突っ込んで来てくれればそんで終わりなのに、よっ!」
そう愚痴をこぼしつつ今度は彼女が相手に向かって走り出す、それに相手は前足を振り上げ踏みつぶそうとしてくる。
それを軽やかに躱しつつ数多の魔法を展開させながら自分よりもはるかに巨大な相手に向かってその距離を詰める。
なかなか強いな、彼女は素直にそう思った。実力で言えばこの島のレベルから見ても決して高いとは言えない。だが勝負に勝たんとする執念がときおり垣間見える。
彼女は戦いを忌避する性格というわけではない。
むしろ彼女は闘争を好んでいる傾向にある。
しかし、昔はともかく今はそれほど闘争に対する欲求があるという訳ではない。
気が向いたら森に出て適当なやつと戦う、その程度だ。今は家にこもりゆったりと読書をしながら過ごす方が性に合っている。
それという今日も彼女はそのように過ごすつもりだった。
彼女は今日、ただ朝の散歩に出ただけだった。だが、普段彼女は《結界》の外で散歩をするときはこのような奴らと遭遇しないように適度に気を張りながらこの森を歩く。
それを分かっていながら《結界》の外に出たにも関わらず気を抜き過ぎていた彼女も自分の事が迂闊に思わないではないが、こうしつこく追い回されると流石に腹が立ってくる。
それが理不尽な怒りであるということは分かっているが、ここになってある程度冷静さを取り戻し相手を今一度見つめる。
今対峙している地龍種の魔物の目はただ相手を喰らおうとする獣の目ではない。
確実に相手を追い詰めようとする、言うならば狩人のような目をしている。
圧倒的なヒトの及ばない力を持ちながら、それをただ振るうでなく理性でもって相手と対峙することを可能とする。
それはこの島において一つの段階を越えた《強者》の証である。
彼女はせっかくの強者との戦いなのだから少しでも楽しもうと微笑を浮かべながら相手の攻撃を躱し、相手が無防備になっている体の側面部分に魔法を放ち相手のバランスをまずは崩しにかかる。
それをどうにか転ばないよう体勢を低くし、持ちこたえながらも地龍は近づいた彼女に顔を向け魔力が凝縮されたブレスを超至近距離から放つ。
超高密度のブレスが目前に迫りながらも、レイはどこか冷たい微笑を浮かべながら慌てることなくそれに対応してみせる。
この島においてどこにでも溢れている闘争、生存をかけた戦いが今ここでまた一つ始まった。
☆★☆
彼女は散歩を終えこの森の中にひっそりと建てた家に帰るべく、てくてくと歩いていた。今度は面倒なことに遭遇しないようにと気を張りながら。
先ほどの闘いを制したのは彼女だった。
倒した死体を《空間魔法》で収納してから一息ついた後に家への帰路についた。
彼女は最初に受けた尻尾の一撃以外は一切攻撃を受けることなく相手を完封してみせた。
だが超至近距離から放たれたブレス然り危ない場面もいくつかあった。
そして幾つ傷をつけても決して怯まず驚くほどのタフさを見せつけた。
最後の一撃を受ける瞬間奴は、これほどの強者とまみえて死ぬならば悔いは無し! 的な顔をして死んでいった。
それを見た彼女はここまで武人気質な奴もなかなかいないな、と苦笑を浮かべながらも呆れ果てた。
だがなかなか骨がある奴だったな、そう思いながら足を進める。
「ん?」
彼女は自宅の周りにある森一帯を囲むようにして張った《結界》の中に入りしばらく行ったところで異変を感じ立ち止まる。
彼女は首を周りに向けながら何かを探すようにそこら辺を歩き回り始めた。
彼女が感じた違和感、それは生き物の気配だった。
しかもそれは魔物のような気配ではなく『ヒト』の気配。この島においてそれはあり得ないことだった。彼女のような例外を除けばこの島にたどり着いたとしても一日ともたずに死んでしまう。
彼女の家があるこの場所は森のど真ん中とも言っていい場所である。
海岸であれば稀に生きたまま漂流してくることもあるがそこからこの場所にたどり着くのは不可能といってもいい。
どうしたものか、と考えながら普段ではあり得ないそのことに少なからずの興味を抱く。
だがその感じる気配はとても微弱なものである。
おそらく今は意識がないのだろう、負傷しているようならせっかくだし手当てをしてやろうか、と思いながらこの場所にたどり着くことができた珍客を探し回る。
だがなかなか見つけることができない。確かにここら辺で気配を感じたはずだがと首を傾げながらも首を周囲へと動かす。
そして何かが足に当たって初めてそれに気づいた。
草の陰に隠れて見えてなかったのだ。
道理で見つかりづらかったはずだと思いながら草を掻き分けそれを見て彼女は驚きで目を見開く。
そこにいたのはーーー
ーーーカゴに入って毛布にくるまりぐっすりと眠っている赤ん坊だった。
「え?」
次の話は今日のうちに投稿します。
誤字脱字の指摘大歓迎です。