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46. 女神の憧憬

 ユミルの意識は遠い遠い過去の舞台へと飛ばされていた。

 まだ、瘴気やアンデッドという危険に脅かされず、人々は平和にくらしている世界だった。


 それは女神が見たとある村での少年と少女との記憶であった。


 

 今では神はただ一人といわれているが、世界は双子の神によって守られていた。生誕と輪廻の祝福を与える男神ルドラ、最期に訪れる死の安寧を与える女神サナトス、二柱の神は人間たちを見守り続け、世界の魂は静かにゆったりと巡り続けていた。

 

「サナトス、今日も下界にいくのかい?」

 

「うん、ここからじゃわからないことを見てみたいの」

 

 普段は天上より下界の様子をのぞいているが、人間への好奇心によって女神は下界に降り立った。

 

 女神サナトスが、言葉を交わすことができたのは死者や死に瀕したものだけだった。

 そのものたちの前にサナトスは死にいざなうためにあらわれるが、しかし、死に行くものは皆うつむき無言で去っていくだけだった。

 

 死の女神は、力強く泣き叫ぶ赤ん坊へ生誕の祝福を与える兄のルドラをうらやんでいた。

 わたしも人間と言葉を交わしてみたい、いつしか心の底にそんな願望がたまっていた。

 

 やげて、サナトスは人間への興味を満たすために、人が暮らす様々な場所に訪れた。

 

 広い平野に建つ堅牢な壁に囲まれた町、海岸の近くでたくさんの船が停泊する漁村、森の中で獣を狩って暮らす者達の村、いろいろな人間たちを見てまわった。

 

 今回、女神が降り立った先は山々が連なり、厳しい環境の中で生活するものたちの村だった。

 

 女神は薄絹一枚をまとった少女の姿をとり、よく晴れて澄んだ青い色を見せる空の下、短い草が生え揃った地面をはだしで歩き村に近づいた。

 

 村の近くには細い川がながれ、川辺でしゃがんで手を水に浸して作業をしている黒髪の少女がいた。

 サナトスが近づきその手元をのぞくと、服を洗濯しているところだったようで、少女は近くにおいていたカゴに洗った服をいれていった。

 

 サナトスがすぐ側でたっているにも関わらず少女は気づいていなかった。生きている人間に自分の姿が見えないのはいつものことなので、サナトスは別段気にしなかった。

 

「あっ」

 

 少女の手元から洗っていた服が離れ、川に流されていった。

 少女は慌てて立ち上がり川面を流れる服を追いかけた。服は川の中ほどに突き出た岩場に引っかかった。

 川の水は冷たく、少女が入るのをためらっていると、サナトスは川岸から水面に足を下ろした。サナトスの足は水につからず水面の上を歩き、服を拾って少女の前においた。

 

「え、いまのって……」

 

 少女は驚き、目の前に光景に目を疑った。少女の目には、不意に服がひょいと持ち上げられるような不自然な動きとして映っていた。

 

「だめだよ、ちゃんとつかんでなきゃ」

 

 驚きで固まる少女にサナトスは声をかけた。どうせ聞こえてはいないだろうとは思っていたが、少しは触れ合えている気分になれた。

 

「だ、だれ?」

 

 少女は恐々といった感じで声にだした。サナトスはまさかと思いながらも聞いてみることにした。

 

「あなたは私が見えているの?」

 

「ごめんなさい、声は聞こえるけど姿は見えないの」

 

「そう……」

 

 サナトスは残念に思ったが、それでも初めて生きている人間と言葉を交わせたことに喜びを感じた。

 

「私はサナトス、あなたは?」

 

「わたしはキテラ、村の神子よ」

 

「神子?」

 

「うん、いろんな声を聞くことができる力をもった子がときどき生まれてくるんだけど、わたしがそうらしいんだ。村のおばば様は精霊様の声だっていってたけど、あなたもそうなの?」

 

「うん、そんなところかな」

 

 サナトスは自分が死をつかさどる女神だといえば、せっかく見つけた話し相手が怖がって逃げるのでないかと考え、話さないことにした。

 

「ここまではっきり声がきこえた相手はあなたが初めてよ」

 

「私も人間と話せたのは初めて」

 

 それからキテラが洗濯をする傍らで、サナトスは自分の見聞きしてきたことを話題にだした。

 サナトスにとっては初めての人間の話相手で、キテラはサナトスが見てきた色々な町のことを興味深そうにしているのをみて、なおさら楽しく感じながら話した。

 

 それから、洗い終わった洗濯物をいれたカゴをもってキテラは村に向かい、その横にはサナトスが歩いていた。

 やがて、村に近づくと、柵に囲まれた獣の姿が見え、茶色や白の体毛はふかふかしていてとても暖かそうな見た目をしていた。

 

「あれは、なあに?」

 

「あれは村で飼っているクイっていう家畜よ。あの毛から服とか作ったりするのよ」

 

 キテラがサナトスに説明していると、柵の中で家畜の世話をしていた村人が声をかけてきた。

 

「おかえり、キテラ」

 

「ただいま、これからクイをつれて外にいくの?」

 

「うん、いつもの時間には帰ってくるよ」

 

 声をかけてきたのは、利発そうな顔をした茶色の髪をした少年だった。

 

「ねえ、だれ?」

 

「えっとね、ゲオルギウスっていって、わたしの、幼馴染だよ」

 

 聞いてくるサナトスに、キテラ小さな声でそっと耳打ちした。少年の名前を告げるときの表情は、大事な宝物をみせるかのようだった。

 

「それじゃあ、いってくるよ」

 

「いってらっしゃい、さぼらないでちゃんとクイのこと見てるのよ」

 

「大丈夫だよ、まったく、ボクが何回行ってると思ってるんだよ」

 

 ゲオルギウスとキテラは軽い調子で言葉を交わして、家畜をひきつれて出発するゲオルギウスを見送った。

 

 ゲオルギウスの背中を見つめるキテラは微笑みを浮かべ、とても幸せそうな様子だった。

 

 そんなキテラをサナトスは不思議そうにみていた。

 

 

 それから、サナトスはキテラの元を度々訪れるようになった。

 キテラも姿の見えない友人として、サナトスと接していた。

 

 

 サナトスとキテラが出会ってから1週間がたったころ、キテラが自分の家ではなくゲオルギウスの家に帰るところを見つけた。

 

「キテラ、どうして自分のおうちに帰らないの?」

 

「えっとね、ゲオとは、婚約してるの。それで、今のうちから家のことに慣れるようにって言われて、ゲオのところにいってるんだ」

 

 キテラは照れたように頬を染めていた。

 それから、キテラの話から、ゲオルギウスの家は村長をつとめていて、2人は3年前に婚約を交わしていたことをサナトスは知った。

 

 そのままゲオルギウスの家に入っていくキテラについてサナトスも入り、やがて帰ってきたゲオルギウスを含めた村長一家との夕食の席を見ていた。

 家の中は、村長一家とキテラたちが部屋の中央で赤々と燃える火を囲み、にぎやかな様子だった。

 

「キテラ、どうだ、うちにきてから何か不自由はしてないか」

 

「はい、問題ありません。ありがとうございます、お義父様」

 

 日に焼けた赤銅色の肌をしてあごひげを生やした男がキテラに優しげに話しかけ、キテラも笑顔で返した。

 

「ゲオも、ちゃんとキテラのことを気にかけておくのだぞ」

 

「いままで幼馴染として一緒にいたのに、婚約したからって、急に変えろっていわれても」

 

「いやいや、女はちゃんと構ってやらんとへそを曲げるからなぁ」

 

「ちょっと、あなた、それは私のことをいってるのかしら」

 

 村長の言葉を聞いて、横に座っていた女性が方眉をピクリと上げた。

 

「ゲオはわたしのことよりも早く村長としての仕事を覚えてもらわないと。わたしは、ゲオを立派な村長になれるように支えていければいいと思っています」

 

「はっはっは、キテラは本当にしっかりものだな。おまえにはもったいないぐらいよくできた嫁だ。しっかりするんだぞ」

 

「そ、そんなことありませんよ、ゲオだって立派ですよ」

 

「お、おう、そうかな」

 

 キテラが謙遜したように慌てていうと、ゲオが照れたように頬を指でかいた。

 

「まったく、お前たちはほんとうに仲がいいな。3ヵ月後の結婚が待ち遠しいわい」

 

 和気藹々とした空気につつまれ、それはとても幸せな光景だった。

 それをみているサナトスはとてもうらやましそうだった。

 

『イイナァ……、ワタシハドウシテアノ中ニハイレナイノ』


 ユミルの耳に小さくかすれるような声が聞こえていた。

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