スイカの呪い
「あっちゃん、かい?」
ばっちゃんの家を目指し炎天下の中ダラダラと汗を流しながら、まだかまだかと歩いていると不意に聞き覚えのある嗄れた声が聞こえた。
目の前を見ると記憶より随分歳をとり腰は曲がったが間違いなくばっちゃんと呼んでいた自分の祖母、芹沢 梅その人だった。
私は疲れなんて忘れて、一目散でばっちゃんの元へ駆け寄った。
「ばっちゃん!!」
「おうおう、大きくなって。あっちゃん久しぶりじゃねぇ」
シワシワの顔を更にくしゃっとしたばっちゃんに何故か涙がこぼれそうになる。それをグッと堪えて、笑みを浮かべた。
「これからよろしくね、ばっちゃん」
「ばっちゃんも短いからねぇ、長くは一緒にいられないけど、2人で頑張っていこうねぇ」
「そんな事言わないでよばっちゃん!私もう高校生だし、なんでもって訳じゃないけど一通りできるよ。だから頼ってね」
「ほほほ、泣き虫あっちゃんが頼もしくなったねぇ」
「それは昔の話でしょ!」
久しぶりのばっちゃんとの会話になんだかむず痒い気持ちになる。八年前なんてどんな風に会話していたかなんて覚えていないが、きっと今みたいに笑っていたのだろう。
積もる話もまだまだあるが、この暑い中大変だったろうというばっちゃんの言葉で長屋の芹沢家に入ったのだ。
「あっちゃん、スイカ好きじゃったろ?今日の日のために買っといたんじゃよ」
「え?!!…あぁ……、えっと、うん。ありがとう」
ばっちゃんが持ってきた真っ赤なスイカは確かに甘くて美味しいんだろうが、私にとってはただの汚物でしかない。八年前は確かに好んで食べていたのかもしれないが、八年の間に好き嫌いが変わることだってある筈。とにかく私はスイカが大嫌いだ。
詳しい事は覚えてないが、六年前くらいに腐ったスイカを誤って食べてしまい壮絶な味を体験したとともに途轍もない腹下しをしてからスイカ恐怖症になったのだ。
今では見る事や嗅ぐくらいなら耐えられるようになったが、未だあの頃のスイカの忌まわしい思い出が出てきて食わず嫌いに近い状態で食べられなくなっていた。
「どうしたんだい、あっちゃん。早く食べんしゃい」
「あ、うん!食べる。食べるよー……」
しかし、せっかくばっちゃんがこの日のために用意してくれたスイカを無化にすることはできない。食べれないと知ったら、ばっちゃんはスイカを下げるがそれはそれは悲しそうな顔をするだろう。どうしたものか。
「あ、食べたくないなら戻そうか…?」
「いただきまーーす!!!」
ばっちゃんの悲しい顔を見るくらないなら!と思い切りかぶりつくと瞬間舌に広がる独特の瑞々しい甘さに震える。
「お、美味しい…!」
スイカ食べられるじゃん!と思った瞬間目の前が真っ暗になった。そのまま意識が薄れ、最後に見えたのはばっちゃんの異様に焦った姿だった。
「ん……」
いつの間にか眠っていたらしい。ぼんやりとした視界の中で一生懸命目を凝らすと、ばっちゃんの家の天井だと分かった。ばっちゃんの家だと分かり、起き上がろうともぞもぞ動くと何かがかけられている。薄手のタオルケットだ。どうやら私は布団に寝かされているみたいだ。
ばっちゃんに苦労をかけさせてしまったな、と寝ぼけながらも身体を起こすとどこかで見覚えの少年が、あっと声をあげて此方を見た。
あれ?ここはばっちゃんの家ではないのだろうか、という疑問は奥から男の人と出てきたばっちゃんの姿によって打ち消された。
「ああ、あっちゃん。無事でよかった」
「目覚めたみたいでよかった。君は熱中症や脱水症状などで倒れたんだよ」
どうやらバスに降りてからの炎天下の中何も飲まずに移動してたのが不味かったらしい。容態を説明してくれた人はこの町唯一のお医者さんらしく、道で倒れなかったから良かったもののと軽く怒られてしまった。
「すみません」
「なあに無事が一番だからね。梅さんのお孫さんだからタフだとは思ったけどさ」
「あらあら先生、あたしだって怒ること位あるんだけどね」
梅ーーばっちゃんが先生にじと目を向けるとははは、と乾いた笑をこぼした。こんな人がお医者さんなのかと失礼なことを思ってしまう。
「私は和久井診療所の院長を勤めてる和久井 正だ。こっちは息子の遊」
「どーも」
挨拶した遊という少年をじっと見て先ほど感じた既視感はこれだったのかと納得する。
ばっちゃんの家に来る前に会った麗花ちゃんと一緒にいた少年だ。確か麗花ちゃんも遊くんと言ってた筈。まさかお医者さんの息子とは。
「梅さんから話は聞いたけど、うちの遊と杏ちゃんは同い年らしいじゃないか。ここに越してきたということは舟町高校に通うのだろうし、仲良くしてやってくれ」
「ん、よろしく」
気だるげに挨拶をする遊くん(と私も言っていいのだろうか)を見るとどうしても麗花ちゃんを思い出してしまう。町の案内をすると言っていたがここに居ていいのだろうか。
「あ、あの和久井くん」
「…ここに和久井は2人いるし遊でいい」
「あっじゃあ遊くん。麗花ちゃんはいいの?案内するって言ってたけど」
「なんであんたがそれを知って…」
「え、さっき麗花ちゃんと居た時に会ったじゃん」
「?」
遊くんは覚えてないようで記憶を辿っているようだった。すると思い出したのかあっと声を出してこちらを見た。
「なんかいた気がする」
「君マジで麗花ちゃんしか見てないんだね」
失礼な態度にいらっとしたが、遊くんの表情を見て悪気を持って言った訳ではない事が分かったので軽く溜息をつく。すると、遊くんがんーと何故かうねり出したのだ。
「なんでか知らないけど麗花といると周りの事が見えなくなる」
「恋は盲目っていうしね」
「そういうんじゃない。それに麗花から離れたらそんなドキドキしなくなるし」
「あんな密着してたらそりゃドキドキはするでしょ…」
と呆れたものの麗花ちゃんの時に感じた同じ引っかかりのような物を感じた。なんなのかは自分でも分からない。本当に謎だという遊くんの顔を見ると麗花ちゃんという存在がなんだかとても恐ろしいものに感じた。
「で、なんでここにいるかっていうと父さんに暇なら手伝えって言われたのと麗花が学校を見学するっていうから。俺は学校見学にはいらないんだってさ。なんでも舟町高校の生徒会長が直々に案内するらしくて」
「ほう、理人くんが。確かに彼なら夏休みでも学校には居そうだが」
「うん。なんでも麗花は舟町高校に多大な支援金とか寄付を払った有栖川コーポレーションだっけ?まあそんな感じの家の一人娘だから待遇がいいらしいね」
麗花ちゃんもよくそこまで遊くんに言えたものだ。内容ももちろん凄いが。
しかし、そんな漫画みたいなお嬢様で美少女なんて何故だか麗花ちゃんという人は別次元の人の話をされてる気分になった。
「でも、遊くんは彼女を1人にしていいの?」
「彼女?」
「うん。付き合ってるんでしょ?」
「まさか。麗花とは今日が初対面だよ。流石に初日では付き合わないと思うけど」
その答えにこちらがまさかと言いたくなった。では、あの麗花ちゃんは初対面の相手にあんな接近をして甘い声で囁いたり見つめたり抱きついたり胸を押し付けたりしていたというのか。これだけ聞くとなんというビッチ。
「し、初対面なのに抱き着かれるのはいいいんだ」
「確かにね。でも麗花と初めて話した瞬間ふわっと甘い香りがしてさ。気づいたら好きになってたんだ。だから好きな子に抱き着かれるなんて悪くないでしょ」
「そんな少女漫画みたいな」
なんだか聞いたこっちが拍子抜けである。その後は2人は診療所に戻るといって芹沢家を出た。しかし、この時の私は知らなかったのだ。後にこの遊くんの言葉がいかに重要になるのかを。そんな事はお構いなしにのんびり風鈴を眺めているこの時の私を殴りたくなった。