故郷に帰ったら
紫陽花や向日葵がキラキラとした雫を付けて空に向かって花を咲かせ、鮎が優雅に泳ぎ川のせせらぎが聴こえる。少し歩いただけなのにジリジリとした太陽の熱に焼けそうになる肌と嫌になるほど蝉がミーンミーンと煩く鳴く。今日は夏休み最終日。
そんな日こそクーラーで涼み一歩も部屋から出たくないのに、私は何故か身渡せば田んぼが一面にあるど田舎の乾いた土の上に立っていた。
最寄りだと言われたバスの停留所から15分経っても目的の家には辿り着けない。流石ど田舎と言った所か。私はガラガラと可愛げもなくバカでかいキャリーバッグを引き、止めどない汗をかきながら表札「芹沢 」を探すのだった。
事の発端はじっちゃんが倒れたからだった。
私が生まれてから両親はこのど田舎--時雨舟町よりもずっと遠い東京に移り住んでいた。
元々は時雨舟町の出身は母だけで父は東京出身。東京で出会った二人はそのまま結婚したが、年老いてきた祖父母を二人きりで住まわせるのは心配ということで父も東京を離れ母の実家に住んだのだった。しかし時が経つに連れ父が外資系の仕事をしていたこともあり、前々から持ち出されていた東京への単身赴任の話がいよいよ断れなくなったそうだ。そこで祖父母の事が心配になりつつも母が妊娠をしたと同時にお腹にいる私も含め3人で東京へ戻ったのだという。
生まれてからはちょくちょく顔を見せる程度には来ていたらしいが、ここ八年位は父の仕事もいよいよ忙しくなり、めっきり時雨舟町に来れていなかった。そんな時に届いた報せがじっちゃんの危篤だった。
ばっちゃんを1人にするわけにはいかないが、両親も両親で仕事の都合で来ることができず果てには海外への赴任まで決まってしまった。
そこで駆り出されたのが私である。もう高校生となった私なら、ばっちゃんの手伝いも出来るだろうという両親の勝手な判断で来たくもないのにこのど田舎ーー時雨舟町に来てしまったのである。
確かに自然も多いし空気も美味しい。しかし、ばっちゃんと二人きりで住むというのが女子高校生としては何とも気まずいというか嫌だった。
ばっちゃん自体は嫌いではないが、特別好きでもない。なんせ八年も会ってないのだ。最後に会ったのが小2だったか。今はもう私は高校一年である。時は早いというが、八年も会ってないのに今更暮らせだなんて。今頃海外生活をしているであろう両親を恨むのであった。
「にしても……なんなのこの暑さ。エアーシャワーでないの?」
街中によく出る濡れない程度の水が出る霧吹きのエアーシャワーがこれ程までに有難いものなのかと体感している。もし無かったとしてもまだ都会のがマシだった。なんせここは日陰があまりにも少ない。それすなわち建物が少ない事を意味しているのだが。いくら若いからって暑さでやられそうになるぞ。
と、そんな時。目の前にド田舎とは思えない光景が広がっていた。
「遊くん、麗花ね、この町の事よく分からないんだぁ。だから…」
案内して?
上目遣いでピンクのワンピースを着たミルクティー色のふわふわした髪を巻いてる少女は、背の高いすらっとした黒のタンクトップの少年に抱きつきながらそう言った。
瞬間少年はすこし目をトロンとさせ、頬を紅潮させながらいいよと呟く。
なんだなんだこの夏なのに暑っ苦しくてピンクな空間は。こんな公共の場でやるなよ。
忌々しげにその光景を見ていると女の方がこちらに気づいたようだった。少女は私の存在に一瞬鬼の様な顔になるが、それが見間違えだったかのようにすぐに可愛らしい笑みを浮かべこちらに歩み寄ってきた。
「こんにちは!わたし、今朝この町に引っ越してきた有栖川 麗花って言うの。ここの町民さんだよね?よろしくっ」
スラスラと決まり台詞のように言う彼女に何か引っ掛かりを覚えたが、まあここでいう初めての友達というものになるのだろう。手を差し出してきたので、握手に応じて軽くこちらも微笑んだ。
「私は芹沢 杏。奇遇だね、私も今日ここに越してきたんだ」
「………え?貴女が……?」
まるであり得ないや信じられない等のような表情で見つめられると、彼女は会話の際中でありながら凄い勢いでスマートフォンを弄り出した。その光景があまりにも異様で、見るものすべての人がドン引きするほどであった。有栖川さんの光景に引いていると、彼氏かと思われる少年も引いているのかと思い盗み見る。しかし、少年はそんな醜い有栖川さんが目に入っていないのか今だ惚気て有栖川さんを見つめていた。これが愛は盲目ということなのか。
「ない…ないっ無い!!!なんで無いの!?だれ、誰なのよ!!?ただのモブじゃないのは分かってるのよ……っ!!」
「あ、あの有栖川さん……?」
うわ言のように何かを呟いてる有栖川さんを見兼ねて声を掛けると、はっと我に返ったようにこちらを見た。すると、少し口元が引きつったような気がしたが、すぐに先程同じ綺麗な笑みを浮かべる。
「ご、ごめんね!麗花以外に引っ越してくるなんて町長言ってなかったから、ちょっとビックリしちゃって!」
「あー成る程ね。まあ別に言う必要もないと思うよ?引っ越すっていっても新しい家が立つわけじゃないんだ。おばあちゃんの家に住むってだけで」
「そうなんだ!じゃあ元々はここの町民さんってことなんだね!
どれくらいこの町のことを知っているか分からないけど、お互い頑張ろうねっ」
ニコッとした有栖川さんは確かに少年が惚れるのも分かるくらい可愛いと思う。決してお世辞ではなくて。しかし、妙に最後の言葉が気になるのは気のせいだろうか。
「あ、そうそう!杏ちゃんはここに知り合いとかいるの?」
「おばあちゃんだけかなー」
「昔あそんだ友達とかは?」
「遊びに来たの数回だけだからいないかな」
「一度もあったことない?町民の子達の誰かと交わした約束とかは?」
「え、あ、うん、無いけど……有栖川さんどうしてそんなこと聞くの?」
妙に切羽詰まった有栖川さんを不思議に思って聞くと、またハッとしてからちょっと気になっただけだよと可愛い笑みで笑ったのだ。
「それより!有栖川さんっなんて堅苦しいよぉ。麗花、杏ちゃんとは仲良くなりたいからさっ名前で呼んでよぉ~」
「あ、うん。麗花ちゃんよろしくね」
「うん!よろしくねぇ」
ハートがつきそうな感じの有栖川さんもとい麗花ちゃんの様子を見て、すっかり先程の疑問は忘れていた。ある程度の挨拶が終わった後、麗花ちゃんは今思い出したかのような顔をする。そして先ほどから突っ立っているタンクトップの少年の腕を自身に密着させて歩き出したのだ。
「じゃあ、また今度ね杏ちゃん!
麗花、これから遊くんに町案内してもらうから日が暮れる前に早く行かなくちゃっ!ほら、遊くん早く~」
「麗花、ちょっと、当たって…」
「ん?遊くんもしかして風邪?顔が赤い…大丈夫?」
「麗花の鈍感………」
「え、なあに?聞こえなかったよぉ~」
「な、なんでもない。ほら、行くよ」
なんなんだこの茶番劇は。
あんまり会いたくはないなと思ったが、初めてこちらに来て出来た友達である。麗花ちゃん、とても謎が多いが可愛い子だ。不安要素は多いが仲良くしておこう。
私は歩を進め、再びばっちゃんの家へ急いだのだった。