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宇宙警察と兄妹喧嘩 前編

ここ最近の僕を取り巻く家庭環境は、レグザがこの家に来てから大きく変わった。ほとんどひきこもりになっていた男がいつの間にか朝食に参加するようになっていたり、家の掃除をしているのだ。レグザは僕を更生させた救世主として家族の人気者になっていた。


その影で僕は、彼女に虐げられる生活を送っていた。朝起こされる時の暴力は当たり前。漫画、お菓子のパシリ。果ては延々と○カライト鉱石を集めさせられたりと、バイトの疲労も重なり、僕は完全に参っていた。


しかしそんな彼女でも一応は「正義」に属する人間なのだ。テレビで毎日のように流れる事件のニュースを見るたび、彼女はまるで猫のように鋭い眼光でそれを見つめる。「地球の事件は地球の警察に任せればいい」と彼女は言うが、その表情は誤魔化しようがない。


彼女は宇宙警察として、宇宙の規律を乱す者を取り締まるために地球にやってきたという。僕という例をあげるなら、生産性のない宇宙ゴミとして(結局その疑いは晴れたのだが)取り締まるにふさわしい人間だったということだ。だが地球における、例えば殺人であったりするならば、それは宇宙警察が取り締まる範疇にあるだろうか。彼女の言葉をあてにするなら、それは無いと考えるのが妥当な判断だ。


正義に属する人間であるならば、それが仮に治外法権だったとしても放っておけるだろうか。


今朝のニュースはいじめが原因で自殺した中学生のニュースだった。レグザの肩が細かく震えているのが見えた。






「……いってきます」


今朝も相変わらず無愛想に我が妹は学校へと向かった。一見普段と変わらない風景に見えるが今回に限っては違う。我々兄妹は、昨日を境に不仲の溝が一気に拡がってしまった。


原因は僕だ。百パーセント僕が悪いかというとそうではない。三割ほどは妹にも非があると思う。……いや。こんなところで責任の所在を疑ってもしょうがない。


昨日僕はとてもお腹が痛かったのだ。トイレの灯りがついていることにも気づかないほどに。しかし問題はここからだ。彼女はトイレの鍵を閉め忘れていたのである。当然ドアを開くと妹の姿があった。呆然とする妹の前で、腹痛と動揺で極限状態になっていた僕は、事もあろうかそこでズボンを脱いでしまった。その後妹は立ち上がり、みぞおちに正拳突きを繰り出すとすぐさまトイレから出て行った。


とまあ、ありふれた家庭内の事故の一つなのだが、僕らにとってはそうではない。なにせ二年以上まともな会話すら交わしていない間柄だ。元々不仲な僕たちにとってそのようなラブコメ的展開はバッドエンドのフラグしか立たない。謝りに行こうにも、更なる悲劇を招く想像しか湧かない。結局僕はなんの謝罪もせぬまま今日という朝を迎えてしまった。


「守。貴様にそんな趣味があったとは失望したぞ」


どうやらレグザにも昨日のいきさつが届いていたようだ。


「いや違う! あれは事故だ! 僕に妹のトイレを覗くなどという性癖はない!」


「? 私が言っているのはこの服装の事なのだが」


レグザが指す方向には携帯ゲーム機があった。露出度の高い服に身を包み、大剣を抱える白髪の女の子。


「貴様妹のトイレを覗いたのか」


どうやら墓穴を掘ってしまったようだ。


「……あぁ。昨日のことなのだが……」


僕は正直に昨日の事件について話した。レグザは時折うなづき、何となく納得しているような素ぶりを見せた。


「なるほど」


今まで彼女には言葉の暴力を幾度となく浴びせられてきたが(もちろん本当の意味での暴力も何度も浴びている)、こうして話してみると案外理解されるものだなあと安堵した。その時。


「やはり私の目に狂いはなかった」


「え」


「貴様が宇宙ゴミかどうかと疑った時もあったが、やはり貴様は正真正銘の『ゴミ』だな」


「うなづいてたのは僕の言い分を理解してた訳じゃないの!?」


「いや。ただ単に『こいつ本当にクズだな』と納得してただけだ」


「鬼畜!」


そう吐き捨て僕は何も持たずに家を飛び出した。


外に出ると朝独特の冷たい空気が頬を刺した。衝動で家から出てしまったが行くあてもない。当分の予定もないので、とりあえず近くのコンビニにでも立ち寄ってみようかと思い足を踏み出したその時。玄関の表札の上から白い髪が覗き見えた。


「……なにしてんだ」


朝っぱらから人の家の前で腰を屈めているそいつは、怯えたように僕の前から逃げ出そうとした。その襟を掴んでそのまま引っ張る。


「ひいっ!」


「遂に僕の家にまでついてくるようになったか」


その見た目とは裏腹に臆病な反応をした彼。宇宙警察地球支部で元レグザの同僚(仮)は腕で頭を覆いながら、さながら木の棒で頭をしょっぴかれる寸前の悪ガキのような体勢で、僕の目の前で体を震わせて地面に膝をつけている。


「ん?」


抑えていた腕の隙間から僕を見上げ、その正体が分かると、彼はすぐさま立ち上がる。


「お前は! この前セナちゃんと一緒にいた奴だな!」


そりゃそうだろうよ。っていうか家の前にまで来たならそれぐらい気づけ。


「そうだけど。お前は今なにをしていた? ここは僕の家だぞ」


「幽閉されたセナちゃんを救いに来た! お前が犯人だな! この宇宙ゴミめ!」


なんだかレグザに言われるのとこいつに言われるのでは、ムカつき度に遥かに違いが生まれるのは気のせいだろうか。


「大体ストーカーのお前に犯人扱いされる筋合いはない! あいつだって俺の許可なしに住み着いてきやがったんだからな!」


「あ、あいつぅ〜!? セナちゃんをあいつ呼ばわりなんてどんな間柄だ!」


「同じ部屋で寝るような間柄だよ!!」


「はうっ!」


彼は膝から崩れ落ちた。いやまあ間違ったことは言ってないから良しとしよう。


「哉井守……」


「なんだよ」


「……う、……か?」


「は?」


「もう、……たのか?」


「なんて言ってるかわかんねえよ」


「もうしたのかって聞いてんだよ!! セナちゃんと! うわぁぁああぁあァァーーー!!!」


両眸(りょうぼう)から涙を流し、彼はそのまま両手で顔を覆って道路に頭をつけた。そのみっともなさと必死さから、僕は散々こいつを煽ってやろうとしたのを後悔し、慌ててカバーに入る。


「いやいや、なにもしてないよ! 大体同じ部屋っていってもカーテンで仕切られて殆ど会話なんてないし、裸を見ようにも不可視凝態(インビジブル)でガードは完璧だし!」


「……ほんとに?」


「ああ! 本当さ!」


「…………くっ」


「ん?」


「はーはっはっ!! それなら安心! 考えてみると当たり前じゃないか! セナちゃんがお前のような宇宙ゴミと過ちを犯すなどあるわけないよなぁー!?」


突如元気を取り戻した彼は、僕の前でイナバウアーを決めてみせる。


「待っててねセナちゃん! 僕も立派な太陽系の公務員として成長したらすぐにでも迎えにいくからさ! アディオス! あ、あとお前は早く死ね」


「辛辣!」


「じゃあねーセナちゃぁーん!」


そう言って彼は上機嫌に僕の前から居なくなった。仮にも民衆の味方であるところの警察官二人に酷い扱いを受け、人間の尊厳を崩壊寸前まで痛めつけられた僕は、流れ出そうになる涙を辛うじてまぶたで受け止める。


「立ち読みでもしにいくかー。……ん?」


先ほどまであの男がいた表札の下に、彼が落としていったであろう紙切れを見つけた。その小さいメモ紙には、僕が二年前卒業した母校。現在我が妹が通う高校の名前が書いてあった。


「なんでこんなことが書いてあるんだ?」


何の気なしに僕はそのままそのメモ紙を裏返す。裏には僕の妹の名前が書いてあった。


「哉井葵……」


遂にあいつ取り返しのつかないところまでストーキング行為が過激になってきたな。僕の家族の事まで調べやがって……


だがそんな呆れたような僕の想像は、続きを読む事で一瞬で崩れ去る。


「クラス内『いじめ』の主犯格。太陽系法特例5条により、人格不適合者として彼女を補導処分……?」


なんだこれ……


滝に打たれたような衝撃が走る。そんなはずはない。あの妹が。いや、あの妹なら正直理解出来ない事でもないが、それでもにわかには信じられない。自分の実の妹がクラス内のいじめに加担してたなんて。しかも主犯格として。


「うそだろ……」


昨日の出来事とあいまって、僕の脳内に妹との思い出が瞬間に駆け巡る。確かに葵はドSだ。実の兄の背中を階段から平気で押すような奴だからな。それでも、だからと言って、僕の妹はいじめなんていう醜いことは絶対にしない。その確信が僕にはあった。


「気にするな。これはなにかの間違いに違いない」


だがそんな僕の感情とは裏腹に、メモ紙を握る手はガタガタと震えていた。きっと意識のどこかでまだ彼女を疑っている。そんな自分を許せなく、僕は手のひらで頬を強く叩いた。


「……証明してやる。僕の妹はいじめなんてしない」


メモ紙を破り捨て、僕は妹がいる学校へと向かった。




「とはいえ……」


僕は今、かつて青春を謳歌した母校を目の前に立ち往生していた。勢いでやってきたはいいが、今はちょうど学生たちが登校する真っ只中の時間帯である。そんな学生たちに紛れてこの敷地を跨ぐのは流石に相当の勇気が必要だ。


「ねぇ。あの人だれ?」

「不審者?」


そんな幻聴さえも聞こえてくる次第である。僕はそれが本当に幻聴である事を信じながら、遠巻きに学校の様子を伺う事にした。


当然だが我が妹の姿は見えない。僕より先に家を出たからな。そういやあいつが何組だったかなんて知らないんだよな。一年生とまでは知ってるんだが……


道路を隔てたところで道ゆく高校生たちを一人一人観察している僕は、恐らく遠目からだと怪しい人物だと捉えられても仕方が無い。途中風に揺らめくスカートを目で追っていたのも事実だ。


「あなたなにやってるの!」


ーー!!!


背後から大きな声が飛んできた。振り返らなくても分かる。これは僕に向かって放った言葉であると。冷や汗を滲ませながら、僕は恐る恐る後ろを振り返った。


「えっ!? もしかして哉井くん?」


意外な反応をとった声の主は、細身のスーツに身を包んだかつてのクラスメイトだった。


「針崎……?」


驚いたような表情の彼女は針崎真奈(はりさきまな)。卒業するまでの三年間同じクラスだった彼女は、あの時の若々しい制服姿ではなく髪も茶色に染め、薄く化粧までしている。


「え!? 本当に哉井くんだよね? 久しぶりー!」


「あ、ああ……久しぶり」


あまり過去について話したくはないが、かつて担任の押し付けでクラスの委員長を任されていた僕は、副委員長の彼女とはよく会話を交わす間柄だった。お世辞にも頭が良いとはいえない彼女に勉強を教えてあげたことも何度もあったし、放課後までクラス委員の仕事を共にやったこともあった。結局そのような、ギャルゲーでいうところのイベントをほぼ彼女メインで進めていったにも関わらず、一切のフラグも立たないまま卒業を迎えてしまった。


「ほんと久しぶりー!!」


彼女が僕の手を握って飛び跳ねている。その反動で揺れる彼女のボンボヤージュを見ながら、僕は素直に時の流れを感じた。


「って! なんで哉井くんがこんなところで女子高生覗き見してんの!」


なんで女子高生限定なんだよ! そんなつもりじゃねえっての!


「いや、僕の妹を探しててね……」


「ああ! 葵さん? そういえば哉井くんの妹さんだったね!」


「知ってるのか!?」


「だって私んとこの生徒だもん」


「えぇ!?」


針崎が腕を前に組み、したり顔で鼻息を吐いた。どうやら彼女はここの教師らしい。


「先月から葵さんのクラスで副担任をしてるんだー♪ あ、私英語担当ね!」


そういや彼女は短大に入ったんだっけか。英語の成績だけは誰よりも良かったしな。時間が過ぎるのは早いもんだ。


「そうなのか。それじゃ話は早い。葵は何組だ?」


「一年二組だよ! なに? 忘れ物でも届けにきたの? それなら私が届けてあげようか?」


「いや、僕が届けに来たって知ったら、あいつは断固受け取り拒否するだろう。加えて僕には妹の忘れ物を届けるなんていう親切心は微塵もない」


「ん? それじゃどうして?」


「うっ、それは……」


彼女に対してなんて言おう。「お前のクラスでいじめが起きているか?」とでも言うか? そんなことを言って彼女がその事を知らなかったらショックを受けるかもしれない。例えそれが勘違いだとしても意識せざるを得ない。軽率な判断をするところだった。


「い、いや。あいつこの頃帰りが遅くてな。誰か悪いやつとでもつるんでるんじゃないかと思ってな」


「うーん。葵さんは真面目だからそんな事はないと思うけど。クラスでもとても人気あるんだよ! 頼られてるっていうか」


家で見せる態度とは全く違うな。レグザといい、女ってのはとことん恐ろしい奴らだ。


「そうか、それなら安心したよ。それじゃこれからも妹のこと頼むな。あとこの事はあいつには言わないでくれ」


「うんわかった! あ! あと今日家庭訪問期間で午前授業だから、葵さん早く家に帰ってきても遊びに出て行ったりさせないでねー! 生徒は自宅待機って決まりだから!」


そうして針崎は学校へ向かった。……午前授業か。ああは言ったが、恐らく妹は寄り道でもして帰ってくるな。それを待ち伏せてみるか。今日は幸いバイトも休みだし、なにか手がかりでも掴めるかもしれない。


「あっ、忘れてた」


にゅるっと、下から針崎が頭を突き出してきた。


「うわっ!」


「これ私の携帯番号とアドレスね。哉井くん同窓会にも成人式も来なかったから連絡先も分からなかったんだもん。良かったらまた連絡頂戴! それじゃ今度こそバイバイ!」


さながらキャバクラ嬢のような要領で手渡された名刺には、携帯番号とアドレスがガタガタに崩れた文字で書かれていた。多分社交辞令的な感じで渡したのだろうが、それでも僕の心の中は歓喜に溢れていた。


しかしそれと同時に、今の自分と彼女とのギャップを痛感する。若干二十歳そこらで教師を勤める元クラスメイトと、かたやニート上がりのフリーター。僕が同窓会にも成人式にも出席しなかったのは、そういう社会的地位の低さを自覚し、コンプレックスを感じていたからだ。過去がどれだけ立派でも、そんなの微塵の価値もない。


唇を噛み締め、僕は手の中にある名刺をポケットの中にしまい、母校を後にした。


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