宇宙警察とパトロール
レグザがこの家に住んでから五日が経ち、次第にこの窮屈な部屋にも慣れ、それなりにこの場所での生活も不便とは感じないまでになっていた。
1.5畳は、人が寝転がりながら活動する分には何の不自由も無い。枕元の上にはパソコンがあり、壁には普段着など最低限にまで絞られた服の数々が掛けられ、早くも万年布団の様相を呈してきた布団の壁際横には、表紙の無い青年本が高く積み重なっている。
「ぶひっ、これはポチらずにはいられない」
今日は久しぶりにバイトも休みということで、ようやく趣味に没頭する時間を確保することができる。狭く暗いこの部屋で、僕はこれ以上ない愉悦を感じていた。
「おい」
隣の部屋ではレグザが相変わらずベッドに寝転び漫画を読んでいる。あれから僕は毎日7時に起こされ家族と朝食をとるようになり、日課として皿洗いを課せられることになった。そのおかげでこうして趣味の時間を多く取れる事になったのだが。
「この漫画の番外編とやらは他には無いのか?」
カーテンを開け確認してみると、レグザが薄い本を掲げていた。すぐさま僕は彼女の手からそれを奪い取る。
「これは番外編などでは無い! 絵柄も全く違っただろ!?」
「ああ。だが本編では出てこない描写が数多くあってそれはそれで面白かったぞ。○IOが○太郎のあそこをザ・ワールドするとは思わなかった」
「○京院がエメラルドスプラッシュするところとかな。ってそんなことはどうでもいいんだよ! なにお前俺の同人誌見てるんだよ! 」
因みにに行っておくがこれは所謂BL本ではない。至って内容は健全(?)だ。名誉のために一言だけ。
「同人誌というのかこれは。いや、ちょうど物語も一段落して落ち着いた時にこれを発見してな。読んでみると案外面白いものだ」
「こういった本は原作とは全く関係無いんだよ。読む必要も無いし、なによりお前には不健全だ」
「確かにな。破廉恥な場面が多く見られた」
「だろ? ということでこれは没収。読むんだったら四部からまた読めばいいさ」
こうしてレグザから取った本を持ちながら部屋へと戻ろうとすると、シャツの袖を引っ張られ呼び戻される。
「おおっと。何すんだよ?」
「貴様今日は仕事がないのだろう? ならば私に付き合え」
「付き合うって、何に」
「パトロールだ」
ああ、そういえばこいつ宇宙警察だったな。ここ最近バイト先にも顔を出さず、家でも呑気に過ごしてるものだからすっかり忘れていたよ。
「突然だな」
「突然などではない。貴様が働いている間も私はパトロールしている。主に誰もいないこの家をだ」
「お前ニートの素質あるよ。マジで。僕が認める」
「しかし今日は違うぞ。ちゃんと外の様子をパトロールする。ここ最近気になっていることもあるしな」
「気になっていることって何だよ」
「それを確かめるために貴様についてきてもらうのだ。行くぞスタープラチナ」
「いつお前のスタンドなんかになったよ」
こうしてせっかくの休みにも関わらず、僕はレグザとパトロールに赴くことになった。しかし部屋を出る直前になっても、レグザは制服に着替えようとしない。
「警察服にはならないのか?」
「今回に限っては私服で行動することにする。どうも不審者を炙り出すにはこの方がいいと思うのだ」
「ふーん。そうか」
彼女の言葉に何の疑問も抱かずに、さながら近所のショッピングセンターにでも立寄る感覚で家を後にする。隣で一緒に歩くレグザも特別着飾った服装ではなく、「ああ、これが普通のカップルってやつなんだな」と、まるで他人事のような感覚で道を歩いていた。
「ところでお前のことなにも聞いてなかったけどさ、本当の名前って何なんだよ」
「東芝レグザだ。もしくはTOSHIBA REGZA だな」
「それは家のテレビの事だろ。本名を教えろってんだ」
「ふむ。どうやら私は地球に来る際警察手帳を失くしたみたいでな。そこには私の本名が書いてあったみたいだが、今となっては知り得る手段などない」
「でもお前宇宙警察の地球支部なんだろ? そこで聞けば済む話じゃないのか?」
「地球支部なんてないぞ」
こいつ何度僕を怒らせれば気が済むのだろう。
「正確には地球支部ではなく、地球を担当する部署が宇宙警察の内部にある。私はそこの出だ。つまり地球には宇宙警察の支所なるものはない。ゆえに私も宇宙警察に戻らぬ限りは自分の名すら知り得ない」
「自分の本名さえ忘れちまったって事なのか?」
「そうだな。私が覚えていたのは宇宙警察で学んだ技術と、哉井守を逮捕するという任務だけだったな」
「なんでそんな都合のいい記憶の飛び方するんだよ……。あ、俺に会うまではどこに住んでいたんだ?」
「ここに来た時には通貨やら住まいやらといったものは何一つ持っていなかったが、私の技術をもってすれば、どこかしこで金を集めることができたよ」
「……お前本当に警察官なのか?」
どうやら宇宙警察の正体は未だ掴めないようである。そうこうしてる間に、僕達はここらで一番人が集まる駅前の商店街へと辿り着いた。昼前とあって人の数はかなり多い。
「で。ここに来てなにをするつもりだ?」
「まあそう焦るな。守。昼食でも取るか」
言われてみると朝食をとってからキリのいい時間となった。僕とレグザは昼食を取りに喫茶店へと向かう。流石に人の数も多く、席に座るまでしばらく待つことになった。
「そういえばお前お金は今どうしてるんだ? 本部と連絡が取れないなら給料も無いだろうに。今も働いている様子は無いし」
「そもそも私のいたところは貨幣概念は無く、給料というのは存在しない。そういうものがあるのは地球だけだ。しかしこれは本当に謎なのだが、地球に来た際作った銀行口座の中に、毎月一定額が振り込まれているのだ。身に覚えが無いのだが、今はそれをありがたく使わせてもらってる」
「それは不思議だな。お前知り合いとかいるのか?」
「お世話になった人はいるな。最初に働かせてもらった店長の方とか」
あっ、盗んだわけじゃなくちゃんと働いていたのね。
「それで給料を預金口座で管理しようとしたんだ。その後引き出しをすると何故か余分にお金が入っている。最初は何かの勘違いかと思ったが、それから毎月お金が入っているわけだ。しかも結構な額が。だから私は働くのをやめ、警察の任務に再び取り掛かることができた」
「それは妙な話だな。おっ。席が空いたぞ」
店員に案内された席へ向かう。僕達はそこに腰掛け、各々メニューを決める。すぐさま頼んだドリンクがやって来た。
「それでさっきの話の続きなんだが、それは今日のパトロールと関係あるのか?」
「関係が無いとも言い切れない。何せ今日貴様を誘ったのは、私について回る人物の正体を確かめてもらいたいからなのだ」
「は? もしかしてストーカーか?」
「単純に言えばそうなる。もしかすると私の銀行口座に入金する人物と同一人物かもしれない」
「それなら、その人物は宇宙警察と関わりがあると思うのだが」
「おそらくはそうかもしれんな。地球に派遣されたことで宇宙警察の誰かが面倒を見てくれているのかもしれない」
目の前に置いてあるコーヒーグラスを見つめながら僕は考えた。
おそらくこいつのストーカー(仮)は宇宙警察と関係のある人物。そしておそらくレグザの「面倒を見るため」という発言は正しい。宇宙警察が、彼女の地球での任務に支障が無いようお金の工面をするのは至極当然だ。だが、それなら何故レグザとそいつには面識が無いのか、という疑問に達する。いや、面識はあるかもしれないが、少なくとも地球では顔を合わせてはいない。宇宙警察の関係者なら堂々と接触をしてもいいのにも関わらずである。
「そいつはお前の地球での行動を監視しているんじゃないのか? ほら、ちゃんと働いているかとか」
「いや、地球には私以外来ていない筈なんだ。そもそも地球は太陽系であまり人気がない惑星でな。宇宙警察での担当者もかなり少ない」
「なんで人気がないんだ?」
「他の惑星に比べ頭が悪いのが多すぎるからだろうな。宇宙ゴミの玉手箱とも呼ばれてるぐらいだ」
物凄く他の地球人に対して罪悪感の湧く発言だ。地球の評価下げてすまんかった! みんな!
「だから現地にまで来る警官は滅多にいないと思う。ただそれでも口座に入金してくれる人物は地球にいるとしか考えられない」
「それならお前が働いてきた職場を調べてみるしかないようだな」
テーブルへと運ばれた料理を食べ終わり、僕らは店を後にした。とりあえず代金はレディーファーストで僕の方が払っておいた。だがバイトの給料が出るまで親のお金を使っている、ということなのだが。帰り際ふと座っていた席を見ると、レグザのグラスからストローが消えていた。気がした。
まず僕たちは、レグザが日本で初めに働いたというスーパーへと向かった。そこはなんら変わった様子もなく、青果品や惣菜が販売されている至って普通の店だった。レグザは外で野菜の陳列をしていた男の人に声を掛ける。
「すいません店長」
「ん? ああ! 菜種さん久しぶり!」
どうやら菜種というのはレグザの事のようだ。あとから聞くところによると、惣菜を作る際菜種油をよく使う事からこの名前にしたそうだ。相変わらずの適当ぶりである。ちなみに料理の腕前もこの経験を通じて上達したとのことだ。
「お久しぶりです店長。ところで少しお聞きしたいことがあるのですが……」
それから店長に事情を話し身に覚えがあるか聞いてみたが、有益な情報を得ることはできなかった。レグザは店長に深々と礼を下げ、その店を後にする。
「そういえばお前の家族が入金してくれてるってことはないのか?」
「それはない。私に家族などいない」
「……そうか」
はっきりと言い放った彼女を見て、それ以上詮索するのはやめておいた。余計な事に足を踏み入れ、知らず知らず彼女を傷つけてしまうかもしれない。僕にはその勇気が無かった。
次に彼女が向かったのは、いかにもな雰囲気を漂わせている暴○団の事務所だった。
「次はここの親方に……」
「いや待て待て! なんでこんな所にお世話になってるんだよ!」
「麻雀の代打ちでよくお世話になったものだ。卓上迷彩を駆使すれば牌のすり替えなど余裕で……」
「お前警察官だろうがァ! 余計な因縁つけられる前に離れるぞ!」
そうして様々な場所で聞き込みを行ったが結局すべて徒労に終わった。気がつくと日が暮れ始め、時刻は18時前となっていた。
「結局なんの手掛かりも得られなかったな」
「そうだな。やはり私の思い過ごしかもしれん。守。夕飯の買い物でもして帰ろうか」
その時レグザが僕の手のひらを掴んだ。
「えっ、ちょ……」
「別に構わないだろう。私たちは世間的には恋人同士なのだから」
真顔で見つめる彼女から視線を逸らし周囲を見渡す。そして人がいない事を確かめてから僕はそれに従った。
「汗、濡れても知らないぞ」
生まれて二十年。こうして女の子と手を繋ぐことに憧れ、そして妬んでいた僕は今猛烈に感動していた。綿のように柔らかく、少し冷たいその手は、じんわりと僕の体温を馴染ませていく。その時。
「守。気をつけろ」
レグザが僕の手を振り払い背後に身構える。つかの間の幸せから目の覚めない僕は、まだ幸せボケでもしているのだろうか。レグザの見つめるその先に、邪悪とも表現すべき滅紫の濃霧が立ち込めていた。
「なんだこれ……」
数秒前には存在しなかった濃霧が僕たちの周りを覆っていた。その色はまるで毒でも帯びているかのようで、僕は咄嗟に口を抑える。
「先程からついてきていたのは貴様か」
レグザが霧の方向へ声を掛ける。その呼びかけに応じるかのように霧は外側へと晴れていき、ぼんやりとその発生源と思われる人物が姿を現した。
「不可視擬態で貴女を追っていたのですけどねぇ。嫉妬に耐えきれなくて出てきちゃいましたよ」
白髪に小麦の肌、そして翠の目をした男がそこに立っていた。身長はおそらく180センチ前半。僕よりも一回り大きいが、体つきは細く華奢に見える。白いシャツを黒のスラックスの中にしまい、まるでホストのような格好をしている。
「レグザ! あいつは一体……」
「いや、分からない。だがあいつがストーカーの正体として間違いない」
レグザはそいつとの距離を徐々に近づけにじり寄って行き、服の何処からか手錠を取り出して構える。
「五秒以内に答えろ。何故私を追う」
レグザがそいつに向かって迫力をもって尋ねる。一方尋ねられた本人は、さも心外といった表情で笑いながら答えた。
「セナちゃん。俺のこと忘れちゃったわけ? いつも一緒にいたのにさ」
ーーいつも一緒に? それにセナ?
レグザの方を見てみたが表情は一切変わっていない。どうやら本当に知らない人のようだ。
「貴様の事なぞ私は全く覚えていない。早く私の目の前から失せろ。さもなくば実力をもって制する」
「あら。本当に覚えてないんだね。…………それじゃ久しぶりに実践訓練とでも行きますか! セナちゃん!」
突然辺りの霧が吹き飛び、同時に眩しい光が弾く。思わず手で顔を覆うが、目の前では超高速の格闘が繰り広げられ、それを確認したいという欲が、次第にその指をほどいていく。
「さすが! 相変わらず速いねセナちゃん!」
「そのように呼ばれる筋合いはない。悪いが貴様も宇宙ゴミとして排除させてもらう」
「へぇ。その男は『保護』で俺は『排除』か! えらい扱いの違いだね!」
「黙れ。貴様に付き合う時間も惜しい。早々に蹴りを着けるぞ」
突然超高速の格闘は止まり、レグザはその場からいなくなっていた。白髪のそいつは狼狽し辺りを見回す。
「不可視擬態! ここまで完璧に気配を消すなんて!」
「……二重拘束」
突如現れた鎖によって、そいつは身体中鎖に縛られて倒れた。おまけに特殊なマスクのようなもので口まで塞がれ、何か言いたそうにしているが全く聞きとる事ができない。
「んーー! んーーー!!!!!」
「やれやれ」
ようやく姿を現したレグザが、両の手をポンポンと叩きながら僕の隣に戻ってきた。
「さあ、行こうか」
「え!? あいつ放置!?」
「んーーー!! んーーーーー!!!」
そいつは涙を流しながら、毛虫のような動きで何かを訴えていた。
「なんだ守。なにか問題でもあるのか」
「いや、流石にあいつが可哀想だろ? お前は覚えていないかもしれないが、あいつはお前の事を知っているようだし」
「……そうか」
そうしてレグザが人差し指を外に振ると、彼の口を抑えていたマスクが外れた。荒い呼吸を整えると、そいつが目に涙を浮かべながらレグザに口を開く。
「セナちゃん! 俺だよ!ベネスだよ!」
「そのような名に覚えはない」
「宇宙警察地球担当部で一緒に働いていたじゃないかぁ」
「なに?」
レグザの顔色が変わる。やはり正体は宇宙警察のようだった。レグザが訝しげにそいつを見つめる。
「宇宙警察で一緒に愛を誓った仲じゃないかぁ! 共に同じ信念を貫き、共にお互いを励まし合って、やっと二人が結ばれる時に君が地球に行っちゃったから僕もここまでついて来たというのに!」
「…………知らん」
「はっ!?」
「行くぞ守」
放心状態の彼を放置し僕たちはその場を離れた。それから不憫になって何度か彼の方向を見てみるが、僕にはただ見守ることしかできなかった。じきに鎖に巻きつかれている彼は、嗚咽を響かせながら静かに僕の視界から消えて行った。
「お前……あのまま放置してよかったのか?」
スーパーで夕飯の食材を選別するレグザに尋ねてみる。
「構わない。なにせ宇宙警察地球担当にまともな男性など存在しないからな」
「それはつまり?」
「地球は不人気だと言ったろう。本来勇敢な男性というのは、太陽に近い水星や逆に遠い土星を担当するものなんだよ。こんな住みやすく楽な現場を自ら選ぶ男性などそもそもマトモじゃないんだ。仮にそうじゃなかったとしてもあんな女々しい奴こっちから願い下げだがな」
「はっ、ははっ」
「大体あの程度の体術で私に挑もうなど…… 不可視擬態も弾道歩行もあの程度で、よく共に同じ信念を貫きなどと妄言を言えたものだ…… グチグチ」
ベネス君。悪い事は言わない。彼女から手を引いた方がいい。僕が保証しよう。
帰り道。二つのビニール袋を僕に持たせ、レグザは彼に対する愚痴を言い続けていた。何故彼をそこまで憎む必要があるのか僕には分からない。だが一つわかったことがある。それは、僕ももうちょっとまともに生きなければいけないということだ。次にレグザに排除されてしまうのは僕かもしれないからな。彼を反面教師にして、僕はこれから頑張って働いていくことを決めた。
夕食を終え部屋に戻ってきた僕は、ひとまず今日の反省を踏まえ今朝ポチった商品をキャンセルすることから始めた。これからはオタク活動も徐々に縮小させていくことにしよう。
「おい守」
隣の部屋から彼女の声が聞こえる。
「この恐竜はどうやって倒せばいいのだ。何度斬りつけても倒れんぞ」
彼女はゲーム機を掲げ僕に助言を求めていた。溜息をつきながら彼女のいるベッドへと向かう。
「あのな、剣はちゃんと研がないと斬れ味が落ちるぞ。あとは尻尾を重点的に……」
素直に僕の言うことに耳を傾ける彼女を見て、どうやら取り越し苦労だったのかと安心した僕であった。後日、レグザの口座にまた新たに入金確認がとれた。まだ彼は地球に残っているようである。