宇宙警察と生活習慣 後編
落ち込んでいる暇などなく、レグザに急かされた僕はバイトに向かう準備を始めた。
昨夜の夕食の後、電話でオーナーに謝罪をし手錠が外れたことを伝えると、また今日から改めてバイトに参加するよう許可を貰った。自分に非があったわけではないと思うが、それでもオーナーの温情が身に沁みる。
一方のレグザも僕の働いている姿を監視するためか、丁寧にハンガーに掛けてある警察服を手に取り妹の部屋へと向かう。
「今は貴様の服がタンスに入っているから仕方が無いが、次更衣する際は貴様の部屋で済ます事だ。ちゃんとカーテンで仕切りを敷いているだろう。先程のように覗かれてはたまらんからな」
どうやら今後彼女はここで着替えを済ますようだ。このカーテンによる仕切りには、思いの外プライバシー保護の負担が大きいらしい。
着替えを終えた僕は、財布や携帯をポーチに入れ玄関へと向かった。時刻は昼の一時半。自転車で向かうと余裕を持って着く事になるが、仮にレグザと共に歩いて向かうとなると少し時間が不安だ。自転車で15分の距離は徒歩だとその三倍程の時間がかかる。どうしても早めに着いておきたい。ちょうど二階から降りてきたレグザに尋ねてみる。
「なあ。僕は自転車に乗って向かいたいんだがお前はどうするんだ?」
「ふむ。確かにそうだったな。では私は周辺のパトロールにでも勤しんでおこう。キリの良い時間になれば貴様の監視に向かう」
「おいおい。パトロールだなんて言って他にも被害者増やすなよ?」
「心配ない。貴様ほどのクズはそういない」
くっ、皮肉を言ってみたが綺麗に返されてしまった。しかしここで引き下がる僕ではない。どうにかこいつにも少しばかりの屈辱を与えるとしよう。
「はっ! そんなクズな僕に手錠掛けてどっかに逃げちまったやつにそんな事言われる筋合いはないな」
「いや、あれは単純な嫌がらせだ」
「そうだったのかよ!」
「実は最初から鍵は持っていた」
「なんだと!?」
「スペアも大量にある」
そういって上着を広げて見せると中には大量の鍵が。
「ジャラジャラあるじゃねえか! 何本あるんだよ!」
「私のスペアキーは百八まであるぞ」
「ほざけ!」
そう吐き捨て僕は家を出た。
コンビニに着くと、オーナーが奥の部屋でキーボードを叩いていた。
「よう、おつかれ」
この笑顔に隠された危険な性格を僕は知っている。引きつった笑みを浮かべオーナーにお辞儀する。
「昨日は迷惑掛けてどうもすみませんでした」
「全くだ。人手足りなくて大変だったんだぞ? 金かかるから人数減らしてシフトは俺とお前だけだったってのに」
「そうだったんですか。すみません」
どうやら僕が入ったことで他のバイトを一人クビにしたようである。なんでも親父の息子だから使いぱしっても問題ないとのことで採用したらしい。改めて聞くと恐ろしい限りである。労働基準法は特例により僕には適用されないみたいだ。
「よし、暇だろうからそこに積まれた商品の確認でもしとけ。これがリストだ。あとまだタイムカードは押さなくていいからな。お前は15時からになってるから」
どうやらこの様子だと残業手当も貰える見込みはない。僕はオーナーからリストの紙を受け取る。
従業員用の出入り口からすぐ側の棚には店に並べる前の商品が置いてあり、比較的賞味期限の長いお菓子やらカップ麺やらがあった。リストにはその商品名と受注個数が書いてあり、店内に並べた個数と棚に残ってる個数が正しいかを確かめる。
「えーっと、これはよし。これもー……って、ん? オーナー。ちょっとすいません」
「なんだ?」
「このカップラーメンの数が合わないんですよ。それと見た所このお菓子も少ないです」
「あー、それさっき喰ったやつだわ」
「え」
「まあ細かいことは気にするな。受注個数の桁間違えないのと、万引きするようなガキを半殺しにすればうまくいく」
このコンビニの経営状況がよくないのはこのオーナーあってではなかろうか。僕は呆れながらも作業に戻った。
そうして一通り確認作業が終わると本来のバイト開始時刻が迫っていた。レジを担当していたバイトの人も、スタッフルームに戻ってきて早々に帰り支度を始めている。
「よし守、レジ打ち行って来い」
「ちょっと! 僕何も教わってないですよ!」
「なに〜? 大学にも行ってた癖にレジ打ちも出来ねえのか? なんのために勉強してたんだよ」
レジ打ちは学校では教わらない。
「まあいい。これに着替えてついて来い」
渡されたのはコンビニのロゴが書かれたポロシャツだった。胸には僕の名前のネームプレートが付けられている。僕はそれに着替えてオーナーの後をついていった。
初めて従業員側のレジに立ったが案外狭い。幅は人一人分のスペースしかなく、後ろを通る時は横身になるしかない。いつも忙しなく動き回っている従業員の過酷さを理解する。ーーその時客が一人入ってきた。
「いらっしゃいませー」
横に立つオーナーがそう言いながら僕の背を叩く。その意味を理解した僕もそれにならって同じ言葉を繰り返す。
「そうやってお客さんが入ってきたら挨拶するんだ。だがまあ、大体この店に来るのは顔見知りばっかだからな。慣れていったらそんな堅苦しくする必要はないぞ」
オーナーとしてあるまじき態度だが、それを聞いて若干の安心をする。そして今入店したお客が商品を持ってレジへと向かってきた。
「あら、新入りさん?」
その中年の女性がオーナーに話し掛ける。
「ああ、そうそう。俺の友達の息子だ。佐藤の代わりに入った」
「あらそう! 佐藤くんやめちゃったの~」
「あいつは根性ないからクビにしてやったぜ」
「厳しいわ〜。でも少し言えてる。おほほほほ」
まるで友達のように談笑している様は、明らかに店員と客の関係ではない。というかこんな所でネタになる佐藤くんが不憫すぎる。
「えーっとそれで、雑誌620円、お菓子が105円、156円、と。合計881円だな」
さすがにレジの計算はお手の物といった感じである。慣れた手つきで商品を捌いていった。
「はい、じゃあ千円札から」
「はいはい。じゃあお釣り」
ーー!?
おい待て。代金は881円だったろ? それならお釣りは119円じゃないのか? なのになぜお前は百円玉一つ渡している!?
「どうも〜」
どうもじゃない! なぜあんたも疑問を持たない! 明らかに足りないだろ!
「あの、お釣り119円じゃ……」
そう聞くとオーナーは鼻をほじりながらさも当然かのようにこう言い放った。
「あ? 俺がレジする時は四捨五入って決まってんだよ」
「そうそう。店長さん計算苦手でね〜」
そういう問題じゃないだろ! コンビニとして駄目だろ! というかレジ扱えてるんだから勝手に計算してくれるよ!
「でもお客さんに悪いし……ねえ!? そうでしょ!?」
「う〜ん。でももう慣れちゃったし〜、時々は得することあるから別に気にしてないわ〜」
「だってほら小銭ってずっと触ってると臭えじゃん? だからカチャカチャすんの嫌だしさ」
なんということだ。この店は狂ってる。よくフランチャイズで経営できてるものだ。本社から何か言われたりしないのだろうか。
「それじゃまたね。あと新入りくんもこれからよろしくね〜」
そういって上機嫌に彼女は店を出て行った。
「よし、次お前やれ。今の調子でな」
「出来るかァァァーーー!!!!」
結局レジ打ちは独学で学ぶことにし、僕はひとまず商品棚の整理と店内清掃をすることにした。それからも何人かの客が来たが、オーナーは彼らと適当に喋り、適当なお釣りを渡していた。その様子を見ていた僕は、人生初のバイトがこんな所で良かったのだろうか、それとも逆に厳しくない分まだマシなのだろうかと思い悩んでいた。
「いらっしゃいませー」
入店音が鳴り、既に脊髄反射として挨拶が出来るようになった僕がドアの方向を見てみると、そこには宇宙警察の彼女が立っていた。
雑誌棚の前の床をモップで磨いていた僕は、入ってきた彼女とバッチリ目が合ってしまった。なぜか悪いことは全くしていないのに、それこそ脊髄反射で驚いてしまう。
「うわっ!」
驚く僕を一瞥し、彼女は店内の様子を見に動き出す。まずは弁当コーナーに立ち寄り一通り眺めると、一つおにぎりを取った。そしてそのすぐ横のホットドリンクコーナーで缶コーヒーを一つ取りレジへと向かう。
ーーそういえば昼は食べてなかったな。
僕は気を失っていたから良いものの(いや、良くはないが)、レグザは家の掃除をしていて、おそらく昼食はとっていない様子だった。監視ついでに昼食でも買いに来たのだろう。
「ん? そういや姉ちゃん昨日守と一緒にいた女の子じゃねえか」
オーナーがレグザに気づいた。そうだ。そもそもこいつのせいで昨日は働くことができなかったのだ。
「ああそうだ」
「で、今日はどうした?」
「私は警官なのでな。パトロールをしていた途中だ」
嘘つけ! ただの時間つぶしだろうが!
「そうか。それはご苦労なこった。で、姉ちゃん本題に入ろうか」
お? オーナーの顔が本気だ。これはいくらレグザと言えどもビビるに違いない! なんといってもオーナーを怒らせた原因を作った張本人だからな! さて、言ってやれオーナー!
「おにぎりあたためますか?」
そうじゃねえだろ! しかもなんでそこだけテンプレなんだよ! お前もうなづいてんじゃねえ!
「合計246円だな。姉ちゃん。200円でいいぜ」
四捨五入ルールが適用され、かなりお得に商品を買うことができたレグザは、そのまま店を後にする。
ーー? どこ行くんだ?
どこかで僕を監視するわけでもなく、彼女はコンビニ袋をぶら下げたままどこかに行ってしまった。まあ僕もずっと監視されるのは気が滅入るわけで、彼女がパトロールの続きにでも行ってくれた方がそれはそれで一安心だ。
結局そのまま彼女が現れることなく三時間のバイトは終了し、短い時間ながらも僕は充実感に満ちていた。オーナーは五時にコンビニを離れ、代わりに他のバイトさんがそこに立っていた。
「お疲れ様です」
一言彼に挨拶し、僕はスタッフルームへと向かう。そこで着替えをすましタイムカードを押そうとすると、なぜか僕のタイムカードが一時間前に押されていた。間違いなくオーナーである。本社に訴えれば勝利確実に違いない。
そんなうやむやした気分で自転車を取りに向かうと、ハンドルに白い袋がぶら下がるっているのが見えた。
ーーあいつ。
中にはすっかり冷えてしまった缶コーヒーとおにぎりが入っていた。
「夕食もうすぐなのになあ」
僕は苦笑いをしつつ、冷たいおにぎりをほうばりながら自転車を漕いだ。
家に着くと台所でカーチャンとレグザが肩を並べて夕食を作っている。匂いから察するに僕の好物であるカレーだ。おにぎりを食べてしまったせいで空腹感はなくなったが、それでも今日という日を締めくくる最高の夕食であることは間違いない。
僕はこのすっかり狭くなってしまった部屋で、もうじき聞こえるだろうカーチャンの声を楽しみに待つのだった。