宇宙警察と生活習慣 前編
「おい朝だ。早く起きろ」
んー……、もうちょっと寝かせてくれ。僕は元々夜の住人なんだ。例えるならヴァンパイア。人間の目覚める今にこそ睡眠をとってだな。
「起きろや」
「ぐふっ!!!」
目覚めの一発。臀部に衝撃走る。跳ね上がりで見えたが、確かに僕は腹を踏まれていた。
「貴様の家族がこれから各々活動を開始するというのに、なぜ貴様はまだ寝ようとする」
「だって寝たの五時だぞ? 今七時じゃないか。まだ少ししか寝てないし」
「このような人間の腐りきった生活をしているから貴様はゴミなのだ。いいから早く起きろ」
そうして布団を強引に剥がされる。とは言え、今回の責任はお前にもある。昨夜こいつが我が家に住むことに決まり、母親のありがた迷惑のおかげで僕はこいつと同じ部屋で過ごすことになった。
それからが最悪である。僕の愛しいベッドはスーツから布団まで全て剥がされ彼女専用となり、僕は代わりに床で寝ることになった。元々睡眠バランスの崩れた僕がいつもと違う場所で寝ることになったのだから、いつもより寝つきが悪くなるのは当然。しかもすぐ近くには女の子が寝ているのだから、なおさら眠りにつくことは困難だった。そんな葛藤を繰り返し、結局寝れたのが朝の五時だった。
「朝食の準備が出来ている。下へ向かおう」
よくも他人の家でこんなに堂々としてられるものだ。踏まれた臀部と寝ぼけまなこをさすりながらリビングへと向かう。
「あらレグザちゃんおはよう。あら。守も珍しい」
「こいつに無理矢理起こされたんだよ」
「早速効果てきめんね、さすがレグザちゃんだわ。ね、お父さん?」
「……そうだな。こんな時間に守を見るのは何年ぶりかな」
そこまで言うか。確かに朝食喰うのなんて久しぶりだが……
「……いってきます」
「いってらっしゃい葵。気をつけて」
妹はもう学校に向かうのか。早いな。 ……ん? 玄関へ向かう妹にレグザがなにか話しかけている。……笑ってる。この二人の笑顔ほど恐怖を感じるものはない。見なかったことにしよう。
テーブルにつくと、カーチャンが次々と朝食を並べていく。
「朝からこんな多く作ってんの?」
「まさかいつもこんなに作ってる訳じゃないわよ。レグザちゃんが一緒に手伝ってくれたからよ!」
こいつが? この意味のわからんやつが料理など出来たのか。
「それじゃ私たちも仕事に向かうから、あとは勝手に食べて片付けていってね。 レグザちゃん! 頼んだわよ!」
「はい、お母様。お二人とも気をつけていってらっしゃい」
何故僕でなくこいつの方が信頼されてるのだ。まだ会って一日も経ってないぞ。
玄関の扉が閉まり、テーブルには僕ら二人が残された。とりあえず並べられたもの全てに手を付けて行くが、特にマズイといったことはなかった。むしろうまい。
「お前料理できるんだな」
「一通りはな」
案外見かけによらないものだ。こういった無愛想な奴は不器用だって相場が決まってると思っていた。
「ところでこれからどうするんだ? 僕のバイトは15時からだぞ」
「別にすることなどないが」
「は? ならなんであんな無理矢理起こしたんだよ」
「あんな不規則な生活を送っていたらまた同じようなことの繰り返しだ。規則正しい生活習慣を身につけなければ地球人としてふさわしく無い」
認めたくないが正論だ。
「まあいいや、それなら部屋にでも戻ってゲームでもするか」
「それは駄目だ」
「なんでだよ! することなんかないんだろ?」
「これ以上頭を空っぽにしてどうする。手を動かしたいなら家の掃除でもすればいい」
「ぐぬぬ」
「ごちそうさま。ひとまずこの食器でも洗っておくがいい。私はシャワーでも浴びてくる」
ーーなんですと!?
そういや昨夜は風呂には行っていなかったな。こいつもしや朝風呂派か!? だとすれば家族がいないこの時間、僕とあいつで二人っきり……
ーー視れる!
神様ありがとうございます……! 哉井守、此度の機会必ずや目標を仕留め成果を上げて参ります……!
レグザは着替えを取りに部屋へと戻って行った。その間僕は皿に残った食事を強引に流し込み、台所へと食器を運んでいく。
レグザが風呂場へと向かった。我が家は風呂場の隣にトイレがある配置になっている。作戦としては彼女が服を脱ぎ、水の跳ねる音がした時を見計らい扉を少し開け、すぐさまトイレにて待機。シャワーの音が止んだらその隙間から彼女のボディーを眺めるといった寸法だ。
ーー完璧だ。
そして彼女が風呂場の扉を閉めたタイミングで任務開始。洗い物を放置し忍び足で近くまで向かう。リビングと廊下の仕切りの壁から顔を出して様子を伺い、安全を確認すると次は扉の前まで向かい腰をかがめる。そして注意深く中の音に集中。
ーーバタン。
これは浴室の引き戸が閉まった音! そしてすぐに水の流れる音がする。念には念をいれ、三十秒ほど経ったところで立ち上がり、ゆっくりと扉の取手を掴みそれを引いていく。しかし。
ーーなに!?
守に電流走る。
ーー開かない!
これ以上手前に引けない。どうやらこの扉は押して開くタイプのものだった。予想外。明らかな失策。初期段階での盲点は、守に諦念の色を滲ませる。しかし。
ーーまだだ……まだ道はあるはず!
守は諦めない。すぐさま彼が向かったのは妹の部屋だった。彼が妹の部屋に入るのは彼女が中学一年の時以来である。そのあと、思春期特有の反抗期によって嫌われた守はそれ以来妹の部屋に入ることはなかった。
その緊縛が放たれ、守が取った行動は、「彼女の手鏡を借りること」だった。
守は二年振りの妹の部屋に興味を示すことなく、ただ貪欲に手鏡を探し続けた。机の引き出し、タンス、布団の中。あらゆるところを蹂躙し、ようやくその在りかを突き止めた守は急いで下へと向かう。
そして流れる水の音を頼りにドアを慎重に開き、その手に持った手鏡を脱衣所の壁に置く。置かれた鏡に映っていたのはドラム型の洗濯機だった。その円形の扉には僅かではあるが脱衣所の光景が映し出されていた。
なんという執念。本来ならこのように回りくどく、かつ成功したとしても微かにしか彼女の姿が見れないのであれば、最初からビデオでも設置しておけばよかったはず。ーーだが守はこの方法を選んだ。この臨場感、興奮、守はこれ以上ないやりがいを見出していた。
ーー!!
時、迫る。水の音が止んだ。もうじき水に濡れた彼女のあられもない姿が、洗濯機を反射して手鏡に写るはずである。鼓動を高めながらも、守はただ一点鏡を凝視する。
そして浴場の引き戸は開いた。
緊張の一瞬。全身の神経を視覚に集中し手鏡を見つめる。……トン、トン。マットに足踏みする音。徐々足音は近くなり、遂に目標地点までターゲットは来た。しかし。
ーー!?
再び守に電流走る。
……見えない。あろうことか浴場の湿度によって手鏡が曇り、そこにはなにも映し出されていなかった。青天の霹靂。綿密に練られた計画が一瞬で崩れていく。
ーーまだだ!
もう守に理性はなかった。こうなったら直接見る他ない! 全てを投げ打った大博打。もはや痺れる両足すら気にせず守は立ち上がり、ドアを思い切って開いた。
「なん……だと?」
……いない。僕の目の前に彼女はいなかった。開かれた引き戸には湯気が立ちこもる浴槽があり、洗面台、洗濯機。それ以外にはなにもなかった。
だがそんなはずはない。確かに彼女はこの空間にいる。いないとすればこの鼻腔をくすぐる石鹸の香りはなんだというのだ。
「なにをしている」
声が聞こえた。間違いなく彼女の声だ。
「貴様、自分がなにをしているのか分かっているのか?」
身の毛がよだつ。目の前に彼女はいないのに確かに彼女の声がする。狼狽する僕は辺りを見回す。
「死をもって償え」
これが僕が最期に聞いた言葉だった。
次に目が覚めたのは昼のことだった。それも脱衣所で気を失って倒れている僕の頭に、レグザが掃除機を当てながら髪の毛を吸引するという最悪の目覚めだ。
「邪魔だごみ。あいにくこいつでは吸えないのだ。早くはけろ」
殺意を帯びた目で命令され、いち早くその場から脱出する。廊下に避難した僕は、先ほどの真相を確かめるべく恐る恐るレグザに訪ねてみた。
「なあ、お前さっき消えてたよな」
「先刻の件を口に出すか。さてはお前死に足らんな?」
「え!? 僕殺されたの!?」
「一生子どもの産めない体になった」
「まじで!?」
すぐさま確認してみる。……あいにくちゃんと付いていた。いろいろと。
「さっきのことは謝る! ごめん! だがお前昨日も瞬間移動したりしてなかったか? お前もしかして凄いやつだったりするのか?」
「散々言っているだろう。私は宇宙警察だ。それ相応の技術は持ち合わせている」
そういって掃除機のスイッチを切り、レグザは部屋から出ようとする。僕は彼女の進む邪魔にならないよう横に移動する。というか逃げる。
「宇宙警察ってそんな凄いのか?」
「あの技術も大したことはない。初期段階に教わる技術だ」
彼女は宇宙警察の話題になると少し機嫌を取り戻し、技の説明をしてくれた。
まず瞬間移動。あれは宇宙警察ではラピッドウォークといい、実は超高速で動いているだけだという(それでも人間業ではないが)。宇宙警察において容疑者を捕まえる上で欠かせない技術となっているらしい。
そしてさっき消えたように見えたのはインビジブルという技術。消えたわけではなく、そこに実体はあるが肉眼では見えない。太陽光でいうところの紫外線だとのことだ。宇宙警察では隠密行動の際に使用する。普段裸になる時にはインビジブルモードとなるそうだ。つまり僕の努力は全て無駄だった、ということである。
「さて、いい具合に時間を潰せたな守。もう昼だぞ」
どうやら寝不足は僕の意思に反しながらも解消されたらしい。バイトの時間までもあと二時間ほどとなった。
「そろそろ貴様も準備した方がいい時間ではないか。私も着替えるとしよう」
そういって掃除機を戻しに行く。僕も階段を上り自分の部屋へ向かった。
しかし自分の部屋に戻ってみると大変な事が起きていた。
「なんだこれは……」
完全な模様替えが施されていた。ベッドは既に彼女に奪われていたが、机、タンス、本棚は全ての位置が明らかにおかしい。机の上にはあったはずのパソコンすらない。
「どういうことだ……ん?」
何となく右の方を見てみると、カーテンで仕切られている。ーーまさか。カーテンを開いてみると、そこには今朝僕が寝ていた布団が敷かれてあり、その上には大量の青年本。さらにはパソコンのモニタやデスクトップが乱雑に置かれていた。
「なんじゃこりゃーー!!」
「気づいたか」
いつの間にかレグザがベッドで寝転んで漫画を読んでいる。
「1.5畳。そこが貴様の部屋だ」
「なんですと!? お前居候のくせに俺の部屋まで奪いやがって!」
「よく私に生意気な口が聞けるな。先程の事忘れたとは言わせんぞ」
「ぐぬぬ」
「電気は自由に使っていいぞ。ただしあまり配線をそこらじゅうに広げるな。あ、あと貴様の服がタンスの中に入ったままだな。それも全て整理しておけ」
僕は力なくその場にへたり込み、白く燃え尽きた。