プロローグ
春。花が綻び、小鳥が戯れ、子供たちが笑っている頃。僕はカーテンから溢れる陽光から、お情け程度のミネラルと紫外線をその身に受け、パソコンの画面を見つめていた。
「無職が夢を語るようです part37」
時計は8時20分を示していた。21時からサイトを巡回して、今現在大型匿名掲示板のある一つのスレッドを閲覧している。
右手にマウス、左手にポテチの完全体制でそれらを読み進めていくとあるコメントを見つけた。
「ん? なになに? 『自分は現在28歳の無職ニートですが、将来アニメーターかもしくは声優になりたいと思ってます。アドバイス下さい』んだぁ!?」
……居るんだよな〜こんな奴。現実見ないで妄想に浸ってる痛いやつ。
即座にキーボードでこの甘ちゃんにレスを返す。
>>25
28歳のキモオタニートがアニメーターだの果ては声優になりたい? 無理に決まってんだろハゲ! 地に帰れ! クズ!
してやったりと言わんばかりにニヒルな笑みを浮かべ、椅子を後ろに傾けながら天井を見上げる。ふぅ、と大きな溜息を一つ吐き、再び他のスレッドを巡回する。
そうしてまた眠気が来たらベッドへと向かう簡単なお仕事です。
そうです。僕もニートです。
……いや、今までの僕ならそうだった。しかし今は違う。何故なら遂に先日バイトとして働くことが決まったからだ!! 晴れて僕もフリーター。恐らく、今まで見るのが怖くて敬遠してきたこのスレに辿り着いたのも、働く事に喜びを感じているからだろう!
ニートからフリーターへ。この偉大な一歩を、確かに今僕は踏み出したのだ!
「さて、バイトも遂に今日から始まるわけだし、15時の初出勤の為に早く寝るとしますか!」
そうして僕はベッドへ向かった。この朝(僕にとっては夜のようなものだが)が最後の日常だったとは知らずに。
目覚めたのは13時だった。バイトの時間まではまだ余裕がある。僕は一階へ降りリビングへと向かった。テレビの前のテーブルにはラップのかけられた皿が置いてあり、中にはオムライスが入っていた。
「とうとう今日からお仕事始まりますね。頑張ってください」
横にはカーチャンの書いた置き紙もあった。俄然やる気が出てくる。僕は温めたオムライスをほう張りながらバイトに向かう準備を始めた。
バイト先は親父に紹介してもらった全国展開の24時間営業のコンビニだ。親父の高校時代の同級生がオーナーで経営しているらしく、そのツテで働かせてもらうことになった。
かといって経営は順風ではない。正直街の方にあるわけでもないので客数も伸びず、その為人件費もかなり痛手となっているはずだ。面接の時もオーナーから「お前無職だったろ。初めての仕事だ。潰す気ないなら死ぬ気で働け」と言われたくらいだ。
僕も辞める気などないし、脱ニートとして頑張って行くつもりだ。このオーナーの顔に泥を塗る気は毛頭ない。残ったオムライスを掻きこんで、カーチャンの買ってきてくれた自慢の一張羅を身に羽織り、スニーカーを履いて玄関を後にする。
ドアの鍵が閉まったのを確認し、車庫の奥にある自転車を引っ張り出す。
……正直この半年で使用したのは指折り数えられるぐらいのものだ。一週間前の面接の時も親父の車に乗っけられたわけだし、軽く見積もっても一月はペダルを漕いでいない。
幸いにも自宅近辺には歩いて数分の所に他のコンビニがあるし、自販機程度ならすぐ目の前にある。滅多に外出しないが、するとしたらせいぜいそこら辺だろう。
というわけで、これから相棒となるであろう愛車にまたがり颯爽とペダルを廻す。久しぶりの運転とあってか、チェーンは嘶きタイヤはアスファルトとディープキスをしているが、さながら気分はランス・アームストロング。体幹をブレさせないまま振り子の様に上半身を揺らしてスプリントを進む。
途中「ベストラップだな」と腕時計を確認しながら呟いてみるが、自分でもなにがベストなのかは理解していない。所謂"チュウニ"がもたらす表現であることは皆様に理解して欲しい。
そうして愉快に、一人ツールドフランスを満喫していた時である。バイト先までの中間地点に差し掛かったところで、道のど真ん中に立っている女の人が目に入った。
遠くから見ても僕に立ちふさがっているようだが、段々と近くなるにつれ表情まで見えてくるようになり、気がつくと目の前にいた彼女は、まるでスリーナインの刀を携えた武蔵坊弁慶のごとく僕を睨みつけていた。その威圧感は凄まじく、僕は無意識の内に自転車から降りた。
「…………」
自転車から降りてもなお彼女は僕を睨みつけている。うわ。めっちゃ怖い。自分よりも一回りも背が低いはずの彼女に軽くお辞儀をして、自転車を押しその横を通り過ぎようとした。その時。
「待て」
こちらを見向きもせずに。というか表情すら全く変えずに、僕の右上腕二頭筋と三頭筋を鷲掴みにされた。
「ふぇっ!?」
その瞬間ビクンと体を跳ねさせ、だらしない声をあげてしまった。恐る恐る掴まれた腕の方へ視線をやると、先ほどまでの印象と違い、彼女の女の子らしい姿に目が行く。
おおよそ近頃の女子大生が着ているような清潔感のある紺色のブレザーと、あのひらひらじゃない方のスカート。婦警さんが履いてるようなあれだよあれ。その下には男の夢、ニーソック……
「おい貴様、なにをジロジロ見ている」
「は、はい! すみません!」
彼女に咎められ僕は素早く視線を脚から反らす。しかし今まで気づかなかったが、よく見ると可愛らしい顔をしている。
眉間を寄せ厳しい表情をしているものの、切れ長な目と綺麗に整った鼻、みずみずしい唇。腰まで伸びるストレートロングの艶々な黒髪は、現代に蔓延る薄汚いメイクの女共とは違いクールビューティを貫き通しているようにも見える。柄ではないが何処ぞの大衆アイドルに混ざればすぐにでも活躍必至なほど……
「……まあいい。貴様。哉井守だな」
「え? そうですけど……」
突然知らない女の子に自分の本名を言い当てられ動揺しないはずがない。一瞬感じた弛緩がまたしても緊張に変わる。
「お前ニートだな。逮捕」
「…………は?」
目が点になるということは正にこのことか。突然知らない女の子に腕を掴まれたと思えば、二の口にニート呼ばわり。そして逮捕。
……ははぁ〜ん。始めは焦ったが、面識の無い異性が突然自分の前に立ち塞がり、それを素通りしようとすると妨害し挙句に「逮捕」。
ここである一つの結論に辿り着く。
ーーこれは彼女なりの告白!!
構って欲しい故僕を引き止め、逮捕という名の束縛を強いる! まあ名前なんぞ家も近いわけだしどっかで知ったに違いない。
しかし見かけによらず大胆な女の子だ。確かに最初は少し怖かったよ? だけど全てを知ってしまったら今までの行為が愛おしく思えてしまう。安心しな。僕の応えはYESだ!
だがしかしどう返事を返すのが吉だろうか。いや、まあこの場合「逮捕」という言葉も彼女が慌てて咄嗟に言ってしまった可能性もある。彼女に「本意に削ぐわぬ解釈をされてしまった」と思われてもいけない。……つまりここは彼女に恥を欠かさぬ様このノリを利用して応えるのがベスト! すなわち……!
「……逮捕……してください……」
ーー決まった……
三秒後。悦に浸る僕の右手首に冷たい何かが嵌った。
もちろんカップルお揃いのブレスレットなどの類いでは無いことは見て明らかである。結婚指輪ならぬ拘束手錠。もうニュースでは見ることの無いアレが今目の前で鎖を携えて僕の手首に繋がっている。
「午後一時五十分 烏丸地区瑞穂通りにて……」
横の彼女が胸のポケットから手帳らしきものを取り出し、時刻を確認しながら書き込んでいる。ん? んーっ?
「……あ、あの?」
「太陽系法156条 宇宙ごみ処理法に基づいて貴様を逮捕する」
「宇宙ごみ!?」
なにやら別次元の罵倒を浴びた気がするが、それは置いといて。
「なんすかこれ!? 手錠!? なんで!」
「貴様が逮捕を所望したのではないか」
逮捕ってそっち!? っていうか普通はそっちだけれども……
「逮捕っていったってなんで僕なんだよ! なんで捕まえられなきゃいけないの!?」
「宇宙ごみ処理法だ。貴様は太陽系の資源を貪り、なお害しか産まない。よって太陽系法の定めるところによって、宇宙警察が貴様の身柄を拘束する」
彼女は顔色一つ変えずにペラペラと僕の罪状を読み上げる。
ーー駄目だこいつ早くなんとかしないと……
先程までのクールビューティの印象は彼方へと吹き飛んだ。完全にこの女、電波である。
「あ、あの僕今からバイトに行かなくちゃならないので早く外して貰えませんか?」