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昼は歩きながら固いパンと干し肉を食い、結局、行軍は野営の準備に取り掛かるまで続いた。
さすがにこれはいつものスタイルではないらしく、傭兵たちもバドの強行軍にいぶかしんだ。
「なにを焦ってんだか知らねえが、こっちは徒歩なんだ。参るね」
今朝方にも声をかけてきた男が、アルスに向かって愚痴をこぼす。二人して薪拾いに狩り出された時のことで、さすがにバドの耳に入るのは怖いと見える。
「先生は進路を変えたとか言ってたけど」
「なんだそりゃ。聞いてねえな……まあ、後でお頭が何か言うかもな」
ただ愚痴を言いたかっただけらしく、さして興味もなさそうに流した後で、男はアルスに向かって笑みをこぼした。
「いやあ、しかし、おれより若えのが入ると……こう、なんだ、嬉しいもんだな」
「なんでだよ?」
「なんでってそりゃ、威張れるからに決まってらあ」
と、偉そうに胸をそらす。
「まあ、困ったことがあったら、なんでもこのゴズの兄貴に言ってくれたまえよ」
「あんた、ここで一番の下っ端だろう? それなら先生に言うよ」
「下っ端って言うんじゃねえよ。まったく、近頃のガキは可愛げがねえな」
不快げに眉をひそめてみせる。が、ゴズと名乗った男は、元来がさばさばした性格なのか、次にはけろりとしてアルスに話し掛けている。
「ところでよ、おめえ農民のせがれだって聞いたけどよ、この辺の村の出なんだろ? ミナって村、知らねえか?」
少し照れ臭そうな表情を浮かべるゴズに、アルスは知らないと告げる。すると、ゴズは笑顔のまま微妙な表情を浮かべる。
「そうか。そうだよな。まあ、山奥の寒村だし、知ってるわけねえよな」
「あんたの生まれた村なのか?」
「ああ、そうさ。なーんにもねえ村でよォ、まったく何だってこんなとこに生まれちまったんだって思ってた。シケた村でシケた生き方するぐれえなら、いっそのことってんで飛び出してきちまって、こうしてるってわけだ」
語るにつれて笑顔の萎んでいくゴズに、アルスはなんだか悪いことをしたような気分になってくる。
次第にゴズの表情が郷愁のそれに変わっていくが、村を追い出されるように出て数日しか経ていないアルスにとって、それは実感が湧かない類いの感情だった。
「まあ、でも悪いとこじゃなかったような気も、今じゃするんだぜ? 冬は長くて辛いけどよ、雪が溶けると一面に白い花が咲くんだ。そりゃもう、また雪が積もったのかって思うぐらいさ」
薪を拾いながらも、その眼が映しているのは遠い故郷のことだろうか。故郷を懐かしむような、今の生活を悔いているような、そんな複雑な表情だった。
「好きな女も居たんだけどな……。なんでだろうな、あの時は村から出るのが正しいと思ったんだ。一旗上げて、きっと迎えに帰るって約束したけどよォ、もう待っていちゃくれねえだろうな」
「後悔してるのか?」
その無遠慮とも言えるアルスの問いかけに、ゴズはなんともいえない表情で「どうだかな」とだけ答える。
「待ってるさ」
「ん?」
「きっと待ってるよ、今でもその女。そうじゃなきゃ、そんなのおかしいじゃないか」
アルスの言葉に、ゴズはなけなしの笑顔でうなずいた。
「そうだよな。まあ、でも別にだれかと一緒になってても構やしねえさ。そん時には、待てなかったのを後悔させるほど、出世して帰るんだからな」
「そうだよ。あんたは間違ってなんかいねえよ」
ああ、とうなずいて、ゴズは鼻をすすった。
「おめえ、いい奴だよな。さ、早く拾って帰ろうぜ、遅れると飯抜きだからな」
笑って、ゴズは言った。
「あんた、大人だよな……」
どうしてこんなに子供なんだろう。人を慰めることもできず、背中を押すこともできず、なにもできない。これでなにかが出来るのだろうか。胸中に不安を過ぎらせるアルスに、ゴズが真面目腐って答えた。
「当たりめえだろうが。おめえとは年季が違うんだよ。まあ、おめえもあと十年すりゃ、おれみてえなイイ男になれるぜ。おれが保障してやらあ」
ゴズが笑うから、アルスも笑った。そうすることが精一杯だと言うように。
「いらねえ」
「ンだと、この野郎! おれ様がせっかくだなあ……」
「早く戻らねえと飯抜きなんだろ、兄貴?」
薪を腕一杯に抱えて走っていくアルスを見て、ゴズが頭をかいた。どういうガキなんだか……呟きながら、自分も野営地へと戻り始める。
「ま、ガキは元気が一番ってね」
ひとり納得したようにうなずきながら、そろそろ不平をわめき始める腹の虫を宥めるように腹を撫でた。
その夜、食事を終えた傭兵たちを前に、バドから予定の通達があった。
さすがに荒くれの男たちを押さえてきただけに、前に立つバドには迫力があった。小男ですらあるバドの体躯が、何倍にも巨大に見えた。
ひとしきり現況を述べた後で、バドはできるだけ迅速に資金の調達をしなければならないと括り、全員に今回の目標を伝えた。
「エンデルト城だ」
城を襲うというバドの発言に、傭兵たちがざわめく。それを見て、アルスは手近なゴズに尋ねた。
「どういうことなんだ?」
「今まで城を襲ったことなんてないんだよ」
理解できていないアルスに、ゴズが丁寧に教えてやる。
だいたい標的とされてきたのは、小さな領主の館か、税の集積地点だった。兵こそ貼り付けているものの、その大半は防御施設としては落第点ぎりぎりという建物で、労少なくして確実な成果が得られる。
もちろん、得られるのは穀物や特産品ぐらいで、金銀財宝というようにはいかない。それら戦利品をそのまま利用したり、売りさばいたりして、彼らはその命脈を保ってきた。
「城ってのは、城主の館だから、そりゃお宝はあるだろうがなァ。集積所なんかとは違って、本物の城となると楽にはいかねえもんさ」
ははあ、とアルスは納得したが、実際はそんなものではない。たかだか二十数人の集隊で城を攻めるなど、無謀以外のなにものでもなかった。
「それにエンデルトの城となると、この辺でもかなり大きな部類の城になるんだぜ。詰めてる衛兵も十や二十じゃきかないって話だ」
「それって、無理なんじゃないの?」
「おれもそう思うけどよ、大将にはなんか策があるんじゃねえのかな」
考えられる可能性としては、エンデルト城の防備が手薄になっているとか、内通者がいるとか、その辺りだろう。まさかアルスの持つ正体不明の魔器にそこまで期待しているとは思えない。
いや、ありうるのか。ジラットは魔器を『単体で戦場を支配できる』と評した。
「心配には及ばん。他の傭兵仲間にも誘いをかける。ここで名を売れば、我々も一流の仲間入りというわけだ。いずれ大義を為す我々の名は全国に知れ渡ることになるだろう」
バドはそう締めくくった。確かに先導者としての才能を持ち合わせているには違いない。ただ、あるいは煽動しているだけなのかも知れない。
「採算はできてそうだな」
安楽にゴズが感想を述べた。
アルスはジラットの言葉を思い出し、急にぞっとした。
もし、本当にバドが自分のついた嘘に追い詰められているのだとしたら、これが焦った末の結論なのだろうか。彼は自分だけでなく、自分を信じた者すらも地獄へと急きたてているように見える。
それとも、これが魔器の影響力なのか。すべてを呑み下すほど巨大な力ゆえに、人を狂わせていく。これまで堅実に積み重ねてきたのであろう彼らのすべてが、その影響で崩れ落ちていく幻影を見て、アルスは身震いした。
そして、もうジラットですら止められはしなかったのだと確信もしていた。