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野営と一言で言っても、準備には手間が掛かる。まだ晴れているから場所を探すのも簡単に済んだ。かまどを用意し夕餉の支度をする一方で、会計係と隊長兼用の天幕を張る。見張りの順番を決め、毛布を配布して、ようやく落ち着くことができた。アルスもそれらの作業に加わっていた。
もっと大きな傭兵隊なら、全員分ていどの天幕を用意するのだが、この規模となると、そこまで金を稼げる目途もない。
素早くしつらえられた天幕の中では、隊を支えるバドとジラットの両者が今後について相談をしていた。外ではまだ残りの準備を続ける者たちの声が聞こえる。
「そろそろ、蓄えも底を突いてきたよ」
会計を一手に担うジラットは、さして逼迫しているとも思えない表情で、バドに告げた。
どれぐらい残っているのか、とジラットは視線で問う。この時ばかりは、笑顔を浮かべてもいられない。
「そうだな、あと一月……これは節約して、という意味だが。武具の補修、食料の買い付けは一応、大過なく行えるがね」
「さすが先生。おれたちはそういうのが不得意だからな」
貴族出身とはとても見えない小男は、そう言って小さく笑う。ジラットはそろそろ一人ではしんどいがね、と苦情を申し立てる。
「だがなあ、先生ほど頭が切れる奴ってのは、そうそういないもんだしな」
「一人、会計方に回してくれんかね」
「そうは言ってもな……目星は付けてんのかい?」
「ああ、昼に拾った少年を回してくれ」
その提案に、バドは訳が分からんという表情でジラットを見る。バドにはどう見てもアルスは田舎の農村から逃げてきた素朴な少年にしか見えない。
「彼は才能があると思うよ。これは私の勘だがね。少し遅めではあるが、ちゃんと教え込めば、不足なく働いてくれるよ。私ももう十年もすれば引退だ。跡目を育てておくのも悪くないと思うのだがね」
そのように答えたジラットだが、いまひとつしっくりと来ない表情のバドは、少し言葉を濁した。
「いや、だが、アルスはまだここに身を置くとも決めていない身だ。それをどうこう決めるのは、その、どうかと思うが」
「誘うつもりではいるのだろう? 君がお人好しだとは知っているが、無償で行き倒れを助けるほどではないだろう?」
「手厳しいな」
傭兵隊は難民などを吸収して勢力を拡大するのが常だ。バドが立ち往生しているアルスを見つけて飛び出したのは、バドの美点ではあるが、そこに打算が介在していなかったと言えば嘘になる。
苦笑する隊長に、ジラットはやんわりと追及する。
「君も目を止めたはずだ、彼の持っている剣にね」
「先生には敵わないな。……じゃあ、この際だ。訊いておきたいんだが、あれは魔器、だよな?」
「まだはっきりとは訊いていないから、何とも言えないが、彼の身の上話を聞いた以上では、間違いなくそうだろうね」
どこかで偶然に魔器を見つけ、野盗を返り討ちにしたという可能性だ。事実としてはその通りなのだが、その真偽は二人に分かるはずもない。
「家族は死んだというのに、彼だけが生き残っていること。それに流民に身を落として外に出る覚悟をしたことを考えると、自然とそういうことになるだろう。おそらく、そうとう高位の魔器だろうね」
それを踏まえさせた上で、ジラットは問い質した。
「それを踏んで、君はアルスを実戦要員に加えたいんだろう?」
「それはそうだ。腐っても魔器は魔器だ。それを手に入れられるなら、大きな力になる。会計をやらせるには勿体ない」
そして、その話を打ち切るように机に広げられた地図に目を落とす。
「しばらく近くで戦はなさそうだな」
「この情勢ではそうだろう」
ジラットがまるで先の話を忘れたように応じた。
「となると、手早く資金を調達する必要があるな」
傭兵など戦がなくなれば野盗と変わらない。いや、野盗そのものより実戦慣れしているだけ質が悪い。だが、大義を掲げるバドは手近な村を無視して、比較的に大きな街を指差した。
「ここだな。ここの領主なら、金をたっぷり持っているだろう」
「ふむ。少し危険ではないかね? 金があると言うことは、それだけ軍備も充実しているということだ。戦がないとは言え、防備はしているだろう」
これまで幾つかの領主の館を襲ってきたが、いずれも地方の辺境領主、それも小規模な相手でしかない。世直しという大義からするなら、確かに物足りない相手ではあった。だが、それが小規模な傭兵隊の限界でもある。
バドが手に入った魔器を当て込んでいる、ということはジラットにも分かる。それを含めた上での忠告だった。
「なに、心配するほどのものでもないさ。それに、ここで成功すれば一気に隊を強化できる。絶好の宣伝にもなるさ」
ジラットは考え込む様子を見せたが、結局は何も言わなかった。アルスのことも言及せず、あとは具体的な資金運営に関する話題に移った。
そのジラットが何を考えたのか、バドには分かりはしなかったし、考えようともしなかった。
傭兵たちは夕食が終わると、それぞれの行動に移っていた。見張りは当然、歩哨に立っている。交代要員は勤務に備えてすぐに寝始め、非番の者は武具の手入れをしたり、あるいは歓談したりしていた。また酒を持ち出し、あるいは賭博などして、車座に幾つかの焚火を囲んでいる。
アルスはそれらの集団から少し離れたところで、配られた毛布に身をくるめていた。久し振りに腹が満たされ、よく眠れそうだった。
剣の形を崩さないクローディアを、用心から抱き締めるようにして、目を閉じた。
雑談や怒鳴り声や笑い声――諸々の声がひっきりなしに耳に伝わってくるが、それを邪魔だとは思わなかった。ここ数日、ずっと彼女と二人きりだった。
そんな寂しい野宿に聞こえてくる音といえば、自然や獣の発するものばかりで、うたた寝をしては目を覚まし、焚火に薪をくべて周囲をうかがう。
一時たりとも気が休まらなかった日々に比べて、だれかが傍に居ることのなんと安心できることだろうか。
闇が焚火どころか自分さえも飲み込むような圧迫感は、ここにはない。目を閉じても不安を覚えることもなかった。
『……アルス、ちょっといい?』
抱えたクローディアがひっそりと声を出す。その声は人の姿の時と違って、どことなく無機質に聞こえた。
「なに?」
声を押さえて、それに応じた。
『ここに身を置くつもりなのね?』
「しばらくはね」
それは正直な返答だし、クローディアを相手に答を偽っても仕方ない。今となっては、たった一人の『身内』なのだ。
「いろいろ見て、それから決めたいんだ。考えたら、おれは外のこと、なにも知らないし」
アルスにしては慎重な言葉だった。
「だから、しばらくはここに居るよ。どうかした?」
『ううん、ちょっと確認しただけ。でも、あのバドレアって言う人、気を付けて』
「どういう……」
聞こうとして、人が近付いてくる気配に気付き、アルスは口をつぐんだ。慌てて、寝ているフリをする。
「起きているんだろう、アルス。それぐらいは分かるよ」
声はジラットのものだった。安心できる相手だと思い、少しだけホッとする。
概して偉そうな口ぶりのジラットだが、人の話はしっかりと聞く。たとえ相手がアルスのような若輩の流民であっても、それは変わらない。それがジラットへのアルスの信頼感だった。
「どうしたんだ、先生?」
剣を掴んだまま身を起こして、アルスは悪びれもせずにジラットの長身を見上げる。
ジラットは焚火を背にしているため、表情は影になっていたが、なにかを考えている雰囲気があった。
「用事というわけではないんだが、少し話して置きたいことがあってね」
「聞かれたくない話かい?」
「鋭いね。まあ、夜中にこんな事を言えば、察しもするか」
苦笑したようなジラットの横顔に灯りが差した。どこか張り詰めたような表情を、アルスはどこかで見たと思った。
村で野盗を返り討ちにした時、クローディアが哀しげに笑う表情に、どこか似ていた。
それを嗅ぎ分けるように察したアルスは、うなずいて立ち上がった。
『大丈夫?』
アルスにしか聞こえないほどの小声で、クローディアが訊き、アルスは俯くようにうなずいた。悪い話かもしれないが、害を成すようなものではないはずだと、少年はどこかで感じていた。
それを見て、ジラットは柔らかな表情で笑ってみせた。
「君はいい教え子だよ」
それがアルスに対するジラットの評価だった。