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アルスに食い物を与えた後で、男は「バドレア・クサルフィン」と名乗った。仲間内でそう呼ばれているように、「バド」と呼んでくれ、と言う。そして自分たちを傭兵隊だと紹介した。大仰な名前に目を瞬かせるアルスに、バドは笑って簡単に事情を説明した。
「おれは元々は騎士の家の出なんだが、腐った世が嫌になって飛び出した。で、今は世直しを目指してるってわけだ」
気宇の大きい話だが、アルスにはいまいち理解できなかった。新種の獣のように食べ物を貪っていたアルスは、バドの傭兵隊に囲まれながら、いまはバドの話を聞いていた。
彼らは昼食の後始末をしている最中だった。
危害を加える様子が一向にないどころか、窮地を救ってくれた様子に、クローディアはとりあえず沈黙を守っている。
「君も感じたことはないか、今の世の中は不公平だと」
「不公平?」
聞き慣れない言葉に、アルスは首を傾げた。それに対して、バドは大きく、しかつめらしくうなずいて見せた。
「そうだ。領主や教会は贅を尽くし、大勢の人々は餓えている。それは平等ではない」
バドの言葉に、男たちは「また始まった」と言う顔をしたが、揶揄したりはしない。バドは隊の代表なのだ。すべてに責任を持つ義務を負う代わりに、所属する者を従える権利を持つ。その隊長が言うことは隊の意思だと考えているようだ。よく統率の取れた集団だった。
それらを無視して、バドの熱弁は続く。
「教会は博愛を掲げながら、そうした力ない大勢の人々に対してなにもしてくれない。領主たちはなおさらだ。そこでおれが立ち上がったわけだ。大勢の力ない人々の変わりに、おれがそうした不平等、いや諸悪の根源を叩く!」
いつの間にか立ち上がり、握りこぶしを作っているバドは、「分かったか?」というようにアルスを見た。
それに対して、アルスはぎこちなくうなずいた。理解しえたのは「なんとなく」というラインで、要点をまとめて答えろと言われれば不可能だった。
ともかく、悪いことはしていないらしい。
クローディアが頭を抱えるような感想だった。
「ところで」と、バド。「君の事を聞いていなかったな。良ければ名を教えてもらえるかな?」
アルスは正直に答えて、加えてバドに請われるままに、行き倒れていた理由を教えた。だいたいのいきさつは話したが、クローディアのことは伏せた。その程度の知恵は働きもする。
事情を聞き終えたバドは、深く共感したようにうなずいた。さもありなん、という表情。だが、慰めの言葉は言わなかった。代わりに、
「これからどうするつもりなんだ?」
と、アルスに訊いた。
「まだ決めてない。とりあえず、大きな街に行くつもりだけど」
「それもいいだろう。そうだな、おれたちも街には行く。それまでここに身を置くといい。雑用はやってもらうが、飯の心配はしなくていいからな」
彼の提案に、アルスは一も二もなくうなずいた。他に選択の余地はないように思えた。
それを見て、バドは上機嫌にうなずくと、出発の準備を進めている手下たちの方を向いて、人を呼んだ。
「おい、「先生」を呼んでくれ」
命じられた男は少し離れた場所に座っていた壮年の男を呼んできた。
「なんだね、バド」
そうゆるりと訊いた男は、バドとは対照的に背が高く、痩せてひょろりとしていた。肉体労働よりは頭脳労働に向いていることを示すように、年齢以上の落ち着きの見える顔立ちは老けて見えた。
聖職者が着るようなローブを身に着けているものの、聖職者なら持っているはずの教会の紋章は身に着けてはいない。
「アルスの世話を頼みたいんだ、先生。外をぜんぜん知らないらしくてな」
それから、先生と呼んだ男の反応を窺う事もなく、アルスに向き直る。
「分からない事があれば、先生に訊くといい。ウチでは一番の博識だ」
そう言い残し、指示を出すためにさっさとその場を去ってしまう。それを見送って、残された「先生」は溜め息をついた。
「やれやれ、困ったものだな。私は託児係ではないのだが……。さて、少年。私はジラットだ。ここでは「先生」などと大層に呼ばれているがね」
溜め息などついた割りに、気にしてもいない所作で、「先生」ことジラットが自己紹介する。
「まあ、好きなように呼びたまえ」
「ああ、うん」
「目上の者に対しては、「はい」と返事したまえ」
「あ、はい……」
よろしい、と言う表情でうなずいたジラット。
「少しは学術などの心得もある。答えられる範囲であれば、君の質問は歓迎しよう、アルス」
なんとなく「先生」と呼ばれている理由は、アルスにも分かるのだった。
腹は満たされたとは言え、衰弱しているアルスは、特別に荷馬車に乗ることを許された。御者はジラットで、荷車には家財がぎっしりと詰め込まれている。
「小規模ではあるが、一般的な傭兵隊というところだな」
アルスがここはどんな集団なのか訊いた時の、ジラットの答えだった。
「とは言え、大の男が二十四人の集団だ。経営にはそれなりに苦労もある。世の中で最も養うのに苦労するのは何だと思うかね?」
「赤ん坊?」
アルスの答に、ふむ、とジラットは顎をつまんだ。
「それも正しくはあるがね。私としてはまず「兵隊」だ」
「どうして? 自分で稼げるじゃないか」
「そのように見えるだろうが、自分自身で作り出すのは死体ばかりだ。死体からは金貨は生まれんよ。もちろん、雇った者が我々に給与を支給するわけだが、恒常的に戦などないから、常に雇われているわけでもない」
ところが、とジラットは続ける。よくよく教えることが好きな質らしい。暇なので、アルスはそれを大人しく聞いている。
「兵隊というのは、常に金を使う。食料は消費するし、武具の手入れや新調も必要だ。従って、それらに費やす金が尽きると、傭兵は盗賊にならざるをえん、というわけだ。無論、我々の隊は私が家財管理をしているから、そのような事には滅多にならないのだが……」
「しんどいなら、やめちまえばいいのに」
ジラットの講義に、アルスが口を挟む。考えるよりは直感的な彼は、講義に対してもそのスタンスを崩さない。
そのアルスの突拍子もない意見に、ジラットが考えるように顎を撫でた。
「ふむ、そのような意見もあるな。だが、傭兵を辞めて、その後はどうするのかね?」
「え? あ、いや、知らないけど……」
緩衝材などない荷馬車の振動に気を取られながら、アルスは答えた。思いついただけの意見に、その後があるはずもない。
「それでは心許ないな。傭兵稼業も、それほど辛いものではないよ。まあ、この時世ともなると、楽な生き方もそうそうない」
「そうなのか?」
「それぞれ、それぞれなりに苦労を抱いているものだよ。それを無くそう、と、バドなどは言っているがね」
ジラットの口調に込められた、否定的なニュアンスに、アルスは気付いた。
「先生は反対なのか? いい事だと思うけどな」
「無論、悪いとは言わんよ。ただし、そんな解決法をだれが知るというのだね?」
「解決法?」
「そう。それが難点でね。まず、世の中の乱れがどこから来るのか、それを見極めて対処しなければならん。物事の根本原因というものだ。雑草も根から取らねば、すぐにまた生えてくるだろう? それと同じことだよ」
アルスはそれに少し考えて、答えた。
「じゃあ、領主を全部なくしちまえばいいんじゃないの?」
そうすれば税を納めることもないし、飢餓で死ぬことも少なくなる。戦で男手を取られることもなくなる。その発想はいかにも農民らしいが、素朴であればこそ思いつくような解答で、ジラットは笑った。
「では、領主がいなくなれば、皆、安心して平和に暮らせるのかね?」
ジラットの反問に、アルスはまた腕を組んでうなる。二人の問答は、結局、野営地を決めるまで続けられた。