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Hybrid Rainbow  作者: pepe
1章:朽ちたる心にせめて祝福を
3/26

1‐3

 全身が銀色の髪に溶け込んだ様だった――そのように形容するのが正しいのか否かは別としても、そのように見えたことは確かだった。

 握り締めた手が、細長く変わり、その手を起点として全身が吸い込まれるように収縮する。瞬きする間に人の形を失ったクローディアは、その身を刃へと変じた。

 それは変哲のない両刃の長剣だった。柄から刃まで、すべてが銀色だということと、そしてなにより、人が変じたことを除けば。

 アルスは血塗れのまま、()を握った。冷たい手ごたえがあった。

 そう言えば、クローディアに触れたことはなかった。そんなどうでもいいことを考え、そして突っ込んでくる野盗の頭を見た。

 振りかぶられる肉厚の剣を見上げ、なにも考えられないまま剣を頭上に掲げた。激しい打ち込みに、柄が手を離れそうになる。いや、離れたと思った。その瞬間、柄が形状を変え、アルスの手に絡みついた。

 刀身が深く反りを描いて変化し、アルスの力では受け切れなかった打ち込みの力を、すべて受け流していた。

 勢い余って、ドッと地面に蛮刀を叩き付けた頭は、雄叫びをあげて引き抜くや、横殴りに剣を薙ぎ払った。避ける事も、受ける事もままならない一撃は、確かにその男が練達した戦士である証だった。

 死ぬのか、という感慨があった。そのひどく冷たい実感から、アルスは目を逸らそうとした。

 もういい、と思う。いや、思い込もうとした。こんなものだ。だれもかれも、望んで死ぬわけではない。だが、それなのに――それならば、なぜ理不尽に死ななければならないのか。

 ひぅっ――掠れた音は、開かれた口が必死に空気を貪る音だった。

「アアアァアァァァ――!!」

 怒号のような叫びが喉を突いた。それは渇望の吐息。目を覚ました願望が、諦観を打ち破る。これでいいはずがない。ただひとつだけ、ひとつだけなんだ、欲しいものは!

 すべてを吐き尽くしたはずの魂が、壮絶に叫んだ。

『生きたい』と。

 どんな音がしたか、斬り結んだ二人には分からなかった。分かろうとも思わない。

 丸太のような太い腕が、蛮刀を掴んだまま宙に舞った。

 頭の眼が驚愕に見開かれる。

 必殺のはずの一撃が、なぜか。尽くせぬ疑問を求めて彷徨った視線が、布のように薄く閃く銀色の刃を見た。

 柄から生えた刀身の半ばからが、薄く変形して剃刀のように己の腕を切り裂いたのだとは、理解できなかった。

 するりと巻き戻った刀身を唖然と身ながら、頭の巨体が倒れた。その時、彼は気付かなかった。そして永遠に気付く事はなかった、自分がすでに死んでいることに。

 腕と同時に断たれた首が、体が倒れると共にごろりと転がった。刃物で野菜を切ったような鋭利な切断面は、焼けただれて出血すらしていなかった。

 それだけだった。

 人が死んでも、世界は変わりはしない。炎上する村も、死んだ村人も、すべて元に戻りはしない。その事実を見つめながら、アルスは膝を折った。

 泣きたいのに、涙は出なかった。どこかで感じていたのかもしれない。自分も戻れない一線をすでに越えていることに。殺され搾取される側から、殺して搾取する側へと移ったことを。

 初めて人を殺して、奪い取ったのは自分自身の命(、、、、、、)だった。それすら、人を殺して奪い取らねばならないのか。

 その手中から、銀色の剣がするりと抜け落ちた。形を変え、再びクローディアが姿を現す。その様を、アルスは静かに見つめていた。

「クローディア、なのか?」

 クローディアは俯くようにしてうなずいた。

「これが本当のわたし。わたしの本当の姿は、いまあなたの手にあった剣よ」

 どうして、と訊こうとして、なにが「どうして」なのか、自分ですら分からなかった。ただ、その問いは数限りなくあったに違いない。余りに多すぎる疑問が、アルスの口を封じた。

 それを見透かすように――事実として見通して、クローディアはまた寂しげな微笑を浮かべた。ただ、それは諦めの表情ではなかった。

「人間みたいに振舞ってみたかった……無理をして、こんな姿を作って。なにがしたかったのかは、自分にも分からないわ」

 寂しそうな顔は、それでも笑っている。たったひとつだけ、彼女が心から必要とするものを守れた、その誇りと安堵によって。

「アルス、立って。みんなの所まで行くのよ……」

 慰めるような口調とは裏腹に、言葉は厳しい。

「家族が無事かどうか、確かめないと」

「確かめたよ」

 答えた声は、妙に温度を失っていた。アルスが見たのは、首だけになった父親と、動かなくなった兄、そして異臭を漂わせながら炎に包まれていた妹たちだった。

 クローディアが何も言えず、いたずらに彼を傷つけたのではないかと疑った時、アルスはとうとう地面にへたり込んだ。

「なにか、悪いことしたのかなあ、おれたち」

「アルス……?」

「天罰なら、仕方ないさ。司祭さまもそう言ってた。でも、おれたち、そんな悪いことしたのかなあ……」

 俯いた少年の肩が、かすかに震える。

 燃え盛る炎に囲まれ、地面を埋め尽くす死体と血溜まりの中で、クローディアは少年の身体を抱き締めた。農作業で鍛えられた身体が、この時ばかりは細く頼りなく思えた。

「諦めないで。天罰なんてない。みんな、必死に生きてること、わたしは知ってるから。だから、仕方ないなんて言わないで。仕方ないって諦めていたら、なにも変わりはしないわ」

 半分は自らに言い聞かせるように、クローディアは強く囁いた。

 その抽象的な言葉の意味など、アルスには分かるはずもない。ただ、言葉にならない実感があった。クローディアは自分が生きることを認めてくれるという、そんな実感。

 抱き締める身体は、柔らかく、しかし冷たい。それでも、この時だけはなぜか安心した。

 その冷やりとした感触が、身を焦がすような炎からも守ってくれるような、そんな思いを抱いた。

「わたしもあなたも、強くならないとね」

 その言葉にうなずいた。クローディアの胸の中で、やっと泣く事を思い出したように、アルスは嗚咽を漏らした。

 そのアルスの心の中に、なぜかクローディアの声が聞こえたような気がした。心の中で、彼女は深い哀しみとともに、そっと呟く。

 ――本当の姿を、あなたにだけは見られたくなかった、と。

 気を失うような眠りに落ちたアルスには、それが夢だったのかどうか、区別が付かなかった。


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