10-2
薄暗い場所だった。明度の低い赤い光が照らしているおかげで、なんとか周囲の様子だけは確認できた。心細くなって帰ろうかとも思ったが、そんな事が出来るかと、自分を叱咤した。
帰りたくない。どうしてそう思うのか、覚えてはいないが、とにかく帰りたくない。
薄暗く、いかにも何か出てきそうな通路を進む。幾度か行き止まりに突き当たって、仕方なく他の道を選ぶ。何度かは壁の裂け目を潜り抜けて行かなければならなかった。
気にしてはいなかった、と言うか、気にしないようにしていたが、辿ってきた経路は子供が覚えるには、少しばかり長く、そして複雑すぎる。
こんな所で行き倒れるのだろうかと、少し心配になったが、自分自身への虚勢でむりやり心配を振り払って、さらに先へと進む。
なんとか言う異教の民が作った洞窟だと言うが、そんな伝説が嘘であるらしい事ぐらい、子供にも分かる。奇蹟で作られたにしては、この洞窟はあまりにも人工的で、そのくせに人の手では作り出せないだろう奇妙な材質によって滑らかに装われている。
来るんじゃなかった。気力が萎えて、とうとうそう思い始めた時、不意に鮮やかな光が目に入った。
今までのほのかな赤い光とは違う。昼の太陽に近いような、真っ白でそれでいて温かみのある光だった。
心細さと疲れから、その光に誘われるようにそちらへと向かう。もしかしたら、出口に戻ってきたのか、それともだれも知らない出口でもあったのかもしれない。
ひしゃげた壁の隙間に身を滑り込ませると、眼が眩むような光量に包まれた。思わずうめいて、目を庇うように手を差し伸べる。
「光量を調節しますか?」
声が聞こえた。澄んでいて、どこか温もりを欠いたような声。その主を探して、目を細めた。
光に慣れてきた目が捉えたのは、村に伝わる伝承そのものの、美しい女性の姿だった。祠の精霊だ。疑うこともなく、そう思った。
玉座に座る女王のように、その精霊は部屋の中央に位置する台座らしきものに腰をかけていた。身体にぴったりとした、見た事もない金属光沢を持つ服を着ている。それだけで十分に異様なのだが、長い銀色の髪が妖精だと思わせた。およそ感情を感じさせない深い緑色の瞳が、じっとこちらを見ている。
「ご用件をどうぞ」
なんとなく威圧感を感じて、何か言わなければならないような気にさせられた。
「あんた、だれだ? あ、おれアルス」
「汎人類統合政府陸軍戦術兵装技術研究所所属、白兵戦用多次元分割方式ユニット、開発ナンバーP-00、個体識別コード『トゥルース』」
すべての単語が、理解しかねた。眉をひそめてみても、相変わらず美女はこちらには無関心に、ただ自分の言うべき言葉を進めるだけだ。
「わたしは『トゥルース』管理用擬似人格プログラム、『クローディア』です」
「あ、ああ、クローディア、ね?」
妥協点を見つけるような気持ちで、少年は曖昧な笑みを浮かべた。美女は氷の彫像のように笑わない。
それがアルスとクローディアの初めての出会いだった。
暗い視界が、ゆっくりと開ける。ただ、視角の狭さが少し気になる。
「アルス、アルス?」
夢の中でも聞いていた声が、耳朶を打つ。なにを心配してるんだ、クローディア。
クローディア?
アルスは寝台から跳ね起きようとして、バランスを崩して倒れこむ。久し振りの運動に身体がついていけなかったことと、なによりも左腕が身体を支えてくれなかったためだ。
「痛ぇ、痛ぇ、痛ってぇ!?」
「だいじょうぶ?」
慌ててクローディアが抱き起こす。が、それにも無頓着に、アルスは目覚めるや大騒ぎしはじめた。
「うわッ、右目、右目が見えねえ!」
「包帯があるからよ。目には異常なしってお医者さまも……」
「あ、え? なんだ、そうかよ。びっくりするじゃないか。あ、クリスの槍、持って帰ったか?」
「ちゃんと返したわ。もう使う事もないだろうけどって、クリスも言ってたけど」
「あ? ところで、ここ、ここどこだ!? 痛えって事は、死んじゃねえよな?」
「落ち着いて。オロドヴァよ、ここは」
「なにがどうなって……て言うか、覚えてんのアトリの奴をぶっ倒したとこまでなんだけど」
その後も何度となく覚醒した記憶があったが、いずれもおぼろげなものでしかなく、連続性がない。夢であったのか現であったのかさえ判然としなかった。
「一月ほど過ぎたわ」
なぜか嬉しそうにクローディアはそう言って、身を離すと窓辺へ寄った。落ち着いて見ると、アルスに与えられるには、あまりにも豪華な一室だった。少年には価値の分からない調度品が置かれ、壁にもしきりと金箔の張られた装飾が施されている。横たわった寝具にしても、薄っぺらい布ではなく、羽毛布団だ。
「何度か目を覚ましたんだけど、その様子じゃ覚えてないみたいね」
そう言って、クローディアは簡単に事情を話した。ベルナルドの葬儀から三日後、アルスを乗せた荷馬車がオロドヴァへ来た。御者は親衛隊の騎士だった。その騎士はアルスこそベルナルドの仇を討った英雄であると喧伝して回り、流民に過ぎない赤毛の少年は、いまや一躍、有名人だった。
「毎日、お見舞いの客が引っ切り無しよ。中には是非とも娘婿に欲しいとか、娶ってくださいとか、大変ねえ」
「うわ……」
いかにも他人事なクローディアの言葉に、アルスは顔を引き攣らせた。すると顔の傷がじくりと痛んだ。自分が何をしたのか、今更になってようやく分かった。
「あちゃあ……逃げるぞ、クローディア」
「それは許さん」
計ったようなタイミングで入室して来たのは、派手派手しく飾られた服を着たクリスだった。
「クリス? うわっ、なんだよ、その服?」
「文官の制服だ。文句あるか」
言い返した所を見ると、本人も気にしているらしい。
「それはいい。それよりも、ソヴァース公との対決で大変な時期だ。そなたにも少しは役に立ってもらうぞ」
意図ありげに微笑むクリスに、少年は唇を引き結んだ。果てしなく嫌な予感がする。
「諦めて協力してあげたら?」
明らかに他人事の様子で、クローディアが言い添える。悪戯っぽい笑みが、心配させたお返しだと言っている。
そこへ、新たな入室者が登場した。
「やあ、アルス、お手柄だったね」
いつもと変わらぬ、飄々とした調子で入って来たのは――
「先生!? どうしてここに?」
「生徒の成長を確かめに来たのさ。まあ、近々オロドヴァの大聖堂に赴任する事になるから、またしばらく宜しく頼むよ」
ますます逃げにくくなって来た状況に、アルスは不貞腐れて布団に潜り込んだ。
「ああ、もう! なんでお節介な奴しかいないんだよ!」
「アルス殿!」
「今度はだれだ!」
扉を蹴破らんばかりの勢いで入って来たのは、ともにアトリに立ち向かった騎士だった。感涙さえ浮かべて、寝台に詰め寄る。
「気が付かれたと聞き及び、飛んで参った! いや、お元気そうでなにより! 親衛隊は貴殿の入隊を心から歓迎いたしますぞ!」
「騎士殿、それは困ります。ゼールペー大司祭が、是非ともバルドレード大教会座の聖騎士にと……」
「ああ、それよりも相談役補佐に欲しいのだが」
先客二人が口々に勝手なことを言い、いい加減に怒鳴ろうかと思った所へ、クローディアが割って入った。
「まあまあ、御三方とも、少し落ち着いて。全部兼任させればよろしいのでは?」
「ク、クローディアーッ! 裏切ったな!」
アルスの抗議も知らぬげに、涼しい顔でクローディアは窓を開け放つ。初夏の爽やかな風が、鮮やかな新緑の香りを運ぶ。
「いいじゃない。どんな肩書きが付いても、わたしが傍に居るのはアルスだもの」
初夏の空を後背に、クローディアは微笑んだ。
初めて会った時に、あなたが、ただクローディアと呼んでくれたように。それだけが互いに必要なものなのだから、と。
時は移ろい、時間は堆積して歴史へと姿を変える。どんな分厚い史書もすべての出来事を記すには至らないが、それでも歴史は流れとして現在へ続き、その流れこそが確かに旧き時代を現在へと伝える。
ジラットはオスティン・ゼールペーの後任として大司祭となり、バルドレード管区の教会組織を徹底的に再構築した。各地の聖騎士団を解体し、聖俗の癒着を排除した。その断固たる姿勢に反発も少なくなかったが、それでも後世から「改革者」として賞賛を浴びる事となる。
ただ、彼は生涯をかけて夢見た乱世の終わりを見ることなく、世を去る。享年六十二歳。その葬儀は聖都で厳かに行われた。バルドレード伯家が王冠を戴いて、数世紀に亘る戦雲を払ったのは、彼の死から十五年後のことであった。
クリスティーヌ・オライオンは新たなバルドレード伯オスカーの下で、内外に対する政策に尽力した。晩年には立ち上がることはおろか、腕を持ち上げる力もなかったと言われるが、その明晰な頭脳は曇ることを知らなかった。バルドレード伯領がその規模と国力を維持し、なおかつ王座を得るに至った要因の一つに、彼女の存在が挙げられる事も少なくない。
男尊女卑の時代の中で、怪物的な偉業を成し遂げた女傑は、多くの人々に惜しまれながら若くして世を去る。享年三十四歳。後の世に数多くの伝説的な逸話を遺した事からも、彼女が民衆に広く愛されたヒロインであった事が窺える。
そして、アルスは……。
クリスティーヌ・オライオンの義弟として、オロドヴァ大教会座で最初にして最後、唯一人の聖騎士、バルドレード伯名誉近衛騎士、バルドレード伯相談役――数多の栄誉に彩られた騎士となった。
ラムロワの戦い、セストポリス攻略戦、ミンストレルの奇蹟……幾多の激戦に身を置き、隻腕の聖騎士は数限りない栄光に浴したとされる。
しかし、その騎士は、義姉を凌ぐ伝説を身に纏いながらも、史書にその名を見つける事は難しい。
流民から成り上がった騎士の名に、『アルス』あるいは『アウリウス』という名を見ることはできるものの、それをかの聖騎士と同一視する見解は少ない。史書に残る業績のあまりにも地味な印象に、伝説に残る聖騎士とは別人物ではないかとの見方が有力である。
記録もはっきりとはせず、伝承と史料の区分すらも曖昧であるがため、そもそも架空の人物ではないかとする見方さえある。
民間伝承に拠るならば、オスカー伯の戴冠を見届けて後、顕職を離れた赤髪の聖騎士は、常に銀髪の乙女を伴い、弱きを助け悪しきを挫く遍歴の騎士として各地を旅したという。
しかし、伝承にせよ史実にせよ、赤髪の聖騎士の没年も、銀の乙女の行く末も、伝えられる事はなく定かではない。
そして一篇の詩が残った。『妙なる虹の騎士』と言う、一代の英雄を謳う英雄譚の序文である。
『其の男児、黄金の定めを授かりて生まれたる者なり。
其の傍ら、世の限りに無二の乙女のあらざることなく、定められたる寵愛を阻む者とてなし。
其の者、天壌に限りなき栄誉を楽しみ、遍く人々に希望の灯火を宿したる者なり。
其の名は、以て乱れたる雲を晴らし、遠く天上にも届かん』
作者は不明、本文は散逸しながらも、遍歴の騎士を伝える代表的な詩として、今も語り継がれている。
その存在の真偽は謎に包まれているにも関わらず、伝説は今日に至っても潰える事はなく、なお生き続けている。




