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Hybrid Rainbow  作者: pepe
8章:生き急ぎたる者たち、決戦に至りて
21/26

8-1

 人の世の儚きは泡沫の夢の如く。泡沫に見ゆる夢の何と儚き事か。咎人に許され足る、最後の自由と言えども。

――聖典『水泡の書』第十節


 名も知らぬ鳥が空を舞い、一声鳴いて、飛び去ってゆく。晩春の空は霞みがかって見えた。そんな空はのどかなものだとさえ思う。地上を這い回る身では、その安らぎを味わうこともないだろう。

 わっ、と声が沸き立つ。いかにも騒々しく、そして荒々しい声に、再び地上に視線を戻す。

 陣を歩き回る兵士たちの向こうに、激しく燃える物体が見えた。小さな小屋のように見えるそれが、破城槌であることは一目で分かった。油をかけられたのだろう。生皮で覆った攻城兵器もひとたまりもなく、大きな炎に包まれていた。

 操作していた兵士たちがたまらず飛び出してくる。半狂乱で火の粉を振り落とす者、とにかく遠くへ逃れようと武器も放り出して走る者。それらを容赦なく城壁の上から放たれた矢が貫いた。

 溜め息が漏れるだけだった。悲惨とも思わない。あるいはこんな所だろうという感想すら浮かぶ。

 ともかく、包囲から半月も経つというのに、サン・ロー砦は鉄壁の城塞で在り続けた。堀こそ埋めてしまったものの、その分厚い城壁には歯が立たない。

 失敗の原因は分かっている。まず、守備隊長のルッソを侮った事。次いでベルナルドの奇襲を許した事だった。まさか、という驚異的な速度での進軍に、斥候を出して警戒するタイミングを逃してしまった。これは完全な失敗だった。

 ルッソが堅固に守った城塞は、ベルナルドの入城を得て勢いを取り戻している。さらに、斥候の報告ではバルドレード軍の本隊が迫りつつあるという。ベルナルド本隊の兵力が少なすぎるので、物見に出した斥候だが、これは有利な情報だった。

 目に見えて士気は低下していた。これだけ糸口も見えずに攻城戦を行っているのでは、それも仕方ない。

 状況は悪いと言わざるを得ない。もっとも、それももう少しの辛抱だ。城壁の下に伸ばしたトンネルが、もうじき完成する。その空洞を支える柱を一気に取り除けば、自らの重みで城壁は簡単に崩れ去る。

 城壁が崩れれば味方の士気は上がり、敵の士気は挫かれる。後は城内を掃討するだけで片が付く。もとより数はこちらが圧倒的に多いのだ。

 援軍が到達すると分が悪いが、こちらも暇を持て余している訳ではない。遊撃隊を動かし、バルドレード軍の援軍に対して遅滞行動を取らせている。到着はベルナルドの計算よりも遅れるだろう。

 ここで一気にベルナルドを討ち取る。この重囲では逃げ場もあるまい。そうなれば跡取りは、あの「惰弱公子」だ。恫喝にひとたまりもあるまい。あるいはラカラン地方だけではなく、さらなる領地を得ることができるかもしれない。

 ソヴァース公ヴリストは、上機嫌で鼻を鳴らした。ベルナルドに劣らぬ猛将として鳴らした男である。勝ち戦に勝る快感はない。

「十年の年月(としつき)、長くはあったが、有意義なものでもあったよ」

 様々な思いの交錯する過去を飲み下して、ヴリストは呟いた。その声と表情には、すでにベルナルドとの抗争の日々すらも過去に含めてしまったような色があった。

 しかし、その感慨を抱く心を、すぐさまヴリストは戒める。勝負は結果が定まるまで勝つとは限らぬ――それも十年の歳月が与えた教訓であった。

 最後まで手は緩めない。

 これで潰せぬならば、さらに十年はかかる。十年前にはなかった顔の皺をなぞりながら、彼は表情を引き締めた。

 勝つことはままならぬと考えながら、負けるとは思わぬ。それがヴリストという、バルドレード伯を相手に十年に渡って紛争を続けた男であった。

「伝令! 伝令!」

 軽騎兵が馬から飛び降り、しゃがれた声で叫んだ。その声に、公は想像から現実へと引き戻される。

「申せ」と短く命じ、伝令兵に鋭い一瞥を送った。

 伝令兵が乾いた喉に、唾を飲み込んだ。

「本日、早朝に遊撃隊が敵援軍と接触。遅滞行動に移る。戦況については随時、伝令を送る――以上です!」

 ヴリストは軽くうなずき、手振りで下がるように命じた。大方、予定に沿って動いているようだ。こうなると、ベルナルド本隊の奇襲を許したことは、逆に好機となりそうだった。

「ふん、戦はこれで最後としたいものだな……」

 呟いた言葉に、家臣団の一人が怪訝な表情を浮かべた。好戦的なほどの男の言葉とは思えなかったのだろう。それに向かって、

「戦場に出るには、いささか老いた気がするからな」

 ヴリストは軽口でごまかした。

 ベルナルドを討ち取ることこそ悲願であったが、討ち取った後に、戦場に新たな雄敵を求めるつもりもなかった。こうなると、やや名残惜しい気さえしたが、言ったところでだれにも理解はできまい。

 ともかく、すでに動き出している。ベルナルドがそれを予期して手を打ってくることも、十分以上に考えられる。となれば、油断はするべきではない。

 今度はより現実的な状況に対して、ヴリストはその頭を働かせ始めた。


 黄昏の空が、わずかな窓から深沈とした輝きを投げ入れている。オレンジ色の陽光は、薄暗い石造りの室内に明暗を作り出していた。

 元から彫りの深いベルナルドの顔が、いっそう険しく見える。しかし、取り巻かれた状況を見るなら、それは決して過剰な表情ではなかった。

「一週間……」

 ベルナルドが呟いた。もう幾度も繰り返した呟きだった。その期間こそ、彼らが砦に籠もっていられる時間だった。

 ベルナルドの率いた部隊を合わせて、守備隊は二倍近くに膨れ上がっている。それがもう一週間も駐留しているのだ。食糧問題が浮上してきた。

 水に関しては井戸を内包するため問題にはならないが、食料だけは自給する術がない。軍隊は消費し続ける存在だ。ベルナルドが先駆けて「親衛隊」という常備軍を作りながら、その規模を拡大できなかった理由もそこにある。

 戦争の玄人として、戦場で主役とも言える活躍のできる親衛隊とは言え、自らを支える術はない。ベルナルドという保護者があってこそ、彼らは一心に戦うことができる。

 いかに富を得た大貴族と言えども、補給を断たれては餓える。それは自明のことで、備蓄は目に見える形で減っていた。

「援軍が到達するぎりぎりの期間だな」

「やはり、撃って出て、挟み撃ちとするしかありませんな」

 ルッソがベルナルドの唸りにも似た呟きに答えた。ひとまず軍議を終えて、諸将には問題なしと伝えた後の会話である。

 実際のところ、問題は山積していた。今はまだ士気が高いために問題にはならないが、薬品や包帯などの医療品が不足し始めていた。防戦に用いる油なども底が見え始めている。上からかけて、火矢を放つのだ。仕方なく、油の代わりに糞尿を撒いたり、熱した砂利を落としたりしてはいるが、前者はじきに止めさせなければならない。食料事情の悪化を敵方に知らせるようなものだ。

 さすがはヴリスト、と言ったところか。包囲にも抜け目はなく、攻城におけるぬかりはない。十年にも亘って苦しめられて来たのは、国力の差だけではなく、この好敵手に因るところが大きい。

 乱世であるからこそ、戦場の勇者は多く排出される。ベルナルドとて、平時であれば『勇猛公』などという呼ばれ方はしなかっただろう。力こそがすべてを決定する。諸侯たちはその力を盲信していた。

 ゆえに、凄腕の傭兵隊が盗賊団と代わらぬと知りながらも、その戦列に加えるのだ。

「ヴリストめ、大軍を展開した割に隙がない。さすがと言うべきかも知れんが」

「確かに。ただ、逆にこれだけの重囲となると、一度混乱してしまえば簡単には軍勢を纏められますまい」

「喉笛に喰らいつくには好機、というわけか」

 鋭い笑みを浮かべて、ベルナルドはうなずいた。その表情は、獲物を仕留める時の肉食獣に似ていた。

「物見の報告によれば、相当な数の勢が陣を離れたとのことですが……」

 卓上の地図を指でなぞり、予想される行動を示す。そこには援軍のルートを塞ぐような形も含まれ、ルッソの言わんとするところがベルナルドにも分かった。

「おそらく、そうだろう。だが、これも好機かも知れんぞ」

「確かに、包囲している軍勢の力は落ちていますが、それでも兵力差はあります。むしろ、我々を誘導しようとするような臭いも感じますな」

 譜代の宿将は眉間に皺を寄せて、重々しく告げた。

「いずれにせよ、残された選択肢は余り多くない。誘っているのだとすれば、それを後悔させてやればよい。そうではないか、ルッソよ」

 豪放磊落。大胆さ、勇気において人後に落ちぬ男こそが、老将の生涯において唯一と定めた主であった。そのことを思い出し、ルッソは頭を垂れ、退室した。

「ヴリストめ。あの若造が、やるようになったものだ。まさか、このわしを追い詰めるとは……」

 一人きりになった室内。暮れなずむ空を、狭い窓から見上げて、ベルナルドは感慨深げに呟いた。

 負けるつもりは毛頭ない。ここで負ければ終わりだ。負けるとも思わぬ。だが、勝てるかと言えば、そうではない。十年に及ぶ争いは、自身と相手の力量を見極めるには十分な時間を供していた。

 どう取り繕おうとも、ベルナルドとヴリストは似た者同士だった。それは否定しない。似るがゆえに争わずにはおけないとさえ、今では感じる。

 だが、負けることだけは許されない。たとえヴリストがすでにベルナルドを凌ぐほどの力量を身につけていたとしても。

 もし、ベルナルドが敗死するなら、バルドレード伯の座に座るのは「惰弱公子」とあだ名される息子、オスカーだった。ベルナルドは我が子の惰弱を嫌いながらも、その苦難を案じてもいた。

 出来る事なら、ラカラン地方を手に居れ、バルドレード伯家が磐石の体制を築いた後に譲位したい。そうでなければ、オスカーの代で家門は途絶えるかもしれない。

 どうしても負けられぬ。その思いが、ベルナルドの顔に壮絶な表情を宿らせた。ここでヴリストを打ち破る。十年目にして、ようやく情勢が動く時が来たのだという確信に、もはや疑うこともなかった。

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