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アルスがクローディアを伴って部屋から出ると、クリスは眠たい目を擦りながら、窓辺へと近付いた。それほど大きな窓ではない。矢を射込まれないための用心だ。城は装飾よりも防御に重きを置いた造りで、ベルナルド自身が二十年をかけて築いた新式の城だった。窓枠を見れば、その壁の厚さが実感できた。
その窓から、城下が展望できる。壮大な市壁が街を取り囲み、その向こう側で色鮮やかな天幕が幾つも連なっている。
傭兵の雇用のための閲兵の最中なのだ。
傭兵隊は閲兵を通過するまで入城を許されない。幾人もの事務官が傭兵隊を回り、その質を見定め、隊長もしくは会計係と雇用賃金の折衝を行う。武具の揃い、実戦経験の多寡、隊の気質などなど――事務官の眼は鋭く、よほど巧妙な傭兵たちもごまかしが利かないほどだ。
装備は戦闘に耐えられるか、戦争において足手まといになるようなことはないか、士気は高いか、統率は取れているか、軍紀を乱すようなことはないか……そうした事務官の見抜いた情報を元に、適正な雇い価格を定める。それが傭兵たちの命を買う値段だ。
そして双方が納得できる価格に合意すると、今度は契約書へサインさせる。雇用契約はもちろんのこと、幾つもの禁則事項が書かれたそれは、重要なものだ。控えと提出用の二枚に、隊の頭脳である会計係が内容違いはないか、内容はどのようなものかを熟読した後で、隊長がサインする。
禁則事項の最大のものは、雇用期間内は「逆らわないこと」だが、次に「雇い主の直轄地での略奪や暴行などを許さない」というものだ。破れば処刑される。
そのサインで雇用は成立し、傭兵隊は斡旋された宿、つまり城内に入る。そして出陣まで待つのだ。
比べれば、クリスは格段に優遇されていた。配下も持たない女騎士は、ベルナルド伯との謁見によって参陣を許され、客室さえ用意されているのだ。
クリスも幾度となく、閲兵を受けた。部下を持ち、傭兵隊として雇われたことも一度や二度ではない。女だからと軽く見られることもあったが、大概はオライオン家の家名が役に立った。
だが、それさえ不足となれば、パトロンに身体を売ることもあった。堕胎用の劇薬で出産能力が失われたのは、二十歳をすこし過ぎた頃だった。
なんだかんだと言いながら、利用できるものは利用してきた。世の中が間違っていると思いながらも、その世の中に適合しなければ生きて行けなかった。
伯の保護を受ける以前は、傭兵隊を率いていたから、部下を食わせるために略奪もした。部下を見殺しにしたことも少なくはなく、自分に取って代わろうとした者を殺したこともあった。そうしなければ生きて行けなかった。善悪という物差しが、いかに曖昧なのものかは身をもって知ってきた。
それが今、伯の緩やかな保護を受けて安楽に暮らし、薄汚れた過去を隠しながらも従者に人の道を説く――どれほど罪深いことだろうか。あるいは、病もその報いなのかもしれない。
アルスは成長している。真っ直ぐに、ただ上を目指して。あの少年は宝石だと思った。磨くほどに貴く輝き、宝石は輝いても磨り減ったりはしない。蝋燭のように燃えれば磨り減っていく身とは違う。
彼は何を見て、何を為して行くのだろうか。
それを見てみたいと思う気持ちが強くなるのを感じた。「そうか」
呟いたクリスは、それが「生きたい」という感情だと知り、納得していた。こういうものなのか、と。「生きたい」と思ったのは、初めてのことだ。今までは漠然と「生きなければならない」と思っていた。
城が陥ちた日から、漠然と不条理の答を求めて幽鬼のように彷徨った騎士は、そう思いながら、ふと充実した笑みが浮かんでいることを自覚した。
「だが、これでようやく、この身も死に場所を見つけたか」
それは生きたいと思う心に反するようで、その実、同じことだった。生きて充足を得、そして満足のうちに死ねる。これほど幸福な人生もあるまいと思えたからだ。翻れば、自分は幽霊のようなものだ。オライオン家の亡霊。それがようやく、落ち着ける場所を見つけた。
力の限りアルスを守り、できうる限りのものを伝える。このためにこそ在ったのだと思えば、虚ろな人生もまた色を持つことができた。
少年は期待させるものを持っていた。
他に欲しいものなどもはやなく、どうかこの期待だけは裏切らないでくれと切実に願う。
それが今のクリスの糧だった。




