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Hybrid Rainbow  作者: pepe
5章:冬の安寧に抱(いだ)かれるとて、過ぎ去る時を留めること能(あた)わじ
14/26

5-2

 その日から、アルスの特訓が始まった。

 クローディアを用いての戦いに慣れる、というのが名目であった。

 最強の白兵戦用兵器として開発されたクローディアと、ただ丈夫で切れ味がよいだけの槍では勝負にならないように見えたが、クリスの力量は驚異的な域にあった。

 力ではなく、手数とそれを支える技倆によって成り立つ戦い方は、アルスとクローディアの攻撃を完璧に防いだ。

 受け流し、切り込み、かわし、誘導する。すべての技術において、クリスは一流だった。余りにも強すぎて、二人がかり(、、、、、)でもまるで相手にならない。

 まるでアトリという男と戦った時のように。あるいは、クリスはそれ以上の使い手だった。傭兵として、彼女は男以上の猛者だった。

 クローディアの予測では、並外れた洞察力を持っているらしい。すべての相手の行動(アクション)に対して、その初動を読み切り、それに対応するのだ。それはアルスに対してだけではなく、クローディアに対しても同じだった。

 数学的に未来を予測することは不可能である。いかにクローディアが合理的に振る舞おうとも、そこには人格から発した主観が存在する。それを読まれ、誘導される。

 人格を持つクローディアの唯一の欠点とも言えたが、メリットに対するデメリットとも言える。また、普通ならクリスのような敵を相手取ることもないし、そもそもアルスのような素人に運用されることを想定してもいない。

 本来なら、練達の戦士によって運用され、クローディアはその要望を読み取るだけで済むし、それこそが彼女の特異なインターフェイスの本来的な使用方法である。

 言い添えるならば、クリスの危惧は的を得ていた。アルスに使われていることそのものがクローディアの弱点なのだ。

 さすがにクローディアと二人三脚で、変哲のない槍を持ったクリスに敗北を重ねるのは屈辱だったらしく、アルスは落ち込んだ。

「素質の問題だから、仕方ないわ」

 どちらかと言うと追い討ちに近い、クローディアのフォローで持ち直したのは、元来が負けず嫌いだったせいか。もっとも、熾き火に油をかけるようなもので、火がついたのは幸運だった。

 どちらにしろ、アルスにはアトリに負けられないという思いが強かった。どこかでアトリに負けたことがバドが死んだことに繋がっているように考えている。それはまったくの的外れな考えだったが、そう考えて不可抗力だったと思い切る方が心理的には楽だった。

「生きるために、バドを見捨てなければならなかった」

 実際はそうではなかったにしろ、そうした言い訳が心理的負担を減らすには必要だった。

 そんなアルスを責めることはできないだろう。だれかの生死を丸ごと背負えるほど、人は強くはない。もし背負えるとしても、それには絶対的な言い訳が必要だった、神や必然、あるいは偶然といった人間の力の及ばぬ範疇に問題を預けてしまうことが必要だった。

 少年は死に物狂いでクリスに挑み、そしていとも簡単にいなされた。

 アルスどころか、クローディアも戦い慣れていない――というのがクリスの結論で、その特訓は毎日、早朝から日没まで、休憩を挟みながらも続けられた。

 アルスはそれこそ動けなくなるまで、一日中、クリスに挑み続けた。これにはクリスの方が辟易したのだが、向上心は得がたいものだと納得して付き合うことにした。

 生傷と痣が絶えず、筋肉はどこもかしこも張り通しだった。それでも、クリスから見て少しはマシに動けるようになってきたと思う頃には、寒さも一段と厳しくなっていた。

 本格的な冬の季節の到来だった。

 陽光はますます力を失い、そもそも分厚い雲に閉ざされている日も少なくない。曇天からは容赦なく雪が降り、遥か北の山脈から吹きつける風は、身を切るようだった。

 雪が積もり、ろくに外を出歩くことができなくなると、クリスは室内での講義に移った。無学のアルスに、まず字を教えることから始めたのだが、これが一苦労だった。黒板と白墨(チョーク)こそ調達できたものの、教本はクリスの持っていた難しい本――神学書や哲学書が数冊しかなかった。後はクリスの知識だけが頼りだ。

「……つまり、天上は神の権威によって保たれるが、地上は神の威を担う教皇によって保たれるというのが、一般的な教団の主張であり、人々の観念であるというわけだ。従って、地上の一切を取り仕切るのは教皇の領域であり、教団の義務であるという考え方が神学で発達し、教団の権威拡大とともに、現在では事の善悪一切を(、、、、、)教団が定めるとされている。これは非常な一極化で、危うい面も多い。もっとも、この教団の権威によって大貴族――つまり、世俗諸侯の間で均衡が保たれていると肯定する考えも存在するが、それこそが教団の狙いだとも考えられるわけだ」

 黒板に簡単な図式を書きながら、クリスは淀みなく説明を続ける。真剣に聞いているのは、講義対象のアルスよりは、おまけのようなクローディアの方だった。

「諸侯の均衡によって、教団の権威の相対的低下を防ぐ、ということですか?」

「その通りだ。証拠として、ここ一世紀の間で教団の権威は磐石のものとなった。また諸侯を束ねるべき「王」も出現していない。戦乱を終息に向かわせるには、圧倒的な、抑止力にすらなりうる力が必要なわけだが……」

「その出現を教団が権威という力で抑止している、と」

 クローディアが重々しくうなずく。

 アルスはそれらの様子を、ぼんやりと眺めているだけで、内容についてはほとんど理解していない。

 なにより、頭を使うより体を動かすことに慣れているアルスは、学問に関してはすぐに諦める。足し算や引き算の段階で首を傾げる始末で、挙句の果てには投げ出す。

 興味を持つのは教養関係の知識だけだった。政治や経済については実感がないだけに興味もない。

 ジラットならば、もう少し上手く教えたのだろうが、その辺りは適性の問題だろう。

 それでも、出来る限りの知識を教授するつもりであるクリスは、容赦しなかった。特に地政学については綿密な講義を行った。

 おおまかな政治状況、それぞれの領域君主について、加えてその所領など、地図を広げながら説明を行う。それらはやはり、地図の塗り替えに一端を担っていた一族の端くれとしての認識が根幹で、塗り替えられる立場のアルスには理解しかねた。

「武芸に関しては幾らか成長したと言うのに……まったく、如何ともしがたいな」

 クリスは心なし伸びてきた髪をいじりながら、アルスの精神的な耐久力の低さを、クローディアに対して嘆いた。

「まだ子供なんです。仕方ありません」

 クローディアが気まずそうにフォローするものの、そのやり取りをアルスの目の前でやるのだから、彼の不機嫌はなおさらだった。

「……ゆっくりしちまってよ」

「字も知らぬでは不便も多かろう。あと、常識も少しは身につけるのだな。今まで貨幣に触ったこともなかったろうに」

 愚痴での逃げ道も封じられて、アルスは黒板に眼を落とすのだった。



 蝋燭の灯りが、壁板の隙間風に揺れている。その揺れが一段と大きくなり、それに合わせて影が揺らぐ。

 その明暗の移ろいに、アルスは眼を覚ました。寝る前に消したはずの灯りが、室内をおぼろげに照らし出している。

 のろのろと身を起こすと、卓にうつ伏せるようにクリスが眠っているのが見えた。

「自分の部屋に帰ったんじゃ……」

 呟き、卓上を見ると、羊皮紙になにやら書き込みがしてある。幾らか読めるようになった単語を拾って、それがアルスの訓練計画だと知った。

「自分の部屋でやれっての……」

 そう言いながら、肩に毛布を掛けようとしたところで、クリスの眼が覚めた。

「アルス……すまぬ。また、まどろんでしまったようだ」

 ゆっくりと椅子から立ち上がり、不意に膝を付いた。

「おい、だいじょうぶか?」

「大事ない。近頃、よくこうなる。まどろみ、目が覚めると体に力が入らぬ。なにかの病かとも思うが……医者にかかっても要領を得んでな」

「じゃあ、無理せずに寝ろって」

「そうだな……」

 クリスはずるずると椅子に縋るようにして立ち上がり、また力が抜けて椅子に座り込む形になった。

「不安なのだ」

 ぽつりと、クリスは呟いた。

「次第に発作の間隔が短くなっているが、医者も知らぬ病理であれば、もうどうしようもない。起き上がることもできなくなるかもしれんし、あるいは死に至る病やもしれん」

「死ぬ……クリスが?」

 クリスは諦めたような表情でうなずいた。だが、その黄金の瞳は、いまだ力強さを失ってはいない。

「死ぬかもしれぬ、ということは構わぬのだ、死ぬこと自体は……生ある者ならば、いつか命が尽きることは分かっている。だが、なにも為せずに死ぬのは怖い。生きてきた意味を問われた時、私がなにかできたと実感できるものが欲しい。そなたを育てようとしたのは、そのせいかもしれん」

「あ……あんたは、そんな簡単に死ぬようなタマじゃないだろ?」

 逃げるようなアルスの言葉に、クリスはゆっくりと頭を振った。

「人の生死は、人の手の中にはない。それこそ神の領域だ。生きる事がままならぬ由縁だな……。生きて何かをしたのだという実感、それが欲しい。そなたを教え、導いたのだという実感。それが欲しかった」

「無茶を言うなよ。あんた、それで本当に満足できるのか? おれがあんたの思ってないことをしちまったら、あんた、天国にも行けないんだぜ?」

 クリスは立ち上がった。なんとか立てるほどには回復したらしい。

「背負わせるつもりもない。気にもするな。私が天国へ行こうが地獄へ行こうが、それはどうでもいいことだ。なにも出来ずに死ぬよりは、どうでもいいことだ。――起こしてすまなかった」

 言い残すと、クリスは部屋を後にした。残されたアルスはクローディアを振り返り、やるせない顔をする。

「どうすればいいのかなあ、おれ……」

『自分のためって言いながら、あの人はアルスのために色々としてくれてる』

 剣の姿を取ったまま、クローディアは答えた。

『信じてあげなさい。きっと、それだけが出来ることだから……』

「なんにも出来ないんだな……おれは」

 心底情けなさそうな顔を、両手で覆う。泣きそうだった。いつも、いつもこの無力感に打ちのめされそうになる。

「だから、出来ること、ちゃんとやんないとな……」

 もうやめたのだ、なにも出来ずに俯くことは。出来る事に顔をそむけ、なにも出来ないと嘆くのはもうたくさんだった。

 やった事が正しいのか、間違っているのか、そんな事は分かりもしない。ただ、なにもしなければ、正しいことも出来はしない。

 多分、ずっとこの無力感から解放される事はないだろう。自分という存在がいかに小さいものか、アルスは思い知らされた。そんな自分に何が出来るのか――今はそれだけでいいと思う。それを自分に問い続けることが、出来ることだった。

 いつかきっと、なにか出来る時が来る。そのために蓄えよう、力や知識を。その時(、、、)に、何も出来ないと嘆くのは嫌だから。

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