私の彼は○○○
カーテンの隙間から零れる日差しが眩しい。
少女、愛利はその光で、目を覚ました。
「ん…」
ベッドの上で大きく伸びをすると、目を覚ますようにぱちん、と軽く自分の頬を叩いた。そしてベッドから降りると、カーテンを開けるべく、窓の傍へと歩み寄る。
そうして音を立てながら、愛利はカーテンを開けた。清々しい日差しが降り注ぐ…と思ったのだが。
「あっ、愛利〜!おっはよー。見てみて、俺すごいで…」
シャッ──
開けた瞬間、愛利はカーテンを閉めた。勢いよく、素早く。
「愛利〜?なんで閉めるのー。開けてよー。」
窓の外からは、間の抜けた男の声が聞こえる。愛利は幻聴だ、と自分に言い聞かせたが、外からの声は止まない。
恐る恐る、愛利は再びカーテンを開けた。
「やっと開けた!なんで閉めたんだよー。」
そこには満面の笑みを浮かべた男…愛利の彼氏である、郁人がいたのであった。
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ちなみに愛利の部屋は二階だ。
なぜ、郁人が愛利の部屋の窓から見えるかというと…
『飛んでいるから。』
飛んでいるから、と一言で言ってしまうと、まるで郁人が人では無いように聞こえてしまう。
勿論、何も付けずに飛んでいるわけではない。背中に大きなジェット機のようなものを着用し、飛んでいるのだ。
…そんな事も、普通では考えられないのだが。
しかし、そんな普通では考えられない事をやってのけてしまう。郁人は重度の機械マニアだったのだ。
「ねぇ、ちょっと!恥ずかしいから止めて、って、前も言ったよね?今すぐ地上に降りて。私も下に行くから。」
一方的にそれだけ言うと、カーテンと窓を開けたまま愛利は玄関へと急いだ。
一階では家族が朝食をとっていた。母が何かを言っている。しかし愛利はそんな事を気にせず、ジャージ姿のまま玄関のドアノブに手をかける。そしてそれを回すと、ドアを開けた。
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「愛利ーっ!」
開けるや否や、愛利は巨大なモノに抱きつかれた。…郁人だ。
それはもう嬉しそうに笑いながら、愛利を抱き締める郁人。そんな郁人に愛利は溜め息を吐く事しかできなかった。
「郁人。ちょっと離れて。」
少しだけ起こった口調でそう言えば、郁人はすぐに愛利から離れた。そして、大きいくせに小動物のような瞳で、愛利を見つめる。なんだかそれがおかしくて、愛利はつい笑ってしまった。
「怒ってないから、そんな目しないの。」
その言葉を聞けば、一瞬にして郁人はぱぁ、と瞳を輝かせた。
(本当、子犬みたい。)
そう思いながら再び笑う愛利。
だがふと視線を郁人から反らすと、丁度朝っぱらから郁人が背負っていたのであろう、ジェット機らしきモノが地面に置かれている。
「あの、ね、郁人。それは、何?」
ジェット機らしきモノを指差しながら、愛利は尋ねた。すると郁人はどこか楽しそうに、それを持ち上げた。
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「これはね、人が空を飛べるようにと開発したものなんだ。俺、いいかんじに飛べてたでしょ?」
にこにこと、それはもう楽しそうに笑う郁人。愛利はついさっき、窓越しに空を飛んでいた郁人の姿を思い出す。
たしかに、飛んでいた。
だがしかし、どう考えても、並大抵の人が一人で、造れるようなものではない。しかし郁人は、それを簡単にやってのけてしまう。どこかの研究所に連れていかれても、全くおかしくないほどだ。
(今更ながら、いったい何者なんだろう…)
じっと見つめると、郁人と目が合った。どこか恥ずかしそうに頬を染めるも、嬉しそうにはにかむ郁人。まるで本当に、犬のようだ。
ぐぅぅ〜…
突然、情けない音が響いた。
郁人は恥ずかしそうに、お腹辺りを押さえる。
「…ご飯、食べてく?」
「う、うんっ!」
即答だった。
愛利は郁人らしいなぁ、なんて事を思いながら玄関のドアを開けた。そうして郁人を、家の中へと招き入れる。
「お邪魔しまーすっ。」
大声で挨拶をすると、郁人は先を歩く愛利の後をるんるんで着いていった。
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リビングには愛利の父と母、それから、愛利が外に居る間に起きてきたのであろう、弟と、愛利の家族全員がそこに居た。
郁人は会釈するように、軽く頭を下げる。
「お邪魔してます。」
「あっ、郁人の兄ちゃん!今日も来たんだね。」
愛利の弟は郁人を見るや否や、椅子から立ち上がり郁人へと抱きつく。父と母は、そんな光景をどこか微笑ましげに見つめていた。
この通りもう既に、郁人は愛利の家族公認の彼氏なのだ。
「お母さん、このパンと飲み物貰ってくね。郁人もご飯食べてないみたいだから。」
「あら、此処で皆で食べればいいじゃない。」
「絶対やだ!行こ、郁人。」
片手にパンやら飲み物やらが乗っているトレーを持ち、もう片方の手で郁人の手を掴むと、愛利は自室へと歩いていった。後ろからは冷やかしの声が聞こえるが、そんな事は全く気にせず…
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「ねぇ、パソコンおかしくない?」
「…は?」
唐突な質問で、愛利はぽかんとしてしまった。
パンを食べながらなんだかそわそわしていると思ったら、パソコンを見ていたのか…
「まぁたしかに、最近動きとか鈍いけど…よくわかるね。」
「わからない?」
「わかんない!」
あぁ、他人が見たらどう考えてもおかしな人達だ。愛利はそう思う。
だがしかし、それでも愛利は、なんだかんだいって、郁人とのこんなやりとりをいつも楽しんでいた。
「俺が直してあげる。立ち上げていい?」
「どーぞ。」
愛利からの返答をもらうなり、郁人はパソコンを立ち上げた。いつの間に食べ終わったのだろう、郁人の分のパンは既に無くなっていた。
カタカタとキーを打つ音が、決して広いとは言えない愛利の部屋に響いた。
愛利はじっと郁人を見つめた。だが郁人はパソコンに集中して、愛利の視線などには気付かない。
集中している、郁人の姿。
愛利はそんな郁人の姿が一番好きだった。
自分には向けられた事のない顔。
だからといって、機械にまで嫉妬するなど、醜い事極まりないのだが。
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どれくらいの時がたったのかわからない。ふと郁人が、盛大に息を吐いた。そして愛利の方を見てふにゃりと笑ったと思うと、座っている愛利の腰辺りに抱きついた。
「ちょ、ちょっと、郁人っ。」
「んー…じゅうでーん。」
突然の事でどきりとした愛利の心は、まだドキドキと高鳴っている。それどころか、どんどんと鼓動が速くなり、音が大きくなる。
「…どきどきしてる?」
低く、甘く、囁くように問う郁人。
…なんだかいつもと違う。いつもなら、きもちいーねー。とか言って、にこにこと笑うのに。
愛利は顔を真っ赤にし、郁人から視線を反らした。郁人はそんな愛利を見て、小さく笑う。それは、いつものふわふわとした笑い方ではない。
「愛利がじっと俺の事見てたから、我慢できなくなった。」
腰に回されている腕に、力がこもった。
行き場のなくなった愛利の手が、郁人の頭上でさまよっている。
「郁人…っ…なんか、いつもとちがっ…」
「愛利のせい。」
下から見上げられ、ばちりと視線がぶつかる。愛利はふいに、視線を反らした。
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「反らさないでよ。」
郁人の男らしい声が聞こえ、愛利はぎこちなく、再び郁人へと視線をやった。そこには悪戯っぽく微笑んでいる郁人の姿。
理由はわからないが急激に、愛利には羞恥の情が湧いて出てきた。
顔を真っ赤にし、表情を歪める愛利。
「…可愛すぎでしょ。」
郁人が腰から離れたと思うと、今度は頭から、覆い被さるように愛利を抱き締めた。ぎゅっと、少し苦しいのではないかという位。
「俺がずっと、へらへらしてるだけの男だと思った?俺だって男だから、限界があるの。」
愛利は郁人の腕の中で、こくこくとしきりに頷く。真っ赤に染まった愛利の頬は、もとに戻る気配は全くなかった。
「不意打ち、だよっ…」
ようやく口を開いた愛利の言葉だった。顔を真っ赤にしたまま郁人を睨むように見る愛利。しかしそれは、今の郁人には逆効果だった。
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「…あのね、愛利。誘ってるようにしか、思えない。」
「そんなことっ…もぉ、やだぁ…」
色々と何かが限界に達したのか、愛利はぽろぽろと泣き出してしまった。
そんな愛利の頭を、優しく撫でる郁人。ちなみに謝る気はないらしい。
「このっ、二重人格の機械マニアめっ…変人!変態!」
泣きながら大声でとんでもない事を言い続ける愛利。その言葉たちに、郁人は自分の事を言われているにも関わらず笑いだした。それはもう、楽しそうに。
「…すーき。大好き、愛利。」
ふわりと笑いながら、告げる郁人。その笑顔は、愛利がよく知っている、いつもの郁人の笑顔だった。
「…私だって好きだよ、ばーか。」
ふい、とそっぽを向いてそう言う愛利の顔は、今までで一番赤くなっていた。
fin.