理性的な狂気、または狂気という名の普通
ーーーーーーざー。雨が降っている。夕日が沈みかけ、物静かな空気が世界を包み込む中、そこは狂騒に塗れていた。
そこは街の大きな交差点で、車の往来も多い場所だった。そんな場所で起こった悲劇はある恋人たちを襲っていた。
トラックが突っ込んできて、恋人の男を残して、女を跳ね飛ばしてしまったのだった。
ーーーーーーざわざわ。周囲が悲劇に嘆き、救急車を呼ぶことさえ忘れて、少女の行く末を見ている。
そんな中で男は動揺を隠しているのか、冷静な手つきでスマホを取り出して、警察、救急車に連絡をかける。
男の前には恋人の生前も分からない骸が一つ。雨が洗い流せないほど濃密な赤と鉄。男の視線に入り込み、確かに少女が助からないと見せつけている。
「はい。お願いします。」
男は連絡を終えて、少女の骸ではなく、トラックの方へと歩んでいく。救急車に運ぶべきは少女だけでなく、トラックの運転手もなのだ。
もし処置が遅ければ、死んでしまう。そう男は思い、トラックの扉へと手をかけた。
そこにいたのは顔を真っ青にした中年の男性。自分の人生が終わってしまったのを感じて、中年は動揺に動けなくなっていたのだ。
「よかった。……無事、なんですね。」
「うっ、あ……あ、あ。」
「安心してください。警察は呼びましたよ。」
中年の震える様子を不憫に思った男はとんと肩に手を乗せて、リラックスさせるようにゆったりとしたリズムで声を響かせる。
ーーーーーーざー、ざわざわざわ。ひどく騒がしい周りの音とは対照的にトラックの中は静かだ。中年は絶望をしながらも、男の言葉に意識を取り戻していく。
だが、次に瞬間にはびしりと顔が固まり、そのまま身体も硬直させてしまう。警察。その言葉は中年を更なる絶望に落とすには十分だった。
「さてと、栞はどうだろう?」
男はトラックに轢かれて、無惨な姿になっている少女の元に戻っていく。雨で流されないまま、血の匂いは色濃く男を包み込んでいる。
その中で男は少女の脈を測るためにだらんと地面に投げ出されている少女に腕を取り、人差し指と中指を脈の上に置く。
ーーーーーー。何もない。その事実が少女に生物としての終わりを予感させる。もはや、どうしようもないという現実をわかってしまう。
「……うーん。どうしようか。とりあえず、心肺蘇生だったよな。……おーい、助けてくれませんかー。」
ひどく理性的な男の姿はハッと周りの人間たちの理性を取り戻させるには十分だった。
男の指示に従い、観衆がスマホで心肺蘇生だったり、どうすればいいかを調べ始める。
その中で男は悲劇の中心にいながら、救世主のように少女を助けるのに動いていたのだ。
ーーーーーーピーポーピーポー。救急車のサイレンが鳴り響く。
現場に到達した救急車から医者たちが降りてくるが、その濃密な血の匂いと、助かりもしなさそうな少女に悲痛な表情を浮かべた。
医者たちはそれでも、表情を引き締め直して、無理矢理に義務的に黙々と少女を救急車へと連れ込む。
「どなたか関係者はいませんか?」
「あっ、はい。恋人です。」
しんとその場が静まり返った。誰よりも率先として動き、誰よりも理性的な動きをしていた男がまさか恋人であったとは。そんなこと誰も夢にも思わなかったことだ。
医者もまた彼を怪訝な目線で見ており、その状況がいかにおかしなものか物語っている。
だが、当の男本人は普通に、理性的に、当然の行動をしているだけで、どうして場が静まり返ったのか、理解はできてはいないだろう。
「早く行かなくていいんですか?」
「えっ、あ、ああ。そうだね。……着いてきてもらえるかな。」
男は医者の指示に従い、救急車に乗り込んだ。
どのくらいの時間が経っただろうか。男は病院の椅子に座り込み、スマホを見つめていた。
そこに沈痛そうな看護婦が一人やってくる。
「あの、恋人さん……ですか?」
「ん?はい。そうですけど?」
看護婦は困惑気味に男を見ており、そんな看護婦に男は不思議そうに首を傾げている。
その様子にますます看護婦は困惑を色濃くしていき、次第に理解できないものへの恐怖を浮かばせる。
だが、男は看護婦を見つめるばかりで、どうして早く動かないのだろう。と怪訝な視線を向けていた。
「つ、付いてきてください。」
「はい。」
ひどく簡素な男の声に看護婦は耐えきれなくなったように早足で医者、少女の方へと向かっていく。
その後ろを男は同じリズムで着いて行ったのだった。
沈痛そうな医者が一人と男が一人。深刻そうな雰囲気で包まれる一室の中、男は椅子に腰掛け事態の推移を見守っている。
「栞さんは、残念ながら……。」
「そうですか。残念です。」
医者の口から告げられた少女の死。少女はもう帰らぬ人となり、男の元へ笑みを浮かべることは無くなったのだ。
男はその事実を受け止め、医者の目を見て一つ頷いた。
その男の様子に医者は不気味そうな表情を見せて、次にきっと目を鋭くした。
「あなた、恋人がなくなったんですよ?」
「えっ?そうですね。残念です……。」
しんと部屋が沈黙に包まれる。それをキョトンと首を傾げて男は医者のことを見つめている。
「どうして恋人が死んだのに無関心なんですか?」
「いや、普通に悲しいですよ。恋人が死んだんですから。……それで泣いたら解決するんですか?」
「……は?」
医者の最もな言葉に男はさも当然の事実を語るように悲しみを口に出した。だけど、その顔はやはりあまりにも理性的だ。
それに恋人の死を悲しむことを、涙することを解決するのか?とまで問う。
その理解ができない男の言葉に医者はポカンと口を開けてしまっていた。
「?……恋人もまた作ればいいじゃないですか。」
「……っ!!ふざけているのか?」
「え?別に恋人と別れることなんて、普通にあり得ますよね?」
ぞくりと、医者の背筋に気色の悪い空気が立ち上る。心なしか、部屋の空気も二度、三度と下がっているようだ。
怒りを表面に出す医者はしかし、男の当たり前の事実を語るような口に、もはや何も返す言葉が残っていない。
「帰りますね。」
絶望的な温度差。広がる空虚に医者は飲み込まれてしまい、しばしその部屋から抜けることはできなかったのだ。
ーーーーーーざー。数年後、あの日と同じ月、日付。少女、栞の命日である。
きくしも、少女が死んだ日と同じように雨が降っており、その周囲がしっとりと物悲しい空気が包み込んでいる。
それと一組の夫婦だろうか。50近い歳だろう老夫婦は鎮痛な表情で、電柱に花をくくりつけていた。
「あっ、事故があったんだね。」
「ん?そうだね。」
「そうだねって。全く、興味なさすぎじゃない?」
そこには一人にカップルが歩いている。数年経ったからか、少し老けながらもまだ若々しさを感じるあの日の男。
その横には気の強そうな少女がおり、手まで繋いでいて仲が良さそうだ。
「そんなことないよ。元カノだしね。」
「……は?」
「栞。君と同じ名前だったけど、目の前で死んでしまったんだよね。」
びしりと二人の間に決定的な溝ができる。空気は冷え込み、少女、栞の顔には根源的な恐怖を感じる。
ばしっと少女が手を弾くと、男は不思議そうな表情を浮かべて少女の顔を見つめている。
「何言ってるの?」
「ほぇ?”ふつう“の事実でしょ?」
「……っ!!」
少女は背筋が凍るような思いを抱き、また男を理解不能な生物を見るように見つめている。
そして、たまらずに走り去ろうと背を向ける。
ーーーーーードン。トラックが少女を跳ね飛ばした。
それを男はその目でしっかりと追いながら、その場でじっと動かない。そして、トラックが停止するのを見計らって、スマホに手をかけたのだ。




