第32話 煽り
夜の東地区軍事施設前。
静寂が辺りを包み、風が石畳を撫でる音だけが響いていた。
ラヴィーネとセラフィナは並んで立ち、施設の入り口を見つめていた。
他に人影はない。警備も意図的に外されている。
まるで、ここが罠であることを隠す気もないような、堂々とした構えだった。
セラフィナは、夜風に揺れる金の巻き髪を気にも留めず、優雅に扇を仰いでいた。 ラヴィーネは、施設の扉を見つめながら、静かに呟いた。
「……なかなか現れませんね。やはり警戒されているのでしょうか?」
セラフィナは、ふっと笑みを浮かべると、わざとらしく声を張り上げた。
「おーっほっほっほ! これだけ身を晒して、宿敵とこの帝都でもっとも価値ある私がいるというのに手を出さないとは……どうやら負け犬アマンスの腹心は、想像以上に腰抜けのようねぇ!」
その声は、夜の静寂を破って遠くまで響いた。
ラヴィーネは思わず眉をひそめたが、すぐに苦笑する。
「姫様……煽り方が派手すぎます」
「当然ですわ。餌は豪華でなければ、獣は寄ってきませんもの」
セラフィナは、扇を軽く仰ぎながら、ふとラヴィーネに目を向けた。
「ところで、あなたはアマンスのどこに惚れたんですの?」
唐突な問いに、ラヴィーネは一瞬言葉を失った。
「えっ……」
「だって、好きな人を救いたいとまで言ったのですもの。少しくらい語っていただかないと、私としても協力のし甲斐がありませんわ」
ラヴィーネは、少しだけ視線を逸らし、夜空を見上げた。
星がちらほらと瞬いている。
「……最初は、ただの敵でした。王国の騎士として、帝国に立ち塞がる者。冷静で、強くて、何を考えているのか分からない人でした」
「ふむふむ。そういう男、嫌いではありませんわ」
「でも……とある事情で私は彼の本当の姿を知りました」
「……本当の姿?」
セラフィナは、少しだけ目を細めた。
そしてラヴィーネがそっと目を閉じて、瞼の裏に日之出大翔の姿を思い浮かべる。
「彼は本当は……めんどくさがりで……横着するように見せて……だけど、誰かのためならワザワザとてつもなく面倒でかったるいことにも飛び込んで……何よりも優しい……」
「……そうなんですの? とてもではありませんが、あのアマンスと結びつきませんけども……」
「ええ、そうでしょう……ですが……私には分かるのです」
ラヴィーネは、少しだけ笑った。
「理屈ではありません。ふふふ、きっと私と彼は前世で恋人同士だったのだと思います……だから、私が彼に惚れるのは理由はなく、必然なのです」
冗談交じりだが、実は全て本当のことを口にするラヴィーネ。
そのことを真に受けるわけではないセラフィナだが、ふっと笑みを浮かべる。
「とりあえず……本気というのは分かりましたわ」
「申し訳ありません。説明になっていなくて」
そう、説明にはなっていない。
しかし、ラヴィーネがアマンスを好きだということにセラフィナは嘘を感じなかった。
その流れで、
「姫様は、そういうのはないのですか? 誰かに恋など……」
ふいにラヴィーネは思わず流れでセラフィナに聞いていた。
「あら、私のコイバナですの? ……ふむ……そうですわね……私が惹かれるのは、『私にひれ伏さない男』かしら。私の高笑いに眉一つ動かさず、堂々と立っているような……そんな男……『数日前まで』現れませんでしたけども……」
「……それ、アマンス殿に当てはまる気がしますが」
「おーっほっほっほ! だからこそ、彼を寝取った時のあなたの顔が楽しみですわ~」
「姫様……御冗談を」
「うふふふふ、少しは緊張がほぐれまして?」
ラヴィーネが思わず顔を赤らめると、セラフィナは満足げに笑った。
しかし、ラヴィーネは気づいていなかった。
ラヴィーネがセラフィナに嘘をつかなかったように、セラフィナもまた嘘をついていないということに。
そんな中で……
「で、いい加減にいつ現れるのかしら? 負け犬アマンスの使えない残党兵たちは!」
「姫様……」
再び大声でわざとらしい挑発をするセラフィナ。
ラヴィーネが小さく制止しかけるが、セラフィナは止まらない。
「おーっほっほっほ! まあ、所詮主があの程度の男ですから、部下がヘタレのビビりなのは仕方ありませんわねえ!」
その声は、夜の静寂を破って遠くまで響いた。
まるで帝都全体に宣言するかのような、堂々たる挑発だった。
ラヴィーネは、思わず眉をひそめる。
「姫様……さすがに言いすぎでは……」
「言いすぎ? これでもまだ優しい方ですわよ。あの男の部下が本当に彼を想っているなら、今頃ここに飛び出してきているはずでしょうに」
その瞬間――
「貴様ぁ……アマンス様が負け犬だと……ふざけろ」
鋭い声が闇を裂いた。
二人が振り向くと、施設の屋根の上に黒い影が立っていた。 覆面をした数人の隠密たちが、音もなく姿を現す。
そして、その中心に立つ一人。漆黒の装束に身を包み、鋭い眼光を放つ女。
その姿は、まさに鍛え抜かれた戦士のそれだった。
「ソロール……!」
ラヴィーネが名を呼ぶと、女はゆっくりと屋根から飛び降り、音もなく着地した。 その動きに、セラフィナは満足げに微笑む。
「ようやく、獣が餌に食いつきましたわね」




