Peter
「ペーター!」
あぁ…またこれだ。
「お前と言う奴は!」
また、殴られる。父さんの拳が僕の頬に当たる。無理矢理な視界のぼやけ、バランスが崩れて手をつく。痛みなんてのはそんなものの後からやってくる。床を伝う血が僕の手の平に染みてくる。
「あー痛かった〜。」
軽くあざになった頬をさすりながら町へ出る。家も嫌いだけど町だって嫌いだ。大人たちは故郷がどうたらとか郷土愛とかなんとかいってるけど、このハーメルンの町にそんな価値があるとは思えない。こんな町、世界を見ればいくらだってあるだろうし。
ヒュロロロロ〜
笛の音だ。この音は、ちょうどブンゲローゼン通りのあたりかな。あの通りは楽器の演奏が禁止されてたはずだけど。なんでも今から四百年だか五百年だか前に笛吹きの男が町中のこどもを攫ったとかなんとか、隣のおじさんが言ってたっけ。だから、演奏も踊りも禁止されてるって。はぁ、それが本当ならこのハーメルンも今に続かないだろうに、よくそんな嘘を真面目に語れるもんだ。
ちょうど辺りが薄明かりに染まる時間。そんな早朝にはブンゲローゼン通りに来る人もいない。そもそもそんな大きな通りでもないし。人がいないから子供が一人で通りに入っていくのを止める人も、当然いない。
「君。」
「うわっ!!」
一応、驚いたフリをする。
「ごめんね。驚かすつもりは無かったんだ。」
奇抜な格好の大人。絵の具を放り投げられたような気色の悪い色の服。…笛を持っているからさっきの音はこの人か。
「こんな朝早くにどうしたんだい?」
大人なんだからちょっとは名乗ったらどうかと思うけど、まぁいいか。…そうだ。
「ねぇねぇお兄ちゃん。ここで笛を吹いたらいけないんだよ。」
「…そうなのかい?」
「そうだよ。ここで笛を吹いたらいけないんだよ。吹いている人がいたらすぐに知らせろってお父さんに言われてるんだ。」
よく見たら随分と嫌なぐらいに白い肌だ。血の気を感じない。目の周りは暗くて、影が強い。瞳は、そうだな…死んだ犬みたいに光が無い。
「…それは困るなぁ。秘密にしておいてくれるかい?」
よし、釣れた。
「うん。いいよ…けど。」
「けど?」
「お願いがあるんだ。」
「なんだい?」
「僕の家に出たネズミを退治して欲しいんだ。」
「…いいよ。…わかった。」
やっぱりこいつ本物だ。笛を吹いてネズミを殺しやがった。それもネズミを操って家の屋根から飛び降りさせた。しかもご丁寧なことに全部背中から落ちている。間違いない、こいつは本物の笛吹き男だ。数百年経ってもまだハーメルンいたなんて。隣のおじさん、ちょっとは見直したよ。
「さて、こんなところかな。これで秘密にしててくれるよね?」
するはずがない。ちゃんと役に立ってもらうよ。
「…もう一ついいかなぁ、お兄ちゃん。」
「…なんだい?」
「コウモリを、あの黒い羽をした怖い怖いコウモリを二度と見なくてすむようにして欲しいんだ。」
―――町の人たちが不吉だっていう黒猫を動かないようにしてどこかに捨てて欲しいんだ。
―――時々町に入ってくる野良の犬をもう吠えられないようにして欲しいんだ。
―――僕のことを殴ってくる酷い酷いお父さんを殺して欲しいんだ。