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恋を教える個別ブース  作者: おすもういぬ
秘密の出会い編
9/56

疼く夜

教室の静けさが、今日は少しだけ落ち着かない。


俺は、早めに席についていた。

個別指導の準備もとっくに終えて、律のノートを眺めていたところだった。


律はいつもどおり時間ぴったりに教室に入ってきて、

「すみません、ちょっとトイレ行ってきます」と言って、カバンを置いたまま席を立った。


そのまま、机の上にスマホが残っている。

律は無頓着なところがあるから、画面を伏せることもせずに置いていた。


──それが、ふと、光った。


通知。


何気なく目がいったのは、ただの反射だった。

見ようとしたわけじゃない。……そう、自分に言い訳する。


けれど、目に飛び込んできたのは――


「明日、またお昼一緒に食べない?律って、ほんとかわいいな笑」


……男の名前だった。

たぶん、同級生。

文面の軽さからして、距離も、きっと近い。


“律って、ほんとかわいいな”。


その言葉が、胸に鈍い音を立てた。


こいつは、何気なく言ってるのか?

それとも、律に好意を向けてるのか。


そして――律は、それをどう思ってる?


画面はすぐに暗くなり、静けさが戻る。


……でも、俺の心はざわついたままだった。


「律って、かわいい」

それは、俺が喉元で飲み込んでばかりいる言葉だ。

触れたい、抱きしめたい、呼び捨てで、誰よりも近くで――

けれど立場も理性も、“教師”という現実も、それを許してはくれない。


俺は、触れることすら慎重にしてきた。

軽いキス、そしてただ指先で、髪に、頬に、名前に、触れるだけだった。


──でも、あの男は。

こんなにも軽々しく、律に触れようとしている。


「……くそ」


吐き出した声は、誰にも聞かれなかった。


トイレから戻る足音が、廊下のほうから近づいてきた。


俺は慌てて目を逸らし、ペンを手に取る。

いつもの“講師”の顔を貼り付けて、席についた。


「お待たせしました」


「……おう」


律は、いつもと変わらない笑顔だった。

何も知らず、机の上のスマホを手に取って、画面を確認する。


その表情に変化はなかった。

メッセージを見たのかもしれない。

あるいは、もう慣れているのかもしれない。


それが余計に、胸を締めつけた。


「律」


「はい?」


「…授業の前に少し話せる?」


「え……はい、大丈夫です。何かありますか?」


「ちょっと……話したいことがあるんだ」


律は首をかしげながらも、素直にうなずいた。


俺は、その反応にほっとしつつ、

明日という時間に、すがるような気持ちで心をつないだ。


伝えるかは、わからない。

けれど、何も知らないふりでいるには――もう、限界だった。


――――――――――――――――――

律は、秋のために時間を作ってくれた。

静かなの教室。夕陽がカーテンの隙間から差し込み、空気をやわらかく照らしている。


律は、いつも通りだった。


だけど俺の胸の中には、あの通知で見てしまった言葉がまだ棘のように刺さっていた。


「律って、ほんとかわいいな笑」


何も聞いてないふりをすればいい。

でも、それで済ませられるほど、俺は大人じゃなかった。


「……なあ、律」


「はい」


律は、ノートを広げたまま、こちらを見る。

相変わらず、無防備な目だった。


「さっきさ、……お前のスマホ、光ってた」


律の手が止まった。

俺は、あえて視線を外さなかった。


「ちょっとだけ、名前が見えた。……男の名前だった」


「……あ」


律は、気まずそうに目を伏せる。


「ごめんなさい、置きっぱなしでしたよね。秋くんに見せるつもりなかったのに……」


「いや、俺が悪い。勝手に見たわけじゃないけど……気になった」


律が黙ったまま、手元のノートの端を指先で折る。


空気が張りつめる。

でも俺は、それを破るように、言った。


「……どういう人なんだ? その、送ってきたやつ」


律は少しだけ驚いたような顔をした。

でも、すぐにふっと目を細めた。


「ただの、クラスの子です。よく話しかけてくるんですけど、軽くて。……僕、ちょっと苦手です」


「……苦手?」


「はい。いろんな人に同じこと言ってるから。あんまり本気って感じがしなくて……」


そう言って、律は俺を見た。


「秋くんみたいに、“ちゃんと”言ってくれないから、軽く聞こえるんです」


鼓動が、一度強く跳ねた。


“ちゃんと”――

俺の気持ちが、少しでも律に届いてるのかと思うと、それだけで胸が熱くなる。


けれど、同時に、怖くもなる。

俺は教師で、律は生徒だ。

関係性の外にある感情が、こんなにも胸をかき乱す。


「……でもさ」


「?」


「“かわいい”って言われて、嫌な気分はしなかっただろ?」


律は、少しだけ驚いて目を見開いた。


「……それは」


「律、自分がそう見られてること、わかってるだろ。……あんな顔で、そんな仕草して……」


言いながら、自分の声が濁っていくのがわかった。

理性のギリギリの線を、感情が押し上げてくる。


律が、唇を結んで、ぽつりと言った。


「……秋くんに、言われると、……その、……すごく、ドキッとします」


「……律」


「でも、他の人に言われると、なんか違うんです。……気持ちが、動かない」


その一言で、俺はやっと呼吸ができた気がした。


安堵と、情けなさと、欲望と、ぜんぶが混ざって、

俺はゆっくりと椅子を立ち、律のそばにしゃがみ込んだ。


「……俺は、律の全部に反応してるよ。顔も、声も、仕草も……呼吸まで、全部」


律は、目を伏せたまま、小さく震えていた。


「でも、……まだ触れない。俺が我慢してるって、……律、わかってる?」


律はこくりとうなずいた。

そして、そっと俺の手に触れてきた。


「……じゃあ、もう少し、我慢させちゃうかも」


俺はその手を握り返し、ため息のような声で答えた。


「……律、お前、ほんとずるい」

━━━━━━━━━━━━━━━▪️▪️・・

夜の部屋は、静かだった。

ソファに背を預けて、訳もなく、スマホを片手に、何度も同じ画面を見つめていた。


俺が我慢してること、律は知ってる。

でも、その上で我慢した先にはと思うと

理性なんて、すぐにでも崩れそうだった。


思わずスマホを握りしめる。

鼓動がひどくうるさくて、寝転んでも、目を閉じても、律の顔が焼き付いて離れない。


くしゃり、と髪をかきあげる。


「……はあ。……どうしてくれるんだよ、……」


俺はずっと、自分に言い聞かせてきた。


教師として、生徒には手を出さない。

大人として、未経験な律を惑わせない。

男としても、真剣じゃなければ傷つけてしまう。


でも――

こんなにも可愛くて、まっすぐで、俺の気持ちに少しずつ応えてくれる律に、

もう“我慢”なんて言葉だけで済ませられるはずがなかった。


あのとき、教室で言った。


「律の全部に反応してるよ。顔も、声も、仕草も……呼吸まで、全部」


それは、まぎれもなく本音だった。

欲しくて、たまらない。

もっと近づきたくて、触れて、抱いて、手の中に閉じ込めてしまいたくて。


でもそれ以上に、壊したくない。

“律のペース”で触れていきたい。


(……ああ、けど、もう限界が近い)


このままだと、ふとした瞬間に触れてしまいそうになる。

髪に、耳に、首筋に、シャツの隙間から肌に――

自分の手が、自分じゃないみたいに動いてしまいそうで怖い。


スマホの画面を見つめたまま、俺はため息混じりに、呟いた。


「……律。そんなこと言われたら、夢に出てきそうだ」


ほんとうはもっと言いたかった。

“全部抱きしめたい”とか、“今すぐにでも会いたい”とか。

でも、そんな言葉をぶつけたら、

きっと律は戸惑ってしまう。


だから、まだ――ほんの少しずつ。


スマホを伏せ、手のひらを見つめる。

そこにはまだ、律の指の感触が残っている気がした。


指先が、熱い。

まるで、またすぐに触れられるような錯覚。


「……もうちょっとだけ、我慢するよ。……律のために」


そう小さく呟いて、俺はソファの背に頭を預けた。


まぶたを閉じても、やっぱり律がいる。


夢でもいい。

今夜は、触れた手の続きを――

お前の“ぬくもり”の続きを、思い出していたい。

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