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恋を教える個別ブース  作者: おすもういぬ
秘密の出会い編
6/56

ふたりきりの自習室

律がいる。

それだけで、こんなにも体が反応するなんて――思ってもみなかった。


「先生、今日も少し残って自習しても……いいですか?」


「……もちろん」


律は、俺を見て小さく微笑んだ。

夢の中と同じ笑みだった。


もう、それだけで胸が痛い。


あの夢を見た夜から、まだ二日しか経っていない。

俺の中にはまだ、あのときの柔らかい肌の感触、囁かれた声、腕の中の温もりがこびりついている。


現実の律は、なにも知らない。

ただ勉強を頑張る、優秀な生徒だ。

だけど、今こうして自習室で“ふたりきり”になると――現実と夢の境界が曖昧になっていく。


他の生徒たちが帰り始め、廊下の灯りが少しずつ落ちていく時間。

その静けさのなかで、律はノートに数式を書き込んでいた。


顔を伏せて、ペンを走らせるその姿。

机に寄せた肩、シャツの布が滑る音。

そのすべてが、俺の神経を逆なでしてくる。


「……律」

無意識に名前を呼んでいた。


「はい?」


顔を上げた律の目が、俺を見つめた。

一瞬、思ったよりも近くて、心臓が跳ねた。


「そろそろ、……目が疲れてきたんじゃないか?」


「そうですね……少し、だけ」


「じゃあ、ちょっとだけ休憩しようか。目を閉じて、深呼吸して」


俺の言葉に律は素直にうなずき、ペンを置いた。


そして、目を閉じた。


──やめろ。


律が目を閉じているだけなのに、こんなにも艶めいて見えるのはなぜだ。


黒髪が頬にかかって、呼吸に合わせて肩が小さく上下する。

まぶたの薄さすら、艶やかに見える。

静かな吐息のたびに、鼓動が熱くなる。


「……眠くなりそうです」


ふっと漏れたその一言に、俺の喉が鳴った。


「じゃあ、寝るか? ここで」


「ふふ、……先生が隣にいてくれたら、眠れるかもしれません」


軽い冗談。

きっと、律はそんなつもりだったんだろう。


でも――


今、その一言が、どれだけ危ういかわかっていない。


「……俺が隣にいたら、眠れないと思うけどな」


自分でも驚くほど、低く、熱を帯びた声が出た。


律が、目を開けてこちらを見た。

きょとんとした顔。


俺は、椅子の背にもたれ、目を伏せてごまかした。


ダメだ。

もう、律に触れてしまいそうだ。

あの首筋に、手を伸ばしたら、きっと止まれない。


「……帰ろう。今日はここまで」


「え……でも、まだ」


「いい。疲れてるだろ?無理させたくない」


律は少し驚いたようだったが、黙って頷いた。


「……はい。先生がそう言うなら」


その言葉が、妙に胸に響いた。


“先生がそう言うなら”

その無垢な信頼が、俺を縛る。


でも、それでも。

俺は――触れたくて、たまらなかった。


━━━━━━━━━━━━━━━▪️▪️・・

夜の塾は、ほとんど無音だった。

外の雨は上がっていたが、湿った風がまだどこかに残っている。


律が鞄を手に立ち上がり、制服の裾を直すようにスカート……ではなく、ズボンの端を軽く叩いた。

その拍子に、シャツの裾がわずかに持ち上がる。


肌が、また見えた。


白い、細い腰骨のあたり。

骨ばっていない、まだ少年の面影が残るような、柔らかそうな肉付き。


律が動いた瞬間、俺の手が――

反射的に、その裾に、触れてしまった。


「……っ」


指先に、確かに布と、下にある肌の感触があった。

律がぴくりと肩を震わせる。


「……せ、先生?」


その声音には、戸惑いと、かすかな揺れが混ざっていた。


「……ごめん」

すぐに手を引っ込めた。

触れたのは一瞬だった。だが、俺には長すぎた。


心臓がひどくうるさい。

視線をどう向けていいかわからない。


律は、自分の裾を見下ろし、小さく息を吸った。


「……あの、なにか……ついてましたか?」


その問いに、俺は嘘をついた。


「いや……糸くず、が。ついてたから、取っただけ」


「……あ、そうなんですね。……ありがとうございます」


律は微笑んだ。


信じている。俺を。


なのに俺は――

その裾の下に指を伸ばしたくなっていた。

その奥にある肌を、確かめたくなっていた。


俺は最低だ。

教師としても、大人としても。


なのに、こんなにも、律に触れたい。


「……律」


「はい」


「次、いつ来る?」


「次は……あさっての金曜日です。」


その“声”が、甘く響いた。


「……気をつけて帰れよ」


「……はい。先生も、無理しないでくださいね」


そう言って、律は背を向ける。

その後ろ姿を、俺は見送るしかできなかった。


制服の裾に、まだ自分の熱が残っている気がした。


もう、止まれない。


俺は、この感情に名前をつけることを、諦めるしかなかった。

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