最終章:未来は今から生まれる魔法
アリの行列を見てから、僕の心には小さな変化が訪れていた。
レジーナの「時間調整」は相変わらずだけど、以前ほどイライラしなくなった。
むしろ、ゆっくりになった時間の中で、僕はこれまで気づかなかったものを見つけ始めた。
学校の廊下に飾られた、みんなの絵。
通学路の片隅に咲く、名前も知らない小さな花。
友達が話す、どうでもいいような日常の出来事。
それらすべてが、僕には新しい発見のように思えた。
ある放課後、僕は公園のベンチで、レジーナと並んで座っていた。
もちろん、他の人には僕が独り言を言っているように見えるだろうけど。
レジーナは、いつものように優雅な指先で、僕の周りの時間をゆっくりにしていた。
ブランコを漕ぐ子供たちの笑い声が、長く、伸びやかに聞こえる。
シャボン玉が、ゆっくりと空に昇っていくのが、まるで宝石のようだ。
「ねえ、レジーナ。」
僕は、ポツリと話しかけた。
「秒針が止まったのは、本当に僕みたいな人間のせいなの?」
レジーナは、一瞬、目を見開いた。
彼女の瞳の色が、琥珀色から、まるで寂しさを宿す深い紫色へと変わった。
「ええ、そうかもしれませんわね。」
レジーナの声は、いつもより少し震えていた。
「わたくしは、かつて、あまりにも遠い未来のことばかり考えていました。あの頃のわたくしは、今のあなたとそっくりだったかもしれませんわ。目の前の『今』を蔑ろにして、ただひたすらに、輝かしい未来だけを夢見ていた。」
彼女は、遠くを見るように目を細めた。
「そして、気づけば、わたくしの秒針は止まっていましたの。まるで、『今』という瞬間が、わたくしから逃げ出してしまったかのように。もう二度と、あのカチカチという、今を刻む音が聞けなくなった時、わたくしは初めて、時間の尊さに気づいたのですわ。」
レジーナの言葉には、深い後悔と、そして切ないほどの寂しさが込められていた。
彼女の止まった秒針は、ただの故障なんかじゃなかったんだ。
それは、彼女自身の心が、過去の過ちによって止まってしまった証だった。
「ごめん…。」
僕は、思わず呟いた。
僕も、きっと同じだったから。
レジーナは、そんな僕の頭を、優しく撫でた。
ひんやりとした指先なのに、なぜだか温かかった。
「謝る必要はありませんわ。あなたは、わたくしに、再び『今』を見つめるきっかけを与えてくださった。」
レジーナの瞳が、少しずつ、穏やかな水色へと変わっていく。
「わたくしの秒針が止まってしまって以来、わたくしは、あの音が少し苦手になってしまったのです。でも、今なら、きっと…。」
その瞬間、公園の時計台から、夕焼けを告げる鐘の音が鳴り響いた。
ゴォォン、と響く音は、僕たちの心を震わせる。
レジーナは、自分の宿る置き時計をそっと胸に抱きしめた。
そして、その時計の止まっていた秒針が、まるで長い眠りから覚めたかのように、カチ、と音を立てて、小さく動き出したのだ。
カチ。カチ。カチ。
その音は、以前は耳障りだったはずなのに、今はとても心地よく聞こえた。
レジーナの顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。
「わたくし、また、時間を刻むことができるようになりましたわ…!」
彼女の瞳は、喜びでキラキラと輝いていた。
僕は、その日、心から理解した。
未来は、遠くにあるものじゃない。
プロのゲームクリエイターになる夢も、今この瞬間を精一杯生きることから始まるんだ。
授業で習う一つ一つの知識、友達との何気ない会話、家族との温かい時間。
それらすべてが、僕の未来を作る大切な「今」なんだって。
レジーナの秒針は、完全に元通りになったわけじゃない。
たまに、まだぎこちなく止まることもある。
けれど、もう彼女は怖がらない。
そして、僕も、もう焦らない。
僕とレジーナの関係は、誰にも理解できない、僕たちだけの秘密のワルツ。
秒針がカチカチと進む音は、もう耳障りじゃない。
それは、未来へ向かう、僕とレジーナの、確かな足音だから。
そして、僕は知っている。
未来は、いつだって、この「今」から始まる、一番美しい魔法なんだって。
◆後書き◆
皆さん、こんにちは! この度、私の新作『秒針嫌いのレジーナ』を無事にお届けできて、本当に嬉しい限りです。物語はいかがでしたでしょうか? リクくんとレジーナ様が織りなす、ちょっぴりドタバタだけど心温まる時間の物語、楽しんでいただけていたら幸いです。
そもそも、この物語が生まれたきっかけは、私自身の「時間」に対する焦りでした。いつも「あれもしなきゃ、これもしなきゃ!」と未来ばかり見て、目の前の瞬間に集中できていない自分に気づいたんです。そんなある日、ふと「もし時間が、もっと気まぐれな存在だったら?」なんて妄想が頭をよぎりまして。そこから、秒針が嫌いなちょっとお高くとまった精霊「レジーナ」と、未来へ一直線な少年「リク」という、真逆の二人を組み合わせるアイデアが生まれました。まさに、私自身の内なる葛藤が具現化したようなキャラクターたちです。
執筆中、一番こだわったのは、レジーナ様の話し方ですね。「まぁ、せかせかと動いてばかりで、優雅さが足りませんわね」なんて台詞を考えるたびに、ニヤニヤが止まりませんでした。彼女の口調からは、ただ気品があるだけでなく、どこか寂しがり屋で、過去の自分を重ねているようなニュアンスを感じてもらえたら嬉しいです。外見も、光を透過するドレスや、感情で色が変わる瞳など、細部まで想像力を働かせました。彼女の優雅さと、たまに見せる人間味あふれる(?)反応のギャップを楽しんでいただけたら嬉しいです。
一方、リクくんの描写では、彼が本当に「今」を見ていなかったんだな、ということを読者の皆さんにも感じてもらえるように工夫しました。特に、レジーナ様の「時間調整」でアリの行列に気づくシーンは、私自身も「あぁ、忙しいとこんな小さな発見もできないんだな」とハッとさせられましたね。この物語が、読者の皆さんにとっても、日々の小さな「今」に目を向けるきっかけになってくれたら、著者としてこれほど嬉しいことはありません。
執筆中の裏話としては、レジーナ様が時間を操作する描写が、想像以上に難しかったんです! スローモーションや早送りといった具体的な動きを、文章だけでどう表現したら読者の皆さんに伝わるか、何度も頭を悩ませました。実際に秒針が止まった時計を眺めながら、「この時計の精霊は、どんな気持ちなんだろう?」と想像を膨らませた日々でした。おかげで、街の時計台の音を聞くたびに、「ああ、今日も時間が進んでるなぁ」なんて、妙に感傷的になったりしています。
さて、次回の構想ですが…実は、時間を「戻す」ことができる、これまた一癖ある精霊の物語を考えています。過去の忘れ物を取り戻す、ちょっと切ないけれど温かい物語になるかもしれません。まだ秘密ですが、どうぞお楽しみに!
最後に、この物語を読んでくださった全ての皆さんへ。私たち現代人は、とかく「早く、早く」と未来へ急ぎがちです。でも、立ち止まって足元を見れば、そこにはたくさんの「今」という宝物が隠されています。どうぞ、今日という一日を、そしてこの瞬間の小さな幸せを、大切に味わってください。
あなたの「今」が、輝かしい未来を創る魔法になりますように。
それでは、また次の物語でお会いしましょう!