第4章:秒速リクの、奇妙な日常
美術館でのあの日以来、僕の日常は、レジーナによって完全にひっくり返された。
朝、目覚まし時計が鳴る。
けれど、その音は奇妙に伸びて聞こえるかと思えば、突然加速して、僕が起きる前に鳴り止んでしまう。
レジーナの気まぐれな「時間調整」の始まりだ。
登校中、友達と喋っていると、僕だけがスローモーションになる。
みんなが僕の何倍もの速さで動いているから、まるで僕が遅い亀になったみたい。
「リク、どうしたんだよ、今日のろのろだな!」なんて言われても、レジーナのせいとは言えない。
たまに、僕だけ時間が超スピードになることもあるから、みんなが固まっている間に、僕はとんでもない距離を移動してしまう。
一番困ったのは、宿題の時間だ。
集中して鉛筆を走らせていると、急に時間が早送りになる。
あっという間にノートが文字で埋まって、気づけば次の日の宿題まで終わっていることもあった。
けれど、今度は僕がゆっくりになって、宿題が全然進まないこともある。
「どうして僕だけこんな目に…」僕はよく天井を睨みつけた。
レジーナは、そんな僕のドタバタを見て、いつも優雅に笑っている。
「まぁ、そんなに時間を無駄にしないでくださいな、リク。これも、時間を慈しむための修行ですわ。」
彼女は僕のすぐ隣に、フワリと現れる。
薄い金色のドレスが、僕の部屋の薄暗い光の中でも、まるで月光を浴びているように輝く。
「修行なんていらない! 早く、普通の時間に戻してくれよ!」
僕は叫ぶけれど、レジーナは首を振るだけ。
「焦ってばかりでは、本当に大切なものを見失いますわよ。あなたは今、この瞬間にも、たくさんの素晴らしいものを見過ごしていますわ。」
彼女の瞳は、いつも僕を真っ直ぐに見つめている。
その目は、時に優しく、時に厳しかった。
ある日、学校の帰り道。
僕はいつものように、未来のことばかり考えて、足元もろくに見ずに走っていた。
すると、突然時間がスローになった。
目の前の地面に、小さな影が揺れている。
レジーナの仕業だ。
僕はゆっくりと視線を落とした。
そこには、小さなアリの行列が、せっせと何かを運んでいるのが見えた。
普段なら、絶対に見向きもしない光景だ。
でも、時間がゆっくりになっているから、彼らの懸命な働きが、やけに鮮明に見える。
彼らは、今、この瞬間を一生懸命生きている。
レジーナが僕の隣に現れた。
「ご覧なさい、リク。小さな命も、今を精一杯生きていますわ。あなたには、彼らのように、たった一つの瞬間を大切にする心が足りませんわ。」
彼女の言葉が、初めて、僕の心にストンと落ちてきた気がした。
焦りすぎて、僕は、本当に何も見ていなかったのかもしれない。
アリの行列を見つめる僕の心の中で、何かが、ほんの少しだけ、変わり始めた。