第2章:秒針嫌いのレジーナ様
「…今、誰か喋った?」
僕は周りを見回した。
薄暗い展示室には、僕と、ちょっと離れた場所にいる先生とクラスメイト数人。
みんな、絵の前で真剣な顔をしている。
誰も、僕の方を見ていない。
「あら、聞こえていらっしゃいましたの? 意外に耳が良いですわね。せかせか動くばかりの割には。」
また、その声がした。
まるでベルが鳴るような、透き通った、でもどこか人を小馬鹿にしたような響き。
そして、その声は、間違いなく目の前の置き時計から聞こえてくる。
僕は恐る恐る、その時計にさらに顔を近づけた。
すると、止まっていた秒針が、まるで意思を持っているかのように、ぴくりと震えた。
そして、時計の文字盤の中心から、ふわりと金色の光が立ち上り、形を成していく。
その光が薄れると、そこに立っていたのは、幼すぎず大人すぎない、はかなげで優雅な女性だった。
薄い金色のドレスをまとっている。
光を透過するような生地で、まるで霧か、それとも月の光でできているみたい。
髪はなめらかなウェーブがかかっていて、耳元には秒針を模した、小さくて繊細な飾りが揺れている。
瞳は時計の文字盤みたいに神秘的な輝きを放ち、感情が揺れるたびに色が、そう、まるで時間の流れに合わせて変わるように、青から緑、そして琥珀色へと移り変わる。
その女性は、僕を見下ろして、すっと鼻を鳴らした。
「まぁ、わたくしのような高貴な存在に出会うとは、あなたも運が良いですわね。わたくしはレジーナ。この時計に宿る、時間の精霊ですの。」
レジーナと名乗ったその女性は、くるりと優雅に一回転した。
「しかし、あなたのような小僧が、なぜこのような優雅な空間に?」
彼女の話し方は、まるで貴族みたいに丁寧なのに、なぜだか僕を馬鹿にしているように聞こえる。
「小僧って…僕はリク! 社会科見学で来たんだよ。っていうか、精霊とか本当にいるんだ…。」
僕は驚きと戸惑いで、しどろもどろになった。
まさか、こんな古ぼけた美術館で、時計の精霊に出会うなんて。
しかも、その精霊は、秒針が嫌いらしい。
秒針嫌いって、なんだそりゃ。
「社会科見学ですって? そんな退屈な時間に、わたくしが時間を費やすのは、少々億劫ですわね。」
レジーナは、つまらなさそうに溜め息をついた。
「それにしても、あなたの周りの時間の流れは、何とせわしないこと。カチ、カチ、カチ……秒針の音のように耳障りですわ。」
彼女は自分の耳を指でふさぐ仕草をした。
「別にせわしなくないし! 僕はただ、未来へ急いでるだけなんだ。一秒だって無駄にしたくない。」
僕がムキになって言い返すと、レジーナは目を細めた。
「ふぅん。未来、未来と、そればかり。あなたのような方は、一番嫌いですわ。」
彼女の言葉に、僕はちょっとムッとした。
「そんなに焦って、何になるというのですの? 今この瞬間を味わうこともなく、ただ時間を消費していく。それこそ、もったいないというものですわ。」
レジーナの言葉は、まるで鋭い針のように僕の胸に突き刺さった。
だって、僕はずっと、それが正しいと思って生きてきたから。
「わたくしの秒針が止まってしまったのは、あなたのような焦りばかりの人間のせいかもしれませんわね。」
レジーナは、自身の宿る時計の止まった秒針を、悲しそうに、そして少し恨めしそうに見つめた。
その瞳は、琥珀色から、まるで夕暮れのように深い茜色に変わっていた。